ラーメンの神様が店を去った日。

2005年05月08日 | グルメ
日本人の国民食ラーメン。

コクのあるちょっと濃いめのスープ。
昭和30年に考案された「特製もりそば」。
チャーシューやシナチク、ゆで卵などが入ったスープに別盛りされた麺を浸して食べる“つけ麺”だ。
「量もおいしさのうち」との考えから、通常の倍以上はある麺の量が圧巻だ。

神様がラーメンの世界へ足を踏み入れたのは50年前。連日、開店前から行列が途切れることはない。

弟子はいない。だから店を継承する者もいない。
大抵3カ月神様の山岸から味を覚え(盗み)自分の店を出す。
看板料はもらわないと言う。中には地方で年商数億円の店も神様に修行をしたのだ。

奥様を癌で亡くし、あれだけの連日満席店でも、店は昭和初期のまま。
さぞかし豪邸かと思えば質素なマンション暮らし。
足の病気と妻との死別…。ショックの大きさに一度は店を閉めたこともあるそうだ。

71歳で足の膝の手術とリハビリは過酷だった。「もう一度店に立ちたい」それだけだった。
しかし頭で考えるのと身体の動きは反比例するどころかリハビリ虚しく厨房を後にする。

本店池袋の大勝軒に最初に行った学生の食べ盛りの時、味と量に圧倒された思いが甦った。

もうあのオヤジ、神様に会えないと思うと寂しい気がする。
ラーメンのために生まれてきたような神様、神様しか出せない味が食べれない。

そんなに行列に並んだりする俺ではないがあのオヤジは「ラーメン」と何か暖かい良きおじいちゃんに
会いに行く人はきっと俺だけではなかっただろう。