平和エッセイ

スピリチュアルな視点から平和について考える

三島由紀夫の割腹事件(2)

2005年11月25日 | 三島由紀夫について
 事件のあと、週刊誌には、三島の背後に悪霊がついていた、という記事が出ました。五井先生のお話を聞いていた私は、好奇心に駆られて週刊誌を買って読みましたが、古雑誌は今ではもう捨ててしまいました。

 週刊誌でそういうことを語っていたのは、俳優の美輪(丸山)明宏さんです。美輪さんは霊能者で、ときどき霊も見えるということです。

 美輪さんと瀬戸内寂聴さんの対談『ぴんぽんぱん ふたり話』(集英社)に、三島由紀夫事件のことが語られています。その当時、週刊誌に出ていたのと同じ内容です。以下では本から該当箇所を引用してみます。(107~113頁)

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瀬戸内 三島さんは、霊的なものは信じた方なんですか。

美輪 初めは信じなかったから、私の言うことは聞いてくれなかったんです。鼻で笑ってました。

 実は、亡くなる一年ほど前のお正月に三島さんの家に行ったときに、天草四郎の霊を霊媒で呼び出したときのテープを持っていったんです。それを聞かせてもまるっきり信じなかったんだけれど、そのとき、三島さんが私をからかい気味に「この中の誰かになにか憑いているのがいるか?」とおっしゃったの。で、私はぐるりと見回して、「あなた」と言ったら、冗談だと思ったらしく、「うわあ、おっかねえ、おっかねえ」と。「じゃあ、どんなのが憑いてるんだ、おれには」と笑ったんです。

 私には三島さんに、戦時中の憲兵みたいな格好している男が憑いているのが見えたんです。カーキ色の服を着て、帽子をかぶっていた。三島さんに「思い当たる節はない?」と聞いたら、「ある」と。「思い当たる人をあげて」と言うと、三島さんは、小林、甘粕と名前をあげたけれど、磯部と言ったときに、その男の姿がパッと消えた。その人が憑いてたんですね。二・二六事件の反乱軍の将校の一人で、天を恨み、国を恨み、親を恨みと呪いに呪いまくった遺書が出てきた人だと言ってました。

 奥さんの瑤子さんが、「そういえば、この人、どんな長編を書いてもやつれることはなかったのに、『英霊の声』を書いたときに、書斎から出てきたら、幽霊みたいに痩せこけて大変だったのよ」と言ったんです。そしたら、三島さんも「おれも心当たりがある」と。

 あの人は、原稿は必ず夜中の十二時に書き始めて、少しでも眠くなれば、脇に置いてある長椅子に横になって、五分でも十分でも寝て、それから改めて書くようにしてたらしいの。眠気を催しながら書くことは、自分として許せなかったんですって。それが、『英霊の声』を書いてるとき、眠くて眠くてしょうがないのに筆だけが闊達に動いた、と。そして、自分の表現でも言葉でも書体でもないから書き直そうとしても、絶対書き直せないある力が働いた」とおっしゃったの。

瀬戸内 磯部の霊というのはわかる感じがするわね。私は、『英霊の声』を読んだとき、なんかすごい迫力で、とても感動したんですよ。それで、三島さんに「今度の『英霊の声』もすごい」とファンレターを出したの。そうしたら、三島さんが、「ほんとうに自分じゃないような力がのり移って書いた。瀬戸内さんはひいきの引き倒しだ」と、そうおっしゃいました。

美輪 不本意だったんですね。自分は推敲して書き直したいと思っているんだけれども、それをさせない力が働いた。

(引用つづく)