WATERCOLORS ~非哲学的断章~

ジャズ・ロック・時評・追憶

頼朝の死と吾妻鏡の沈黙

2022年08月16日 | 今日の一枚(M-N)
◎今日の一枚 588◎
Michael Franks
Dragonfly Summer
 『鎌倉殿の13人』では、源頼朝の死について、相模川の橋の供養の帰り道に落馬したシーンが描かれた。それ以前から体調が悪そうだったので、何かの病の結果、落馬したという描き方だったと思う。
 頼朝の死は、建久10(1199)年1月13日のことらしいが、その実像は詳しくはわからない。鎌倉幕府の歴史を記した『吾妻鏡』は、建久7(1196)年から建久10(1199)年まで、すなわち頼朝が死亡する前の約3年分の記事が欠落しているからだ。『吾妻鏡』が頼朝の死について記すのは、それから13年後の建暦13(1212)年2月のことだ。重臣らが将軍実朝に橋の修理について答申した記事にちょっとだけ出てくる。三浦義村が提案した相模川の橋の修理について、北条義時・大江広元・三善善信らが話し合い、かつてこの橋の落成供養の帰り道に頼朝様が落馬して程なく死んでおり、縁起が悪いから作り直す必要はないのではないかと答申したという記事である。挿話として出てくるだけなのだ。
 鎌倉幕府の正史ともいえる『吾妻鏡』に、鎌倉幕府の創設者である源頼朝の死が記されていないことは奇妙だ。しかも、13年後の記事に落馬というおよそ征夷大将軍らしからぬ死に方が記されているのだ。陰謀論が提起される所以である。『吾妻鏡』は頼朝の死に触れたくなかったように見える。さらに、「落馬」を象徴的な言葉としてとらえることもできるわけだ。
 ただ、建久10(1999)年に頼朝が死亡したことは事実のようだ。『尊卑分脈』 や慈円の『愚管抄』あるいは京都の公家の日記(古記録)などが記しているからだ。これらの中には、頼朝の病が「飲水の病」(糖尿病)だとするものもあり、それが原因で落馬したのかも知れない。陰謀論めいたことは記されてはいない。
 『吾妻鏡』に頼朝死亡前の3年分の記事がないことについては、すでに石井進氏の名著『鎌倉幕府』(中央公論社)が、破棄等による隠蔽ではなく、はじめから書かれなかったのではないかと推測しているが、『鎌倉殿の13人』の時代考証を担当する坂井孝一氏も『源氏将軍断絶』(PHP新書)の中で同じ立場を取り、その理由を頼朝晩年のいくつかの失政や、将軍後継問題など北条氏に不都合な事実を隠蔽すために、『吾妻鏡』は記事自体の作成を行わないことを選択したのではないかと仮説を提示している。『吾妻鏡』は北条氏の正当性を主張するために編纂された史書なのである。

 今日の一枚は、1993年作品『ドラゴンフライ・サマー』である時々、学生時代にはまっていたマイケル・フランクスを聴きたくなる。いつだって期待を裏切らないジャージーでソフト&メローなサウンドがいい。暑苦しい夏に、熱いハードロックを聴いた青春時代が夢のようである。もう直接的な刺激で心の汗をかきたいとは思わない。そんな体力もない。静かに、しかし確実にじわじわと心に沁みてくるようなサウンドが好ましい。それぞれの曲はもちろん悪くないが、特定の曲を何度もリピートすることはない。何というか、アルバム全体の雰囲気を感じている気がする。いつもソフト&メローであるが、予定調和的なところがない。それが、マイケル・フランクスのいいところだ。
 

IgA腎症と私⑯

2022年08月16日 | IgA腎症と私
「寛解」した!
 開放腎生検のための最初の入院から約1年、昨日の通院で担当医師から「これ以上悪化することはない。寛解です。」といわれた。
 うれしい。というのは、はっきり言ってちょっとビビっていからだ。6月の通院ではeGFR 37.89(CRE 1.52)、同じく6月の職員検診ではeGFR 36.1(CRE 1.59)と数値の悪化が続いており、また血圧も最近高いことが多かったのだ。
 昨日の通院では、eGFRが42.12(CRE 1.38)だった。尿蛋白はなし、これまで+1が続きなかなか無くならなかった尿潜血もやっと消えた。一方、長期間ステロイド剤を服用したことによる血糖値の上昇も、6月からステロイド服用を止めたことでかなり落ち着いてきているとのことだった。もちろん冷静に考えれば、腎機能は100点満点中42点であり、いわば赤点すれすれである。しかし、何とかこの数値を維持し、透析をまぬがれたい。
 医師からは、今回の通院で終わりにしてかかりつけ医に戻るか、もう一回だけ通院して終わりにするか問われたが、念のため10月にもう一度だけ通院することにした。

 なお、バリウムを飲む職員胃検診で開放腎生検を行ったことを告げると、一年以内に開腹手術をしたものはできないといわれ、担当医に確認してくるよう指示されたが、これについても問題ないとのことだった。