山路将監正国の御子孫の本
▼賤ケ岳城
遠い昔の話です。亡き父銀蔵と
賤ケ岳合戦に参戦した山路将監
正国の子孫はどうなったのかと
余呉で会話する事は数度に及び
ました。父は古戦場に行くと
子供の霊がついてくる。良き子
の霊が夢の中に現れると言って
おりました。今から40年も前の
事です。佐久間玄蕃盛政の行市
山砦の土塁に立つ私の父、
長谷川銀蔵▼身長173
▼青年の頃の長谷川博美 身長183 行市山砦の北辺土塁と堀切
佐
久間玄蕃盛政
天文23年(1554年)、 尾張国御器所
(現名古屋市昭和区御器所)に生まれた[1。
「身長六尺」(約182センチメートル)とあり
(『佐久間軍記』)、数値の真偽は別として
かなりの巨漢であったことが窺える。
織田信長の安土城は織豊ビスタ工法を用い築城されている。
▼
▼佐久間玄蕃盛政の行市山城もビスタ工法を用いる。
元亀の騒乱
織田信長の本陣宇佐山城ビスタ工法を用いる。
羽柴秀長の田上山城も
織田信長の虎御前山城本陣もビスタ
放射線状縄張を用いている。
太閤秀吉の肥前名護屋城も
丹波黒井城も
佐和山城も
江戸時代の城の測量方法
長谷川
40年経過して山路家の御子孫の方から
突然電話があり。私は霊感や縁を感じ
て私と城郭遺跡を素朴に見学される
宮本さんと賤ケ岳合戦の現地を案内
させて頂きました。当然の事ながら
堀切などの実際の遺構から当時の戦
いの現場を御案内申し上げる事にな
りました。2020になり、その模様を
記録に収めて図書を佐藤様が出版さ
れる事に成りました。下記図書です。
先日万路越えで堀切を発見され大変な話題
となった宮本さんもこの図書には私ともに
登場致します。夢の様な奇遇の連続です。
▼堀切を発見された宮本さん。高島市マキノ小荒路近く
▼余呉菅山寺城堀切の宮本さん『江北記』畠山氏や京極氏の城?
菅山寺は一切経を保管する寺院、一切経を護る職を「東蔵職」と
言う『江北記』には東蔵 畠山殿と記載されている。
▼滋賀県高島市田中の城「明智光秀青年期に滞在した城」
大堀切の宮本さん花井さん ★リアル十兵兵衛もここにいた。
▼佐々木六角の家臣にして小守護代の伊庭氏
彼等が里城、港城もだけではなく山城を構え
見張り台、詰めの城としていたと私は推定。
改めて深く感謝を申し上げます。