ディオニュソス: 見てはならぬものを 見たがり、許されぬことをしようと なさるペンテウス(テーバイ王)どの、 さあ、信女の姿を見せなされ。 母上や その仲間を覗き見ようと バッコスの信女の姿をしているその姿を。-- おお、実に よく似ておられますな。
ペンテウス: わたしにはテーバイの七つの門が二重に見えてならぬ。 お前の姿さえ 角の生えた牡牛にみえる....。
ディオニュソス: 神が付き添ってくださり、 ようやく、正しく 見られるようになられたのです・・
コロス(合唱隊): 神の力、神を敬うやまわぬものあれば これを匡ただし、 神は不敬の輩やからを討ち賜う。・・・ 先ほどペンテウスが女の衣装をつけていたのを テーバイの者たちが嘲笑うのを是非 見たいもの なぜって ゼウスの子ディオニュソスさまこそ、人に優しい神なのです...
エウリピデス「バッコスの信女」 :ギリシャ悲劇より
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・テーバイの王、ペンテウスよ、バッコスの信女に姿を変え
お前のそのような姿など 見たくもない
森の中を 枝葉をかき分け進むと、そこは 見知らぬ世界
神秘の祭り、狂乱の舞ひ、バッコスの信女たちが踊る
これは夢か、現か?と ペンテウスは自問する
しかし 風にさらわれ、彼の耳には届かない
彼は王でありながら、ただの男か 神の力には逆らえず、
運命は 既に 決まっていた
バッコスの信女たちに紛れ、自らの誤りを知る
王冠を捨て、葡萄の蔓を冠とし、彼は新たな自由を見出す
だが、神々の遊びに 終わりがあるように
ペンテウスの運命もまた、悲劇の幕を閉じる
テーバイの王よ、人間の傲慢と神の御意志の狭間で、
それでも 汝れは 永遠に語り継がれるのだ
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*バッコス、またはディオニュソスは、古代ギリシア神話において、酒と祭りの神として知られる。彼はゼウスとテバイの王女セメレの息子であり、その誕生譚は特にドラマチックだ。--
ヘラの策略により、ゼウスはセメレに自らの真の姿を見せることを約束し、その結果、雷に打たれたセメレは命を落とした。--しかし、ゼウスはディオニュソスを救い育てた。
ディオニュソスは生長すると、やがて葡萄栽培と葡萄酒の造り方を伝え、オリュンポスの神々の一員となる。
バッコスは、しばしば若々しい美青年として描かれ、ブドウの木や松かさのついた杖を持っている姿で知られる。------彼の祭りであるバッカナリアは、恍惚と狂乱を伴う集団的興奮の儀式で、バッコスの信女たちも参加していた。これらの祭りは、人々が日常から離れ、神々の世界に触れる機会なのである。。。>> /*-95-- 102-* /
* 処で、バッコスの物語は、人間の欲望、神々の力、そして運命の不可避性の象徴であり、バッコスは、ただの酒神ではなく、創造性、そして生命の循環を司る。。。