WATERCOLORS ~非哲学的断章~

ジャズ・ロック・時評・追憶

ソニー・ロリンズの「橋」

2006年10月22日 | 今日の一枚(S-T)

●今日の一枚 72●

Sonny Rollins     The Bridge

Scan10003_4  ① God BlessThe Child がたまらなく好きだ。何というか「深遠」を感じる。コルトレーンとは異なり、ロリンズにしてはめずらしいことだ。あまりに才能がありすぎて、「深遠」とか「苦悩」とかの余分なものをその演奏から感じさせることはほとんどないのだ。彼が吹く音はそれ自体すでに美しい響きであり、流麗なアドリブはそれ自体が音楽である。そこには音楽だけがあり、余分なものは一切付随していない。

 しかし、彼自身に苦悩がないかといえば、もちろんそんなことはない。周知のように、ロリンズは絶頂期に3度も突然の引退(失踪)を行っている。才能がある人ゆえに、自己の演奏とセルフイメージとの乖離を感じると納得できなくなるのだろう。このアルバムは彼の2度目の引退の後に発表されたものだ。この時の引退は約2年間の長期に及び、ロリンズは真に納得できるサウンドを獲得するため、ウィリアムズバーグ・ブリッジの歩行者専用道路で空と川に向って求道者のような形相でただひたすらサックスを吹き続けていたという。すごい話だ(だからジャズはすごい)。

 『橋』には、その修行の面影を感じされる「深遠」さがあり、同時に何か吹っ切れたような音楽の喜びがある。そもそも『橋』というタイトルがいいではないか。単純な私は、前述の引退の逸話を考えた時、そのタイトルの素敵さに感涙むせぶ程である。

 ロリンズはほぼ同時期に活躍したジョン・コルトレーンとよく比較されるが、和田誠・村上春樹『ポートレート・イン・ジャズ』になかなかいい表現があるので引用しておきたい。「僕は思うのだけれど、ロリンズには『戦略』というものが基本的になかったのではないか。テナー・サックスを手にマイクに向って、曲を決めて、そのまま頭から見事に『脱構築』を成し遂げてしまう。これはやはり天才にしかできない所業だろう。コルトレーンはテキストをひとつひとつ積み上げて、階段を上るように、あくまで弁証法的にアナログ的に音楽を作りあげていった。」

 文系・ロリンズと理系・トレーンというわけだ。