Memorandums

知覚・認知心理学の研究と教育をめぐる凡庸な日々の覚書

心理学と「客観性」すなわち「相互主観性」の問題

2005-11-17 | Psychology
 心理学において、事象が「客観的」にとらえられているかが問題となるが、しばしばそのような客観性は存在しないという主張がある。これは必ずしも新しい議論ではないが、近年の社会的構成主義の立場からは、あらためてこのような「客観性」が、まさにその状況のなかで「構成」されたものとして批判の対象となっているように思われる。
 これに対して、科学における客観性とは、あくまでも観察者相互が主観的にとらえた事象が一致する(*)範囲において成り立つものといえる。すなわち「相互主観性」が客観性の現代的意味であることは、以前に述べたとおりである。確かにこのような相互主観性が、日常の経験のなかでしばしば成立しないことは、われわれの日常におけるさまざまな「誤解」を想起するまでもなく、明らかであろう。しかし、そのことをもって心理学における客観性すわわち相互主観性が成立しないという批判は、的外れであるように思われる。なぜならば、科学としての心理学は、上記の意味での相互主観性が保証される(それは必ずしも、再現可能性を意味しない**)範囲において現象の記述と説明を試みるのであって、まさにそのような範囲と日常経験のギャプを埋める努力を積み重ねているからである。
 したがって、心理学は現時点でそのような相互主観性が確保された範囲を超える問題については語ることができない。もし、その範囲があまりにも現実の経験からかけ離れて狭すぎる、という批判が妥当であるならば、それは受け入れなければならないだろう。ただし、本質的にそのような相互主観性の保証が困難な現象は、少なくとも科学の問題とはなりえないであろう。

* たとえば錯視の測定において、ある個人が経験する錯視(に基づく行動)を複数の観察者が一定の条件下で観察する(これは主観である)ことができ、観察者間で相互にその主観(観察経験)が一致する場合に、「客観性」を認めることができる。もちろん様々な要因が混入すれば(疲労など)測定値が変化することがあるので、可能な限りこれらの要因を統制することが重要となる。しかしこれは恣意的な「構成」とは異なる。
** 天文学や地震のついての科学的研究を想起してほしい。

(2005/11/17 補足追加)
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