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【微塵我報】

思い込みと勘違いと妄想と思い出補正の懐古厨による、最早ヲタクの余生です。
長いスパンでのヲタク終活始めました。

エッジとリディアはどうなっていたのか②

2018年03月15日 13時23分54秒 | スクエニ系。
どうもなっていなかった。
という結論を予め最初に出し切ってしまったせいで、続くと言いながら2ヵ月放置して、自分はその間にⅣをクリアした勢いでⅤをボチボチ始めていました。
今やっとラストフロアの辺りで、Ⅴの話を始めたい自分もいる…。
そして自分の過去のヲタクの清算が続く…。

エッジとリディアには何もなかった。
この結論が前作と今作において出ているにも関わらず、リディアがエッジに対して完全にノーセンキューやスルーの無かと言えば、そんなこともなく(プレイヤーにわかる範囲で)かと言って、僅かながらでもイエスの有がある訳でもない。
この僅かなところ。
微妙ですね。

まず、エッジは前作終了後から今作に至るまでに、リディアの故郷であるミストの復興に全力を尽くして尽力している訳です。
ポケットマネーや私財ともかく自国に当てる分もちょっと持ち出してるのではないかというぐらい。
(最も王政なので城の財産が私財なのか国の財産なのかって考えると話がループするので割愛)
印象としては、エッジの御国のお城の皆さんはエッジの人となりをよく理解していて、王であるエッジが、仲間であり世界を救った英雄の中の1人であるお嬢さんに惚れ込んでいるを察しており、見守っているスタンスなんでしょうか。
で、この長い歳月の間、王政をしている国の、世襲であるだろう国の王が、妻を娶らずに跡継ぎを作らないというのはそもそも大問題で、国として側近が世継ぎに関してかなりやかましく言わざるを得ない状況だと思うんです。
ここは私が割と大人になってから思ったとこで。
で、この国のというか少なくともお城の皆さん。
そこに関しては、エッジの性格をよくわかっているからこそ、やめない諦めない、どうにもならないとかいうの含めて、一方的に入れ込んでいるリディアのことを存じ上げているけども、察しているけども、この未だにどうにもなってない状況を深追いはしていないのです。
王様が私財投げ打っての片思いを静観。だからと言って民が忍耐をしている訳ではない。

●リディアの故郷であるミストの復興に尽力している
この件は、多分エッジ個人の、リディアに対しての明らかな好意と心からの善意は、好意は好意だけど善意は善意として独立していて、例えリディアに興味を持ったのが一目惚れみたいなものだとして、物凄いリディアに恋愛感情で入れ込んでいたとしても、恋愛感情抜きにしてリディアに仲間として、いや仲間じゃなくても彼女に対しての、人として魅力や何か力になりたいという気持ちがあれば、エッジ自身の気質としてそれこそミスト復興レベルの力を貸してくれると思います。
それぐらい情に熱い人なんだと思う、別にお涙頂戴に弱いんじゃなくて。

前の記事で、
例えばエッジはリディアに対して、軽率なちょっかいのかけ方(二次的に言うと、何だかんだエロの流れに持っていくことや、実際にやりとげてお手付きすること)は一切していないし、そういった流れを作って、何とかしようとする意味合いでの軟派な男でもなかったという、現実は頑なに硬派で完全な紳士だったんですよ。
リディアもリディアで、エッジの長年の好意と下心のない善意に絆されたり、彼の誠意から情を汲んで流されたりするかといえば、恋愛感情由来の気持ちを受け入れるようなこと、それも一切ない。
 私好みの数多の同人的エピソードはない。 (ここは心底どうでもいい)
って書いてましたが、支援を受けるミストの人々も別にエブラーナに恩を着せられているとか微塵も思ってないし、(国の名前出してないと思うけど)リディアに逢いに来る男の事(一応若者扱い)のことを茶化したりする訳でもない。

