「自由の哲学」ノート

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思考の恩寵

2014-09-27 22:04:28 | 「自由の哲学」
三章 1918年の再版への補足

思考活動においてだけ、
自我は
その活動のあらゆる細部に至るまで、
自分の活動と一体となった存在
であることを知っている

四章

高橋氏訳 76p

思考は

主観と客観の彼方にあって、
この二つの概念を
すべての他の概念と同じように
作りあげる

思考する主観としての我々が
概念を対象と結びつけるとき、
この関係は単なる主観的なものとは解されない

この(概念と対象との)
関係を生じさせるのは
主観ではなく、
思考なのだからである

主観は
それが主観だから思考するのではない

それが思考する能力を持つからこそ
自分を主観として表す

思考する存在としての人間が行う活動は、
単なる主観的な活動なのではなく、
主観と客観という両概念を
超えた活動なのである

だから、
私の個的な主観が
思考するのだとは言えない

むしろ
「私の主観は
思考の恩寵の下に生きている」
と言うべきである

思考は
私を私の自我の彼方に導き
客観と結びつてくれる

けれども思考はまた
私を主観として客観に対比させることによって
私を客観からも引き離す