北大路機関

京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

【日曜特集】金沢駐屯地創設63周年記念行事(3)観閲行進から訓練展示へ(2013-09-08)

2018-10-21 20:12:40 | 陸上自衛隊 駐屯地祭
■対戦車中隊の観閲行進
 金沢駐屯地創設63周年記念行事は観閲行進から訓練展示へ進みます。

 普通科部隊、小銃や機関銃を駆使し近接戦闘に当たる部隊です。歩兵と旧称された普通科部隊は責任交戦範囲の観点からは500m以内を基本として担当し、特に100m以内に間合いを詰める近接戦闘では戦車や火砲を含めあらゆる戦闘部隊は普通科部隊に敵いません。

 89式小銃、5.56mm機銃MNIMI,対人狙撃銃、M-2重機関銃、110mm個人対戦車弾、01式軽対戦車誘導弾、84mm無反動砲、9mm拳銃、小銃班は多様な装備を有し近接戦闘に当たります、当然ですが一個小銃班が散開、個人用掩体や地形に隠れますとほぼ見えないというのですね。

 90式戦車の乗員の方にその昔、最大の脅威について聞いてみた事がありますが、脅威は意外や意外、最新の10式戦車ではなく110mm個人対戦車弾を抱えて一人待ち伏せる普通科隊員との不期遭遇、という答えでした。70km/hで走っていると気づかずやられるという。

 90式戦車は、しかし500m以上間合いを取っていれば負ける事はありません、100m以上であってもなんとかなるでしょう、しかし、歩兵の間合いに気付かず入ってしまうと、厳しい運命が待っています。だからこそ、基本的に戦車部隊は歩兵部隊と協同する訳ですね。

 近接戦闘部隊として普通科部隊はあらゆる地形と天候を克服し戦闘を継続します。戦車の機動力は凄まじいものがありますが、普通科はロープを用いれば断崖絶壁さえ踏破し追随は出来ません。航空部隊は山脈に海さえ飛び越えますが、悪天候では離陸さえできません。

 攻撃の基本は、突破・包囲・迂回、ですが実施の上で課題となるのは地形の克服です、これが無ければ迂回できない地形というものも多い、気象の克服は攻撃の持続性を左右するものですね。この、全ての地形と天候の克服を両立するのは、普通科部隊だけなのですね。

 射撃競技会や持続走競技会と銃剣道競技会、普通科部隊はこの三要素を中心に様々な協議会を重ね一人ひとりの個人の戦闘能力錬磨を期しています。射撃と銃剣術さえ大成したらば、基本的に戦闘が個人と個人の近接戦闘において負ける事は無い、という発想ですね。

 持続走競技会は、文字通り地形の克服を筆頭に普通科部隊の錯綜地形での機動力構築を期するもの。特に持続走の上に武装競争という完全武装での持久走競技会もあり、あらゆる地形克服には必要な素養を身に着けます。錯綜地形の多いわが国には必要な要素といえる。

 ソフトボール投げなど、競技会以外に自衛官体力検定という制度があります。怠けないように、という部分も大きいのでしょうがこの通り自衛官体力検定には様々な要素がありますが、この一つをとっても、例えば手榴弾投擲を筆頭に必要な素養を定着させるのが狙い。

 銃剣道競技会に加えて格闘競技会もあり、自衛隊ではこの種の訓練を通じて、しかし訓練中の事故を局限化する取り組みと併せ要員を錬成しています。訓練事故、誤った価値観では事故でもなければ軍隊は強くなれない、特に外国軍隊と自衛隊を比較する例もあります。

 訓練事故ですが、しかし、実任務の前に訓練で部隊が摩耗しては、定員割れを増やしたままで実任務に臨む事を強いるものであり、逆に訓練事故の根絶をそのまま訓練水準の低下に繋げない方法があるならば、事故を根絶する姿勢の方が武装集団としては必要でしょう。

 指導者の大量錬成と基礎教育の強化、実は格闘関連の教育での事故は中学校高等学校での体育授業中での事故の方が目立つことがありまして、自衛隊では文字通り必修の素養として訓練しているものですが、事故の回避にはどうすれば良いのかについて聞いてみた事が。

 結局、防具の正しい着用により順次挌闘に関しては基礎教育を積み重ね、修練度合いを客観的に判断した上で訓練度合いを高めて行く、この為には必要な指導者の数があり、これを揃える必要がある。つまり事故の確率を局限化する取り組みが反映されている訳ですね。

 徒歩機動40km、陸上自衛隊普通科部隊では火砲の射程の延伸等戦闘様相の変容に反映し、40kmを踏破し迂回攻撃や包囲機動を行う徒歩機動訓練を実施しています。勿論、装甲車や車両は装備されているのですが、基本的に車両のみで踏破できる地形だけではありません。

 完全装備の接敵行軍、相手との遭遇戦を想定しつつ徒歩機動での攻撃訓練を実施する、40kmの徒歩機動はその気になればそれほど困難ではなさそうに見えますが、完全装備で、しかも必要に応じ不整地や山間部を踏破し、しかも接敵行軍となると難易度は低くない。

 体力錬成と教育、自衛隊で特筆すべきは米軍などでは体力ピークが二十代前半として若さで支える、という認識なのですが、自衛隊では三十代半ばの陸曹が体力錬成と戦闘技術の到達点として考えている、というお話を聞いたことがありまして、この認識に現れている。

 遮二無二体力の伸びしろを若さに見出すのではなく、重いものをいかに効率的に梱包し、そして接敵行軍筆頭に戦闘に対応する感覚、各種技術と戦闘技術への応用等を実現するには、やはり若さだけで一朝一夕に行えず、錬成と教育が重要だ、という認識なのでしょう。

 教育というもの、錬成というものは重要ですが、しかしまれに現代戦、ミサイルやレーザーが飛び交う時代、そうは言いつつレーザーが飛び交うのは測距用や照準用なのですが閑話休題、しかし体力、銃剣術や小銃射撃がミサイルやレーザーの時代に対応するのか、と。

 ミサイルやレーザーの時代、ではあるのですが、しかし戦闘は基本的に人と人の闘争の拡大と集団化ですので、我の意志が彼の意志を屈曲させなければ成り立ちません、そして第一線という表現が、その一線に人間が立って成り立たせているものという視点が重要です。

 第一線が維持できるか瓦解するかは、やはり収斂するのは個々人の技量となるものです。この部分で部隊を構成する個々人の素養を教育し錬成しているかが、一例として近接戦闘、市街地での一対一の状況や小部隊戦闘において具現化し、冷厳な損耗率に反映するという。

