WATERCOLORS ~非哲学的断章~

ジャズ・ロック・時評・追憶

帰るのはどこだ!

2021年07月19日 | 今日の一枚(A-B)
◎今日の一枚 519◎
Bill Evans with Jeremy Steig
What's New
 人の噂は「おかえりモネ」である。
先週、モネはなんと気象予報士試験に合格した。今週から東京編だ。モネが東京に行って働く物語である。東京で働いている私の長男と出会ってくれないだろうか、などと愚かな空想をもってしまうのは、おそらく私だけだろう。
 ところで、「おかえりモネ」である。「おかえり」というからには、そのうちどこかに帰るのだろう。果たしてどこに帰るのだろうか。私は、震災の大津波の時に何もできなかったと回想する、モネの自分探しの出発点である、気仙沼に帰るのだと考えているが、登米市出身の妻は登米に帰るのだと主張している。サヤカさんとの関係を考えると、あながち的外れではないようにも思う。

 今日の一枚は、ビル・エヴァンス & ジェレミー・スタイグの『ホワッツ・ニュー』である。1969年録音盤である。パーソネルは、
ビル・エヴァンス (p)
ジェレミー・スタイグ(fl) 
エディ・ゴメス(b)
マーティー・モレル(ds)
 学生時代に繰り返し聴いた一枚だ。はじめはピンとこなかったが、繰り返し聴いているうちに何となく身体にフィットしてきた一枚である。今思えば、それがジャズがわかることへの第一歩だった気がする。その意味では、私にとっての青春盤の一つである。最後に聴いてからおそらく20年以上は経過している。
 今、しばらくぶりの「スパルタクス愛のテーマ」に酔いしれている。

王朝交替説と応神天皇

2021年06月07日 | 今日の一枚(A-B)
◎今日の一枚 510◎
Art Tatum / Ben Webster
The Tatum Group Masterpieces

 応神天皇は、興味深い大王である。少なくとも、記紀が描く王統譜の中で、ターニング・ポイントとなる大王であるとはいえるだろう。
 天皇号の成立は7世紀後半であるといわれるが、ここではとりあえず応神天皇と呼んでおこう。応神天皇はそのまま実在の大王とはいえない可能性もあり、とりあえず『日本書紀』の呼称に従っておこう。      
 古い学説についての話である。王朝交替説と応神天皇についてだ。1948年に発表された江上波夫氏の《騎馬民族征服王朝説》というものがある。3世紀末から4世紀初めに、東北アジアの騎馬民族が朝鮮南部を経て日本に渡来したというのである。この時、騎馬集団を率いて九州を征服したのが記紀で第10代とされる崇神天皇であり、その約100年後の4世紀末~5世紀初めに応神天皇が畿内を征服したとすのだ。
 1954年に発表された水野祐氏の《三王朝交替説》では、崇神王朝(古王朝)、仁徳王朝(中王朝)、継体王朝(新王朝)が、それぞれ前の王朝を滅ぼして成立したとされた。この場合、古王朝を滅ぼしたのは応神天皇であり、彼は大和には移らず九州にとどまったとされる。したがって、実質的な中王朝の創始者は応神天皇であるといってもよい。一方、応神と仁徳には共通点・類似点が多く、同一の人格が分化したものであるという説もあるようだ。
 1960年に発表された、井上光貞氏の《応神新王朝説》でも、応神天皇は、重要視されている。応神天皇が
九州から東遷して大和に入り、崇神王朝に婿入りする形で王朝を継承したというのだ。
 継体天皇の擁立を巡る物語も重要である。記紀は、武烈天皇で皇統はいったん断絶し、越の国から応神五世孫が大王として迎えられたと記す。何故、応神天皇なのだろうか。記紀が、応神天皇を特別な存在として認識していた可能性があるのだ。
 いずれにしても、古代王権の系譜を語る上で、応神天皇がひとつのキーマンであるとはいえそうだ。


 今日の一枚は、1956年録音の『アート・テイタム~ベン・ウェブスター・カルテット』である。アート・テイタムという人は、本当に美しい響きのピアノを弾く人だ。意図的な情感など込めなくても、ピアノの響きそのものが美しい。端正なピアノとでもいうべきか。片目が盲目で、もう一方の目もほとんど見えなかったとは、信じられない。あるいは、そうだからこそ、音に対して鋭敏だったのだろうか。テイタムの端正なピアノをバックに、ベン・ウェブスターのテナーは、直球勝負で情感たっぷりに歌い上げる。余裕のテナーである。たまには、余裕のジャズもいいものだ。

かつおが美味い!

