東京勤務、田舎暮らし Can you imagine 2-hr commute for one way ?

生まれ育った田舎に暮らし、毎日2時間かけて東京の下町へ。
オタク第1世代の会社員 「たぬきねいり」 のささやかな日常。

八重桜

2012年04月24日 | 昔の話

今年も桜の花の季節が終わって八重桜の季節がやってきました。


昔、私が独身の頃、住んでいた独身寮の窓に八重桜の枝が伸びていて
ゴールデンウィークの頃は窓からお花見ができたものでした。

当時勤めていた会社はなくなり、独身寮は他社のものになっています。

私自身も勤め先や仕事を変えて現在に至っています。


人間社会はいろいろ変っていくのに桜はほとんどなにも変わらない。

八重桜の花を見ると独身の旅三昧をしていたころが思い出されてちょっとおセンチになってしまいます。


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自在定規

2011年12月23日 | 昔の話

昨日のブログに書いた皿うどんをよくご馳走になった大学時代の友人宅での話。

その友人とは友人宅で一緒に大学の宿題をやることが多々あったのですがそのときの話です。

私がレポートを書くのに使用する自在定規が無くなり、探していました。
自在定規とはこんなやつです。



友人も一緒に探してくれていたのですが途中から友人は探すのをやめて私をにやにや見ていました。


私  「探さないなら自分の宿題やったら?」

友人 「いや、な、お前の首に巻いてあるものはなんだ?」


そうです。 私は首に自在定規を巻いて宿題を考えていて
作図しようと思った時に首に巻いていること自体を忘れていたのです。

見つかって二人で大爆笑。  若い頃から抜けている私の懐かしい大学時代の話でした。

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ビデオテープの思い出

2011年10月29日 | 昔の話

仕事で秋葉原に買い出しに行きました。

私にとっては秋葉原は今も昔も買い出しの街です。

子供の頃(昭和50年代)はラジカセとか電化製品を少しでも安く買おうとして出かけたものだし
大学生の頃(昭和末期)はビデオテープのまとめ買いのために出掛けていました。

社会人になってからはパソコンパーツや周辺機器の買い出し、そして仕事絡みの電気部品の
買い出しの街です。


大学時代が一番自由にうろうろしていたんで思い出が残っています。

当時買い出しをしていたビデオテープは VHSとベータの規格戦争の末期でした。 ビデオテープの価格は
値下がりを続けていたとはいえ、一本1000円ぐらいする大学生には高額な商品でした。

しかし、アニメを駄物のビデオテープに録画するとエッジの色が崩れたり、単一の色のはずの部分が
まだらになったりして非常に見苦しくなるのでビデオテープは安物を選択する訳にはいかなかったのです。

特にアニメをビデオデッキを持っている友人達と協力してデッキ2台でダビングするときの
画質の劣化の違いはテープの性能の違いが大きくものをいいました。

そんな訳でビデオテープの購入は当時オタクだった私には非常に重要な課題だったのです。

そのため、少しでも品質が良くて安いものを購入しようと、当時私はビデオテープをまとめ買いしに
秋葉原までよく足を運んだものです。

当時はスコッチとmaxellのビデオテープがコストパフォーマンスの良さで私の周りでは好評でした。


今じゃ見ませんね。 ビデオテープ。

デジタル化のおかげで録画デバイスの良し悪しが画質に影響することも無くなったし、
デジタルコピーのおかげでダビングによる劣化も無くなっちゃいました。

そもそもアニメ殆ど見なくなっちゃったしね。

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常連さん

2011年08月19日 | 昔の話

最近欠かさず聞くようになったPodcast、ルネラジこと「髭男爵山田ルイ53世のルネッサンスラジオ」
にて常連についての話題が出てきました。

曰く、このラジオの投稿常連さん達が『サスケオールスターズ』のようになりそうで気持ち悪い、と。

要は趣味とか「お金にならない事柄」に情熱を傾け過ぎてはいないか、という話をされていました。

確かに自分の本分を忘れて趣味に埋没する人は変人のそしりを受けざるを得ません。
日々の食事も稼げないでなにが趣味だ、という話です。

いっそのこと趣味を本分にしてしまう、という大技も勿論あります。

この話でいえばハガキ職人が高じて放送作家になったりするのがその例です。
勿論、趣味を本分にしてお金をいただけるレベルまでもっていくには茨の道が目の前に待っています。

