WATERCOLORS ~非哲学的断章~

ジャズ・ロック・時評・追憶

ミズーリの空高く

2014年07月21日 | 今日の一枚(C-D)

今日の一枚 365●

Charlie Haden & Pat Metheny

beyond the Missouri Sky

 前の記事が1月10日だったから、およそ半年ぶりの更新となる。この間、長男が大学に進学して一人暮らしをはじめ、妻は離島に転勤となって毎朝早くに出勤するようになり、「激変」とまではいなかいけれど、生活のパターンはかなり変わった。社会に目を移せば、立憲主義を骨抜きにするような仕方で、「集団的自衛権」という名の戦闘行為への「加勢」が合法化されてしまおうとしている。私はといえば相変わらずなのだが、幾人かの知人が亡くなったこともあって、こうやって自分をとりまく世界は変わりゆくのかなどという妙な感慨にふけっている。

 数日前に訃報に触れた。チャーリー・ヘイデンが亡くなったというのだ。少なからずショックだった。有名な人もそうでない人も含めて、自分にとっての「先人」のような人、自分に影響を与え、ちょっと大げさにいえばどこかで心の支えになっているような人を失うのは、何だか自分が無防備になっていくような気がするものだ。

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 チャーリー・ヘイデンとパット・メセニーの『ミズーリの空高く』、1996年に録音された作品である。もう18年も前の作品になるのですね。私はまだ34歳だったわけだ。時間の流れは速い。自分自身の進歩のなさに、18年間何をやってきたのか自問してしまう。当時、文字どうり擦り切れるほど聴いたアルバムだが、意外なことに、聴いたのは数年ぶりだった。感動を新たにした。批評的な言説など無化してしまうような、心にしみるサウンドだ。身体の生理的なリズムに合致するような、ゆっくりとしたタイム感覚がたまらない。音楽が、深いところまで到達してかたくなな心を武装解除し、自分の弱さを見せつけられるようだ。脱力して呆然と立ち尽くし、涙があふれてくる、そんな作品である。

 パット・メセニーの印象的なギターに耳を奪われがちだが、よく聴くと、当然のことながら、チャーリー・ヘイデンのベースが非常に重要な役割を果たしていることに改めて驚かせられる。優しく柔らかな低音でしっかりとサウンドを支えると同時に、このベースはサウンドの雰囲気を決定するような、歌心溢れる良質な「鼻歌」になっている。実際、パット・メセニーが「チャーリーにこのアルバムづくりに誘われたのは光栄だったよ」というように、この作品の制作はチャーリー・ヘイデンから持ちかけたものであり、録音・制作もチャーリー・ヘイデン主導で行われたようだ。その意味では、パット・メセニーの存在感はもちろん否定すべくもないが、その構想はチャーリー・ヘイデンその人のものなのであろう。

 すごくヒットしたアルバムなのでちょっと気恥ずかしいが、私にとっては墓場までもっていきたいもののひとつだ。

 日中戦争が勃発した1937年に生まれ、ジャズミュージックに偉大な足跡を残したチャーリー・ヘイデンは、2014年7月11日に亡くなった。76歳だった。