2021年06月06日 | 今日の一枚(A-B)
◎今日の一枚 509◎
Al kooper
Naked Songs
 今年はかつおが豊漁なのだという。もう、地物も出回っている。スーパーでも手ごろな価格だ。先週食べてみたところ、これが美味かった。この時期のかつおにしてはかなり美味い。あまりに美味かったので、毎日のように買って帰り、結局、4日連続で食べ、妻から呆れられる始末だった。
 若い頃は、ニンニクと醤油でガツンとした味を楽しんだものだが、最近はかつおの刺身の上に刻んだ大葉とミョウガをのせ、味ぽんマイルドにショウガを付けて食べている。これが美味い。やはり、味覚は年齢によって変わるらしい。

 今日の一枚は、ブラッド・スウェット・アンド・ティーアーズのボーカリストだったアル・クーパーのソロアルバム『赤心の歌』である。1973年の作品だ。このアルバムをいつ買ったのかよく覚えていない。若い頃に何度も聴き込んだ記憶もない。だから、そんなに強い印象もなかった。かつお三昧だった先週、何気なくCDの棚に手を伸ばし、たまたま手にしたのでかけてみたのだ。
 いい・・・。ああ、私はこういうロックを聴きたかったのだと思った。空気が変わっていくのがわかった。部屋全体にアル・クーパーの、古き良きロックの世界が広がっていった。先週は何度もこのアルバムを聴き、かつおとアル・クーパーの一週間となってしまった。
 『赤心の歌』、これもまた名盤である。
 そういえば、今思い出したが、ボブ・ディランのLike a Rolling Stone で疾走感溢れるオルガンを弾いていたのは、アル・クーパーだったはずだ。

チャーチルのVサイン

2021年05月22日 | 今日の一枚(A-B)
◎今日の一枚 505◎
綾戸智恵
Life
 ある俗説の話だ。第二次世界大戦期にイギリスを率いたW.S.チャーチルはよくVサインをしたが、戦後、その意味を問われてこう答えたというのだ。《このサインは、victry(勝利)の意味でもあるが、peace(平和)の意味でもある。一本の指は広島、もう一本の指は長崎。2つの原爆で世界は平和になった。》
 これは全くの俗説のようだ。チャーチルがよくVサインをしたことは事実であるが、あくまでvictry(勝利)の意味で使っていたのであり、戦時中から勝利への意志を示すために使っていたものだ。Vサインがピース(平和)と結びつくのは、60年代にベトナム反戦運動を展開した、ヒッピー文化の中でのことだったらしい。広島や長崎については後付けされたものではないかと考えられる。
 どのような経緯でこの俗説が流布したのかはわからない。ある予備校教師の本などに出てくるようであるが、典拠は示されておらず、この予備校教師が単独で考えたホラ話なのかどうかわからない。恐らく、元ネタがあったのだろう。悪意を感じる俗説である。
 今日の一枚は、綾戸智恵の『ライフ』である。1999年の作品である。つい最近のことような気がしていたが、綾戸智恵が旋風を巻き起こしたのも、もう20年も前の事なのだ。感慨深い。綾戸智恵がジャズではないといわれれば、それでもよい。事実、綾戸はジャズ雑誌にはほんんど取り上げられなかった。ただ、それまでの日本にはほとんどいなかったような種類の、ソウルフルでスピリチュアルでアグレッシブな歌唱だったことは間違いないだろう。所有する数枚のアルバムの中では、この作品が一番好きだ。ソウルやゴスペル、ブルース、そしてジャズなど、多彩なバックボーンを感じさせられる、歌心溢れる歌唱が展開される。しばらくぶりに手に取ったが、やはり、折に触れて時々聴きたい作品だと改めて思った。⑬夜空ノムコウは、日本に存在するこの曲の演奏の中で、最高の名唱だと思う。

徳仙丈山を縦走した

2021年05月16日 | 今日の一枚(A-B)
◎今日の一枚 504◎
Art Farmer
To Sweden With Love
  今日は,朝6時に出発して,日本最大級のつつじの群生地だという徳仙丈山(標高711m)に行ってきた。地元の山である。ゴールデンウィークにも家族で登ったのだが,その時はつつじはほとんど咲いておらず,山頂からの美しい景色を眺めるのみだった。今日は,山麓・中腹は3分咲き程度,山頂付近はほとんどつぼみという状態だった。それでも,第一展望台から見る《つつじが原》の景色は絶景であった。
 《気仙沼側登山口》から登りはじめ,《つつじ坂・《つつじ街道を経て《十二曲り登山道から山頂に登った。せっかく一人で来たのだからと,縦走することに予定を変更し,山頂からの急勾配を《お祭り広場まで降り,《のんびり作業道コース》を《本吉側登山口》まで下った。帰りは,急斜面やけわしい山道を含む《尾根道コース》から再び《お祭り広場》まで登り,今度はわき道をたどりながら,《気仙沼側登山口》に帰ってきた次第である。ややきつい時間帯もあったが,なかなかいいトレッキングだった。

