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京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

【日曜特集】岐阜基地航空祭2014【8】岐阜航空祭終幕と航空機続々着陸(2014-11-23)

2018-10-28 20:03:00 | 航空自衛隊 装備名鑑
■将来技術拓く岐阜飛実団
 大編隊の飛行展示は順次解かれ、着陸へ。岐阜基地航空祭2014特集は今回が最終回となります。

 戦闘機開発、一つの巨大なプログラムに統合するのではなく、分散し無数の技術が並行し研究されているわけですね。あたかも部品部品を毎週買い続けて結果膨大な費用を投じて完成品に長期間を経てたどり着く、週刊雑誌ディアゴスティーニのような、開発である。

 週刊エアクラフト、という印象だ、と云おうと思ったのですが、週刊エアクラフトという雑誌が実際に在り、小冊子を毎週毎週バインダーに詰め込んで長大な航空雑誌を造る、というものでした。友人知人も買っていたり書いていたり拾っていたり、これは別の話しだ。

 FSX,として日本はF2戦闘機をアメリカとの共同開発により実施しましたが、すべての機体を日本独自で開発することはかないませんでした。当初は双発でステルス性に配慮した双尾翼構造を採用し、新しい第五世代戦闘機として運用可能な航空機を志向していました。

 純国産FSX計画ではカナード翼構造により高い空中機動性を確保する新型機を検討していました。主任務は対艦攻撃で、空対艦ミサイルを搭載、敵の艦隊防空網を突破し、日本上陸へ向かう敵艦隊を一挙に制圧すると共に、空対空戦闘能力を有し防空戦闘にも参加する。

 しかし、日米貿易摩擦による貿易黒字相殺へF16を直接輸入する外交圧力が高まり、F-16をそのまま調達しては日本の国産開発能力が全く育たない、という懸念に直面します。またF-15戦闘機まで維持してきたライセンス生産での製造基盤も直輸入では失いかねない。

 この結果、日米共同開発によりF16を原型として新型機を開発、このために必要な技術を相互に提供する、という玉虫色の結論にいたりました。この画定で日本の戦闘機開発は頓挫したとも考えられたのですが、一方で、必要な技術研究だけは継続されていたのです。

 F2の開発はとの途中にアメリカがF16を基本としつつ、その中核技術であるフライバイワイア機能の提供をソースコード提供の協定を一方的に破棄するという事案がありました、フライバイワイア技術のソースコードを提供されないものでは戦闘機は飛行できません。

 しかし、擬医術を研究していたことが結果につながりました、T2練習機を原型とするCCV実験機が岐阜基地において長期間フライバイワイヤ技術を蓄積していまして、純国産FSXもフライバイワイヤを用いる計画でした、この応用を行うことで対応できたのですね。

 フライバイワイヤ技術は、そもそもステルス機などが航空力学を無視しレーダーに反射しにくい形状を採用しています、レーダーに反射しない事は戦闘機の生存性を高めるのですが、それで飛行中に簡単に安定を喪失し墜落してはまず最初に実用戦闘機となりえません。

 FSXの開発では、フライバイワイヤ技術を、操縦士が上昇する、と操縦動作した場合、通常の舵操作では方向舵を可動させた場合に横風などで揚力を喪失し墜落する懸念がありますが、フライバイワイヤの技術は操縦者が送受動作を行った通りに演算装置が補正を行う。

 フライバイワイヤ技術を通じ飛行安定化へ計算を重ねた操舵を行うことで、上昇したい操縦手の意志をそのまま航空機の上昇動作へ転換する、というシステムです。航空力学よりもステルス性を重視した航空機では、それを飛行させるための技術が必要、ということ。

 アメリカはF16から本格的に実用化していますが、この導入へは開発に多くの技術蓄積を要し、特に議会が国防総省による日本への技術提供に拒否の姿勢を突きつけたわけです。しかし日本はCCV実験機での実績により、この状況をFSX計画は打破できたわけですね。

 F-2開発は実験航空隊以来の技術開発の積み重ねが生んだ成果ですし、F-2戦闘機へ至る際に日の目を見なかった純国産FSX計画の技術はそのままさらに蓄積され、現在のX-2実験機へと繋がり、いつかは将来戦闘機F-3戦闘機へと結実する技術といえるでしょう。

 P2実験機により、CCV実験機寄り前にも日本ではフライバイワイヤ技術の研究を実施していまして、P2実験機による成果がT2実験機としてのCCV実験機へ応用されています。P2実験機では最初の研究で電子操作で操縦動作をフラップに伝送するだけのものでした。

 もちろん、P2実験機より以前にも航空機に搭載しない形で陸上実験設備を用いての長い技術蓄積が行われていたことはいうに及びません、極論で言い換えれば、第二次世界大戦中の海軍局地戦闘機紫電改が採用した空戦フラップ技術の延長線上にあるといってもいい。

 このようななかなか日の目を見ない、長い長い技術開発が応用されているわけです。戦闘機開発では、通常メーカーごとに蓄積した技術を、開発計画が具体化した時点で正式に発動します、しかし日本の技術開発は、開発が具体化した場合でも、そこが終点ではない。

 実用機開発が見送られた場合でも開発計画だけは継続している。日本の実用機開発は、開発が決意された時点での進められている技術研究の成果が総合的に具現化される方式を採っているといっていい。全ての技術開発と研究に終点は無い、というところでしょうか。

 F2は必要であれば当時持っていた技術を総合し、当時の技術の限界範囲内で国産機を開発できましたし、日米共同開発ならばアメリカの技術が提供されない部分や、日本独自の要求性能に基づく仕様へ必要な技術を組み合わせることもできた、選択肢があるということ。

 X2とF2ですが、F2開発の時点ですべてを国産開発した場合、戦闘機という複雑で膨大な技術をプログラムとして一体化させ包括し統合した兵器システムとして完成させることができたのかは、未知数です。国産初の超音速戦闘機であったF1支援戦闘機などは、それ。

F-1支援戦闘機は、電子戦能力の致命的欠如や、ミサイルによる対艦攻撃を行う状況での出力重量比の限界に依拠する機動性への悪影響、射撃管制装置搭載位置に起因する後方視界の影響、中距離空対空戦闘能力欠如、F1支援戦闘機は設計と実性能が及第点以下といえる。

 要員の戦術研究と運用体制に補強され、必要な性能を辛うじて発揮していました。この問題の根底は個々の分野の技術に秀でたものはある一方、システム全体を統合化するプロジェクトマネジメントの手法と意見集約方法へ、未熟な部分があったかもしれません。

 将来戦闘機を開発するに際して、やはり大きな問題は第五世代戦闘機に続く第六世代戦闘機の運用と必要な能力、戦術と戦略を開発者と運用者が意見と認識を一致させ、その上で航空機というシステムへ反映させることができるか、という部分に収斂するでしょう。

 これは、しかし同時に防衛産業と防衛省の癒着と誤解されかねない構図ともいえ、もちろん戦闘機という単純な零戦や飛燕の時代とライトニングやイーグルに続く戦闘機システムとしての複雑を理解したならば、長期化、開発と関係する企業も複雑化する事は自明です。

 岐阜基地航空祭はこうした日本の戦後航空機開発、特に草創期は徒手空拳というべき予算も無ければ技術も廃れ、その中で文字通り世界に追い付くための血の滲む努力が進められてきました。飛行展示を終えた航空機は、その技術を抑止力へ繋げる熱意の結晶といえましょう。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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