北大路機関

京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

榛名防衛備忘録:装甲車は何故必要なのか?:第六回・・・装甲車両の変容と分化

2015-02-07 22:42:13 | 防衛・安全保障
◆正面拡大と装甲車の変容
 前回まで、対戦車ミサイルと陣地防御の転換を示しました、しかし、第一線火力、特に機甲部隊へ随伴する砲兵へ自走榴弾砲が装備されます。

 加えて自動測量や音響評定等対砲兵戦の技術向上とともに自走火砲の生存性が向上したため、掩蔽陣地は位置が暴露した瞬間に加えられる砲迫火力が向上することで対戦車ミサイルは、一射撃後陣地転換を強いられ、キルゾーンを構成しての防御戦闘、装甲車に搭載する例、ほかには軽車両に搭載し遅滞行動など、絶対的優位性は持ち得ませんでした。

 重ねて、運動戦は、歩兵の防御面積を際限なく拡大しています。第一次大戦当時や第二次大戦当時の一個師団の正面担当は18kmから22kmに過ぎませんでしたが、徐々に拡大し、新冷戦と1980年危機が叫ばれた時代には70kmから110km、イラク戦争期には250kmを越え、運動戦を前提とする広範囲を前に、これに対応する装備として装甲車は高まるばかりです。

 逆に前述した装甲戦闘車の開発は、第一線火力の向上を企図したものとも受け取れ、特に大口径低圧砲を搭載する装甲戦闘車などは多分に陣地攻撃を念頭としたものの代表と言えます。この命題に対処すべく、キルゾーン陣地、脅威対象が凝集する地形を選定し多数の火器を一点に集中させ対処する方策が開発され、野戦築城は築城資材の技術開発と相まって、運動戦の中に用途を見出してゆきます。

 他方、装甲車は独自の深化を続けます、装甲戦闘車が開発され、独立した戦闘を志向するようになります。しかし、興味深いのは乗車戦闘に関する銃眼の装甲戦闘車への配備というものです。マルダー1やBMP-1など初期の装甲戦闘車には銃眼が装備されており、乗車戦闘、降りずに車内から銃眼を通じて小銃を射撃する方式が主流でした。

 この装甲戦闘車の銃眼ですが、車内からでは命中しない、銃眼部分が対戦車火器などに対する開口部の脆弱性が無視できない、周辺監視能力の限界、等の視点から徐々に廃れ、当初から銃眼をもたない車種も見られるようになったほか、当初配置されていた銃眼を近代化改修の際に増加装甲で塞ぐ事例も出ておりまして、他方で依然として89式装甲戦闘車やダルドにBMP-3等維持するものも少なくありません。

 銃眼ですが、乗車戦闘を対戦車火器からの車体防護に関する戦闘手段として見出しますと、乗車戦闘よりは敵歩兵に近接されないよう降車戦闘を行うという視点即ち車体を守るためには降車しより遠い場所で歩兵が戦闘を展開すべきという視点、その瞬間までの乗車歩兵を防護するためには銃眼よりも装甲防御の重要性、ということで銃眼の廃止は行われた、とも。

 ただ、尤もな視点と共に銃眼の用途にはその降車戦闘展開以前の掃討用に重要性をもつものでもありますから、結局は銃眼の有無は運用想定と装備運用研究の相違から来たもの、と言えるのでしょうか。他方で、降車戦闘は歩兵の最も重要な任務、土地の占有と奪還、に直結するものであり、降車戦闘と装甲車の位置づけが、車両の装備と機動力や防御力といった特性に影響しているともみられるところ。

以上の通り、前線の火力が装甲車単体と装甲戦闘車単体とは分化してゆきます。此処で興味深いのは、装甲車の用途は装甲戦闘車と区分されてゆくのですが、近年、特に装甲車全般が装甲戦闘車に対応する能力向上を受けているところ、このあたりについては後述しましょう。

北大路機関:はるな
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