 今日の一枚は,アート・ファーマーの1964年録音作『スウェーデンより愛をこめて』である。
Art Farmer(flh)
Jim Hall(g)
Steve Swallow(b)
Pete LaRoca(ds)
 スウェーデンを旅行したアート・ファーマー一行が,その地のフォークソングを演奏した作品だ。美しい女性のジャケットが印象的な作品だが,しばらくぶりに聴いた。10年以上は聴いていなかったように思う。さわやかで哀感を感じさせるフリューゲルホーンの響きである。美しい旋律である。フリューゲルホーンという楽器はさわやかすぎて,若い頃はどうも好きになれなかったが,今は素直に聴くことができる。ジム・ホールのギターのアクセントが際立っている。



「徳」について

2021年05月09日 | 今日の一枚(A-B)
◎今日の一枚 503◎
Booker Little
Booker Little
 徳政令についてである。《ものの戻り》に着目して,徳政令の背後にある《徳政の思想》を解明したのは,笠松宏至『徳政令』(岩波新書:1983)だった。画期的な学説である。借金棒引き政策に人々が従ったのは,《本来あるべき姿に戻る》《昔に帰る》という観念が存在したからだというのだ。「徳」の字にも,《元に戻る》という意味があるらしい。ゆっくりとしか社会が変動しない中世社会では,急激な変革は嫌われ、こうした復古的な思想が「徳政」=良い政治とされたのである。《新儀》は非法であり,《先例》は善であるのだ。
 本郷和人は,これを敷衍して,崇徳天皇や安徳天皇や順徳天皇など「徳」の字の付く天皇は,恨みをもって都を離れて亡くなった天皇であると述べている(『天皇はなぜ生き残ったか』『考える日本史』)。都に帰りたがっている天皇の魂を,元に戻すということらしい。魂を都に戻すから恨まないでくださいね,ということだ。承久の乱で隠岐に流されて死んだ後鳥羽上皇にも顕徳天皇という名が贈られる予定だったようだ。面白い考えだ。啓発される。もっとも,本郷和人は典拠を示しておらず,これらが本郷オリジナルの考えなのか,誰かの考えを引いたものなのかは不明である。
 改革を声高に叫び,その掛け声のもと,政治を私物化し,その記録を改ざん,隠蔽する今日の情勢を見るにつけ,《徳政》の発想も必要ではないかと考えるのは,私だけだろうか。

 今日の一枚は,ブッカー・リトルの1960年録音,『ブッカー・リトル』である。
Booker Little(tp)
Tommy Flanagan(p)
Wynton Kelly(p)
Scott La Faro(b)
Roy Haynes(ds)
 哀愁のトランペットである。ブリリアントだが,翳りを含んだ音色である。スムーズなフレージングである。目をつぶって,じっと耳を傾けずにはいられない。クリフォード・ブラウン亡き後,トランペットのメインストリームを受け継ぐのは彼だったはずだ。この一年後に,ブッカー・リトルは病気で,スコット・ラファロは交通事故で亡くなる。信じられない。

めかぶご飯としらすご飯

2021年03月30日 | 今日の一枚(A-B)
◎今日の一枚 484◎
The Beach Boys
Summer days
(And Summer Nights !!)
 このところ、朝ご飯が楽しみだ。めかぶの季節だからだ。2日に一度はめかぶご飯だ。めかぶは、わかめの根側のひだ状になったいる部分だ。私の地域では細切れにたたかれて食べるばかりになっているものもスーパーで売られているが、何といっても自分で湯がき包丁でたたいて調理したものが美味い。私の家では、私が調理する。奥さんが内陸部の出身でめかぶの調理に不慣れだということもあるが、朝ごはんは結婚して以来30年弱、私の担当だからだ。昔は、湯がいてたたいたものを酢醤油で食べたが、私の家では味の素を振り、味ぽんマイルドで食べている。ご飯にかけて食べるのだ。もう最高だ。
 ご飯にかけるといえば、もう一つ最高なものがある。しらすご飯である。朝茹でのしらすをご飯にのせ醤油をかけて食べるのだ。今はスーパーで買うしかないが、子どもの頃は、朝、おばちゃんが「おはようござりす。しらすようござりすか。(おはようございます。しらすはいかがですか)」といって,,朝茹でしらすを売りに来たものだ。それをボールで山盛りに買ったのだ。最近はしらすが不良だということで、スーパーでもやや値が張る。これから地物が出る季節になり、手ごろな値段になることを期待している。
 今日の一枚は、ビーチ・ボーイズの1965年作品の『サマー・デイズ』である。やはり、「カリフォルニア・カールズ」は出色である。ウキウキして思わず踊りだしてしまいそうだ。「カリフォルニア・カールズ」は、村上春樹の『風の歌を聴け』で重要なポジションを占めている曲だが、私には小林薫主演の映画『風の歌を聴け』での、この曲が流れるときのアンプのレベルメータの針が揺れるシーンが印象的だ。このシーンからステレオ録音の印象があるが、実際はモノラルの疑似ステレオサウンドである。ああいうアンプのレベルメーターの針をみると、条件反射のように、いい音質で鳴っていると思ってしまう。この映画でも、あのシーンは視覚的にすごくいい音だと感じる。

道の駅「大谷海岸」がオープンした

2021年03月28日 | 今日の一枚(A-B)
◎今日の一枚 481◎
Bill Evans
Trio '64
 道の駅「大谷海岸」がオープンしたというのでちょっと行ってみた。思っていたよりも、ずっといい施設だった(→こちら)。この商業施設は、震災前は「日本一、海水浴場に近い駅」として知られいた大谷海岸駅に隣接する施設だったが、あの大津波で壊滅的な打撃、というより木っ端微塵に破壊されてしまった。今度はちょっと高台に、周辺の道路も大幅にかさ上げし、BRT大谷海岸駅と一体化した形で再建されたのだ。三陸道に完全に隣接しているとはいえないが、大谷海岸ICからは比較的近く、やり方によっては意外にヒットするかもしれない。
 私の住む街の復興は被災地の中では進んでいる方だと思うが、例えば隣町の岩手県陸前高田市に比べると、ちょっと負けている感がある。メディアに露出し、町が一体的に再構成され、まとまり感じる陸前高田市に対して、私の住む街は大きすぎるのだ。リアス式海岸特有の地形のため、観光地が細切れに分断され、ひとつひとつの観光地がスケール感に欠けるものとなってしまっている。また、魚市場をもたない陸前高田市が資金を集中的に投入できるのに対して、魚市場をもつ私の町はそれに予算を取られるというハンディキャップもある。三陸道ができても、私の町はスルーされ、陸前高田市が賑わうという筋書きもありうるのだ。三陸道や気仙沼大島大橋、気仙沼湾横断橋をどのように活用し、点在する施設をどのように結び付け、それらをどのように運営するか。震災前に存在したいくつかの箱物施設には、ほとんど機能せず閑古鳥状態だったものも多かった。今度はそうならないことを期待したい。

 今日の一枚は、ビル・エヴァンスの1963年録音盤『トリオ'64』である。発表されたのが1964年だから『トリオ'64』なのだろう。パーソネルは。ビル・エヴァンス(p)、ゲイリー・ピーコック(b)、ポール・モチアン(ds)である。そういえば、昨年、ゲイリー・ピーコックが亡くなってしまった。好きなベーシストの一人だった。このアルバムでは、若き日のゲイリー・ピーコックのプレイを聴くことができる。若き日のゲイリー・ピーコックは、天才スコット・ラファロの追随者だったといわれ、その片鱗を垣間見ることもできるが、演奏された曲の曲調もあって、何だか微笑ましく思えてしまう。
 ゲイリー・ピーコックが亡くなったのは、2020年9月4日、85歳だった。

