城郭 長谷川博美 基本記録

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見落とすな!古戦場の塹壕鉄砲陣地の現実!

2020-04-26 14:10:41 | 社会観察
見落とすな!古戦場の塹壕鉄砲陣地の現実!

対談者
この様な山の古戦場にこの様な塹壕に身を隠し
て射撃する近代戦の様な実態が存在ましたか?
長谷川
私は純粋素朴です。現地を素直にありのままの現実
を見学致します。絵空事ではなく現実を見る人です。

対談者
塹壕など長谷川先生の創作に過ぎませんか?溝の中に身を
隠して銃撃するなどは?架空の絵空事ではありませんか?

長谷川
固定概念や既知記憶に惑わされて歴史の現実を見誤る事は
避けましょうよ!
素直な心で澄んだ心で現地の遺跡を純粋に観察見学する事。
文献『信長公記』を読んでも、安易に現代文に流されずに
重要な事項をピックアップする気づき能力が大切なのです。

対談者
この遺構は南の羽柴秀吉軍に向けられて作られています。
と言って完全には陣城としては、完成していませんよね?

長谷川
合戦では臨機応変に適宜戦場の地形様相に合せて陣地構築
されます。天正3年の信長の長篠合戦でも信長の鉄砲衆の
臨時編成を次の如く文献『信長公記』には記されてます。

「信長は、家康陣所に高松山とて小高き山御座侯に取り上
げられ、敵の働きを御覧じ、御下知次第働くべきの旨、兼
ねてより仰せ含められ、鉄炮千挺ばかり、佐々蔵介、前田
又左衛門、野々村三十郎、福富平左衛門、塙九郎左衛門を
御奉行として、近近と足軽を懸けられ、御覧じ侯。」とあ
ります。ここでは佐々氏や前田氏が鉄砲を指揮する将とし
て編成されている事に特に留意を致しましよう。

対談者
天正11年の賤ケ岳の戦いにも前田又左衛門利家が登場して
ますが前田は佐久間軍を見捨てて戦場離脱していますね?
越中の佐々成政は賎ヶ岳合戦に参戦せずに越中に居ました。

長谷川
しかし、佐々源六なる武将が越中から柴田軍に500人ほど
賤ケ岳合戦に派遣されています。前田や佐々が鉄砲陣地を
臨時に構築し相手の敵弾を避ける「身隠し」つまり塹壕を
掘って臨戦陣地を何処に一体作ったか?歴史の疑問が残る。

対談者
でもね?敵の矢玉の攻撃を避ける塹壕「身隠し」などあの
有名な織田信長の『信長公記』現代文訳に一言も書かれて
ませんよ。

長谷川
1 澄んだ心で現地の遺構を冷静に観察しましよう。
2 文献『信長公記』を慎重に純粋に読みましょう。

天正3年『信長公記』に「身隠」の言葉が出てます。

「身がくしとして、鉄炮にて待ち請け、うたせられ
侯へば、過半打ち倒され、」と武田軍に身隠を設け
鉄砲で待ち受けて武田軍を迎撃銃撃戦で半数を打ち
取った事を淡々と冷静に記録しております。相手を
自らの鉄砲衆により待ち受け是を痛撃迎撃する策戦
は大坂真田丸の攻防にも登場しています。陣の構へ
方や地勢や地理をよく読み取り実戦の現場で如何に
活躍するかが当時の名将の器量と言える。そこまで
現代の歴史学者は看破洞察する力量を持つ事が大切。
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