 その上で、現代戦はミサイルやレーザーがすべてではないのですが、個人携帯対戦車弾や車両操縦と車両整備、測距や標定と計算術や通信機器の操作と、個々人が生き残ったうえで必要とされる能力や技術が多様化しており、一朝一夕に養成できるものではありません。

 多種多様な技術を有していても、また、ミサイルがどのように長射程化しようとも、レーザー照準や測距といった技術が発展しようとも、最後の決着をつける部分は人が担うものである訳ですから、この部分が瓦解しないよう、個々人の戦闘技術が影響する訳ですね。

 ここに積み重ねの教育の重要さが有る。その上で、例えば徒歩機動一つとっても、ヘリコプターを多数保有していても堅固な防御陣地正面に攻勢を期して着陸したらば忽ちのうちに砲迫で制圧されますので一定の徒歩機動が必要、装甲車もどこでも走れるわけではない。

 この連隊は精強です、という紹介をOBの方から受ける事がありますが、根拠なしの自負ではなく、教育訓練と戦術に各種相違への挑戦と研究、個々人の要員錬成と競技会、この部分まで踏まえて、自衛隊は強い、と自負できる背景があるのだろうなあ、と考えます。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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【くらま】日本DDH物語 《第四八回》はるな型護衛艦の更なる量産案と大型艦建造移行案

2018-10-20 20:10:31 | 先端軍事テクノロジー
■はるな-ひえい,将来護衛艦模索
 日米対潜特別訓練は多くの成果と意外な課題という将来への貴重な一歩となりました。

 ひえい、はるな、日米訓練を経てパッシヴオペレーションへの移行という部分で設計当時知り得なかった最新鋭の情報に接する事となるのですが、これは同時にアメリカ海軍が海上自衛隊を日本国家の沿岸部を防備するだけの文字通りの自衛隊と考えるのではなく、日米安全保障条約という文字通りに、同盟国の友邦海軍として認識が変容した証といえるかもしれません。

 たかつき型、みねぐも型、海上自衛隊には多数の国産護衛艦が整備されていますが、パッシヴオペレーションへの移行の遅れは敢えて書き足しますが、はるな型だけのものではありません。もっとも、パッシヴオペレーションへの移行はソ連海軍もアクティヴオペレーションが基本となっていまして、当然ですが最新鋭ひえい、はるな、だけの問題ではない。

 フレッチャー級はギアリング級の供与艦を運用していた海軍も多い時代、勿論、第二次大戦中の水上戦闘艦を主力としていた台湾海軍や韓国海軍をはじめアジア各国、具体的にはこの両国は大型水上戦闘艦がすべて第二次大戦時代のものでしたし、中国海軍にはそもそも大型水上戦闘艦がありませんでしたので自衛隊だけが旧式、というわけではありません。

 海上自衛隊は、しかしその周辺国の技術的遅れに安堵することはなく、その後にマスカーの追加やスクリューシャフトの改良、機関部の防音構造など様々な施策をおこなっています。マスカーは船体から微細気泡を発生し包むことでアクティヴソナーなどによる索敵に対抗するもので、くらま訓練航行時には確かに船体が白い気泡で包まれている写真がある。

 防音構造などは設計時から配慮しなければ追加できる水準は限られるのですが、しかし、2009年まで現役にあった護衛艦はるな、騒音は周りの任務を妨害するほどのものとは言われていませんので、改修は成功したのでしょう。リムパックではその後、海上自衛隊は米海軍航空母艦の直衛を担う事も多くなり、対潜戦闘能力の改善が成功した事を意味します。

 はるな型を四隻六隻と増強するのか、より大型の護衛艦を建造するのか、海上自衛隊の視点は大きく論争を巻き起こすこととなります。もう少し大型の護衛艦の方が航空機整備などで利点がありますし、発着ひとつとっても船体が大型となれば動揺も減退させられますし、船体を大きくすることで乾舷を高くとることができれば、航空機運用能力を高めます。

 飛行甲板が波浪に洗われることも少なくなりますので乾舷が高いという事は意味がありまして。これは運用性能に直結する。実際、時は流れて13500t型護衛艦が検討された当時、格納庫を上部構造物内に設ける試案の一つがイメージ図として提示された際に乾舷が低くなり飛行甲板に波浪が押し寄せ前甲板航空機運用能力が阻害されると識者が指摘しました。

 しかし、大型化を指向しますとどうしても避け難い視点は、必要な性能を盛り込めば護衛艦はどんどん大型化してゆくという事です。これ自体は必要ならば仕方ない選択肢の帰結なのですが、大型化し建造費が増大し、重要なのは此処ですが、海上自衛隊の予算で必要な数を量産できなくなっては意味がありません、その上で当時日本は今ほど豊かではない。

 重要な視点は二つあり、艦載機を3機のままで良いのかという視点、また航空機格納庫を上部構造物に一体化させるだけでよいのかとの視点、この二つが大きくなります。要するに4機程度搭載する必要性、6機搭載するという選択肢、上部構造物ではなく船体に格納庫を配置し飛行甲板までエレベータにより展開収容させるとの選択肢が生じてくるわけです。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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平成三〇年度十月期 陸海空自衛隊主要行事実施詳報(2018.10.20-10.21)

2018-10-19 20:03:32 | 北大路機関 広報
■自衛隊関連行事
 秋の景色が広がる中に伊丹の帰路に尼崎駅でG7X落としましたが、皆様いかがお過ごしでしょうか、当方や漸く修理完了のお知らせを受けた今日この頃です。

 第13旅団創設記念海田市駐屯地祭、広島都市圏を筆頭に都市部が広がる山陽地方と日本海沿岸の山陰地方を警備管区とする第13旅団の創設記念行事です。第13旅団は第13師団から陸上自衛隊初の師団旅団改編を経て創設された部隊です。旅団管区は本年の西日本豪雨災害にて甚大な被害を受け、旅団は即応予備自衛官召集を含め全力で出動し対応しました。

 八尾駐屯地創設記念エアーフェスタ、中部方面航空隊本部が置かれており、駐屯地は旧大阪第一空港たる八尾空港、隷下に中部方面ヘリコプター隊や第5対戦車ヘリコプター隊を有し、中部方面ヘリコプター隊は本年新たにCH-47輸送ヘリコプターを運用する第3飛行隊が美保分屯地へ新編を完了しました。住宅街に浮かぶ飛行場ですが大編隊の規模は凄い。

 姫路駐屯地創設67周年記念行事、第3師団隷下の第3特科隊と第3高射特科大隊が駐屯する兵庫県の駐屯地で、高台の駐屯地からは5km先に姫路城を望見します。FH-70榴弾砲を装備する第3特科隊は将来的に中部方面特科連隊への統合を予定している。駐屯地祭は午前中の観閲行進と訓練展示に続き、午後から第二の展示、姫路レンジャー展示が行われる。

