城郭 長谷川博美 基本記録

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目からウロコ!令和の城郭進展!

2024-05-10 19:45:45 | 滋賀の城 ビイスタ工法

お好み焼きのコテを持つ男性のイラスト

目からウロコ!令和の城郭進展!

◆一般様

滋賀の長谷川先生の話題が

爆発してると聞き及びます。

◆長谷川

それはないです。地味で無名

の研究家ですブログも人気0!

 

◆場所

『令和某年正月のお好みや屋』にて

 

◆大学院教授退官者

長谷川さん貴殿の城郭ビイスタ論

は日東第一、東洋第一の城郭理論

 

◆長谷川

過分なる賛辞には赤面の至りです

滋賀湖東彦根犬上の名士諸氏集合

され民間講演会が開催されたる事

は売れない貧乏学者には幸甚です

◆反論者

馬鹿な事を!何に長谷川ごとき

不人気無名学者に衆望集まる?

 

◆大学院教授退官者

それは紀州の南方熊楠ごとき人

でありその才能が隠された人!

 

◆対談者

長谷川先生の講演は一聴して

マヌケな講演と勘違いし易い

でも大変深い内容である事に

気付いた人々が米原学びあい

ステーシヨンに集合している。

◆場所

『令和某年正月のお好みや屋』にて

 

◆一般人

さてお好み焼が焼けて来ましたよ

早速「コテ」で裏返して「コテ」

で食べましょう!

 

◆長谷川

日本の民俗学では「コテ」と「ヘラ」
を使い分ける地域差があります。また

茶聖、千宗/千利休とは、茶会の懐石

に「ふなのやき」舟焼きと呼ぶ小麦粉

を焼いて食べるクレープ類似の食品を

茶会で出した記録あり漁師食起源です。

利休は堺の魚問屋の子息で「ととや」


◆関西風おっちやん

まさかお好み焼きの「コテ」ビイスタ

の理論で作られているのどすかいな?

 

◆対談者 女性

アホ な質問しないで下さいモウ!

 

◆長谷川

重要な事を言っておられますね!

含蓄と洞察と慧眼を含んだ質問!

お好み焼を食べ

るにはコテヘラ

が必須!

令和の城郭理解

にはビイスタ論

が必須!

◆長谷川

馬鹿馬鹿しい質問に聞こえるかも

しれませんが「コテ」や「ヘラ」

はビイスタで理論設計作成され

ています。越前一乗谷遺跡から

も現代の羽子板と同形状の物が

発掘されていますので都の公家

の文化が朝倉氏が庇護した事績

は宣教師が日本の古い文化残存

してすると彼らの記録に残して

おります。文化は伝承される事

ですから「おっちやん」の質問

実は「アホ」じやなくて深い!

羽子板ビイスタ工法日本文化!

◆反論者

馬鹿な雑学を連発するなよ

そんなタワゴトが城郭研究

通用するとでも言うのか?

 

◆対談者 女性

まあアナタ批判する事ばかり

覚えて讃岐高松城の本丸自体

城郭ビイスタである事を看破

できてない昭和人間さんです

今はもう平成越えて令和です。

▼讃岐高松城本丸ビイスタ

 

◆関西風おっちやん

これホンマの視聴数8500回の

城郭ビイスタ論の深さどすわ

◆反論者

馬鹿な事を言っちゃいけないよ!

そんなら日本城郭の金字塔安土城

に羽子板論が通用すると言うか?

◆一般者

むずかしそうね!

なんか解らない!

 

◆対談者

羽子板は安土城のどこにあるか?

コテやヘラは安土の何処にある?

そういう風に楽しく城考える事よ

それが頭の体操脳トレなのです!

 

◆反論者

櫓って正方形でないのか?

 

◆対談者

正方形だと先入観で決めっけ

ずに際の現実は歪な形つまり

羽子板の形をしていること!

123456と羽子板が探せます!

