北大路機関

京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

海上自衛隊舞鶴地方隊 舞鶴展示訓練07 護衛艦電灯艦飾

2008-05-21 12:00:18 | 海上自衛隊 催事

■舞鶴展示訓練 護衛艦夜間電飾

 舞鶴展示訓練を終えて舞鶴基地北吸桟橋に帰港した護衛艦や地方隊の艦艇は、接岸し観覧車が艦を降りた後、護衛艦電灯艦飾の準備を開始した。

Img_6138_1  洋上とはまた違った姿をみせるイージス艦『みょうこう』。護衛艦の電灯艦飾は、観艦式や自衛隊記念日、開港記念日や博覧会などの行事が行われる日、祭日や広報行事などの際に行われるもので、海上自衛隊旗章細則により詳細が定められている。この電灯艦飾は米海軍のイルミネーションなどとは異なり、単色の電燈により行われるもので、旧帝国海軍の時代でも観艦式の際などには、この電灯艦飾が行われている、伝統の行事だ。

Img_6110_1  舞鶴基地北吸桟橋に停泊した護衛艦部隊を前島埠頭から撮影する。前島埠頭は北海道とを結ぶフェリー乗り場と、釣り人が竿を並べるスポットとして親しまれているが、竿とともに艦船愛好家がカメラを並べることもある、東舞鶴駅から徒歩20分の有名な撮影スポットでもある。

Img_6128_1  KM氏(この日が初対面でした)と舞鶴市役所、これは舞鶴基地から東舞鶴駅の中間にあり、市役所からも北吸桟橋や掃海艇桟橋が一望できる立地なのだが、この市役所で合流した。電灯艦飾の開始には時間があったので、休憩や食事などをし、そろそろ時間の頃合もよいということで、足を運んだ。前島埠頭には、少なくない同好の士が三脚を並べており、漆黒の闇を鉄の城から発する白熱電球の暖かい光が照らし、水面に映えた護衛艦の輪郭が伸びて我々を照らす。

Img_6191  フィルターの用意をしてこなかったのは小生の手落ち、しかしRAWで撮影するのもあとあと面倒なのとCFの容量の関係もあったので、JPEG方式で撮影する。三脚の用意があったのでリモートシャッターをカメラに取り付けて長時間露光撮影の開始。ヘリコプター格納庫と飛行甲板、そして背負い式の5インチ単装砲が特徴の『はるな』、そしてイージスの目というべきSPY-1レーダーを載せた城郭のような上部構造物が特色の『みょうこう』が目を引く。

Img_6196  初対面の人でも、聞いてみるとお互いが知っているWebサイトの運営者だったりする。Weblog“妖魔の不思議な旅”の管理人さんもその一人で(先日の大津ではお顔を失念しておりました、失礼!)、北大路機関をご存知だったようだ。学会でも安全保障系の研究をやっている院生の方なんかが、Weblog北大路機関を知っているかたが意外と多く、逆にこちらが驚いたりする。

Img_6216  光の波長と関係するのだろうか、遠くから撮ると、たとえ望遠レンズを固定して撮影しても、船体は暗く、白熱電灯の光が強調されて届いてくる。この場合、近くから撮ると間接照明のように護衛艦を照らしている様子を撮ることができるが、この時間帯は北吸桟橋は公開されていない。

Img_6223  イージス艦『あたご』を撮影する。『あたご』は慣熟訓練中であるため、展示訓練には参加していない従って電灯艦飾は行われていないのだが、常夜灯の僅かな光を頼りに、思い切り長い時間の長時間露光撮影を行う。すると、イージスシステムを搭載した巨大な艦橋とヘリコプター格納庫、ガスタービンエンジンの大きな排気設備、なによりも10000㌧の大型艦が有する大きな輪郭が薄っすらと写真には写っていた。

Img_6136_1  このあと、“妖魔の不思議な旅”管理人さんの車両に便乗させてもらえることになり(感謝!)、北吸桟橋に少しでも近い文庫山学園の駐車場に展開した。ここは、前島埠頭よりも近いところで情景を楽しめるということもあり、地元の人も多く電灯艦飾を見物に集まっていた。

Img_6142_1  手前の黒々とした埋立地は、十年ほど前にはここも埋め立てられておらず、その頃ならば電灯艦飾が照り返す海の波間を、写真に収めることが出来ただろう。非常に素晴しい写真を撮る機会を供してくれるこの立地だが、遠からずこの埋立地には倉庫群が建築されるとの話で、見納めになるやもしれないという儚さも手伝ってか、美しい情景として忘れえぬ印象を脳裏に刻む。