 秋田駐屯地創設66周年記念行事、第9師団隷下の第21普通科連隊と第11施設群隷下の第357施設中隊が駐屯しています。師団普通科連隊ということで部隊規模は大きく、本部管理中隊と5個普通科中隊に重迫撃砲中隊という陣容です。74式戦車とFH-70榴弾砲支援下で施設中隊と共に前進する普通科連隊の雄姿、定番の展示故に充分視ておきたいものですね。

 久里浜駐屯地創設62周年記念行事、陸上自衛隊通信学校の置かれる横須賀市の駐屯地です。通信学校は陸上自衛隊通信科部隊の専門教育及び幹部教育と新装備評価試験に戦術研究を行う機関で各種新装備を含めた装備品展示等が主な行事です。通信学校は本年の富士総合火力演習に開発中の新型電子戦装置を展開させていまして、その詳細も知りたいところだ。

 下総航空基地開設59周年記念行事下総航空基地祭、千葉県柏市の航空基地です、下総と聞き房総半島南部と誤解される方がいますが千葉市のお隣にある。教育航空集団司令部や海上自衛隊第3術科学校と海上自衛隊航空補給処下総支処等が展開しています。航空部隊として下総教育航空群第203教育航空隊のP-3C哨戒機が配備されており、展示飛行も行う。

 小月航空基地祭スウェルフェスタ2018、小月航空基地の航空基地祭です。小月航空基地は山口県下関市に所在していまして、基地は小月泊地に隣接、海上自衛隊のT-5初等練習機を運用する唯一の航空基地です。T-5練習機は外見からは特殊な並列複座型の機体で第201教育航空隊に配備、固定翼基礎課程としてP-3C哨戒機やP-1哨戒機の操縦要員を養成します。

 さて撮影の話題。74式戦車は撮れるうちに撮っておいた方が良い、これは61式戦車が引退する時期に十分とっておかなかったという方々のお話なのですが、確かにその通りです、といいますか今津駐屯地から61式戦車が完全に引退したのが2000年、2000年まで駒門駐屯地にも配備されていましたので、この近辺では61式戦車は割と最後の方まで観る事が出来た訳ですが。

 戦車大隊は元々戦車中隊数が師団普通科連隊の数と同数があり連隊戦闘団編成時には戦車中隊が配属されるという運用出たのが、戦車定数を900両、600両、400両、300両、と毎回縮小するごとに連隊戦闘団へ配属できる戦車が4両、アメリカ海兵隊の大隊戦闘団にあたるMEU海兵遠征群でも5両配備されているというのに、と寂しい状況となりました。

 873両が量産された74式戦車も中隊数ではもうかなり減りました、岩手に2中隊、大和に1中隊、富士地区に4中隊、今津に4中隊、日本原に1中隊、玖珠に1中隊、16式機動戦闘車と10式戦車にどんどん置き換えられています。富士地区と大和については年度末改編で恐らく16式へ代替が完了、今津と玖珠についても来年度末減る、撮れる時間は僅かです。

■駐屯地祭・基地祭・航空祭

・10月20日:秋田駐屯地創設66周年記念行事…http://www.mod.go.jp/gsdf/neae/akitasta/
・10月20日:下総航空基地開設59周年記念行事…http://www.mod.go.jp/msdf/simohusa/
・10月20日:久里浜駐屯地創設62周年記念行事…http://www.mod.go.jp/gsdf/sigsch/
・10月21日:八尾駐屯地創設記念エアーフェスタ…http://www.mod.go.jp/gsdf/mae/3d/yao/
・10月21日:姫路駐屯地創設67周年記念行事…http://www.mod.go.jp/gsdf/mae/3d/himeji/home.htm
・10月21日:第13旅団創設記念海田市駐屯地祭…http://www.mod.go.jp/gsdf/mae/13b/
・10月21日:小月航空基地祭スウェルフェスタ2018…http://www.mod.go.jp/msdf/oz-atg/

■注意:本情報は私的に情報収集したものであり、北大路機関が実施を保証するものではなく、同時に全行事を網羅したものではない、更に実施や雨天中止情報などについては付記した各基地・駐屯地広報の方に自己責任において確認願いたい。情報には正確を期するが、以上に掲載された情報は天候、及び災害等各種情勢変化により変更される可能性がある。北大路機関
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新防衛大綱とF-35B&EA-18G【20】F-35B艦上哨戒機,自衛艦隊と政府与党の理解共有

2018-10-18 20:08:12 | 先端軍事テクノロジー
■F-35B,局地防空用には限界
 F-35B戦闘機について、艦隊の哨戒機としては必要ですが艦上からの局地防空として導入するならば、その能力は疑問が残ります。

 F-35B,垂直離着陸を可能とした世界唯一の第五世代戦闘機、この意味するところは海上自衛隊が保有するヘリコプター搭載護衛艦ひゅうが、いせ、いずも、かが、四隻の艦上から運用が可能という点です。新防衛大綱検討に際し、自衛隊へF-35B導入を模索する自民党提言は明らかに海上自衛隊ヘリコプター搭載護衛艦上運用を想定しているものでしょう。

 しかし、F-35B運用について自民党と海上自衛隊の同床異夢といいますか、F-35B戦闘機の能力についてどの程度、運用特性の理解を共有できているのか、という視点を付け加える必要があります。F-35Bは固定翼艦上哨戒機として必要であるとは考えます、しかし要撃機として用いるのならば、ヘリコプター搭載護衛艦の能力限界を超える可能性がある。

 ひゅうが型護衛艦、基準排水量13900tと満載排水量19000tの新しい全通飛行甲板型護衛艦は、元々F-35B開発のJSF計画に際してイギリス海軍が基準排水量16000t満載排水量22000tの航空母艦インヴィンシブル級艦上において運用する想定で開発が開始されており、ひゅうが型の船体規模がF-35Bを艦上運用する上で必ずしも過小であるとはいえません。

 第五世代戦闘機を搭載可能、しかし、F-35Bをどのように運用するかについて、船体規模がその運用に一考の余地を残すものとなるかもしれません。具体的に海上自衛隊がF-35Bを必要とする状況はセンサーノードとしての運用、ステルス機であるF-35Bが長射程化する対艦ミサイル射程内の索敵と目標標定を行う、こうした任務が想定されると考えます。

