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いま、そのとき、かんがえつつあること。

人間とは、肉をたべるベジタリアンのことだ

2008-02-15 | 料理
肉をたべるベジタリアンというフレーズに奇妙な印象をもったひとは いませんか? いないことをねがっているのですが、いたとしたら、あなたは、いま わたしに ぶっこわされます。きのうとは ちがう自分に なっていただきます。


ベジタリアンを菜食主義者ということがあるが、これは単純な翻訳の問題ではない。それぞれ微妙に ちがった定義である。

ベジタリアンとは、なんらかのかたちで肉食に制限をおいているひとのことである。英語で「まったく肉をたべないひと」は、ビーガンという。ベジタリアンには いろいろと類型があって、サカナは たべるベジタリアンとか、トリ肉は たべるベジタリアンなどがいる。

菜食主義といってしまうと、肉食を完全に拒否しているひとというふうに感じられてしまう。だから、菜食主義者はベジタリアンの一部をさす表現であるとはいえるけれども、ベジタリアンの全体をよびならわす表現には なりえない。ベジタリアンも肉をたべるのだ。肉を まったく たべないベジタリアンもいるということなのだ。

なぜ肉をたべないか。それは、倫理的、宗教的、健康的、体質的、味覚的な理由から、ある肉や あらゆる肉をたべないことにしているのだ。それがベジタリアンの実態である。


そして!

人間すべての本質でもある。

つまり、ひとは すべて、倫理的、宗教的、健康的、体質的、味覚的な理由から たべるものをえらんでいる。すべての食材をたべるひとは どこにも いないのだ。

もし、紙をたべているひとが いるとして、そして、紙には栄養分が ふくまれているとして、あるいは空腹が みたされるとすれば、紙もまた食材になる。その要領で あれやこれやを食料ということにしてみよう。そうすれば、人間が たべているものなど、ほんとうに選択的で、ごく一部だけであることが実感できるだろう。

肉をたべないのは、やせがまんだとか、不幸だとか いうのならば、ヘビやカエルやネズミやミミズやスズメバチをたべない自分の食生活をふりかえってみることだ。

食材は ほら! あれもこれも、ほら! すごいよ、ほら!

たべようよ!!!!

ベジタリアンは なにも特別なひとたちではない。あきらかに人間の本質の延長線上にいる。どこにでもいる、そのへんの ひとたちである。肉をたべるベジタリアンは矛盾じゃない。ベジタリアンは、人間そのものだ。


えーっと、このように かくと、逆にベジタリアンが特殊なひとたちかのような印象をあたえてしまうんじゃないかという危惧をもっちゃったのは、わたしだけでしょうか。おかしいな。そういうつもりじゃないんだけど。ま、いいや。ゆるせ。

ちなみに わたしは高校生のころベジタリアンでしたよ。