そして、リディア。
ゲームの中の物語の中では描かれることなんてないと思うけど、好意と善意から来るエッジの支援(援助ではない)に負い目を感じたりはしていない。
彼の好意に流されないし、善意に甘えたりしない。
善意としてこんなに尽くしてくれるエッジに、この人いいかも…とか流されたり、誠意を受けて、そこで頼りになる異性として気になってみたり、そんな新しい感情が芽生えるかったらそうではない。
エッジが、与える側として好意と善意が独立していて、そのうちに誠意を通して恋愛的な展開を期待する(自分をわかってもらう)ことがなかったように、リディアもまた、受ける側としてまず感謝前提として、そこに負い目引け目気兼ねなく、彼からの好意と善意と誠意を全部切り離して考えていると思いました。
そこで、エッジ有り難う…!の感謝や尊敬が深まれば良いって思うこともあったけど、恋愛感情なくても人間として感謝や尊敬は十分にできるのも普通なので、逆に一周回って完全に、全部独立してるこの状況が二人に取って「対等」なのではないかと思う自分がいた。
どうだろう。

やっぱり、ジアフターをやっていて感じたのが、エッジ自身があの情に熱くて無鉄砲でヤンチャだった若の時代を卒業して、主観から客観。
何処か達観していて、頭領として腰の座った男になっているのを感じました。
元々ラストパーティ最年長だけど、エッジが落ち着いた大人になってる!って驚きと共に歳月を感じたし、それでも時折、仲間うちに見せる、彼本来の側面には変わってなんて安心したみたいな部分もある。
そういう歳月の流れで変化した性格はリディアはどうなったかというと、リディアも大人になっている。
そもそも、個人的にずっと解釈していたリディア感なんですけど、「幻界はこことは時間の流れが違った」というところで、私は、リディアの事を身体は先に大人になってしまったけども、精神年齢が身体の成長に見合うものかと言えば、環境では精神年齢が引き上げられたとは言え、本当に身体年齢と一致する思考回路かと言えば、
年相応のうら若い乙女というよりは、本当に母を早くに亡くした女児か小学生女子くらいのアンバランスさを残してるんだろうとずっと思ってました。
だから、ゴルベーザ戦で再会した時に割とお嬢さん口調になっていても、実際自分を制御できない感情の時なんかは、子供が使う以外では親しい大人でも余り他人には使わない「おじちゃん」「おじいちゃん」呼びが出てきちゃってるし、エッジに何か言われて「あんたなんか」って言っちゃうのも、大人が大人に言ってるよりは、小学生女子が小学生男子に言ってるようなニュアンスがなくもない。
勿論、例えばセシルにはエッジに言った「あんた」呼びなんかはしない訳ですけども…。

だから何だろう、エッジが初見にリディアに対して感じた印象の「きれいなねーちゃん」辺りは、大人になってしまった年頃のお嬢さん容姿のリディアの姿を見た素直な感想で。
そして長旅を終えて、実感して感じた「おめーよりいい女」、最初からリディアを子供ではなく女として見ている。
実際関わってみて、彼女の生い立ちや経歴の事情も理解した上で、女の尻を追いかけてると見せかけて、複雑な事情でアンバランスに育っている7才の心を引きずった大人の身体のリディアを、完全に異性だと感じている。
でも、大体を把握してこうなっている今のリディアを、大人か子供か関係なくただのリディアとして惚れてしまっただろうエッジに対して、当たり前ですが、リディア自身はそもそも恋だとか愛だとかそもそも初恋とは何なのか、異性って何なのかすら全くわかってない子供の状態なんだと思うんですよ。
そしたら、恋愛が成立するもしないも、まだそういう段階ですらなくて、ひょっとしたら支援してくれるエッジの事も、お調子者のお兄さん。
ぐらいに思ってたとしても何ら仕方ないし、ごくごく当然だと思うんです。
やっぱりどんなに大人気なくても、容姿で見てわかるおじさんおじいさんカテゴリじゃなくても、リディアからして見たら、ローザはお姉さんだしセシルもお兄さんだし、って思っても、結局子供からしたら老けてる老けてないくらいで皆大人にしか見えないもの。
エッジに好意持たれたところで全然話が噛まない。
だって大人の人だもの。
好意持たれたところでわからないわ。
っていうか逆に好意向けられたら引くかも知れない。