 SH-60J/K哨戒ヘリコプターが現在、この任務に用いられています。SH-60J/Kは対潜任務から洋上哨戒に対小型水上目標対処に大きな能力を発揮出来る高度な艦載機です。しかし、哨戒ヘリコプターである為、ステルス性や空対空戦闘能力は元々要求されず皆無であり、例えば中国海軍のような長射程艦対空ミサイルと航空母艦戦闘機脅威下では運用が難しい。

 RAH-66偵察ヘリコプターのようなステルス性の有する機種、RAH-66は開発中止となりましたので、こうした機体を必要とするならば独自開発するほかありませんが、仮にステルス性を有する航空機があれば限定的に空母艦載機等の経空脅威状況下において運用する事は可能となるかもしれません。ただ、費用面性能面技術面で開発は現実的ではありません。

 センサーノードとしてF-35Bを少数搭載するならば、ひゅうが型艦上に5機程度、いずも型艦上に7機程度、戦闘機としては少ないよう考えられる数字ですが、あくまで哨戒機や哨戒ヘリコプターの延長線上という意味で必要な数を提示しました。正直なところ、センサーノードとして運用するならば、哨戒飛行に1機から2機滞空させれば充分なのです。

 要撃機として用いる場合はどうか、自民党提言に置いうてF-35B運用では、南西諸島防空能力の補完、具体的には中国軍ミサイル爆撃機巡航ミサイル攻撃により那覇基地や嘉手納基地が機能喪失した場合に一時的に要撃任務を補完するために護衛艦からF-35Bを緊急発進させ、対領空侵犯措置任務と航空優勢維持任務に充てる、という意見があったようです。

 ヘリコプター搭載護衛艦の艦上から要撃任務を実施する場合、飛行隊規模のF-35Bを搭載し、航空燃料と航空機用弾薬を搭載できる充分な母艦能力が必要となり、基本的に対潜中枢艦として設計のヘリコプター搭載護衛艦には、そこまでの弾薬搭載能力や燃料搭載能力に余裕があるとは思えません。自民党はどこまでこれらを理解しているのかが重要です。

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【京都発幕間旅情】尼崎城,平成から未来へ再建進む桜井松平氏の複合式層塔型四重四階天守閣

2018-10-17 20:06:58 | 旅行記
■平成時代いちばん新しい天守閣
 尼崎城、行って参りました。1873年廃城令により失われた天守閣、その再建が進む様子を紹介しましょう。

 平成の御世も天皇陛下が御譲位され本年限り、即ち平成最後の年という事になりました。平成最後の、という言葉ですが考えれば様々な紀元の節目というものがあるものでしょう、そして平成最後の天守閣、というものが現在11月の落成に向け建設が進められています。

 尼崎城、兵庫県尼崎市へ再建が進む城郭です。今年十一月に落成予定ですが、夏には天守閣の再建部分がほぼ完成しました。考えてみますと建設が進む天守閣の様子というものは中々見る事が出来ず、その威容はかの、台風21号や台風25号の強風にも耐え抜きました。

 琴浦城とも呼ばれる尼崎城、大垣より戸田氏鉄が移封された尼崎城は1618年には複合式層塔型四重四階の天守閣を冠しました。大垣城や急斜面を徒歩で踏破した赤坂明星輪寺、この様子は既に紹介しましたが、戸田氏鉄はこの道中記にて所縁の人物として紹介しました。

 安土桃山時代の天正年間まで遡れば、この尼崎城という名は荒木村重が主君織田信長へ反旗を翻した際、籠城した有岡城、伊丹駐屯地と千僧駐屯地の近く、この有岡城が落城の際に落ち延びた先が尼崎城、先月再放送のNHK大河ドラマ軍師官兵衛にて紹介されています。

 猪名野神社として伊丹駅前の有岡城縄張りの遺構が延びていますが、この有岡城と並ぶ尼崎城は、しかし、今日の尼崎城とは異なる場所にあり、これを区別して尼崎古城と呼ばれているとも。そして江戸時代に造営された壮大な城郭が、現在、再建されつつあるという。

 桜井松平家が尼崎藩主として正徳年間の1711年に移封、幕末までこの地を治めています。最後の藩主松平忠興は日本赤十字創設に尽力した事でも知られ、実は現在進む天守閣再建はその建物こそ新しいですが、江戸初期の天守閣を再現するという壮大な取組なのですね。

 阪神尼崎駅、元々尼崎城はこの目の前にありましてその周りの大物川と庄下川といった河川も外堀として機能していたという、そして城郭の遺構は明治以降、廃城令により地上に残るものはありませんが、指呼の距離にある桜井神社は城郭遺構に建立されている、とも。

 桜井神社へ昨年、散策途中に道に迷った御縁で参拝し興味深く本殿を眺めていたところ、宮司の方にご案内を頂きまして、目的地の難波八幡神社、戦艦榛名マストが現存する神社が見当違いの場所という事と尼崎空襲の話、そして尼崎城のお話を聞かせてもらいました。

 戦艦榛名マストにはその後に辿り着きまして、成程見当違いの場所を散策していたのだなあと、ふらり旅の塩梅は難しいという実情を知りました次第ですが、今まさに再建途中である城郭の天守閣が直ぐ間近にある、と奇遇な話題には少々興奮を覚えました次第です。

 複合式層塔型四重四階天守閣は明治初期の1873年廃城令により取り壊され現存しません。ただ、桜井松平氏はいち早く新政府へ恭順の意を示した事で徹底的な破壊は免れ、本丸御殿などは残りました。しかし、その本丸御殿も第二次世界大戦中の空襲で全損してしまう。

 安保詮氏、尼崎城は遺構だけとなりましたが転機となったのは一人の実業家の篤志でした。旧ミドリ電化、現エディオンの創業者である安保詮氏が創業の地に恩返ししたい、としまして私財10億円を寄付、これにより長く城址公園であった跡地へ天守閣が再建されます。

 平成最後の天守閣は来月落成、2019年の早春から内部一般公開が予定されています。この撮影は中部方面隊創設記念伊丹駐屯地祭の帰路、有岡城前から転進し撮影、更にこの十数分後に撮影したG7Xを落として壊す残念な事となりましたが充実した撮影となりました。

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ポール-アレン氏逝く,Microsoft共同創業者で海洋冒険家-戦艦武蔵や巡洋戦艦フッド等発見

2018-10-16 20:00:00 | 北大路機関特別企画
■マリアナの翔鶴&大鳳へ挑む
 ポール-アレン氏が亡くなりました、Microsoft共同創業者で海の墓標というべき戦没艦探索で有名な方です。

 Microsoftをビル-ゲイツ氏と共に創業した実業家で海洋冒険家のポール-アレン氏が15日、亡くなりました。ポール-アレン氏はMicrosoft創始者という資産家でもあり、現在投資会社であるバルカン社を経営する実業家でもあり、世界各地の海の墓標というべき第二次大戦中の戦没艦に関する沈没位置の発見と調査で知られる海洋冒険家でもあり、肩書は多い。