Img_6224  幾度シャッターを押しても撮り飽きない情景がある。しかしながら消燈の時間もいよいよ迫ってきた。眩しい護衛艦の情景にそのポテンシャルを垣間見た印象。以上が、舞鶴展示訓練の艦艇電灯艦飾を記録した写真である。展示訓練は翌日も続く。こうして、情景を背に、宿泊先のホテルへと向かった。

HARUNA

(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)

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海上自衛隊舞鶴地方隊 舞鶴展示訓練07 日本海のまもり

2008-05-20 22:09:04 | 海上自衛隊 催事

■舞鶴展示訓練2007

 2007年7月28日に行われた舞鶴地方隊による舞鶴展示訓練、本日は日本海におけるその模様を詳報として掲載したい。

Img_5922  舞鶴展示訓練の参加艦艇は、舞鶴基地に所在する艦艇の一年間の訓練成果を各種展示を通じて一般に公開する行事で、一般公募により見学することが出来る。舞鶴展示訓練に参加したのは護衛艦5隻、潜水艦1隻、掃海艇2隻、ミサイル艇2隻、海上保安庁巡視船1隻の計11隻で、航空機は6機が参加した。

Img_5742_1  護衛艦『はるな』艦上より、展示訓練海域までの長い時間を利用して、護衛艦の仕組みについてや、操砲展示、各種装備の説明を行う。

Img_5730_1  展示訓練海域には、既に進出した護衛艦が停止状態で待機している。観覧者同士、艦上から手を振って同好の士の絆を確かめる一幕もあった。

Img_5751_1  護衛艦『はるな』の艦橋。海上自衛隊護衛艦では最古参、第3護衛隊群旗艦というだけあって、士気は高く、行動や言動は洗練され無駄が無い。

Img_5884  イージス艦『みょうこう』を中心に、『はるな』以下の単縦進に対して反航する護衛艦部隊。緻密精密な航海技術は旧帝国海軍以来の伝統、いよいよ舞鶴展示訓練の開始だ。

Img_5877  旗艦『はるな』艦上、艦橋の上で、舞鶴地方総監が座乗する『みょうこう』に敬礼の準備を行う第3護衛隊群の鍛冶雅和群司令。

Img_5890  イージス艦『みょうこう』。第3護衛隊群第63護衛隊の護衛艦であり、日本で三番目に就役したイージス艦。満載排水量は9500㌧に達し、北朝鮮弾道弾追尾や工作船浸透事案海上警備行動など、日本海の護りという言葉を艦歴にしたような殊勲艦だ。

Img_5895  『みょうこう』艦上、舞鶴地方隊の加藤耕司総監と幕僚たち。艦橋には多くの見学者がみえる。向こうもこちらも、艦船ファンで、行うことはやはり同じ。

Img_5905  佐世保地方隊第26護衛隊の護衛艦『せんだい』。

 『せんだい』が参加した背景には舞鶴地方隊の護衛艦一隻に不具合があり、代えて九州から参加した一隻。その向こうには舞鶴地方隊の『はつゆき』型護衛艦がみえる。

Img_5778_1  舞鶴地方隊第24護衛隊の護衛艦『みねゆき』。満載排水量は4000㌧で、護衛艦隊用の『はつゆき』型を地方隊用に転用したもの。

Img_5785_1  『はるな』格納庫上から見た展示訓練参加艦艇。

 群青の大海原を背景に大型護衛艦と小型艦艇が続々と続いている。

Img_5802_1  『はるな』の5インチ単装砲が訓練展示において空包を発射する。

 突き抜ける砲焔とともに噴出す白煙が衝撃波とともにこちらにやってくる。

Img_5979  艦隊行動を展示する舞鶴地方隊第24護衛隊の『あぶくま』と、佐世保より展開した『せんだい』。ガスタービンの熱気が遠景にみえる艦影をぼやかしてみえる。

Img_5943  ドルフィン運動を展示する潜水艦『わかしお』。

 横須賀の第2潜水隊群第4潜水隊の潜水艦で、水中排水量は3200㌧である。

Img_5846  掃海展示に向けて前進する掃海艇。各国では安価なFRP製の掃海艇が建造される中、耐爆性や対磁気機雷用に優れた木造掃海艇の建造を堅持してきた。

Img_5823  ミサイル艇が後方より展示に向けて高速で前進してくる。俊足を活かして一撃離脱を行うミサイル艇は高速航行の展示を行った。

Img_5966  先を往く艦隊。先頭の艦からは艦首に白波を蹴立てて前進する様子がみえただろう。第3護衛隊群には旗艦よりも大型のイージス艦2隻が配備されているが、この後十年で、新型の大型DDHが配備されれば、この様子も様変わりするだろう。