そこまでの覚悟も無く、ただ時間を無為に使いすぎていることや
そんな投稿常連さん達がSNSやらを利用して横の連絡を固めていることについて
「そこまでいくとやり過ぎなんちゃうの?」という男爵様の本能的な不安を呼び起こしたんでしょうね。


その話を聞いていて思い出したのが
私が若い頃旅で使っていた全国各地のユースホステルに跋扈していた常連さん達。

なぜか同じユースホステルに何度も足を運び、
常連としてアーリーチェックイン・レイトチェックアウトしている人達が存在していました(笑)。

私も瀬戸田ユースホステルという宿に足繁く通った身ですから同じ穴の狢なのは間違いない
のですが、大概の場合、他の宿の定連さんは好きになれませんでした。

二十年前当時のユースホステルというのは一人旅をしている人達が大部屋に見知らぬ同士で泊まり
食事や夕食後の会話を共にし、旅の情報を集める、そんな場所でした。
(今はどうなんだかサッパリわかりません。)

若い時分にユースホステルの常連さんを私が好きになれなかった理由は、
常連同士で固まって知り合いの話やあるあるネタを中心に話すその排他的な態度からでした。

宿側から見れば、定連さんは初めて来た人に対して緊張を掃ってあげて、更には
その宿独自のルールについて解説してあげたりするのが期待される役割じゃないですか。

ですからパブリックスペースや夕食の場など見知らぬ人達が集まって話す場所で
常連さん達が一部の人しか判らないような話題をしてはじめてその宿に来た人を孤立させて
しまうのは宿主さんの期待に反する行為だったわけです。

(身内の話は喫茶店あたりでやってくれよ、ってよく思ったものです。)

それでも、宿主さんはお金を払って来ていただいている以上はその程度のことでは定連さんを
拒否できません。


そのうち、宿主さん側でも逆に定連さんをうまく使って定期的な収入源にできないか、
と考えるユースホステルも出てきました。

でも、そういう常連さんは数が限られるうえに、排他的な性格の定連さんが定連さん以外のお客さんの
リピーター化を阻害するという問題も傍から見ると起きていたように思えます。


あれからもう二十年。

当時、有名ユースホステルには必ずいた常連さん達は
ちゃんと社会人としてやっていけているのでしょうか。

自分を客観的に見るのって意外と難しいですもんね。  勿論、私自身を含めてね。

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寒さを凌ぐ

2011年03月17日 | 昔の話

何事も準備と覚悟があるとそこそこのことは凌げるのですが
何も準備がないとちょっとした寒さを凌ぐことさえしんどいものです。

若い頃、真冬に伊豆・天城・浄蓮の滝を旅していてとあるユースホステルに泊まった時の
話ですが、ペアレントさん(宿主さんのことです)が非常にコスト意識の厳しい方で暖房器具を
一切使わせてもらえませんでした。

その宿には一人で泊まったのですが、あるのは薄っぺらい毛布が二枚。
持ってきた服を全部着込んで毛布にくるまって寒さに耐えて寝たものです。
この状態だとたとえ伊豆のあたりでも寒さで目が覚めてしまうくらい寒かったものです。

そんな二十年も前の事でも寒さで辛かったことって覚えているものです。

震災にあわれた方は私のように道楽でひどい目にあっている訳ではないし、
春が近いとはいえ東北、まだ雪まじりの天気、暖房器具も燃料も食料も足りていない状況では
お年寄や子供だけでなく若い方でもしんどかろうと思います。

一刻も早く援助物資が届くことを望んでやみません。

お笑い番組でバブル時代のモコモコしたスキーウェアをネタに笑っていたけど
あれでも救援物資で届けることができれば相当暖かく暮らせるもんね。


ところで、関東某所の街頭では明らかにインチキくさい募金活動を
緊張感のないにやにやした顔の若い連中がやっているのを目にしました。

また、「輪番停電の点検に来ました」という詐欺が既に現れているそうです。

善意は末端に届けられるように相手の真贋を見極める目を持ちたいものです。

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ジャスコの思い出

2011年03月06日 | 昔の話

ジャスコ・サティを運営する各子会社がイオンと3月1日付で合併したことにより
我が家の最寄の鎌取ジャスコやよく家族で待ち合わせをする稲毛サティをはじめ
ジャスコ・サティという店名が消滅したそうです。

