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アメフト観戦記や読書日記を綴っていましたが、最近は古墳(コフ)ニストとして覚醒中!横穴式石室をもつ古墳にハマっています。

寺山南山古墳発掘調査 現地説明会

2016-12-24 18:14:53 | 現地説明会
 平成28年12月4日(日)
 天気予報は昼から雨の予報。ただ、外に出てみると結構青空が出ており、これは現地説明会見学には丁度いいと言わんばかりのこの日の出だしだった。ただ、この日は、すべてあと一歩だった。電車も、エスカレーターを歩いていけば乗れそうだったのに、外国人のお姉さんが大阪の常識、エスカレータの片側を開ける習慣を知らなかったため、惜しくも目の前でドアが閉まり、乗換駅でも、乗り換えのホームを確認している途中に快速電車が発車などなど、極めつけは、この後、観戦に行ったアメフトではあと一歩で応援していたチームが負けてしまう体たらく。何ともなあの一日であった。

 さて、寺山南山古墳である。この古墳は、南側の周濠が、百舌鳥ミサンザイ古墳(伝履中天皇陵)の二重目の周濠と共有していることから百舌鳥ミサンザイ古墳の陪冢の一つであると考えられている。
 今回の発掘調査は、寺山南山古墳の史跡整備に伴い、古墳の形状、付帯設備の確認を目的に行われており、これまで4次の調査が行われている。

 寺山南山古墳については、長辺が約45m、短辺が約36mの長方形の2段築造の方墳であり、周りには周濠が巡っていたと考えられており、今回の発掘調査でも周濠の痕がそれぞれの調査区から検出されている。
 
 【2区】
 
 

 2区については、古墳の東辺に設けられ、周濠、造り出し、円筒埴輪列、二段目斜面などが確認されている。

 

 造り出しについては、一段目の斜面に接しており、一段目のテラスより約0・3m低い位置に設けられている。こういった方墳に造り出しが設けられている例は珍しく、百舌鳥古墳群では、初めての例であるらしい。
 また、造り出しでは、祭祀に用いられたのであろう家型埴輪などが検出されている。

 

 造り出しと接している1段目テラスからは、円筒埴輪列が検出され、特に北側の列の中では、小型丸底壺も見つかっている。

 

 同じく一段目テラスの南側では、家型埴輪、囲形埴輪の破片も見つかっている。なお、東側の周濠は、造り出しを設けるためのスペースを確保するために、周濠の幅は、約9mと他の3辺と比較してかなり広く設定されている。

 【3区】

 

 3区については、古墳の北辺に設けられており、周濠、一段目斜面、一段目テラスでは円筒埴輪列が確認されている。

 

 一段目の斜面は、葺石で葺かれており、周濠の幅は、約6mとのこと。

 3区から4区に行くにあたっては寺山南山古墳の墳丘を横切っていった。

 

 古墳の墳丘については、後世かなり改変を受けており、特に最近まで住宅が建っていた関係で、重機などでならされたりしているので、おそらく、埋葬施設などは残っていないのではないかとの話であった。

 【4区】

 

 4区は、古墳の西辺に設けられており、一段目テラスに並べられた円筒埴輪列と2段目斜面が見つかっている。

 

 なお、西辺では、一段目テラスに礫を敷いていることも確認されている。

 今回の発掘調査で、一段目の傾斜面が約18度、二段目の傾斜面が約22度であり、墳丘高が5~6mの古墳であったと考えられ、斜面の葺石や一段目テラスの礫敷きから石で覆われた古墳であると想定されている。
 
 

 今回の発掘調査で出土した遺物、円筒埴輪片には、少し黒っぽいところが残っているのが見て取れる。寺山南山古墳の築造年代は、円筒埴輪の特徴やかつての調査で最古級の須恵器が見つかっていることから、5世紀の初めごろの築造と考えられ、百舌鳥ミサンザイ古墳ともそう違わないようである。お互いの被葬者の関係が近しいものであったと考えてもよさそうな気がする。

 

 寺山南山古墳の南側の空き地にある白線。百舌鳥ミサンザイ古墳の2重目の周濠を表しているとのことである。

 寺山南山古墳の調査地を前には百舌鳥ミサンザイ古墳が雄大な姿を横たえていた。

 

 さあ、急いでアメフトの試合会場、万博球技場へ向かおう。雲行きがだんだん怪しくなってきた。

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