北大路機関

京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

榛名防衛備忘録:装甲車は何故必要なのか?:第五回・・・装甲車と装甲部隊に影響を与えた三要素

2015-02-04 22:50:37 | 日記
◆装甲車と運動戦の幾つかの転換点
 本日も装甲車についての特集を掲載します。まだ第五回ですがお付き合いいただければ、と。

 欧州ではドイツ軍を筆頭に空挺部隊対戦車部隊のヘリボーン展開という方策が具現化し、観測ヘリコプターへ対戦車ミサイルを搭載した初期の対戦車ヘリコプターが、陣地防御を行う軽歩兵部隊の地位を高めます。具体的には陣地へ大規模攻撃が開始された際に多数の対戦車ヘリコプターが地形を超越攻撃し、対機甲突撃破砕射撃を急速支援するという方式が一つ。

 対戦車ヘリコプターはこうして陸上戦闘、軽歩兵部隊の防御線を急速強化する手法として新体系を構築するに至りましたが、上記ヴェトナム戦争において脆弱なヘリコプターを地上防空部隊の不期遭遇から生存させるべく機体形状や防護能力が発展し、攻撃ヘリコプターへと発展します。

 東西双方が攻撃ヘリコプターを整備したため、攻撃ヘリコプターは対戦車能力に加え地域制圧能力を付与し、地上からの反撃にもある程度耐弾性を有していますので陣地攻撃にも多用されるようになり、加えて野戦防空能力も発展、自走高射火器へ高度な火器管制装置が搭載されるようになり、双方での運用にて一方を利するものでは無く相殺されてゆきました。

 防御戦闘における装甲車の位置づけは、冷戦時代の核戦争、戦域核戦場の想定とともにNBC防御能力が必須となり、同時の乗車戦闘の必要性が提示され、徐々に装甲車へ重火器を搭載する構想が具体化、監視装置は当初偵察部隊に搭載される装備から始まりますが、徐々に普及してゆきました。

 前後しますが、20mm機関砲を搭載するドイツのSpz-11装甲車へ対抗する形でソ連がBMP-1を開発、これに応えドイツのマルダー1やフランスのAMX-10Pが開発、一つの流れが形成されます。ここで、戦車と装甲車の機械化部隊に対して、装甲戦闘車単独を含む機械化部隊の柔軟な編成が生まれ、運動戦の概念は転換してゆく。

 一方の掩蔽陣地は、対機甲戦闘を除く対歩兵戦闘の分野では1970年代のヴェトナム戦争において当時の新鋭火器を相手としても能力を維持し得る事を証明しましたが、対機甲戦闘においては1973年の第四次中東戦争においてイスラエル軍のバーレブライン防御線が呆気なく突破され名実ともに運動戦への展開への限界が示されました。

 この際に大きくその威力が示された対戦車ミサイル、対戦車ミサイル自体は1950年代後半に既に幾つかの有力な機種が開発開始されているのですが、この装備が陣地防御へ提示されています。掩蔽陣地へ対戦車ミサイルを配置する事例や、小型形状から掩砲所に温存することも可能でした。従来の対戦車砲よりも射界が広く、陣地転換も容易です。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする