私は無駄のない動きが好きだ。好きを通り越して、無駄の動きでないと認めないぐらいに思っている。
いつごろからそうなのかと考えてみると、一つ思い当たるのが工場での作業についての話をきいた20年くらい前のこと。
ねじが入っている箱のレバーを右手で押し、でてきたねじを左手で取り、左手でそのままねじ穴に押し込む。その間にレバーを押した右手はその右側にぶら下がっている電動ねじ回しをつかみ、右手とねじをさしこんだあとの左手を使ってねじ回しを固定しねじを締め付ける。ねじ回しにかけている両手を離して、また右手でねじのが入っている箱のレバーを右手で押し、でてきたねじを左手でとり...
実際はねじを閉めるだけでなく3つくらいの動作を流れるような無駄のない操作で進めていくように動きが決められている。
私もそこまではいかないが、流れるような動作を心がけている。シャワーを浴びるときにシャツを両手でつかんで脱ぎ、左手はそのままはずさずに脱いだシャツをつかんで洗濯籠の中に入れる。左手がシャツを動かしている間に右手はズボンのベルトをつかんでバックルが外れる方向に動かし、左手の作業が終わったときに左手を添えてベルトをバックルからはずす。左手はベルトをつかんだままズボンのベルト通しから引き抜く。それと同じタイミングで右手はズボンのボタンをはずし、チャックをずらす。(シモネタを想像させるような内容には特に意図はない)
その道何年という人達をプロと呼ぶとしたら、プロと呼ばれる人達はなべて動きに無駄がないように思う。料理人がそうだし、マッサージ師がそうだし、ダンサーがそうだし、とにかくプロは動きに無駄がない。
プロかプロでないかを分けている私なりの一つの基準は動きに無駄がないことかもしれない。
服を脱ぐときの私の動きはプロだと思う。食事の後片付けの動きもプロだと思う。車に乗り込んでエンジンをかけて動き出すまでの動きもプロだと思う。他にもちょっとした動きではプロとよべるような動きが結構ある。
でも、プロでない動きも多いことに気がついた。エクセルやワードで資料を作る時には、何度も印刷をしてそれをみながら修正をかける。「これで終わり」と思って印刷した直ぐ後にまた何度もおなじような修正を繰り返す。
プロではない。
他にもプロではないことを探そうとしたが、あんがいいい線いっていることが多いかもしれない。
そういえば、新しい場所を訪れたときに、そこでいろいろな情報を収集することもわりといい線いっている。
先週初めてポーランドのワルシャワを情報収集のために訪れた。忙しかったこともあり、朝一番の飛行機でワルシャワに入り、夕方のフライトで戻ってきた。
短い時間だがプロの動きができたおかげでワルシャワの市内観光までやってきた。
百聞は一見にしかず。
おまけにワルシャワの人を驚かすことをしてきた。
初めてのワルシャワで、目的地にむかうバスを無駄のない動きで見つけて乗り込んだ。乗り込んだのははいいが、降りるときにどうすればいいのかがわかなかった。日本やドイツのバスにあるような降車をリクエストするボタンはどこにもついていない。
注意深くバスの中の人の行動を見ていたが、誰の行動からも降車を知らせる方法をみつけられなかった。
もう一度注意深く車内を見渡すと。3列くらい前方の窓枠のところからゴムのようなものがたれていて、そこに三角の形をした一辺3cmくらいの金属がついていた。遠目ではあるがそれを引っ張るようなサインも書かれているように見えた。
私が座っている窓枠のところも少しゴムが長いもののおなじようなものがついていた。
私はサンフランシスコの路面電車を降車するときには、社内に張り巡らされている紐を引っ張ることを思い出した。
私は、自分の観察力と過去の経験を結びつけて状況を判断する無駄のない思考力にプロを感じた。
私の降りるバス停が次になったとき、私はおもむろにたちあがり、窓枠についている三角形の金属を下に引っ張った。ゴムが少し伸びたがなにかサンフランシスコの停車合図の紐とは感触が違う、さらに引っ張ってみたところ、そのゴムは窓をとりかこむようにして伸びながらはずれてきた。
どうもこれは降車合図のための紐ではなさそうだと気付いた。ゴムは1mほど窓から外れていた。
このゴムは窓を車体に固定するためのパッキンの役割をはたすものだったようだ。
ゴムを惹く動きに無駄はなかったが、やったことは全く無駄だった。
バスは次の停留所に何もないようにとまった。
ワルシャワのバスは全ての停留所にとまるようになっている。停留所の間隔が長いから降りる人も乗る人いる。ワルシャワのバスの動きには無駄がない。これもプロのしわざだろうか。
いつごろからそうなのかと考えてみると、一つ思い当たるのが工場での作業についての話をきいた20年くらい前のこと。
ねじが入っている箱のレバーを右手で押し、でてきたねじを左手で取り、左手でそのままねじ穴に押し込む。その間にレバーを押した右手はその右側にぶら下がっている電動ねじ回しをつかみ、右手とねじをさしこんだあとの左手を使ってねじ回しを固定しねじを締め付ける。ねじ回しにかけている両手を離して、また右手でねじのが入っている箱のレバーを右手で押し、でてきたねじを左手でとり...