◆長谷川

そうですね!100回安土城に足を

運ぶ事も良いのですが対談者様

の様に7カ所ほどの羽子板地形を

捜すような脳トレを私は推薦しま

す。それによって日本国の城郭の

研究や考察のレベルが一般民衆の

段階でアップします。

◆対談者

すると安土城のビイスタ論も

徐々に解ってくると言うもの

 

 

◆質問者

織田信長の覇業を継承した

羽柴秀吉は関白に続き太閤

となり肥前名護屋城を天下

人の城として築城致します

▼肥前名護屋城ビイスタ

◆反論者

肥前名護屋城に長谷川なんぞ

4流学者の羽子板理論が通用

する訳がないそんなん無駄!

 

◆対談者

さあ!みんな令和は民衆の為の

民衆の為の新しい平和な時代よ

肥前名護屋城に羽子板さがそう

 

◆長谷川

日本1人気のない売れない無名

城郭研究家長谷川こそ最高賛辞

です令和の主役とは市民様です。

 

Aに赤色のビイスタ「羽子板」

Bに緑色のビイスタ「羽子板」

Dに黄色のビイスタ「羽子板」

Eに青色のビイスタ「羽子板」

Vに桃色の本丸Vビイスタです

◆一般者

良いね!この理論昭和平成には

出て来なかった令和の新城郭

大理論と言う事に間違いない!

そう。郭ビイスタ動画必見!

◆反論者

いかん!あかん!絶対見るな!

城郭ビイスタ論など間違いだ!

 

 

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衝撃!城郭新世界 旧世界 変革の時代

2024-05-10 15:28:34 | 城址見学心得

衝撃!城郭新世界 旧世界 変革の時代

 

◆対談者

江戸から明治に時代が移行する

とき大きな時代の文化や変転が

現れたと言います。これが明治

維新と呼ばれた変革の時代です。

◆反論者

長谷川の城郭ビイスタ論は異端

絶対に私は感情的に認めない!

この動画を絶対見てはならぬ!

◆対談者

それは明治に廃刀令や断髪令が

出ても新世界に適合しない石頭

長崎の出島もビイスタ工法です。

 

◆長谷川

荒言は御慎みください。城郭は

心静か冷静な精神性で研究進捗

 

◆旧世界

伊賀の国の城址を見るに某先生の

図面は解り易く市民を導員する事

を目的に簡潔に書かれる最高峰だ

これが手本これが見本と言う物だ

つまりはスタンダード標準ですよ。

▼伊賀国某城郭遺跡某氏略図

◆某先生

さてさてこの城とは

  南北42.09m

  東西31.11m

伊賀型単郭方形城館を探訪します

 

◆探訪者

某先生大変解り易く伊賀城館

を楽しめます。感謝致します

それにしても素晴らしい図面

 

◆対談者

ちょつと待ってくださいよ!

この感覚で1000城5000城を

廻っても本当は城跡回遊する

回遊魚と同じ生態でしょうが!

 

◆反論者

生意気な異端者どもが何を

言うかマウント【頂点】を

とり市民牛耳るのは我等だ

 

◆長谷川

双方荒言を御慎みください

 

◆対談者

しかし福井城本丸もビイスタ工法▼

▼美作津山城等も重複ビイスタ工法

◆対談者

また駿府城もビイスタ工法

◆対談者

越前大野城もビイスタ工法!

◆対談者

伊賀竹島城もビイスタ工法▼

◆対談者

パソコン、スマホは時代変革

明治維新の様な大きな時代の

変わり目に来ている変革時代

そういう時代こそ皆様の知る

令和時代の本質

であり現実です。

 

◆見学者

伊賀の国城郭を来る5月26日

に期待してます。長谷川先生

に解説をお願いしたいのです。

 

◆長谷川

私の様な素人と伊賀に行く事

は控えた方が得策だと思います

それに私の図面は特別下手です。

◆長谷川

内郭と外郭があります。それ

にしても複雑でイヤな城です

複雑過ぎて紙幅に余裕がなく

解説する事が多すぎ頭が痛い

 

