平和エッセイ

スピリチュアルな視点から平和について考える

ダライ・ラマと村上和雄先生の対談(3)

2005年05月13日 | 最近読んだ本や雑誌から
ダライ・ラマは、倫理は科学からも涵養することができると考えているようです。

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 近代の世の中は、科学者の様々な発見が宗教的な信心の裏付けとなり、またそういうものが一つに合わさって、いろいろなことを考えていかなくてはならない時代に入ってきています。私は、人に対する愛や思いやり、優しさ、そういったものが心の平和、精神的な健康面において非常に重要であり、それには科学と宗教の両方の見方がたいせつなのではないかというお話をしております。
 他の人たちとの非常に温かい友人関係を保っていくためにも、優しさや温かさ、思いやりは一番大切なキーポイントになっていると私は信じておりまして、それは村上先生がおっしゃっている遺伝子的な観点からも裏付けられていると思うのです。
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ご存じのように、村上先生は神という言葉を使わず、「サムシング・グレート」とおっしゃるわけですが、村上先生の見解の中には、宗教によらない倫理観というものが見うけられます。ところが、科学から生まれた倫理観が、愛や思いやりや生命の尊重といった宗教の本質と一致することが面白いところです。

龍村仁監督の『ガイア・シンフォニー』には、ガイア仮説の提唱者ラブロック博士のような科学者も登場しますが、彼らの中には、高度の倫理性と精神性が感じられます。科学研究を突きつめていくと、宇宙の神秘、生命の神秘への畏敬の念につながるのでしょう。そういう科学面から生命尊重や自然保護のようなモラルを教えることは、宗教を持つ人にも持たない人にも受け入れられることだと思います。

ダライ・ラマは科学者との対話を重視していますが、仏教は、キリスト教、ユダヤ教、イスラム教のように、特定の聖典を絶対化しませんので、科学の知見も柔軟に取り入れることができるのでしょう。

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 私自身は、もちろん釈尊の教えに従う仏教の修行者です。百%仏陀の弟子なわけですけれども、技術を駆使して科学者が発見してくださっていることが、よりリアリティーがあり現実に近いという思いは否定することができないのです。むしろ最近の科学者のリサーチによるもののほうが、よほど信頼性があるように思います。
 幸運にも釈尊は、私の教えをむやみに信じるのはいけない、自分の頭でよく考え分析して、正しいと思ったら信じなさい、とおっしゃってくださっています。私たちにはその選択の自由があるわけなんです。
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 私は、ダライ・ラマのこういう柔軟な姿勢がとても好きです。