◆UNMISS自衛隊派遣
政府は現在南スーダンにおいて展開されているUNMISS南スーダンPKOへの自衛隊派遣期間を六か月間延長する旨発表しました。
UNMISS国連南スーダンミッションは、2011年7月8日の安保理決議1996号に基づき、スーダンより独立を果たした南スーダンの国家創造支援を行う目的で開始されたもので、我が国は当時も民主党政権時代における一川防衛大臣により9月22日、自衛隊施設部隊の派遣が決定したもの。
非常に遠い南スーダンへの補給線や情勢が不安定であり隣国スーダンとの戦闘の懸念がある中、任務は11月15日の閣議決定により派遣準備命令が発令され、南スーダン国際平和協力業務の実施に関する自衛隊行動命令が12月20日に発令されました。本格的な派遣は2012年1月7日にUNMISS日本隊旗授与式が行われ本格的に部隊派遣が開始されました。
自衛隊の任務は330名の施設部隊を派遣しての道路建設など新しいインフラ整備、国連や南スーダン政府との調整機関としての支援調整所要員40名、更に派遣規模として航空自衛隊の輸送支援部隊へ170名と海上自衛隊の輸送艦要員など170名が派遣されるという規模で、南スーダン首都ジュバ周辺地域の任務が想定されていましたが、派遣期間の長期化とともにUNMISS派遣国のバングラディッシュが撤収するのを受け西エクアトリア州と東エクアトリア州へ活動範囲は拡大しています。
ただ、派遣任務は非常に厳しいものとなりました。2012年に南スーダン軍がスーダン領内の油田へ越境攻撃を仕掛けたことで南スーダンスーダン国境紛争が勃発、南スーダン軍のスーダン領内油田制圧へスーダン軍が反撃を開始し、スーダン国内への侵攻が宣言されるなど、情勢は悪化を続けました。
占拠から二週間で南スーダン軍は撤収しましたが、スーダン軍が空軍機により追撃を行い、南スーダン軍は国連機をスーダン軍機と誤認し撃墜する事件が発生、緊張が続き、紛争はエチオピア首都アジスアベバでの和平成立により終結するまでの間、実に9か月間継続しています。
2013年末には大統領派と副大統領派の出身部族の対立を背景として南スーダン国内でクーデターが発生し、北部スーダンにおいて戦闘が拡大、自衛隊の活動地域周辺でも戦闘が展開され、この時には自衛隊も支援活動を停止させ、自衛隊も最大限の警戒態勢となりました。
この際に避難民を収容したインド隊が襲撃され戦死者が出たほか、韓国隊が武装勢力に包囲される形で孤立し緊急の要請があったため自衛隊が保有する小銃弾10000発を緊急供与する非常措置を講じ国連ヘリコプターにより緊急空輸、自衛隊創設史上初めて緊急時の外国軍隊に対する弾薬提供という緊迫した状態となっています。
南スーダンクーデター、この際に、不測の事態へ備え2014年に入りUNMISS部隊派遣国が装甲車や重火器などの増強派遣を決定し、自衛隊輸送機による武器弾薬の輸送支援を求めましたが、憲法上集団的自衛権行使となる可能性があるとして、実施できなかったこともありました。
こうした情勢下、2014年10月21日に政府は10月末にて終了予定の自衛隊UNMISS派遣を四ヶ月延長し、2月末までに自衛隊の派遣は完了する計画ではありました。しかし、2月10日の閣議決定により、更に六か月間延長され、八月までの継続が決定したわけです。
北大路機関:はるな
(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)
(本ブログ引用時は記事は出典明示・写真は北大路機関ロゴタイプ維持を求め、その他は無断転載と見做す)
政府は現在南スーダンにおいて展開されているUNMISS南スーダンPKOへの自衛隊派遣期間を六か月間延長する旨発表しました。
UNMISS国連南スーダンミッションは、2011年7月8日の安保理決議1996号に基づき、スーダンより独立を果たした南スーダンの国家創造支援を行う目的で開始されたもので、我が国は当時も民主党政権時代における一川防衛大臣により9月22日、自衛隊施設部隊の派遣が決定したもの。
非常に遠い南スーダンへの補給線や情勢が不安定であり隣国スーダンとの戦闘の懸念がある中、任務は11月15日の閣議決定により派遣準備命令が発令され、南スーダン国際平和協力業務の実施に関する自衛隊行動命令が12月20日に発令されました。本格的な派遣は2012年1月7日にUNMISS日本隊旗授与式が行われ本格的に部隊派遣が開始されました。
自衛隊の任務は330名の施設部隊を派遣しての道路建設など新しいインフラ整備、国連や南スーダン政府との調整機関としての支援調整所要員40名、更に派遣規模として航空自衛隊の輸送支援部隊へ170名と海上自衛隊の輸送艦要員など170名が派遣されるという規模で、南スーダン首都ジュバ周辺地域の任務が想定されていましたが、派遣期間の長期化とともにUNMISS派遣国のバングラディッシュが撤収するのを受け西エクアトリア州と東エクアトリア州へ活動範囲は拡大しています。
ただ、派遣任務は非常に厳しいものとなりました。2012年に南スーダン軍がスーダン領内の油田へ越境攻撃を仕掛けたことで南スーダンスーダン国境紛争が勃発、南スーダン軍のスーダン領内油田制圧へスーダン軍が反撃を開始し、スーダン国内への侵攻が宣言されるなど、情勢は悪化を続けました。
占拠から二週間で南スーダン軍は撤収しましたが、スーダン軍が空軍機により追撃を行い、南スーダン軍は国連機をスーダン軍機と誤認し撃墜する事件が発生、緊張が続き、紛争はエチオピア首都アジスアベバでの和平成立により終結するまでの間、実に9か月間継続しています。
2013年末には大統領派と副大統領派の出身部族の対立を背景として南スーダン国内でクーデターが発生し、北部スーダンにおいて戦闘が拡大、自衛隊の活動地域周辺でも戦闘が展開され、この時には自衛隊も支援活動を停止させ、自衛隊も最大限の警戒態勢となりました。
この際に避難民を収容したインド隊が襲撃され戦死者が出たほか、韓国隊が武装勢力に包囲される形で孤立し緊急の要請があったため自衛隊が保有する小銃弾10000発を緊急供与する非常措置を講じ国連ヘリコプターにより緊急空輸、自衛隊創設史上初めて緊急時の外国軍隊に対する弾薬提供という緊迫した状態となっています。
南スーダンクーデター、この際に、不測の事態へ備え2014年に入りUNMISS部隊派遣国が装甲車や重火器などの増強派遣を決定し、自衛隊輸送機による武器弾薬の輸送支援を求めましたが、憲法上集団的自衛権行使となる可能性があるとして、実施できなかったこともありました。
こうした情勢下、2014年10月21日に政府は10月末にて終了予定の自衛隊UNMISS派遣を四ヶ月延長し、2月末までに自衛隊の派遣は完了する計画ではありました。しかし、2月10日の閣議決定により、更に六か月間延長され、八月までの継続が決定したわけです。
北大路機関:はるな
(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)
(本ブログ引用時は記事は出典明示・写真は北大路機関ロゴタイプ維持を求め、その他は無断転載と見做す)