Img_5991  『うわじま』型掃海艇の『ながしま』。第44掃海隊の一隻。いままさに波を乗り越えている瞬間だ。掃海艇は掃海機具の曳航を展示していた。

Img_5950  舞鶴警備隊第2ミサイル艇隊の高速航行。舞鶴地方隊には3隻のミサイル艇が装備されている。ミサイル艇は、高い打撃力を有するが、島嶼部防衛や対浸透戦には、スウェーデンの90H型襲撃艇や駆潜哨戒艇のような戦闘艇も必要になろう。

Img_6008  波を蹴って進むミサイル艇『わかたか』。

 満載排水量は240㌧、44ノットの俊足を活かして打撃戦に、哨戒にと、各種任務につく。

Img_6013  海上保安庁の『つるぎ』型巡視船『ほたか』。

 能登半島沖北朝鮮工作船浸透事案を契機として導入された警備力強化型巡視船で、導入の経緯から『はやぶさ』型ミサイル艇と類似する点がある。海上保安庁巡視船としては珍しく、ダメージコントロール機能などを付与されている。

Img_6026  ミサイル艇による機動展示。防御は専らチャフ・フレアと機動性、16200馬力のガスタービンエンジンとウォータージェットが高い機動性を付与している。

Img_6040  航空機による飛行展示。SH-60J哨戒ヘリコプターが3機編隊で上空に進入してくる。

 対潜魚雷二本を搭載し、対潜センサー、データリンクを駆使して潜水艦を追う任務を有する。滞空時間が長く、進出速度が早いヘリコプターは、潜水艦の行動を大きく制約させる強敵だ。

Img_6043  哨戒ヘリコプターは、機動飛行なども展示した。工作船対策用に映像伝送装置、機銃、防弾装備などの追加改修が逐次行われている。

Img_6052  哨戒機P-3Cが二機編隊で飛行を展示、機動飛行も実施した。

 本機は海上自衛隊の主力航空機で、導入は1981年からであるが、捜索能力向上のためのレーダー改修、衛星通信装置、自衛装備(チャフディスペンサー)装備など、進化を続けている。

Img_6055  小松基地からは航空自衛隊のF-15J。

 航空自衛隊の主力戦闘機である本機は、海上自衛隊機にはできない高速度飛行などを展示した。

Img_6085  様々な展示を終えて、展示訓練は終了。

 舞鶴基地に向けていっせいに単縦進を解き、進路を反転させる。

Img_5913_1  護衛艦「はるな」艦上では、ヘリコプター護衛艦ならではの広大な飛行甲板を利用して様々な催しが行われた。その幾つかを紹介したい。

Img_6119  その一つが喇叭の展示。号令に用いられる喇叭は演奏用ではなく、文字通り実用品。入出港から敬礼、国旗掲揚から巡検に警報まで、様々な展示を行った。

Img_6106  後方の格納庫では、グッズ販売が行われていた。3機の哨戒ヘリコプターを搭載する広大な格納庫は日差しを避けて、多くの観覧者で賑わった。

Img_5884_1  長い時間を利用して『はるな』艦内の見学を行う。

 舞鶴基地までの道程は、かなり時間を要する。艦内では、カキ氷やアイスクリームが即売されており、食堂は家族の団欒や、初対面の艦船愛好家同士で情報交換や感想の話題が弾む。

Img_5857_1  飛行甲板に戻ると、今度は寸劇がおこなわれている。

 乗員の人に聞いてみると『はるな』でも、こういった試みは最初のようだ。

Img_5866_1  寸劇の内容は、映画「海猿」に憧れた隊員が、水中処分隊を志望し、厳しい訓練を乗り越えて憧れの徽章を手に入れるまでの道のりをコメディタッチで展示。

 乗員に演劇好きがいたから実現したとの事。なかなか好評だった。

Img_6150  舞鶴基地へ帰港。

 二隻の掃海艇の背景にみえる美しい舞鶴の情景は、早朝の出港時と夕刻の帰港時で、また表情をかえる。

Img_6152

 潜水艦の姿もみえた。燃料タンクを背景に、入港する様子は文字通り軍港の姿であり、美しい日本海の情景を平和に保つべく、強力な艦艇部隊が日々、訓練を続けている。その一こまを、僅か数時間ではあるものの、今回の展示訓練見学でみることができた。日本海、北方海域、太平洋、南西諸島で、こうした展示訓練は行われている。