サティには特に思い入れはないのですがジャスコが無くなるのはちょっと寂しいですね。

私の子供時分には千葉市中央区、今でいう「きぼーる」のあたりに「扇屋ジャスコ」というのが
あって高校時代の私はそのあたりをうろうろしていました。

そこの1階に千葉ではじめてのマクドナルドができたのが子供時分には衝撃でした。

妻が子供のときに義父におみやげでそこのハンバーガーを買ってもらったことがあるそうです。
そのぐらいその当時のハンバーガーというのは衝撃的な商品だったのです。(シェイクもね。)

ただ、私の記憶では扇屋ジャスコには本屋が無かったので店の中をうろうろした記憶が
いまひとつありません。 当時私はおしゃれに興味がないオタク高校生でしたから。

高校生当時、まだ半日授業があったのですが放課後にマクドナルドでハンバーガーを食べて
映画を見て帰る。 そんな日が月に1回あったら超ぜいたく、なんていう高校時代でした。


鎌取ジャスコの思い出といえば「忽然とできていたこと」です。

私が大学の頃市原市辰己台に住んでいる友人がいて原チャリ乗りの友人が
「あのあたりを通るとき街灯が無くて困る。」とぼやいていたものでした。

あの駅前はそのくらい何もない場所だったのですが、社会人になって他県で勤めて戻ってきたら
えらい繁華くさくなってびっくりしたものです。


そんな千葉市の歴史の語り部の名前も消えていってしまうんですね。
昔を懐かしんでも詮無いので今後のイオンの活躍に期待しましょう。

そんなイオンの店名変更セールで妻がお菓子の詰め合わせといっしょにゲットした
「きのこの山」のキャラクター「きの山さん」。


私は「たけのこの里」より「きのこの山」派なんですけど、このキャラはなんだかなぁ。

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15年前の数字

2010年05月18日 | 昔の話

先日スーパー銭湯に行った時の話。

靴を何番の靴箱に入れようかなぁ、って選ぶときに
なにげなく げんのいい数字として203番を選んだのですが、
後で何故その数字を選んだのか突然思い浮かびました。

私が独身時代5年間過ごした独身寮の部屋番号が確か302号室で
この数字を無意識にひっくり返して選んでいたのです。
(人間の脳はその手のアナグラムを無意識にやるものなのだそうです。)


あれから15年。

当時私が勤めていた会社のあった場所には大型スーパーが建ち、
独身寮は他社のものになっていました。 無常なものです。

それでも無意識に数字が出てくるんだから
人間の脳っていうのはたいしたもんだと思いました。


おぴょ

2010年04月13日 | 昔の話

先日、母の家の整理をしていたら若いころに私が買った小雑誌がでてきました。
「おぴょ」


TBSラジオで去年までやっていた
小堺 一機 氏と 関根 勤 氏の名物ラジオ番組「コサキン」の
大昔のリスナーの投稿集です。

昭和63年の出版物です。  関根さんも小堺さんも若いなぁ。

当時「コサキン」は2時間の深夜番組だったので
120分テープとオートリバースのラジカセを使用して
毎週録音して聞いていたものです。

ついでにこんなのも出てきました。


20年以上日の当たらない場所で保管されていたので妙に状態が良いです。

陰干しをしたら読み返してみようと思いますが、
今、あのテンションにはさすがについていけそうにありません。


ベアラー

2010年02月26日 | 昔の話

CNN ENGISH EXPRESS 3月号にオバマ大統領のノーベル平和賞受賞演説が
掲載されていました。

そのなかにbearerという単語が standard bearer という言い方で使われていました。

satndard bearer で 『軍旗を運ぶ者 = 旗手』 という意味と 『規律をもたらす者』
という意味のダブルミーニングで使われているようでした。 多分。
(standard には、日本人にお馴染みのスタンダードの意味=基準 , 規格 の意味
の他に旗 , 軍旗という意味もあります。)


bearerといえば元の意味は『使者 , 運搬する者』を指すのですが
南アジア(インド・パキスタン等)では従僕・召使いの意味を持ちます。
食事とかを運んでくれるからでしょうか。


