城郭ビイスタ論 上文字クリック
江越の戦国史 江濃の戦国史
長谷川
この投稿に良いねを押しておられる人
は本当に戦国歴史通だと感心致します。
対談者
何故なのでしょうか?
長谷川
文献『信長公記』には
尾濃=尾張と美濃
等の省略国名が表記され
ています。ですから
江越、江濃の文言に反応
される人は真の歴史通です。
良いね!一名の人は本当に
スゴイ人なんですよ。
対談者
浅い様で本当は深いんですね!
対談者
前回の投稿は非常に
江越の戦国史 江濃の戦国史
がよく歴史が解りました。
※江越=滋賀福井
※江濃=滋賀岐阜
①最後の室町幕府将軍足利義昭の足跡
大和、近江、若狭、越前、美濃、山城
流浪の足跡が整理して理解出来た事。
②北近江小谷城主浅井備前守長政が元亀
年間に織田陣営から離反し元来の物流
経済圏日本海側朝倉に加担した経済状況。
③二重堀切が浅井の横山城にも朝倉の金ケ崎
にもチヤント存在する城郭遺跡としての現実
◆長谷川
勿論 近江磯山城にも二重堀切あります。
『近江の磯野氏』所収古図より抜粋。
やはり二重堀切が確認出来るます。

▼それは写真でも確認出来ます。

対談者
さぞがし閲覧者訪問者ともに非常に多かった
と思われますが、如何ですか?
長谷川
残念ながら閲覧者訪問者ともにゼロに近い。
対談者
全く不可解に思います。私は長谷川先生に
横山城の二重堀切を解説して頂いて、越前
の金ケ崎城にも二重堀切を解説して頂いて
また越前杣山城の解説でも感化感動した。
歴史城郭としての学門的衝撃を受けました。
長谷川
真に残念ながら日本には城郭遺跡見学者様
が全く存在しないと言う事の証明なのです。
横山城でキッチリと二重堀切を見学した際
に簡単に横山城や金ケ崎城に二重堀切と日記
や手帳へ、メモされ、城郭遺跡見学会に取り
組んいる人々が非常に少ないと言う現実です。
対談者
横山城や金ケ崎城いずれも有名古戦場で歴史
舞台として歴史紀行を楽しんでおられる人々
が大多数だから長谷川先生が両城の二重堀切
を記憶に残しておきましょうねと進言しても
歴史紀行観光行楽気分または歴史小説の舞台
を訪れておられる感覚になる事は仕方がない。
歴史の舞台に行っても舞台の構造「二重堀切」
を全く見る気ないです。舞台の足元も見ない。


長谷川
例えば簡単な比較研究的メモ取る人いません。
★金ケ崎城 ◆二重堀切
時代元亀元年
関連武将 朝倉氏 織田氏 羽柴氏 明智氏
援軍武将 近江浅井氏「朝倉方北国道勢力」
三河徳川氏「織田方東海道勢力」
時代元亀元年
場所 ※江越=滋賀福井に近い敦賀市「越前敦賀郡」(嶺南地域)
文献 第一級文献資料 『信長公記』
城の役割 越前と若狭の郡界 越前への門戸 朝倉氏重要支城
合戦の結果 織田方越前金ケ崎城を取るも浅井朝倉に挟撃され
織田信長は辛くも京都に一旦退却後、岐阜に帰還。
金ケ崎城退却時に羽柴秀吉明智光秀が殿軍となる。
結果 東海勢力敗北、北陸勢越前北近江を保持する。。
★横山城 ◆二重堀切
関連武将 浅井氏 織田氏 羽柴氏
援軍武将 越前朝倉氏、「北陸地域勢力」
三河徳川氏 「東海地域勢力」
時代元亀元年
関連合戦 姉川の戦い
場所 ※江濃=滋賀岐阜に近い長浜市「浅井郡と坂田郡界」
文献 第一級文献資料 『信長公記』
城の役割 浅井氏の繫ぎの城「出城」また「境目の城」▲
合戦の結果 浅井朝倉は織田方に敗北、小谷城に籠城体制を
採り、横山城を信長は奪取確保、横山城の城代に秀吉を起用。
結果 東海勢力織田徳川連合軍勝利。浅井朝倉北陸勢力敗北

◆自治体歴史観や自治体歴史講演の問題
対談者
普通一般に自治体様が主催される歴史城郭講演では
その行政範囲の武将や城郭だけが演目に取り上げら
れ歴史解釈が狭視野つまり目先の自分の町の城しか
その自治体住民様は感心がなく越前金ケ崎城と近江
横山城とを冷静に客観的に考えたり比較研究しない
傾向になってしまいます。だから長谷川先生の城郭
解説に訪れる人は、愛知、岐阜、三重、京都、大阪
兵庫、福井、富山、神奈川、東京、山口、岡山また
滋賀は他府県から移住されて近江滋賀の歴史を冷静
客観的に観る見る観察する能力あるアウト、ルック
的な方々が多い従って滋賀県内の人は長谷川先生の
事を全く知っておられない方も多いのかもしれない。
長谷川
簡単に言うなら、浅井郡の小谷城では
①大嶽城の北部二重堀切が存在致します。
②月所丸にも東部に二重堀切と一重の堀切があります。
③山本山城 北出丸でも二重堀切があります。
簡単に言うなら、浅井郡の小谷城では
①大嶽城の北部二重堀切が存在致します。
②月所丸にも東部に二重堀切と一重の堀切があります。
③山本山城 北出丸でも二重堀切があります。
坂田郡では
①横山城の西部に二重堀切があります。これは長浜市の城。
②これも長浜市の城で名越越えの山城北部南部にも二重堀切が
③犬上坂田郡境の磯山城の虎ケ城に二重堀切があります。
④米原市枝折城にも二重堀切があります。
⑤米原市江龍奥の城にも二重堀切があります。
⑥米原市鎌刃城にも二重堀切が2カ所あります。
⑦彦根市男鬼城にも2重堀切が2カ所あります。是は旧坂田郡
⑧彦根市磨針峠の菖蒲岳城にも2重堀切が2カ所あります。旧坂田郡
⑨彦根市中山町のキトラ城の北部にも2重堀切があります。
⑩米原市の八講師寺城の東部にも二重堀切があります。
⑪米原市西番場の番場城も2重の堀切があります。
⑫米原市西坂にも西坂砦「こんたく山城」があります。
一般様
長谷川先生!そんな講演聞いた事がありません。素晴らしい
歴史城郭講演なら是非米原駅に近い米原公民館で実施して下
さいませんか?滋賀の人々全国人々が新幹線や米原JC利用
しJRの関西方面、JR北陸方面、JR東海方面の方々参集
され安土城ビスタ講演や歴史構造物ビスタ論講演を米原にて
されれば蒼然とした歴史講演が可能ではないのですか?それ
こそ米原市発展に寄与する種を長谷川先生は持っておられる。
長谷川
何度言ったら解るのですか?私は滋賀県内では全く人気無し!
対談者
でも本物でしょう!人間として温厚柔軟素朴な人間性の人!
長谷川
御世辞はよろしい。私が求めているのは二重堀切に発生
する中畝を見学する気がある人を私は探しています。
横山城の中畝を

敏満寺城の中畝「長畝」を

玄蕃尾城の外畝を


信長築城の旧二条城の中畝を

余呉久太郎小屋の城内塹壕を

賎ケ岳古戦場の土塁を素直に見学する心を
素直な観察力こそ歴史のヒモを解くカギ!

