全く投稿しなくなってしまったのだけど、何もしていないわけでもない
では何をしているのであるか?
自由の哲学を読んでいくうちに、だんだん大きくなってくる問いに、多少なりともアプローチしてからでないと読み進められなくなったのである
その問いとは、どのようなものであるか?
そもそも、浮かび上がってくる問いの存在というものには、どんな性質、意味があるのだろうと思わずにはいられない
問いを一つの働きと捉えると、それはまるで種のようである
そこから話は展開していく
いったいなぜその問いを、シュタイナーは立てるのだろうか?という問い
私にとってその必然性というか、話の自然な流れと感じられない問いをシュタイナーが立てる時、なんで?と感じること、それ自体にも注目してみたい
言葉の使い方への問い
私にとって違和感を感じさせられる言葉の使い方があることにも注目したい
世界観への問い
自明のように語られるが、私にとっては自明ではない世界観、世界の構造に対する問い
問いへの答えを完全に見つけることは、すぐには難しいだろう
今は木田元さんという方の「私の哲学入門」という本を読んでみている
そもそも哲学への素養が乏しいので、本質とか主体とか存在とか、そういう根本的な言葉にいちいち引っかかってしまう
またそのひっかかりに注目してみることで、哲学の源流をたどることも楽しい
哲学とは、形而上学のこと
それは言葉の世界である
そこには一定の構造がある
その構造そのものへの疑いもあって当然だと思う
それは現代ではほとんど否定されている構造ではないだろうか
何をシュタイナーは肯定し、現代は否定しているのだろうか
では何をしているのであるか?
自由の哲学を読んでいくうちに、だんだん大きくなってくる問いに、多少なりともアプローチしてからでないと読み進められなくなったのである
その問いとは、どのようなものであるか?
そもそも、浮かび上がってくる問いの存在というものには、どんな性質、意味があるのだろうと思わずにはいられない
問いを一つの働きと捉えると、それはまるで種のようである
そこから話は展開していく
いったいなぜその問いを、シュタイナーは立てるのだろうか?という問い
私にとってその必然性というか、話の自然な流れと感じられない問いをシュタイナーが立てる時、なんで?と感じること、それ自体にも注目してみたい
言葉の使い方への問い
私にとって違和感を感じさせられる言葉の使い方があることにも注目したい
世界観への問い
自明のように語られるが、私にとっては自明ではない世界観、世界の構造に対する問い
問いへの答えを完全に見つけることは、すぐには難しいだろう
今は木田元さんという方の「私の哲学入門」という本を読んでみている
そもそも哲学への素養が乏しいので、本質とか主体とか存在とか、そういう根本的な言葉にいちいち引っかかってしまう
またそのひっかかりに注目してみることで、哲学の源流をたどることも楽しい
哲学とは、形而上学のこと
それは言葉の世界である
そこには一定の構造がある
その構造そのものへの疑いもあって当然だと思う
それは現代ではほとんど否定されている構造ではないだろうか
何をシュタイナーは肯定し、現代は否定しているのだろうか