WATERCOLORS ~非哲学的断章~

ジャズ・ロック・時評・追憶

「聖域」

2010年04月06日 | 今日の一枚(A-B)

●今日の一枚 249●

Barney Wilen

Sanctuary

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 先日話題にした原武史『昭和天皇』(岩波新書)という本はなかなかに面白い本だ。天皇や皇室をめぐる問題を、「お濠の外」の政治史からではなく、「お濠の内側」からみようという試みである。そこでは当然、天皇個人の思考や感覚、皇室内部の人間関係と確執、宗教観、側近の動向などが話題となるわけだが、やはり興味をひかれるのはこの書物の叙述の中心である宗教の問題と皇室内部の人間関係についてである。「お濠の内側」とはいわば「聖域」であり、皇室問題に関する言論を自粛しがちなわが国にあっては、実に興味深いテーマである。

 貞明皇后(大正天皇妃)が大正天皇の病状悪化をきっかけに、東京帝国大学教授で法学者の筧克彦が提唱する「神ながらの道」にのめりこみ、皇太后となる昭和期に入ると、神がかりの傾向をつよめていったこと。昭和天皇が貞明皇太后との確執の中で、それに反発しつつも徐々に影響を受け、太平洋戦争を契機に宮中祭祀に異様に熱心になっていくこと。明治天皇・大正天皇も熱心でなかったこの宮中祭祀を、昭和天皇は戦後も熱心に続けたこと。また、昭和天皇が最後まで固執したのは、皇祖神アマテラスから受け継がれてきた「三種の神器」の死守であったこと。貞明皇太后との関係が深かった弟の秩父宮や高松宮と昭和天皇の間には大きな確執があったことなど、興味は尽きない。

 また、原武史氏が別の著書(『松本清張の「遺言」』)で、この大正末期に皇室にうまれたシャーマニズム的世界=宮中祭祀に、昭和天皇妃の淳香皇后や現皇后、さらには秋篠宮妃も熱心であるのに対して、雅子皇太子妃は熱心ではないことに注目し、「皇太子妃の病気が長引いているのは、数々の宮中祭祀に出席し、皇祖皇宗の存在を信じて心から祈らなければならない皇室という環境に適応できないことが原因とも考えられるのです。」と述べていることは傾聴に値する。さらには、かつて昭和天皇に変わって秩父宮(あるいは高松宮)を皇位につけようとする勢力が存在したことと、現在の皇太子と秋篠宮の関係との類似点など重要で示唆に富む指摘も多い。

 なお、原氏は、これまでの「大正天皇」「昭和天皇」などの研究成果をベースに新たな視角から近代全体を俯瞰する新たな天皇制論を立ち上げたいと宣言しており、その構想の公表が待たれる。

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 「聖域」ということで、今日の一枚は、バルネ・ウィランの1991年録音作品『サンクチュアリ』である。晩年のバルネの作品はどれも好きだ。音色に情感がこもり、表現力豊かで、実にいい。テナー&ソプラノサックスとギター、ベースのみという小編成の本作品では、その穏やかで寂しげな情感がより直接的に伝わってくる。「リーカド・ボサ・ノバ」、「マイ・フーリッシュ・ハート」、「ボヘミア・アフター・ダーク」、「グットバイ」といったモダン・ジャズの人気曲も多く収録され、情感豊かな素晴らしい演奏をじっくり聴くことができる。書斎にたったひとりの深夜、ウイスキーを片手に、耳を傾けるには最高の作品だ。

 ところで、「サンクチュアリ」=「聖域」というアルバムタイトルは、どこからきたのだろう。恐らくは、アルバム全体に漂う、密やかで静かな雰囲気からきたのだろうと想像されるが、たまたまジャケット裏をのぞいてみたら、次のようなちょっと卑猥な絵が載っていた。まさか、「サンクチュアリ」とはこのことだったのでは……??

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