 人生とは生きてゆく事だけを目的とするのではなく、何かをする為に生きてゆくべきものであるし、それが自分のやりたいことと重なる、努力により重ねられるならば、その一生はより良いものとなる、という事を考えさせられる生き方をされました。宇宙開発や環境保護など様々な足跡を残されましたが、多くの資産を海洋冒険に投じた事は長く記憶されましょう。

 非ホジキンリンパ腫の再発が65歳というこれからの人生に終止符を打つ事となったとの事で、9年前に寛解したとの事でしたが再発したという。ビル-ゲイツ氏とは高校時代の同級生との事で、高校卒業後にプログラマーとして働きつつ、当時ハーバード大学在学中のビル-ゲイツ氏を誘い、1990年代に世界最高の時価総額を有するMicrosoftを発芽させる。

 戦艦武蔵発見、ポール-アレン氏の功績はこの一点だけでも有名でしょう。2015年3月3日にフィリピンのシブヤン海にて第二次世界大戦末期の大海戦、恐らく人類史上あの海戦を越える海戦は起きえないであろうレイテ沖海戦にて撃沈された戦艦武蔵を発見し一躍有名となりました。戦後米軍や日本が幾度も調査し発見出来なかった武蔵を発見しました。

 武蔵はフィリピンへ逆襲した米軍撃滅へ戦艦大和等稼動戦艦全てと共に四方向から撃滅へ向かった艦隊の主力、戦艦大和や金剛と榛名や長門と共に栗田艦隊に所属、航空攻撃を一手に受け沈みました。しかし一説には重防御を誇る大和型、水密区画が多く撃沈された後予備浮力で浮遊し太平洋に出たとさえ言われ、20世紀の謎でしたが8年間の調査で解明へ。

 フッド、イギリス最大の巡洋戦艦であり、戦艦ビスマルクの大西洋進出阻止へ僚艦プリンス-オブ-ウェールズと共に向かい38cm艦砲が弾薬庫を直撃され瞬時に北海に沈んだ巨大巡洋戦艦も2012年に発見、乗員の僅か数人は爆風で放り出され生存しましたが大半の乗員は艦と運命を共にし、生存者が希望した号鐘の回収も2015年に改めての調査で実現しました。

 インディアナポリス、太平洋艦隊のスプルーアンス提督が故郷の艦名として旗艦に用いた重巡洋艦を2017年8月18日に海底で発見したのもポール-アレン氏の探索チームです。インディアナポリスは広島投下の原爆関連資材をマリアナ諸島に輸送、その帰路に我が伊五八潜水艦に捕捉され撃沈、原爆輸送は極秘任務であった為、救助が遅れた事でも有名に。

 山城、扶桑、2017年12月にはフィリピンのスリガオ海峡において、レイテ沖海戦に参加し四方向から攻撃に向かった部隊の一つ、優勢な米海軍の待伏せに怯まず突き進んだ西村提督隷下の部隊、駆逐艦一隻を残して全滅した艦隊の戦艦山城、扶桑、駆逐艦朝雲、山雲、満潮を発見し、同じ海域で沈んだ重巡洋艦最上の探索もこの発見時に示唆されています。

 レキシントン、史上初の空母部隊同士の海戦である珊瑚海海戦に沈み、CV-2としてアメリカ海軍が建造した二隻目の航空母艦、最初の空母ラングレーが実験艦的な要素が大きく最初の艦隊空母、2018年3月5日に発見しました。珊瑚海海戦では米海軍はレキシントンとヨークタウン、我が国も空母翔鶴、瑞鶴、祥鳳で向かい、祥鳳を失いつつ日本が勝利する。

 翔鶴と大鳳、推測ですが、ポール-アレン氏の探索チームは史上最大の空母決戦となったマリアナ沖海戦に沈んだ日本空母の探索を行っていたようです。これはNHKが10月11日に特集した“マリアナ沖に眠る沈没軍艦を探せ”として世界で初めて調査同行が認められた取材に、艦名を明かせないが二隻の軍艦を探している、と翔鶴と大鳳を思わせる示唆が為されています。翔鶴と大鳳、存命中の発見は間に合いませんでしたのが残念でなりません。

 マリアナ沖海戦の戦没艦は深海に在り、非常に探索が難しい事が予見されていました。NHKでの特集は過去には基本的に発見後に発表される為、探査中の報道は稀有と思っていましたが、ポール-アレン氏病気再発と関係はあるのでしょうか。氏は沈没艦探査について、これからの平和を考えるには先ず過去に何があったかを知る事だ、としていました。勿論膨大な費用を要しますので継承する方は難しいとは思いますが、その姿勢にはなるほど、と深く考えさせられるものがありました。心からのご冥福をお祈りいたします。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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自衛隊観閲式(平成30年度自衛隊記念日)安倍総理観閲官に挙行,国民と自衛隊-観閲式の在り方

2018-10-15 20:07:18 | 国際・政治
■神宮外苑観閲式時代と朝霞
 日曜日昨日、平成30年度自衛隊観閲式は安倍総理を観閲官に迎え盛大に挙行されました。

 自衛隊中央観閲式について、一般公開を行う選択肢はないのか、今回はこの点について考えてみましょう。自衛隊中央観閲式は陸海空自衛隊持ち回りで三年に一度、陸上自衛隊朝霞駐屯地朝霞訓練場地区において挙行される自衛隊記念日記念行事、海上自衛隊主催の自衛隊観艦式、航空自衛隊主催の航空観閲式、とともに陸上自衛隊が主催する国家行事です。

 内閣総理大臣を観閲官に招き、主権者により選ばれた国権の最高機関である国会から選ばれた行政府の長に対し、国家予算と防衛政策に依拠した我が国防衛力の水準について、自衛隊が観閲を受ける行事です。しかし、総合予行と観閲式が招待者には公開されているのですが、その見学は簡単ではありません。一方、本来観閲式は国民に示すものではないか。

 朝霞訓練場において実施された中央観閲式、これは田中角栄首相の田中内閣時代から朝霞訓練場での実施が続いており、その歴史は40年を越えます。一方、朝霞訓練場に移転する前は陸上自衛隊観閲式は神宮外苑、つまり都心で行われていたのです。この時代の観閲式も自由観覧が出来るものではありませんが、移動の部隊を自由に見学する事は出来ました。

