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アメフト観戦記や読書日記を綴っていましたが、最近は古墳(コフ)ニストとして覚醒中!横穴式石室をもつ古墳にハマっています。

京都寺町通界隈を歩く② ~梶井基次郎「檸檬」~

2023-06-24 00:03:12 | 文学をたどる
 丸太町通から南へ寺町通を下る。寺町通は、もともとは平安京の東京極大路、それが豊臣秀吉の京都改造で、通りの東側に寺院が集められたため、寺町通と呼ばれるようになった。
 そのためか、通りには、骨とう品や墨や筆、古美術品などを扱う店舗が並ぶ。
 通り歩くと、すぐに目につくのが、下御霊神社の赤い鳥居である。
 
 
 
 下御霊神社は、京都御所を挟んで北側に鎮座する上御霊神社と呼応して称されている。もともとは、平安時代初期に下出雲路に創建されたと伝わり、その後社地を転々と変わるが、豊臣秀吉の京都改造の際、多くの寺院とともに寺町通のこの地に遷座し、現在に至っている。
 祭神は、藤原広嗣や崇道天皇、伊予親王など政争に巻きこまれ、憤死した人たちを御霊八所として祀っている。
 
 
 
 あまり訪れる人もいない、静かな空間である。
 そのすぐ南には、革堂という通称名で知られる行願寺がある。ここは、下御霊神社の静けさと打って変って西国三十三か所霊場の第19番札所となっており、結構にぎやかな空間になっている。
 
 
 
 本尊は、千手観音で、西国三十三か所で唯一の尼寺である。なぜ、革堂という通称名がついているのかというと、行願寺の開基行円というお坊さんが、仏門に入る前は狩猟を業としていたが、ある時、山で身ごもった雌鹿を射たところ、その亡くなった雌鹿の腹から子鹿の誕生するのを見て、殺生の非を悟って仏門に入ったという。行円はその雌鹿の皮を常に身につけていたことから、皮聖、皮聖人などと呼ばれ、それによって寺の名も革堂と呼ばれるようになったと言われている。
 
 
 
 最近は、地域ねこに餌場やねぐらを提供しており、「猫の寺」とも言われているらしい。
 
 
 
 とは言っても、僕が行ったときには、ねこの存在には気づかなかったなあ。
 
 
 
 革堂のすぐ横には由緒ありげな近代風のビルが建っていた。
 
 
 
 さらに行くと京都の喫茶文化を担った進々堂(大正2年創業)がある。
 
 
 
 そして、老舗書店の三月書房のだまし絵。週休七日なのだが、シャッターが閉まっている状態では景観によくないという事で、お店が開いているような絵がシャッターに描かれている。
 
 
 
 ここまでくると、梶井基次郎の小説「檸檬」の舞台、寺町二条である。
 
 
 
 小説「檸檬」では、得体のしれない不吉な塊を抱いた「私」が、寺町二条にある八百卯という果物屋で、檸檬を手に入れ、寺町通を彷徨する。
 残念ながら、八百卯は2018年惜しまれながらの閉店となってしまった。ビルのテントに、お店の名残が残る。
 
 
 
 そして、檸檬を手に入れた「私」は、その後三条寺町から、三条麩屋町にあった丸善(今はここにはない。)に向かい、丸善に美術書の上に爆弾に見立てた檸檬を置き、檸檬が爆発するのを空想しながら京極へ立ち去っていく。
 わずか10頁もあるかないかの掌編小説であるが、多くに愛されている近代文学の一つであろう。
 寺町二条の交差点には、石碑が一つポツンとあり、梶井基次郎の文学碑かと思ったら、何と井原西鶴の句碑であった。
 
 
 
 寺町通も、昭和レトロを感じさせるような店舗が並んでおり、ボタン屋なぞは商売が成り立つのだろうかなどと思いながら、三条寺町に到着。
 
 
 
 信号を渡るとアーケード街となる。少し伸ばして丸善にあった場所に行ってみたが、高層ビルディングが建っているだけだった。 
 
 

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