平和エッセイ

スピリチュアルな視点から平和について考える

トリノにひるがえる国旗

2006年02月14日 | Weblog
イタリアのトリノで冬期オリンピックが始まりました。

オリンピックで素晴らしいと思うのは、開会式です。開催国の趣向を凝らした演出はいつも楽しみにしています。

ヘルメットから火を吐きながら滑るスケーターも、人文字ジャンプも、「イマジン」も、パバロッティの独唱も素晴らしかったですが、その中でも私が感動したのは、国旗を先頭に行なわれる各国選手団の入場です。

入場行進自体は、毎回、似たようなもので、とくに変わった演出があるわけではありません。とくに面白いものではありません。しかし、数百人の大選手団の国も、数人の国も、自国の国旗を誇らしげに掲げ、そこにはいかなる差別もなく、各国の間にはいかなる対立もなく、全体として大調和します。多にして一です。そこには、未来の世界平和の姿が先取りされているような感がします。

国旗は自国中心主義の象徴だから、そんなものはなくしてしまえ、と言う人がいます。

たしかに、国旗の扱いをめぐって国際紛争が起こったこともあります。しかし、地上に国という制度が存在しているかぎり、国旗はなくならないでしょう。国旗があるならば、それを集めて、世界の大調和のシンボルとして活用すればよいわけです。

どんな人にも自分の家族を愛し、仲間を愛し、郷土を愛す気持ちはあります。甲子園の高校野球になると、やはり地元の高校を応援したくなります。そういう仲間びいきの気持ちが拡大されたものが愛国心なのだと思います。ですから、オリンピックやサッカーのワールドカップなどになると、どこの国の人も自国を応援します。日本人が日本を応援するのは当たり前です。

愛国心と愛国心のぶつかり合いが戦争にまで発展してはたいへんですが、スポーツ競技で発散されるのはけっこうなことです。

それにしても、今年の冬期オリンピックは、日本勢はあまり元気がないですね。せめて1本くらい、日の丸が揚がるのを見たいものですが、日本人はオリンピックなどにうつつを抜かしている時ではない、ということなのかもしれません。