 神宮外苑での陸上自衛隊観閲式、都心での観閲式実施ですが都心には当時、東部方面総監部と第32普通科連隊がおかれた市ヶ谷駐屯地しか部隊は無く、市ヶ谷駐屯地から神宮外苑は離れていると共に、その市ヶ谷駐屯地も観閲式参加部隊の一時待機に用いる事が出来る程の収容能力はありません。ですから、観閲式参加部隊は朝霞駐屯地に待機したのですね。

 観閲式は本来主権者である国民が、血税として托した税金が我が国の主権と平和主義維持へ必要な水準に足している事を確認する国家行事です。そして神宮外苑で挙行されていた時代は、明治神宮外苑から朝霞駐屯地まで15km、観閲式参加部隊は戦車や装甲車両とミサイルに高射機関砲と自走砲やロケット砲と火砲、部隊毎梯団を組んで自走していたのです。

 首都圏交通量増大と共に戦車ひとつとっても74式戦車へと大型化、観閲式参加部隊を朝霞訓練場から神宮外苑まで大規模な交通規制を行い機動させることが年々難しくなり、田中内閣時代に式典会場を車両待機位置に隣接した朝霞訓練場にて行われる事となったのです。しかし、朝霞訓練場と朝霞駐屯地は川越街道に隣接し、都道108号線で隔てられている。

 都道108号線は自衛隊観閲式実施日には交通規制が引かれますので、言い換えれば観閲官たる内閣総理大臣へ敬礼とともに式典に参加した部隊が、そのまま朝霞訓練場から駐屯地とを隔てる都道108号線を通り朝霞駐屯地へ移動するならば、観閲式会場は保安上の必要性から一般公開が不可能としても、都道108号線沿いの朝霞駐屯地を縦断する1km区間だけでも一般公開する事は不能か。

 練馬駐屯地が朝霞駐屯地から川越街道を通り5kmの位置にあります。神田祭の様に三年に一度の式典なのですから交通規制を行い、この5kmだけでも一般道を観閲部隊が移動し一般に広く展示する事は出来ないか。もちろん50tの90式戦車が梯団を組んで大隊規模にて移動するならば、最高速度70km/hを発揮できるとはいえ安全上難しい部分はあるかもしれません。参加部隊全てではなく、例えば16式機動戦闘車等即応機動連隊等であれば、この距離を移動し実質観閲式を公開する事は出来ましょう。

 お台場で中央観閲意識を行う事は出来ないか、2000年頃に当時の石原東京都知事が打診したものです。埼玉県の遠い場所で国民から見られない式典を行うならば、敢えて都心の臨海地域で、という提案でした。勿論実現はしませんでしたが、主権者である国民が観閲式を視ようにも報道やWebでのみ、という状況は少々不可思議である様に思えてなりません。御上と役所の行事から脱却し、国民と自衛隊の観閲式を模索するべきではないか、と思います。

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新幹線国際輸出研究【1】十月十四日は鉄道の日,日本が誇る鉄道システムの世界化を考える

2018-10-14 20:12:56 | コラム
■十月十四日は鉄道の日
 十月十四日は鉄道の日、ということで今回から日本が誇る鉄道システム、その輸出について考えてみましょう。

 新幹線、京都から東京へ移動する際にこれほど便利な交通手段はありません、次々運行される運行本数はそのまま利便性、伊丹空港経由の空路よりも遥かに早い。2003年以降食堂車が廃止され15年を経まして、この一点は寂しい限りですが、運賃体系を除けば、世界に誇れる日本の技術体系です。しかし、この輸出となりますと、現実問題として奮いません。

 高速鉄道の需要自体は、あるようです。世界での高速鉄道開発誘致が行われている事が何よりもの証拠です。しかし、価格競争となりますと中国の一帯一路政策に基づく高速鉄道建設は、競争する背景が異なる点に留意が要る。しかし、日本新幹線方式には、在来線飽和状態解消を目的とした鉄道である為、新興国市場への最適化で費用を低減できましょう。

 一帯一路政策、中国政府は国内で飽和状態の高速鉄道建築資材を流用し、赤字であれば運営を99年間継承する、建設費を改修するまで中国が責任を持つ等、現状実質、後払い方式で結果的に運営権そのものを敷設受入国から割譲する方式を執る為、領土的野心に繋がる策謀を持たず純粋に高速鉄道を供給する日本の新幹線は単純に競争する事は難しいのです。

 新幹線輸出に関する一考察、我が国新幹線技術は高頻度輸送に重点を置き、従来の東海道本線の幹線機能を補完する鉄道網として整備された新幹線、新しい幹線です。この新幹線は結果的に高速鉄道の形態をとっていますが、もともとは高速輸送を実施することで複線線路上での時間当たりの最高頻度輸送を実現する、速度は輸送力のための手段でした。

 日本の新幹線輸出、我が国新幹線技術は大型車両と専用軌道を必要としますが、世界では最高速度300km/hという高速鉄道としての能力が高く評価され、世界各国が自国への高速鉄道計画を立案する際、国際競争入札へ日本の新幹線を有するJR各社、フランス高速鉄道、中国高速鉄道、ドイツ高速鉄道車両メーカー筆頭に最有力視される高性能を有しています。

 中国高速鉄道は日本のJR東日本からの技術提携を受け、急速にキャッチアップを実現したことで建設費用面では世界最安の高速鉄道技術を実現しました。我が国新幹線技術は高速輸送を目的とするのではなく、高頻度輸送のための高速輸送を手段としたものである為、単純に高速輸送を手段とする中国高速鉄道との比較は妥当ではないのですが建設費が安い。

 国際競争入札という方式をとる場合、どうしても日本の新幹線システムは費用面で如何ともしがたい難点を抱えていることは否めません。専用軌道を必要とするために必然的に全線新設が前提となりますし、輸送力を考慮すれば必然的に車両が大型化します、その上で最高速度よりも巡航速度、鉄道は表定速度の用語がありますが、重視するのはこちらです。

 新幹線は表定速度重視の視点から加速性能と原則性能を重視しており、結果分散動力方式を採ります。分散動力方式は基本的にすべての車両にモーターを搭載し、車両が一つのシステムとして加速と減速にあたるもの。この方が短時間の加速が可能となります。しかし、欧州はじめ世界の主流は機関車方式であり、先頭車両と最後尾車両を機関車とするもの。

 フランスTGVの高速車両は機関車方式高速鉄道の代名詞的存在でした。TGVの車両を見れば先頭車と最後尾車両には客室の窓がなく、この車両が機関車である事が理解できましょう。現在、TGVメーカーであるアルストム社は新幹線方式である分散動力方式の利点を理解し、その上でコスト面と高速車両性能の均衡について漸く結論を出しつつあります。