南アジアの私達の工場のゲストハウスにもコックさんとは別にベアラーさんがいて
忠実に家事を働いてくれています。

下の写真はゲストハウスにて。
民族衣装を着ているのは同僚、私服なのがベアラーさんです。


私達は特にルール付けをしている訳ではないのですが
彼らの中には「主人より先に寝てはいけない」という不文律があるみたいです。

私達の議論が白熱して深夜に及ぶと、ふらふらになりながら
ちょっと離れたところで立って指示を待っているベアラーさんの姿を見て
「あぁ、これも楽な仕事じゃないんだなぁ」と思ったものです。
(2006年3月当時の話です。)


Presario CDS 524

2010年02月12日 | 昔の話

私とパソコンの付き合いは
15年前のCompaq社のDOS/VパソコンPresario CDS 524 から始まります。


こんなパソコン。 ネットで見つけて転記させていただきました。

当時私の在籍していた会社では
下っ端の私には自分用のPCは支給されず、忸怩たる思いをしていました。

その頃、第1子をみごもって妊婦だった妻とパソコンショップをぶらぶらしていて
特価で売られているのを見かけたのがこの一体型パソコンでした。

売り場でパソコンの前にたたずむこと1時間(多分)、
見かねた妻に声をかけられて思い切って買ったのが
私にとってはじめてのパソコンでした。

そんな訳で当時は会社でパソコンなし、自宅でパソコンをたしなむ逆転状況でした。


「馬鹿な子ほどかわいい」なんていいますが、
その意味では本当に可愛い子でした。このパソコンは。

記録のために性能を現在使っているノートパソコンの
Sharp Mebius PC-WE50S と比較してみしましょう。

以下、15年前のPresario(旧)、今のMebius(新)とします。

CPU (旧)Intel DX2  66MHz → (新)AMD Sempron 3200+  1.8GHz (1800MHz)
    ざっくり計算して定常的にクロック数が年間1.5倍になっている勘定です。
    技術の進歩、恐るべしです。

メモリ (旧)4MB → (新)500MB(買ってすぐ1Gに増設)
    いくらなんでも4MBは少なすぎでした。メモリが足りない影響で
    頻繁にハードディスクにスワップして画像を扱うとうんざりしたものです。

OS  (旧) Windows 3.1(しばらくして95に変更) → (新) Windows Vista
    なぜでしょうか、当時と今と起動時間が変わりません。
   むしろ今の方が長い。

ディスプレイ  (旧)14インチ256色 → (新)15.4インチ1677万色
    この桁違いの進歩!すごいですね。しかも液晶、軽量。

通信 (旧)モデム14400bps → (新)ADSL
    パソコン通信時代は良かったんですけどね。モデム。画像にはちょっと…。
    今はADSLで十分満足しています。光はお値段が、ねぇ。

ハードディスク (旧)  0.42GB (後に外付けディスク(ISA)を追加)
        → (新) 80GB (後に外付けディスク(USB)を追加)
    ISAっていうのはPCIバスより古い形式のバスです。
    昔の外付けディスクがクラッシュして、第1子が生まれた当時のデジカメ画像
    がなくなったのはいまだに悔やんでも悔やみきれないことです。
    皆さん、画像は2箇所以上で保存しましょうね。


で、そんな「馬鹿な子」のPresarioちゃんでしたが、
躾をするためにいろいろな設定をいじくりまくったり
フリーソフトをいろいろダウンローしてフォローしたりしたのが
今になって技術屋としての自分の仕事に役に立つんだから
人間なんでもやってみるもんです。

今となってはパソコンは動くのが当たり前、ソフトは直感的に動くのが当たり前の
時代になりました。

でも、その裏の基礎的な設定を当時学べたおかげで
何かあったときのフォローは多少きくようです。
それに、自腹で投資した勉強は忘れないものです。

Presarioちゃん、そして当時買うのに同意してくれた奥さん、ありがとうございました。