って考えるとリディアがちゃんと身体年齢と均衡して大人になるのって十余年超えても致し方ないのかな…って。早熟して、この人いい…って大人の男に思うJKもいるとして、それを感じたとしてもリディアの場合は、今思えば初恋や気になる異性はきっと多分セシル辺りだろうし、セシルに対しての複雑なそういう感情は親愛だけじゃなかったてして例え仮にあったとしても前作のエンディングの時点でもう終わってるだろうし。
何よりセシルとローザって子供の目から見ても二人で一つの存在の男女でしょう。

で、ジアフターにおいては、リディアはちゃんと心身の均衡の取れた大人の女性になっているし、(特に不自然な成長とか老化はしていない)セシルの息子のセオドア世代が次代の主要メンバーとすると、そもそもポロムポロムとそんなに年の変わらない子供であったリディアだけども、最早完全に大人の親世代メンバーのカテゴリで、世代交代としては完全に旧の人。第一線を隠居したみたいなポジション。
リディア姉さんなんですよ。
そんなリディアさんですけども、名実共に年頃になっても、改めてエッジに対してどう思うかったら、別段何も。が、続いているのが本編今作。
振った振られたは一切なくて、仲は良い。長年の関わりでお互いを理解した上で信頼関係ができ、絆もちゃんとある。ただ、改めて恋愛関係とかパートナーであるという間柄では確実にない。
二人メインのイベントも尺を取り確実に存在、二人専用の技もあり、二人は強固な絆で結ばれた男女ペアだけども、決してカップルではない。
ないんだよ。(彬だよ)
ウワォ!(おかだのようなリアクションで)

そして、極めつけがブロークンハート。
これはどう受け取っていいのかわからない。
こういうアプローチをギャグにして「失恋」ネタで逆手に取ってくるこの関係。
露骨な好意をちょっかいとして、お約束の茶番として昇華するって…凄くないですか?
やり慣れてる方と、やられ慣れてる方の、定番の流れなんでしょうかね。
エッジの勘違いでもあり、リディアのツンデレでも有りそうだし、未だにどう取っていいのかわからない。
ぬか喜びしないという点で…wwww
でも、この流れ自体がごくごく日常的な一部で幾度となく交わされてきたお約束の流れだったり、皆が見てる上でのよく知られた日常の一面なのかも知れないし。

ところで、民が何も突っ込まないのに、突っ込んでくるのが他国の王様で、古い仲間でもあるヤン。
来ましたよ「世継ぎ問題」
ヤンにしてみれば、ヤンと違ってエッジは生まれついての王族ではあるし、多分、頭領だけども世襲の国。
国の存続の問題になる訳です。
これ、ひょっとしてヤンも聞きにくかったけど、誰かが聞かなきゃいけない事なんだろうなぁという気もする。
エッジはいう訳ですよ。
「夢を見る歳でもない」
世継ぎ問題に関して、夢を見る歳でもない。と答えるのは、答えとしては適当ではない気がする。
例えば、夢を見ているとすれば、理想の女と世継ぎを残す。ことだとしましょう。
でも、理想の女は振り向いてくれない。まぁそれも仕方ないし、良しとしましょう。
代わりはいなかったとしても、現実として、世継ぎは残さないといけない。
じゃあ誰でも良いかったら、やっぱり理想の女が良い。
じゃあ、世継ぎは…ってところで、世継ぎ問題自体を夢の福産物にしてしまっているというか…。
(適当な言葉が見つからない)
でも、前作の流れから今作のこのシーンにおけるまで、エッジへのリディアの好意ってプレイヤー視点だけじゃなくて、この世界の人に大体にしてバレバレじゃないですか。
このバレバレの恋心を貫いて一生を終えるのもアリっちゃあアリですけども、
エッジは、夢を見る、見ていた歳があった。ってことを認めちゃってると感じたんですね、私は。
だから、ブロークンハートの寸劇もノリで出来ちゃったり、一方でリディアに対する恋を諦めるとか、あるいは恋愛感情が沈静化して、想いは想いのままで、もう男女を超えて人間として寄り添ってこうみたいな謎の達観とか…、枯れた男のその域なのかな…とか思わなくもない。
ずっと待っているを通り越して…。