明治時代にテキトーに作られた「歴史」

2021年02月11日 | 今日の一枚(A-B)
◎今日の一枚 468◎
Art Pepper
Modern Art
 「建国記念の日」である。戦前の「紀元節」である。紀元とは年数を数える元となった始点である。始点とは、もちろん初代とされる神武天皇の即位年である。今年はそれから2681年、すなわち皇紀2681年なのだそうだ。もちろん、神武天皇が記紀神話上の架空の人物であることは多くの人が知っている。「建国記念"の"日」の"の"がそうした批判への苦肉の対応であることも知られている。それにしても、なぜ2681年前なのか。別に記紀神話に書かれているわけではない。とてもテキトーな理由なのだ。
 60年周期の十干十二支というものがある。十干と十二支を組み合わせたものだ。60歳を「還暦」と呼ぶのは、もちろんこれに由来している。「還暦」とは《暦が還る》ことをいうのだ。その58番目の組み合わせである「辛酉(かのととり)」は革命の年とされている。中国由来の考え方である。60年に一度の辛酉の年にはなにかしら革命がおこる。さらに、21回目の辛酉の年、すなわち60年×21回で、1260年に一回のペースで大革命の年があるとされる。その説に基づいて、明治の初めの歴史学者たちは、前回の大革命があった辛酉の年を聖徳太子の時代とした。明治には、聖徳太子は国の形を整えたとても偉い人とされていたのである(現在では聖徳太子の名の存在も否定され、高校教科書でも厩戸王と記載されている)。それでは聖徳太子の時代の21回前の辛酉の年はいつか。国の形を整えた聖徳太子に匹敵するとなれば、初代天皇である神武天皇の即位しかあるまいということで、紀元前660年1月1日を紀元節としたのだそうだ。史料的裏付けは全くない。この太陰暦の1月1日を、太陽暦に直すと2月11日になる。「紀元節」が制定されたのは明治6(1873)年である。その後、アジア太平洋戦争の敗北後、GHQの意向もあって「紀元節」は廃止されたが、日本の国力が回復するにしたがって保守層を中心に紀元節復活が主張されるようになり、1966年の佐藤栄作政権のもとで「建国記念の日」が制定されたのである。

 さて、今日の一枚はアート・ペッパーの『モダン・アート』である。1956~57録音の、全盛期のペッパーのプレイだ。不思議なことに、この有名盤をこのブログで今まで取り上げたことがなかった。哀愁の、孤独を感じさせるペッパーのアルトにどっぷりと浸ることができる。手元にある『ジャズ喫茶マスター、こだわりの名盤』(講談社+α文庫)の見出しに、
やや大袈裟にいえば、全盛期のペッパーには死の臭いがあった・・・
とあるのも首肯できる。メインの再生装置で大音響で聴くのもいいが、家族が寝静まった後、机上のブックシェル型スピーカーで音量をしぼって聴くのもまたいい。ペッパーのアルトが、すっと前に出てきて、まるで自分に対して話しかけてくれているような錯覚を覚える。最初と最後に配されたブルースは筆舌に尽くしがたい。

しばらくぶりに堤防ウォーク

2021年02月07日 | 今日の一枚(A-B)
◎今日の一枚 467◎
Bill Evans & Jim Hall
Undercurrent
 本当にしばらくぶりに堤防ウォーキングをやってみた。新しいコースだ。私の住む街の三陸復興国立公園岩井崎から御伊勢浜海水浴場を経て、大谷海水浴場の手前までのコースだ。往復で6kmちょっとだ。残念ながら風が強く、コンディションがいいとはいえなかったが、堤防から見る外洋の眺望は、筆舌に尽くしがたいものだった。それは、これまでの歩いていたコースから見る内海とは全くちがった趣だった。リュックサックのネットポケットに入れたAnkerのBluetoothスピーカーにiPhoneをつないで、音楽を聴きながら歩いたが、途中でiPhoneのバッテリー切れで音楽は消え去ってしまった。残念だ。

 今日の一枚は、ビル・エヴァンスとジム・ホールのデュオ作品、1962年録音の『アンダーカレント』である。ウォーキングしながら聴いた一枚だ。バッテリーの切れのため途中で途絶えてしまったので、その後入浴しながら風呂場で聴いた。以前記したように(→こちら)、私の所有するCDは深い青色のもので、タイトルが記されているものだ。通常は黒い色でタイトルが記されているものといないものとあるようだ。オリジナル盤がどうなのかはわからない。私のものは、色が褪せているわけではむなく、もともとそのようなものらしい。いつか巷に出回っている黒いものを買おうと思ってはいるが、音に問題はなく、まだ購入するに至っていない。
 名演といわれる「マイ・ファニー・バレンタイン」は確かにすごい演奏なのだろう。けれども、私の耳には感動的な印象としては残っていない。私が聴くのは、「ローメイン」である。ビル・エヴァンスとジム・ホールの呼吸が手に取るようにわかり、しかも美しく感動的である。ピアノからギターのストローク演奏に変化するところは何度聴いてもぞくぞくする感じを禁止得ない。
 新しい堤防ウォーキングコースは、これから何度も歩くことになりそうだ。来週の土日もコンディションがよければ、歩きたいと思っている。

