平和エッセイ

スピリチュアルな視点から平和について考える

比叡山延暦寺(1994年8月)

2005年05月20日 | バックナンバー
5月22日に富士山のふもとの朝霧高原にある白光真宏会富士聖地で、

世界平和交響曲

という行事が開かれます。私も土日にかけて参加します。

これは世界の諸宗教のそれぞれの世界平和の祈りをともに祈りあうという行事です。類似の行事はいろいろと行なわれ、私もいくつか参加したことがありますが、今回の行事は、それとはひと味もふた味も違ったものになりそうです。

今回はまだ1回目ですから、規模も小さなものでしょうが、この行事は、世界の宗教界の流れを変える可能性を秘めています。詳しい内容は来週にでもご報告できると思います。

以前に参加した行事に関するバックナンバーを紹介します。

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比叡山延暦寺(1994年8月)

 平成六年六月十九日に、比叡山延暦寺根本中堂で、世界各国の平和を祈る集いが開かれた。

 今からおよそ千二百年前、若き修行僧最澄は比叡山に登り、草庵を結び、修行生活を開始した。最澄はその後、西暦八〇四年に入唐して、天台宗を学び、日本天台宗を確立し、伝教大師と尊称された。最澄の草庵のあとには本堂の根本中堂が建てられた。

 だが、比叡山はただ天台宗という一宗派の総本山にとどまるだけではない。ここで学び、修行した学僧たちの中からは、法然、親鸞、栄西、道元、日蓮など、きら星のごとき宗教的天才が輩出した。これらの偉人がいなければ、日本人の宗教生活ばかりではなく、日本の文化も、かなりレベルの低いものになっていたであろう。ある意味では、比叡山延暦寺は、日本仏教と日本文化の「根本」と言えるかもしれない。

 しかし、延暦寺は常に宗教的聖地であったわけではない。派閥争いもあれば、政治的な野心に駆られて、僧兵という軍事力を持ったことさえあった。織田信長の叡山焼き討ちは、延暦寺にまつわる業生を焼き尽くす、浄化の炎であったのだろう。

 今年亡くなられた前座主山田恵諦師の呼びかけによって、今から七年前、比叡山に世界の宗教指導者が集って、「比叡山宗教サミット」が開かれた。この催しには、仏教、キリスト教、イスラム教、ユダヤ教、ヒンズー教、シーク教、儒教の七大宗教の指導者をはじめ、海外から二四人の代表が参加し、比叡山上でともに世界平和を祈った。そのとき、山田師は、「地球上での宗教にかかわる多くの紛争は、なお後を絶たず、また核戦争による地球壊滅という大問題を抱えている。宗教者の取るべき道は、宗教者がお互いを理解し合うことだ」と述べたが、この言葉は現在でもそのまま当てはまる。

 そのときの祈りは、各宗教のそれぞれの祭式に則っての祈りであった。中には、仏像という他の宗教の偶像の前では祈れない、という、形式にこだわる頑迷な宗教もあったそうだが、それに対して、他の宗教の代表者を自宗の聖地の中に招き入れ、その宗教の祈りを許した延暦寺の、ひいては日本仏教の寛大さとふところの深さは、さすがに偉大であると思われる。このような寛容の精神こそ、世界平和の基盤であろう。

 このたび延暦寺根本中堂で開かれた行事は、「世界人類が平和でありますように。○○国が平和でありますように」という、一切の宗教形式、教義の対立を超えた、端的に平和を祈る行事であった。この次は比叡山に世界の宗教代表者が集って、世界平和の祈りを祈ってもらいたいものである。