実際はねじを閉めるだけでなく3つくらいの動作を流れるような無駄のない操作で進めていくように動きが決められている。
私もそこまではいかないが、流れるような動作を心がけている。シャワーを浴びるときにシャツを両手でつかんで脱ぎ、左手はそのままはずさずに脱いだシャツをつかんで洗濯籠の中に入れる。左手がシャツを動かしている間に右手はズボンのベルトをつかんでバックルが外れる方向に動かし、左手の作業が終わったときに左手を添えてベルトをバックルからはずす。左手はベルトをつかんだままズボンのベルト通しから引き抜く。それと同じタイミングで右手はズボンのボタンをはずし、チャックをずらす。(シモネタを想像させるような内容には特に意図はない)
その道何年という人達をプロと呼ぶとしたら、プロと呼ばれる人達はなべて動きに無駄がないように思う。料理人がそうだし、マッサージ師がそうだし、ダンサーがそうだし、とにかくプロは動きに無駄がない。
プロかプロでないかを分けている私なりの一つの基準は動きに無駄がないことかもしれない。
服を脱ぐときの私の動きはプロだと思う。食事の後片付けの動きもプロだと思う。車に乗り込んでエンジンをかけて動き出すまでの動きもプロだと思う。他にもちょっとした動きではプロとよべるような動きが結構ある。
でも、プロでない動きも多いことに気がついた。エクセルやワードで資料を作る時には、何度も印刷をしてそれをみながら修正をかける。「これで終わり」と思って印刷した直ぐ後にまた何度もおなじような修正を繰り返す。
プロではない。
他にもプロではないことを探そうとしたが、あんがいいい線いっていることが多いかもしれない。
そういえば、新しい場所を訪れたときに、そこでいろいろな情報を収集することもわりといい線いっている。
先週初めてポーランドのワルシャワを情報収集のために訪れた。忙しかったこともあり、朝一番の飛行機でワルシャワに入り、夕方のフライトで戻ってきた。
短い時間だがプロの動きができたおかげでワルシャワの市内観光までやってきた。
百聞は一見にしかず。
おまけにワルシャワの人を驚かすことをしてきた。
初めてのワルシャワで、目的地にむかうバスを無駄のない動きで見つけて乗り込んだ。乗り込んだのははいいが、降りるときにどうすればいいのかがわかなかった。日本やドイツのバスにあるような降車をリクエストするボタンはどこにもついていない。
注意深くバスの中の人の行動を見ていたが、誰の行動からも降車を知らせる方法をみつけられなかった。
もう一度注意深く車内を見渡すと。3列くらい前方の窓枠のところからゴムのようなものがたれていて、そこに三角の形をした一辺3cmくらいの金属がついていた。遠目ではあるがそれを引っ張るようなサインも書かれているように見えた。
私が座っている窓枠のところも少しゴムが長いもののおなじようなものがついていた。
私はサンフランシスコの路面電車を降車するときには、社内に張り巡らされている紐を引っ張ることを思い出した。
私は、自分の観察力と過去の経験を結びつけて状況を判断する無駄のない思考力にプロを感じた。
私の降りるバス停が次になったとき、私はおもむろにたちあがり、窓枠についている三角形の金属を下に引っ張った。ゴムが少し伸びたがなにかサンフランシスコの停車合図の紐とは感触が違う、さらに引っ張ってみたところ、そのゴムは窓をとりかこむようにして伸びながらはずれてきた。
どうもこれは降車合図のための紐ではなさそうだと気付いた。ゴムは1mほど窓から外れていた。
このゴムは窓を車体に固定するためのパッキンの役割をはたすものだったようだ。
ゴムを惹く動きに無駄はなかったが、やったことは全く無駄だった。
バスは次の停留所に何もないようにとまった。
ワルシャワのバスは全ての停留所にとまるようになっている。停留所の間隔が長いから降りる人も乗る人いる。ワルシャワのバスの動きには無駄がない。これもプロのしわざだろうか。