◆一般者

恐ろしいく詳細です。こんな

伊賀の城とは複雑なのですか

この様にシンプルな方が良い

◆長谷川

複雑巧妙なのが伊賀の城です。

伊賀の城は技術力が高かった。

従って織田軍団は伊賀に三度

攻め入って天正の乱が起って

おります。従ってこれこそが

伊賀の城の現実だと言えます。

◆反論者

長谷川図は別世界を書いてる。

我々の城郭の概念とは異なる。

それこそ令和の異端論者です。

 

◆対談者

しかし長谷川先生は福井城の

本丸にビイスタがあると解説

されています。令和の城解説

は本当はこれ本格的を得た物

◆長谷川

そういった「素」の心を持って

いれば徳川の永原御殿も素直な

心でビイスタである事が解る!

 

◆反論者

ふんそれだったら長谷川図

の伊賀の城にビイスタ工法

が読取れるとでも言うのか?

なんかオマエラ偽物のクセ

に本物の様な顔し生意気だ

◆対談者

いいえ!純粋で素朴な人々で

何処から湧き上がる民衆の心

 

◆長谷川

普通に素朴に伊賀の城にも

ビイスタは読み取れます。

日本の城の設計がこういう

モノだと言う事をそろそろ

認識して見てはどうです?

私は何も異論を唱える為に

城を研究していないのです

日本本来の城の設計基準を

素朴に調査研究している人

従って「素」の心を持っ事

で伊賀の某城もビイスタが

浮かび上がってくる事です。

A図

 

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関西と関東の扇型ビイスタの城比較研究

2024-05-10 04:20:45 | 関東の城 ビイスタ工法

◆長谷川

先ず最初に今回の投稿に関して

余湖君のお城のページ様に掲載

されている山田城(行方市山田字妙義山)

をお借りして論述させて頂く事

を謹みて報告させて頂くと同時

に先方様のブログに深く敬意を

払わせて頂く所存であります。

従いまして山田城図は余呉様の

ブログより参考にさせて頂いた

事を改めて御報告申し上げます。

 

◆関西と関東の扇型ビイスタの城比較研究

▼余湖君のお城ページより引用掛腺記入

◆長谷川

日本全国に扇型に縄張された城郭

遺跡は多いと思われます以下の図

は先の余湖君のお城のページ様よ

りお借りしたものに私がビイスタ

腺を加えさせて頂いたものです。

山田城(行方市山田字妙義山)

も複数のビイスタ腺により縄張

されていると私は推定とてます。

◆長谷川

重複ビイスタ工法も読み取れます。

◆長谷川

泉州千石堀城の堀の形状も扇型

ビイスタ工法と思われます。

ウイッキペデイアより引用

千石堀城(せんごくぼりじょう)は、大阪府貝塚市橋本にあった日本の城山城)。

概要[編集]

橋本の東南1.5キロメートルに、東側には近木川、西側には見出川に挟まれた、南北約2キロメートルにわたる三ノ丞山と呼ばれる標高約70メートルの丘陵一帯が、千石堀城の跡と思われている。千石堀城は、積善寺城を主城とした近隣の高井城と同様支城のひとつであったと見られている。小栗街道から分岐し大熊街道の拠点であり交通の要地であった。岸和田城と対峙した時の要害のひとつが千石堀城である。

沿革[編集]

石山合戦石山本願寺と織田信長が戦った後、本願寺衆は根来衆雑賀衆と連携し、根来寺の支城として和泉国に5か所もしくは7か所の築いたと言われており、千石堀城もその一つである。築城年に関しては不明な点が多いが、1577年(天正5年)信長の紀州攻めの時には、根来衆や雑賀衆の中には信長に加勢する者も出て、結局城を守る根来・雑賀衆は信長と戦わずに城を捨てて海路撤退した。その後、それより更に強化され現在の千石堀城が築城されたと思われている。

▼織田信長 安土城 扇型ビイスタ

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