奈良西の京にある唐招提寺、「奈良古都の文化財」として世界遺産登録がされている古寺であるが、ここにも會津八一の歌碑がある。
唐招提寺は、奈良時代、天平宝字3(759)年、唐から日本に招請された鑑真が、天武天皇の皇子新田部親王の邸宅を譲り受け寺院としたものである。
南大門を入ると真正面に金堂が見える。この金堂は、奈良時代の建築であり、奈良時代の寺院金堂としては唯一、現存しているものである。
唐招提寺の金堂は、正面7間、奥行4間で、正面の1間を吹き放しとしている。正面に並ぶ8本の柱は、紂王から中央から端に行くに従って細くなっており、まるでギリシャ建築のエンタシスを思い起こさせる。しかし、その木の柱を触ってみると温かみを感じるとともに、約1200年の歴史の重みが伝わってくるような気がする。
さて、その金堂の左手前に會津八一の歌碑が、紅葉の中にたてられている。
歌碑には、「おほてら に まろき はしら の つきかげ を つち に ふみ つつ を こそ おもへ」と刻まれている。大意は、大寺(=唐招提寺)の円い円柱が月の光を受けて地上に影を落としている。その影をふみながら古き時代をおもったことだという意味になる。
唐招提寺の金堂の柱をもとにうたった歌である。「まろき はしら」は、金堂の正面に並ぶ柱のことであろう。あの太い柱が並んでいる様子は、何かを感じさせずにはいられないのだろう。そこにはいにしえの大宮人の姿が見えるのかもしれない。
なお、金堂の西側の屋根の上には、井上靖の小説「天平の甍」の題名のもととなった奈良時代の̪鴟尾が載せられていたが、平成の大改修の際に取り外され、現代の鴟尾が代わりに載せられている。
なお、會津八一の、「自注鹿鳴集」には、唐招提寺にてという題でもう一首、「せんだん の ほとけ ほの てる ともしび の ゆらら ゆらら に まつ のかぜ ふく」という歌が詠まれている。
これは礼堂に安置されている釈迦立像を詠んだものである。
この日の唐招提寺は、晩秋にもかかわらず紅葉が赤く染まっていて、なかなか見ごたえがあった。
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