![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/21/f0/2307790f6928823cfd74c7ac5a87bb0e.jpg)
1974年のディープ・パープルは、イザコザが多く、
音楽路線的にもリッチー・ブラックモアが望むスタイ
ルではなくなり、もはやリッチー・ブラクモアですら
舵とりが出来ないバンドになっていた。
そんな状況打破の為にリッチー・ブラックモアは
ディープ・パープルにさっさと見切りをつけ
「リッチー・ブラックモアズ・レインボー」を
結成した。
ディープ・パープルの前座でライヴに出演し
ていたロニー・ジェームズ・ディオ率いる「エルフ」と
リッチー・ブラックモアがカバー曲「ブラック・
シープ・オブ・ザ・ファミリー」をレコーディング
した事から全ては始まった。
リッチー・ブラックモアは、あくまでディープ・パー
プルの鬱憤晴らしの遊びで「エルフ」とレコーディン
グをした。しかし、ロニー・ジェームズ・ディオの
ボーカル録りのレコーディングに立ち会った
リッチー・ブラックモアは興奮し、ロニー・ジェームズ
ディオの豊富なアイデアに感銘を受けた。
ビジネスと割り切って渋々やっていた「ディープ・
パープル」には何の未練もなくさっさと縁を切った。
そして、伝説的バンド「レインボー」は、「エルフ」
&リッチー・ブラックモア編成で始動した。
レコーディング後はロニー・ジェームズ・ディオ以外
の元「エルフ」メンバーを全員解雇した。
そして、ベテランドラマーのコージー・パウエルを加入
させた、黄金期三頭時代が2ndアルバム「レインボー・
ライジング」で幕を開けた。
2ndアルバムからは「リッチー・ブラックモアズ・
レインボー」というバンド名ではなく、スッキリと
「レインボー」になった。
僕がロニー・ジェームズ・ディオの凄さが分かる
ようになったのは、僕が「レインボー」を初めて聴い
て2年後ぐらいです。
まだ高校1年ぐらいの僕には分からなかった。
子供が山菜、懐石料理などの味が分からないのと一緒
かもしれません。
ロニー・ジェームズ・ディオは、他に類が無い、個性
の塊です。あの濃厚で、まとわりつくような歌声の
魅力にハマッてからは、他のボーカリストでは満足
できない耳になってしまいました。
ロニー・ジェームズ・ディオは「レインボー」脱退後
は、よりヘヴィ&ダーク路線に進み「ブラック・サバ
ス」に加入し、自身のバンド「ディオ」を結成した。
「ロック界の校長先生」というキャッチコピーがある
ように、いまだにハードロック/ヘヴィ・メタル界で
最も尊敬されているボーカリストです。
今のロニー・ジェームズ・ディオは「ブラックサバス」の
『悪魔の掟』のレコーディングメンバーで終結し、
「ヘヴン・アンド・ヘル」というバンドを始動しました。
ロニー・ジェームズ・ディオは「ヒア・アンド・エイド」
というチャリティ・ヘヴィ・メタル・バンドで
「スターズ」というアルバムも手がけています。
80年代最もホットなヘヴィメタル・ミュージシャンが
レコード会社の垣根を越え1枚のレコード参加に終結
できたのも、ロニー・ジェームズ・ディオの人脈と人望
でしょう。
おおっと、ロニー・ジェームズ・ディオの説明ばかりで、
リッチー・ブラックモアの話が少なくなりましたが、
無名のロニー・ジェームズ・ディオを第1線に引き上
げた意味でも、リッチー・ブラックモアは偉大です。
音楽路線的にもリッチー・ブラックモアが望むスタイ
ルではなくなり、もはやリッチー・ブラクモアですら
舵とりが出来ないバンドになっていた。
そんな状況打破の為にリッチー・ブラックモアは
ディープ・パープルにさっさと見切りをつけ
「リッチー・ブラックモアズ・レインボー」を
結成した。
ディープ・パープルの前座でライヴに出演し
ていたロニー・ジェームズ・ディオ率いる「エルフ」と
リッチー・ブラックモアがカバー曲「ブラック・
シープ・オブ・ザ・ファミリー」をレコーディング
した事から全ては始まった。
リッチー・ブラックモアは、あくまでディープ・パー
プルの鬱憤晴らしの遊びで「エルフ」とレコーディン
グをした。しかし、ロニー・ジェームズ・ディオの
ボーカル録りのレコーディングに立ち会った
リッチー・ブラックモアは興奮し、ロニー・ジェームズ
ディオの豊富なアイデアに感銘を受けた。
ビジネスと割り切って渋々やっていた「ディープ・
パープル」には何の未練もなくさっさと縁を切った。
そして、伝説的バンド「レインボー」は、「エルフ」
&リッチー・ブラックモア編成で始動した。
レコーディング後はロニー・ジェームズ・ディオ以外
の元「エルフ」メンバーを全員解雇した。
そして、ベテランドラマーのコージー・パウエルを加入
させた、黄金期三頭時代が2ndアルバム「レインボー・
ライジング」で幕を開けた。
2ndアルバムからは「リッチー・ブラックモアズ・
レインボー」というバンド名ではなく、スッキリと
「レインボー」になった。
僕がロニー・ジェームズ・ディオの凄さが分かる
ようになったのは、僕が「レインボー」を初めて聴い
て2年後ぐらいです。
まだ高校1年ぐらいの僕には分からなかった。
子供が山菜、懐石料理などの味が分からないのと一緒
かもしれません。
ロニー・ジェームズ・ディオは、他に類が無い、個性
の塊です。あの濃厚で、まとわりつくような歌声の
魅力にハマッてからは、他のボーカリストでは満足
できない耳になってしまいました。
ロニー・ジェームズ・ディオは「レインボー」脱退後
は、よりヘヴィ&ダーク路線に進み「ブラック・サバ
ス」に加入し、自身のバンド「ディオ」を結成した。
「ロック界の校長先生」というキャッチコピーがある
ように、いまだにハードロック/ヘヴィ・メタル界で
最も尊敬されているボーカリストです。
今のロニー・ジェームズ・ディオは「ブラックサバス」の
『悪魔の掟』のレコーディングメンバーで終結し、
「ヘヴン・アンド・ヘル」というバンドを始動しました。
ロニー・ジェームズ・ディオは「ヒア・アンド・エイド」
というチャリティ・ヘヴィ・メタル・バンドで
「スターズ」というアルバムも手がけています。
80年代最もホットなヘヴィメタル・ミュージシャンが
レコード会社の垣根を越え1枚のレコード参加に終結
できたのも、ロニー・ジェームズ・ディオの人脈と人望
でしょう。
おおっと、ロニー・ジェームズ・ディオの説明ばかりで、
リッチー・ブラックモアの話が少なくなりましたが、
無名のロニー・ジェームズ・ディオを第1線に引き上
げた意味でも、リッチー・ブラックモアは偉大です。