奈良・中宮寺の国宝展

2021年01月12日 | 今日の一枚(A-B)
◎今日の一枚 461◎
Bill Evans Trio
Moon Beams
 昨日は、妻と仙台の宮城県美術館で開催されている「奈良・中宮寺の国宝展」を見学に行ってきた。コロナ禍の中,仙台に行くのはやや躊躇したが、決行することにした。双璧の広隆寺の《半跏思惟像》は以前見学したことがあったが、不覚にも中宮寺の《半跏思惟像》の実物をまだ見たことがなかったのだ。予想に反して、会場は大盛況であり、はっきりいって密だった。仕事柄、コロナウィルスに感染しては困る。我ながら馬鹿みたいだったが、マスクを二重に付け、神経質にソーシャルディスタンスを保って見学した。
 実物の《中宮寺半跏思惟像》は、写真で見るそれとはだいぶ違った印象だった。《中宮寺半跏思惟像》は、教科書的にいえば飛鳥時代の南梁様式に分類されるものだが、その神秘的なほほえみ(アルカイックスマイル)は、例えば北魏様式の法隆寺釈迦三尊像のそれとよく似ているように感じた。一方、清新な若々しさを感じる筋肉の付き方、ある意味肉感的ともいえるリアリズムは、白鳳時代の薬師寺薬師三尊像などを彷彿させるものだった。また、全体的には柔らかで美しいフォルムだが、接近してみると手足の細部は意外なほど無骨な印象を受けた。
 《中宮寺半跏思惟像》を見て、なぜだか無性にビル・エヴァンスが聴きたくなった。帰ってきて聴いたのは、ビル・エヴァンス・トリオの『ムーン・ビームス』である。Chuch Israels(b)、Paul Motian(ds)の1962年録音(Riverside)である。このアルバムは、ずっと以前に(2007年だ)取り上げたことがあったが(→こちら)、ブログをOCNからgooに移行した所為か、以前の記事はフォームが乱れてしまったようだ。
 全編にわたって、繊細で美しい演奏である。②Polka Dots  And Moonbeams は、珠玉の名演である。曲も美しい。私の生活の中で、ふとした時にこの曲が頭をよぎることがよくある。もちろん、すべてこの演奏である。あまりの美しさに涙が出そうになる。ベースがスコット・ラファロだったら、あるいは違う意味でもっと透徹したすごい演奏が録音されたのかもしれない。けれども、おそらくは、このような、柔らかな美しさをもった演奏にはならなかったのではないか、と思う。チャック・イスラエルズには彼の良さがある。

ジャズメッセンジャーズの歴史

2020年12月29日 | 今日の一枚(A-B)
◎今日の一枚 452◎
Art Blakey &
Les Jazz-Messengers
Au Club Saint-Germain Vol.1~3

