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アメフト観戦記や読書日記を綴っていましたが、最近は古墳(コフ)ニストとして覚醒中!横穴式石室をもつ古墳にハマっています。

飛鳥の万葉歌碑⑳ ~飛鳥坐神社~

2020-12-12 23:28:39 | 文学をたどる

 飛鳥寺から北へ向かうと三叉路となり、突き当りを左に向かうと飛鳥坐神社の鳥居と社殿がある鳥形山の姿が見える。神奈備山にふさわしく非常に形の良い姿を見せてくれている。

 飛鳥坐神社は、その創建は古く、平安時代には、すでにこの場所で祀られている記録がある。そして、式内社として、延喜式の神名帳にその名が見えるという。

 現在の祭神は、事代主神、高皇産霊神、飛鳥神奈備三日比売神(賀夜奈留美命のこと)、大物主神の4柱の神であり、また延喜式には、大己貴命の娘、賀夜奈留美命の御魂を飛鳥の神奈備山に祀ったことに始まるとあり、それが現在の飛鳥坐神社に繋がるとされる。

 

 そして、飛鳥坐神社の境内には、多くの陰陽石が置かれており、「子授け神」として信仰されている。

 

 こんなものやあんなものがある。露骨すぎてちょっと引いてしまうなあ。

 

 また、国文学者、歌人である折口信夫の祖父は、この神社の宮司の出であるそうだ。

 飛鳥坐神社の境内には、三基の万葉歌碑がある。

 一つ目が神社の本殿まで登る階段の脇に置かれている。

 

 揮毫は歌人、會津八一である。ただ、八一がいろんなところに書いた字を集めて作ったものであるらしい。

 歌碑には、「みもろは、人の守る山 もとへは あしひ花さき すゑへは 椿花うらくはし 山そ 泣く子守る山」と書かれている。直訳すると、三諸山は、人が守っている山、麓のあたりには馬酔木の花が咲き、頂上のあたりは椿の花が咲いている。まことに美しい山だね、泣く子を守るように人が守っているこの山はという意味になる。

 

 三諸は、神が降臨して宿る神聖な所をいう。飛鳥坐神社が建てられているこの鳥形山も神奈備山であるであるので三諸である。しかし、この歌の三諸は、三輪山をさすという解釈もある。

 また、石段を登り切ったところにも一基置かれている。

 

 これには、犬養孝氏のの揮毫で、「大君は 神にしませば 赤駒の はらばふ田居を 都となしつ」という歌が万葉仮名で記されている。

 作者は、壬申の乱の功労者、大伴御行である。万葉集の中でもよく知られた一首である。歌意は、「大君は、神でいらっしゃるので、赤毛の馬が腹這うような田んぼを立派な都」としたということになる。壬申の乱に勝利した大海人皇子、天武天皇が作った飛鳥浄御原宮を褒めたたえる歌であると言われている。

 ただ、最近、読んだ千田稔氏の「平城京遷都」という本では、この歌の内容は、藤原宮でも通じるという。確かに、藤原宮もかなり土壌に難があり、土地を改良するのに石灰石の粉などをまいたりしている。かなり湿地であったようだ。

 最後に、本殿の横に、もう一つある。

 

 「斎串立て 神酒すえ奉る 神主部が うずの玉蔭 見ればともしも」と記されている。この歌も作者未詳である。

 歌意は、斎串(いぐし)を立て、御神酒を捧げるまつる神主たちの髪飾りのかずらはみるからにゆかしいというもので、神主が斎串を立てて神酒を据えて神祭りをしている様子が詠まれているものである。

 斎串は、榊や笹などの小枝に幣をかけて神に供えるものとある。ときとぎ発掘調査の現地説明会などに行くと、井戸などの中から、検出されているをよく見かける。

 

 この飛鳥坐神社の境内には、まだまだ古い民間信仰の姿が残っており、時代を少し遡ったような気持ちになる。あまり、人も来ないところでもあるので、そういった気分に浸るには絶好の場所であると思う。

 


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