 分散動力方式は加速性と減速性能に優れています、これは減速性能により緊急時の急停車などに電気指令式ブレーキによる短距離制動という利点に繋がるのですけれども、やはり重視されるのは高頻度運転を行う際に後続列車を素早く発車できるよう先行列車が高加速し、緻密なダイヤグラムでの運行を可能とするために他なりません、輸送力が第一です。

 東海道新幹線が輸送力を第一とした設計であるのは、すべての車両を16両編成1322座席を基本とし、高頻度運転時には5分間隔での高速運転を実施しているためです。この高頻度運転には分散動力方式による加速性能と減速性能が重要となるのですけれども、一方で分散動力方式は車両整備での大きな負担を意味します、全車両に動力があるのですから。

 新興国や航空輸送大国では、高速鉄道の利点を輸送力強化への手段として理解していることは確かなのですけれども、同時に最高速度での輸送を考えていることも確かです。結果、日本ほどの高頻度運転が必要な輸送需要がある訳でもなく、結果的に建設費用を考慮すれば日本の新幹線方式よりもコスト面で優位な中国高速鉄道が有利となる構図があるのです。

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韓国国際観艦式2018,国旗専揚軍艦旗拒否要求に全参加艦艇拒否と戦闘旗や弔旗掲揚で抗議

2018-10-13 20:14:15 | 国際・政治
■日本不参加と韓国海軍さえ拒否
 韓国国際観艦式、国威発揚行事が此処まで荒れた事は世界海軍史上中々聞きません。韓国の将来を考えればむしろ中止した方がよかったようにも。

 韓国国際観艦式は国旗のみ掲揚を参加各国に求め軍艦旗掲揚を行わないよう韓国政府が求めた事で、軍艦旗を下す事は降伏と武装解除を意味するため、大荒れとなりました。自衛隊は不参加、外国艦艇当初参加予定19隻のうち、さらに4隻が急遽参加中止や当日到着せず、という措置を執り、外国艦艇15隻が参加しました。韓国政府による軍艦旗不掲揚の要請はすべての参加艦艇が無視しました。

 申し訳ないが、これは歴史に残る醜態です、率直に言って申し訳ない。そういうのも、韓国海軍さえ李氏朝鮮時代の軍旗を掲揚したほど。しかし、軍艦旗不掲揚を求めた要請は一部では日本だけに出されていたのではないかとの憶測がありましたが、戦闘旗や弔旗で抗議する国があった為、全ての参加国に示されていた事だけはわかりました。一部中継映像や報道映像からロシア海軍が軍艦旗を下げたとの分析がありましたが、観艦式にはロシア海軍旗がマストに高らかと掲げられました。

 アメリカ海軍の空母ロナルドレーガンは国際観艦式へ参加しましたが、韓国寄港予定地への入港は反対運動により断念しました。国際観艦式への招きに応じた同盟国の艦艇を結果的に入港させなかったという、客人を招きながらも玄関先で断ることは非礼にも思え、韓国政府は国際観艦式の意義を国民へ広報する努力を充分行ったのか、という部分で残念です。

 ロシア海軍は艦尾に軍艦旗を掲げず参加しました。代えて軍艦旗はマストに高らかと掲げられ、主催国韓国の韓国国旗よりも高い位置に掲げられています。通常、国旗は式典で同じ高さに掲げ、観艦式では主催国に留意するのですが。ロシア海軍は日露戦争開戦初日の仁川沖海戦におけるワリャーグの奮戦に示されるように、売られた喧嘩は必ず買う、という事なのでしょうか。しかし、これで韓国海軍は今後、ロシア海軍から同様の要求がある可能性も配慮する必要が生じる。

 オーストラリア海軍、ロシア海軍、カナダ海軍、ヴェトナム海軍、タイ海軍、シンガポール海軍、そしてブルネイ海軍、インド海軍は軍艦旗を掲げ参加しました。タイ海軍はマストに大型の軍艦旗を掲げ参加、これを戦闘旗といい、本会観艦式にしめすものではありません。一国の大統領が観閲する観艦式へ、軍艦旗を下ろすよう要求されたことへ戦闘旗を掲げ強く抗議したものと考えられましょう。

 シンガポール海軍はマストに韓国国旗を半旗で掲げました。半旗とは弔意、国家の国威発揚の場である国際観艦式に旗旒信号の間違いは考えにくく、明らかに何らかの意志があっての事でしょう。軍艦旗を下げて観艦式へ参加せよという韓国政府の、つまり韓国と仲良くするには降伏の意志を、という意味にほかならない残念な要請に対するシンガポールとしての弔意なのかもしれません。

 韓国海軍も韓国政府要求を拒否し、李氏朝鮮時代の軍旗を掲げた事は驚きでした。国籍旗が軍艦旗と異なっており、軍艦旗は太極旗の国旗を採用しています。しかし、観艦式当日の大統領訓辞にさいし、大統領の借景に停泊するイージス艦チュルゴクユイが李氏朝鮮時代の軍旗を掲げていました。栗谷事業という国軍近代化政策などに名が用いられるチュルゴクユイは安土桃山時代に国防強化を唱えた武官、しかし国旗以外掲げるなとの韓国政府要請を海軍も無視したことになり、叛乱に近いといいますか、大統領が海軍を統制できていないことを間接的に示したかたち。

 海上自衛隊は不参加となりました。しかし、無視して参加するという選択肢、半旗を掲げて抗議する選択肢、あったのでしょうか。韓国は十年に一度しか観艦式をおこないませんので三年に一度おこなう海上自衛隊とは状況が大分ことなるのです。信頼情勢の場でもある国際観艦式、もちろん自衛艦旗を下ろす選択肢は無く、無理に下ろせば国際法上の私掠船となりますのでできませんが方法は無かったか。

 日本ができる譲歩、交渉で停泊式観艦式へ変更し自衛艦旗を掲げない夜間観艦式へ変更できるならば参加するという条件の提示、自衛艦旗を有していない曳船や油船などを参加させる、艦艇参加を見送り航空部隊としてP-1哨戒機を編隊で当日鹿野航空基地から派遣する、海上保安庁の巡視船をお願いする、廃艦を曳航して自衛艦旗を不要とする、建造中の自衛艦旗をまだ受領していない護衛艦を公試の延長としておこない艤装員のみしか乗船していないので登舷礼を省略する、など。

 しかし、半旗を示したシンガポール海軍、マストに掲げたロシア海軍、タイ海軍の戦闘旗、なるほどそういう選択肢があったのか、と一瞬考えましたけれども、普通の海軍がおこなえば冗談では済みません。自衛艦旗の拒否に始まった今回の騒動、無理に参加し、こうしたかたちで抗議をおこなえば、逆に関係が悪化しかねませんので、海上自衛隊の不参加方針は喧嘩を避ける大人の対応、というところなのかもしれないですね。