エッジはそこそこ歳取って世継ぎ諦めてたとしても、若い御后娶って何とかなったみたいな話は他所に沢山あるとしますよ。
この場合リディアのボディもそこそこ歳を重ねてそうなので、リディアが乗り気になる日がこれから来るとして、恋愛して結婚して出産したローザと比較してもこの時代の適齢期が何処にあるかよくわからないけど、そういう意味でも、いろいろ難しい時期かも知れないのも考えたりで…。
お前らくっつけよ、って周りが思っても、そうならないのは当人同士の問題だからでね…。
世継ぎ問題に関しては、いろいろ言いましたけど、セシルやヤンのところの先代の国王が世襲ぶん投げて、仁知勇優れた家臣に王位を譲って、譲り受けた方も混乱なく治世を続けているということを考えると、エッジも世襲に捕らわれずに、世継ぎ問題ぶん投げて、家臣に王位を譲ってしまう日が来るのかも知れないなぁ…と今となって初めて思う自分を最近発見しました。

そこで、恋愛に発展しなくて歳を重ねて子供の出来ようもない、エッジとリディアとの間で擬似家族が形成されるであろう、クオレという新しい謎の存在が投入されまして。
この一時流行った綾波のクローン量産展開みたいな子のうちの1人がクオレ。
最終的にリディアが引き取ることになり、カップリング通り越していきなりシングルマザーのようなことになりまして。
結局、6でいうところの母性に目覚めたティナに近いような感じも受けつつ、母代わりのリディアと親しいエッジにも懐いているような感じですね。
ひょっとしたらクオレがエブラーナの御館になる日が来るのかな、来ないな。

エンディングでは、これが恋愛の始まりなのか、親愛の延長なのかはわからないけど、今までよりは、リディアが格段にエッジに向き合ってるような気はします。
言葉はなく、仕草から読み取るぐらいの微々たるものだけど。
エッジの好意と善意をようやく実感し始めたような。

後、未読ではありますが、公式の監修がついてるだろう公式の小説では、リディアがエッジに好意を持つ展開が、展開として描写されているとのことですが、ゲームでは片思いではあったが、小説では両想いになりえている。
というアナザー展開ではなく、公式が両想いにオッケーを出したってことで受け取ってもいいんでしょうかねってところです。




何だか尻すぼみな締め方で恐縮ですが、本編ではエッジとリディアには何もなく、本編から続編に至るまでも何もなく、続編の最中でも何もなかったけど、何もないなりに、だからと言って決してゼロではなく、ようやくその見えない積み重ねがやっと姿を現したところで、これからは何かあるかも知れない。
男女間かも知れないし、人間同士の延長かも知れないけど、年月はかかったけど、ここで物語の終わりを迎えて、ようやくここからお互いに向き合うスタートラインから始まるのではないでしょうか。

エッジとリディアには、何もなかった。
何もなかったけど、ここでやっと、あるかも知れないというところにたどり着いた。
という、あったかなかったのか論の一つとしたいと思います。




あ、でもリディアってどんな事情でもミストから離れなさそうだ。
ってところまで考えて頭を抱えました。


お終い。
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