 年末の大掃除は、今年はわりとテキパキとやっている。だから、妻の圧力も少ない。午後からはバスケットLIVEでウインターカップの男子決勝を観戦し、その後は書斎で音楽を聴いている。CDの棚から取り出したのは、『サンジェルマンのジャズメッセンジャーズ』である。アート・ブレイキー&ジャズメッセンジャーズは、その時期によって大幅にメンバーが変わり、サウンドの傾向にも大きな違いがある。そこで、頭を整理するために、ジャズメッセンジャーズの歴史を大づかみにまとめておきたい。私の傍らでは『サンジェルマンのジャズメッセンジャーズ』が流れている。
 まず取り上げなければならないのは、1954年録音の名盤『バードランドの夜』(→こちら)であろう。アート・ブレイキー名義であり、正式にはジャズメッセンジャーズとは書かれていないが、ジャズメッセンジャーズの原型とみなしていいだろう。ホレス・シルヴァー(p)が音楽監督を務め、天才クリフォード・ブラウン(tp)が縦横無尽に吹きまくる、ハードバップの誕生を記録するアルバムとして歴史に残る作品だ。熱気に満ちたファンキーな演奏が特色である。
 アート・ブレイキー&ジャズメッセンジャーズ名義の、正式な最初のアルバムは、1955年録音の『カフェ・ボヘミアのジャズメッセンジャーズ』である。クリフォード・ブラウン(tp)がケニー・ドーハム(tp)に、ルー・ドナルドソン(as)がハンク・モブレー(ts)に入れ替わった(ちなみにベースもカーリー・ラッセルからダグ・ワトキンスに変わっている)。ホレス・シルヴァー(p) のファンキーサウンドの延長線上にあるが、ちょっと元気がないと感じるのは私だけだろうか。やはり、天才クリフォード・ブラウン(tp) の抜けた穴は大きかったということだろうか。結局、このメンバーでの吹込みは、このアルバムが最後となる。
 1956年に、ホレス・シルヴァー(p) が脱退すると、ジャズメッセンジャーズは不遇の時代を迎える。大きな転機となるのは、1958年に編曲が得意なベニー・ゴルソン(ts) が加入したことだ。ファンキーな雰囲気はそのままに、ゴルソン・ハーモニーといわれる、管楽器のアンサンブルを中心としたより構成的なサウンドに変化していく。メンバーも大幅に入れ替わり、ベニー・ゴルソン(ts) の他、リー・モーガン(tp) 、ボビー・ティモンズ(p) 、ジミー・メリット(b) が加入した。アート・ブレイキー(ds) 以外はすべて入れ替わったわけだ。この時期の主要な作品の一つがこの『サンジェルマンのジャズメッセンジャーズ』であり、有名な『モーニン』(→こちら)である。わたしの大好きな『オリンピアコンサート』(→こちら)もこの時期の作品である。
 ベニー・ゴルソン(ts) は1959年に脱退し一時的にハンク・モブレー(ts)が加入するが、同年にウェイン・ショーター(ts) が加入して音楽監督を務めるようになると、サウンドは大きく変貌した。新主流派的なサウンドにフリージャズ的要素を付け加え、アート・ブレイキー(ds) のドラムソロを前面に出すサウンド構成は、それまでのサウンドとは一味も二味も違うものとなった。この時期の代表的なアルバムとしては、1960年録音の『チュニジアの夜』をあげることができる。
 その後、ジャズメッセンジャーズは更なる変化を遂げ、若き日のウィントン・マルサリス(tp) が加入したりするわけだが、私は聴いたことがないのでよくわからない。

 さて、今日の一枚の『サンジェルマンのジャズメッセンジャーズ』である。1958年にパリのジャズクラブ「サンジェルマン」で行われたライブの録音盤である。絶頂期のライブといっていい。CDでは3枚構成で、青がVol.1、黄色がVol.2、緑がVol.3である。どの盤も、ファンキーなフィーリングとゴルソン・ハーモニー満載である。ライブ録音ということで、何より熱気が伝わってくるのがいい。世間では、「モーニン」が入ったVol.2が一番人気のようだが、私の好きな「ウィスパー・ノット」の入ったVol.1も捨てがたい。ゲストに迎えられたモダンドラムの父、ケニー・クラークとのドラムバトルが展開されるVol.3 も必聴である。結局、3枚ともいいわけであり、必聴であるといえる。ただ、一枚一枚がそれほど長くはないといっても、やはり3枚組である。通して聴くには、それなりの時間と心の余裕が必要である。年末年始に聴くには最適かもしれない。
 今日聴いて正解だった。

エヴァンスとゲッツの共演

2020年12月06日 | 今日の一枚(A-B)
◎今日の一枚 442◎
Bill Evans Trio featuring Stan Getz
 But Beautiful 
 こんなCDがあったのですね。Bill Evans Trio featuring Stan Getz の But Beautiful である。1974年のオランダ,ベルギーでのライブ録音盤らしい。出たのは1996年とのこと。知らなかった。ビル・エヴァンスとスタン・ゲッツの共演アルバムは1964年のライブ盤(今日の一枚344)のみと思っていたのだが、こんなアルバムが出ていたのですね。
 1964年のライブ盤も私は嫌いではないのだが、エルヴィン・ジョーンズのドラムスがややワイルドすぎる印象で、ピアノはビル・エヴァンスでなくてもいいんじゃないかなどと思ったりもしたものだ。どちらかというと、ゲッツ主体のアルバムのような感じがする。
 ところが、この1974年録音のアルバムはビル・エヴァンスのピアノのリリカルなところがよく出ており、ゲッツのテナーも情感たっぷりだ。何より、エヴァンスとゲッツの音がよく絡んでいる。いいアルバムだ。とてもいい。2週間ほど前に手に入れて以来、随分聴いている気がする。エヴァンストリオは、エディ・ゴメス(b)、マーティ・モレル(ds)である。
 ところで、このアルバムを知ったのはビル・エヴァンスの伝記映画 Time Remembered を見たのがきっかけだ。劇場公開を見逃し後悔していたこの映画だったが、DVDを手に入れ視聴することができた。感激である。「時間をかけた自殺」とも評されるエヴァンスの生涯を描いたこのドキュメンタリー映画については,いつか改めて記すことになろうが、その中で挿入された  The Peacocks の、その静謐さを湛えたサウンドに耳が釘付けにされた。ホーンはまるでゲッツ、そんな演奏があるのかと思っていたら、最後のクレジットでゲッツの名前がでてきた。心はドキドキワクワク、尋常ならざる興奮を覚えた。還暦を数年後に控え、しばらくぶりに心のときめきを覚えた瞬間だった。こういうことがあるから、ジャズはやめられない。
 今も、私の書斎ではこのアルバムが鳴り響いている。⑦The Peacocks が始まった。いい。卒倒しそうだ。


