今日はお休みをいただいたので昨晩は「うさぎドロップ」全9巻を久しぶりに読み返しました。
映画も公開されるということなんで。
第2シーズン、完結の話、高校を卒業したリンちゃんと実質的な養父であるダイキチが結ばれて(?)
終わるあの感じに違和感を覚えていたのですが、何故だかよく判りませんでした。
第1シーズンの流れからいえばダイキチは
シングルマザーであるリンちゃんの幼馴染コウキのお母さんとくっつくのが自然な流れなので
そうならないことへの違和感なのかなぁって思っていました。
今回読み返してダイキチとリンちゃんの関係にはレヴィ・ストロースのいうところの「女の交換」が
無いところに私の違和感の元があることに思い至りました。
「女の交換」というのは奴隷的な意味でもエロい意味でもなくて親族の再生産のために
世界中の社会で必ず存在するもの(らしい)です。
「女の交換」について詳しくは内田樹の「寝ながら学べる構造主義」が私のような初心者でも
なんとなく判ったような気になれてお勧めです。
親族が親族を再生産するのに「女の交換」をする目的は近親婚を避けるためです。
リンちゃんとダイキチは結局血が繋がっていないんで理屈的には結婚OKって
大団円になった訳ですけれど、一緒に暮らしていた「家族」が「夫婦」になることに対して
私は本能的に違和感を覚えたんでしょうね。
漫画ではリンちゃんの気持ちを少しずつ丁寧に描いているので拒否感までは起きないのですが
違和感は消えなかったというところでしょうか。
「うさぎドロップ」のそれぞれの話自体はリアリティにあふれる話です。
ダイキチの回想にもあるようにスタートと着地点が「想定外」なこと、それを登場人物自体に「想定外」
と思わせている、そのどことなくフワフワした感じと話のリアリティの絶妙なアンバランス感覚が
私にとっての「うさぎドロップ」の魅力です。