 日本が学ぶべき事として、ここまで国家と海軍が落ちぶれてはならない、ということなのかもしれません。韓国国際観艦式は十年に一度、次回は2028年です。間違いないことは各国海軍は韓国海軍の非礼を忘れない、ということ。少なくとも半旗の参加艦艇や戦闘旗の掲揚は記録写真や報道写真として十年単位で残ります、そして何故こうした行動となったかは、写真を景気に調べることは簡単です。国家と国家、お互いに敬意を払わなければならない、韓国の醜態は示しています。

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平成三〇年度十月期 陸海空自衛隊主要行事実施詳報(2018.10.13-10.14)

2018-10-12 20:17:07 | 北大路機関 広報
■自衛隊関連行事
 秋空が広がる今日この頃、台風は今週末、来ません。九州は航空祭に特科部隊、本州でも北陸近江山陽山陰と行事がもりだくさん。

 芦屋基地航空祭2018、10月14日鉄道の日に挙行です。芦屋塗装のT-4練習機を運用する第3術科学校第13飛行教育団と第2高射群などが展開しています。福岡県遠賀郡芦屋町に所在し芦屋基地は自衛隊ジェット機発祥の地、航空自衛隊初のジェット機要員教育が実施された基地であり、陸海空自衛隊ジェット機要員練成はここ芦屋基地から始まりました。

 航空祭は飛行教育団所属T-4練習機によるOPフライトが0750時より開始、0810時より救難飛行展示、0910時と1000時にT-4機動飛行及び編隊飛行、1030時と1055時にそれぞれF-15戦闘機とF-2戦闘機による機動飛行、1125時より第二回救難展示と進み1355時よりブルーインパルス展示飛行、予定です。土曜日には招待者向け事前見学会も行われる。

 久留米駐屯地創設66周年記念行事、第4師団隷下の第4特科連隊と第4高射特科大隊及び西部方面混成団隷下の第118教育大隊が駐屯しています。第4特科連隊は第4師団の火力戦闘部隊です、当初西部方面特科連隊新編と共に廃止と思われていましたが、西部方面特科連隊編入は2019年との事、現在はFH-70榴弾砲の3個特科大隊を基幹としています。土曜日開催ですので、日曜日の芦屋航空祭と併せて土日巡りもお勧め。

 施設部隊関連行事は三軒屋駐屯地と富山駐屯地。三軒屋駐屯地創設63周年記念行事、関西補給処三軒屋弾薬支処と第4施設団隷下の第305施設隊の駐屯地です。岡山市内にあります。北区の岡山駅から5km、津山線沿線の岡山理科大学に隣接する弾薬庫です、こちらは土曜日開催とのこと。富山駐屯地創設56周年記念行事、第382施設中隊の駐屯地、第7施設群に所属する施設科部隊です。

 米子駐屯地創設68周年記念行事、第13旅団隷下の第8普通科連隊が駐屯する鳥取県米子市の駐屯地です。日本海沿岸、特に北朝鮮拉致事案や韓国竹島占領という現状を前に重要な部隊で、情報小隊には沿岸監視用小型無人偵察機等も装備されています。旅団普通科連隊という事で師団普通科連隊程の規模はありませんが山陰連隊の気迫が期待できましょう。

 饗庭野分屯基地開庁41周年記念行事、ペトリオットミサイルを運用する航空自衛隊第12高射隊が展開しています。近傍に先日台風直下でも行事を挙行した今津駐屯地があり、饗庭野分屯基地と今津駐屯地は饗庭野演習場を挟んで隣接しています。琵琶湖の湖北の風景と共に湖西線新快速で行く事が出来まして分屯基地は新旭駅が最寄り駅ですが、若干遠い。

 自衛隊観閲式、一般非公開ですが日曜日に観閲官へ安倍総理大臣を迎え、陸上自衛隊朝霞駐屯地において挙行されます。朝霞駐屯地朝霞訓練場地区は関係者以外立ち入り禁止の一般非公開行事です。しかし、観閲飛行は駐屯地周辺から見上げる事が出来まして、ヘリコプター大編隊を見上げる事が出来るほか、今回の中央観閲式にはF-35戦闘機が初参加します。

 さて撮影の話題。カメラバック、撮影に長躯進出する際にどういったカメラバックを選択するかは毎回悩みどころです、特にカメラバックにカメラだけを収容し携行するならば、撮影機材の大きさ即ちカメラバックの機種、と画定するのですが、撮影旅行ならばカメラバックには着換えや読書の書籍にタブレット端末、充電機器に防滴器材と、徐々に荷物は大きくなります。

 カメラバックと旅行鞄を分けてしまう、これは一つの選択肢なのかもしれません、例えば絶対防水が必要なカメラをジュラルミンなどの金属製ケースに収容し、その他の物は場合によってはホテルやコインロッカー、駅の荷物預サービスに依存する、という選択肢はあり得るでしょう、しかし、同時にこの施策は管理物品の増大、即ち忘れ物リスクに繋がる。

 カメラマン丸出しの撮影機材携行特化版、というカメラバックもいいのかもしれませんが、多少御洒落に撮影以外の散策も楽しみたい、となりますと、もう少しカメラバックの形状と雰囲気に落ち着きが欲しくなるところでして、成程、カメラ専門店や家電量販店カメラバック売り場にて、毎回、悶々と悩むのですが、その時間はまた、楽しいものなのですね。

■駐屯地祭・基地祭・航空祭

・10月14日:富山駐屯地創設56周年記念行事…http://www.mod.go.jp/gsdf/mae/10d/butai/sta/toyama/index.htm
・10月14日:饗庭野分屯基地開庁41周年記念行事…http://www.mod.go.jp/asdf/aibano/
・10月13日:三軒屋駐屯地創設63周年記念行事…http://www.mod.go.jp/gsdf/mae/13b/sangenya/
・10月14日:米子駐屯地創設68周年記念行事…http://www.mod.go.jp/gsdf/mae/13b/yonago/
・10月14日:芦屋基地航空祭2018…http://www.mod.go.jp/asdf/ashiya/
・10月13日:久留米駐屯地創設66周年記念行事…http://www.mod.go.jp/gsdf/kurume/

■注意:本情報は私的に情報収集したものであり、北大路機関が実施を保証するものではなく、同時に全行事を網羅したものではない、更に実施や雨天中止情報などについては付記した各基地・駐屯地広報の方に自己責任において確認願いたい。情報には正確を期するが、以上に掲載された情報は天候、及び災害等各種情勢変化により変更される可能性がある。北大路機関
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