やませ

2019年07月25日 | 今日の一枚(A-B)
◉今日の一枚 435◉
Bill Evans
Songs On Time Remembered


 しばらくぶりの晴れだ。やっと晴れた。さあ,歩こう。雨の日は市立体育館のジムのマシーンで走っていたのだ。数日ぶりの防潮堤ウオーキングだ。自宅から防潮堤までの往復を含めて,6km程度のコースだ。防潮堤ウオーキング under the blue sky と思っていたのだが,行ってみると向こう岸は「やませ」だった。やませとは,下層雲や霧を伴う,東北地方太平洋岸で春から夏に吹く冷たく湿った東からの風のことだ。やませの向こうに大島大橋が見える。



 向こう岸はやませで大島が見えない状況だったが,空は晴れており,快適なウオーキングだった。しばらくぶりだったので,1時間10分程かけて比較的ゆっくり歩いてみた。

 今日の一枚は,ビル・エヴァンスの「ソング・オン・タイム・リメンバード」である。防波堤を歩きながら聴いた。ビル・エヴァンスの伝記的ドキュメンタリー映画「タイム・リメンバード」に登場す曲を集めた,2019年リリースの作品である。
 
 私はこの映画「タイム・リメンバード」を未だ見ていない。一関や石巻で上映されたらしいのだが,機会を逸してしまった。まったく口惜しい。ビル・エヴァンスの生涯を「時間をかけた自殺」などと表現する至言を目にすると,もう駄目だ。卒倒しそうである。上映でもDVDでも何でもいいから,一刻も早く見てみたいものである。

 防波堤ウォーキングをしながらこのアルバムを聴き,イメージが広がっていった。しばらくぶりに聴いた「スパルタクス愛のテーマ」に胸が熱くなり,ジェレミー・スタイグとのデュオを思い出して,帰宅してすぐ「ホワッツ・ニュー」をCDトレイにのせた次第である。



長沼ウォーキング

2019年07月23日 | 今日の一枚(A-B)
◉今日の一枚 434◉
秋吉敏子トリオ
1980 秋吉敏子トリオ in 陸前高田

 この前の日曜日は、宮城・登米市にある長沼の10kmのウォーキングコースを歩いてみた。長沼は、宮城県最長の外周を誇る湖沼で、ボート競技のメッカとしても知られたところだ。

 ハスで覆われた長沼の眺めはなかなかのものだったが、アップダウンはほとんどないものの、複雑に入り組んだ岸に沿って作られた、曲がりくねったウォーキングコースは、精神的な消耗をもたらすに十分だった。2時間弱でなんとか歩き切ったが、精神的にも身体的にもかなり疲れて、ヘロヘロな有様だった。しかし一方で、一周すれば20数キロある長沼の完全制覇に、いつかはチャレンジしてみたいとも思った。


 今日の一枚は、「1980 秋吉敏子トリオ in 陸前高田」だ。1980年6月13日、岩手県陸前高田市民会館大ホールで行われた秋吉敏子のライヴ録音盤である。奇跡的に発見された録音テープより最新デジタル・リマスタリングされたCDなのだそうだ。 

 陸前高田は隣町である。よく覚えていないのだが、高校3年生の頃、このコンサートに行ったかもしれない。陸前高田市民会館でのトシコのコンサートには行った記憶がある。トシコは、これまでおそらくは20回以上見ており、どれがどれか記憶が定かでない。奇跡的に発見された録音テープからのリマスタリングらしいが、音はそんなに悪くない。

 冒頭の「長く黄色い道」からトシコの流麗なアドリブ全開である。バックも迫力ある演奏だ。改めて聴くと、若い時代の、あるいは脂ののった時代の、トシコの才気あふれる演奏には、まったく脱帽である。「女バド・パウエル」と呼ばれることは、もしかしたらトシコには不本意なのかもしれない。しかし、そういわれることに首肯させられるほど、瑞々しくアグレッシブな演奏である。