HARUNA

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海上自衛隊 舞鶴地方総監部 舞鶴展示訓練2007 出港

2008-05-19 17:46:23 | 海上自衛隊 催事

■舞鶴基地を出港

 舞鶴展示訓練とは、舞鶴地方総監部が、その年の練成状況を一般に展示するべく行われている行事である。2007年7月28日、日本海における舞鶴展示訓練に向けて、海上自衛隊舞鶴基地を展示訓練参加部隊が出港した。

Img_6101  舞鶴地方隊の防衛警備担当区は、日本海沿岸。原子力発電所が数多く稼動しており、石油備蓄基地など、日本のアキレス腱というべき施設が点在している一方で、対岸にロシア、北朝鮮という脅威を前に、沿岸警備を中枢とした防衛警備、災害派遣を担当している。日本海は広大だ、他方で、人口密度は必ずしも高くは無く、その観点から防衛上の脆弱性を抱えているわけで、その地域を護る舞鶴地方隊の任務も険しいが成し遂げなければ成らない。

Img_5692_1  その舞鶴地方隊の展示訓練を、護衛艦「はるな」艦上から観覧する機会に恵まれた。舞鶴基地にて手続きをすませ、『はるな』艦上に。いよいよ出港作業が始まると、その様子をみるべくヘリコプター格納庫上に移動する。朝靄が晴れようとする早朝の北吸桟橋にて、同様に出港作業を進める艦艇の姿をみる。

Img_5688  出港作業のために忙しく動き回るタグボート。舞鶴地方隊の港務隊に所属する曳船だ。

 北吸桟橋は、舞鶴湾の奥に位置するため、入港の際には回頭する、いわゆる“北吸の槍回し”が行われるが、これを行うのも曳船の任務である。艦上からその様子を見ていると俯瞰する風景とともに潮風が磯の香りを運んでくる、うむ、海に来たのだ、という印象。

Img_5706  『はるな』もいよいよ出港。ヘリコプター護衛艦『はるな』を象徴する背負い式に二門搭載された5インチ速射砲、その向こうにみえる艦首では、出港作業が行われる。舷側でも各所で作業が行われている。海上自衛隊というと、イージス艦を筆頭とする護衛艦や潜水艦、航空機を思い浮かべるが、それを動かすのは人であり、仮に装備だけではどこかの国の海軍のように、接岸作業に時間が掛かりすぎたり、機関が弾けたりするわけだ。

Img_5701  舞鶴基地の周囲は、天橋立へ続く山陰の美しい風景に囲まれている。舞鶴を訪れたことの無い皆さんにも、一度山陰の風景、天橋立への往路にでもこの街を訪れることをお薦めしたい。舞鶴という言葉がその通り、鶴の舞うような峰々と入り組んだ湾。かつて、ここに鎮守府を置くにあたり考えられた戦略的防備となる地形は、平和時には絶景を見るものに分け隔てなく供じてくれる。

Img_5711_1  日本海に向け舞鶴基地を出港する途上、最新鋭のイージス護衛艦『あたご』を望見する。満載排水量で10000㌧に達した(世界の艦船参照)という本艦は、第二次世界大戦以来久々に日本が手にした1万㌧以上の水上戦闘艦である。前部VLSを『こんごう』型のものよりも大型化したことで、上部構造物が中心あたりに位置する設計を採っており、見た目でもバランスの取れたスマートな艦容である。

Img_5712  護衛艦『せんだい』が出港する。河川名は、旧海軍では軽巡洋艦に付けられていたのだが、海上自衛隊では地方隊用の小型護衛艦に用いられている。ただ、海上自衛隊の地方隊用護衛艦の建造は1989年度計画艦の『とね』『ちくま』を最後に終了し、その後は護衛艦隊用の汎用護衛艦が充てられていた。しかし、河川名を冠した艦艇が、そのうち異なるかたちで再び建造されるのでは、と考えたりもしている。

Img_5722  『せんだい』は満載排水量で2900㌧。対艦ミサイルを搭載したガスタービン艦でヘリコプターこそ搭載しないが対潜装備はアスロックを装備するなどして充実、各国の大型フリゲイトが3000~4000㌧台であるので、2900㌧の『せんだい』は決して小型戦闘艦とはいえないのだが、10000㌧の『あたご』と比べると、親子ほどの差というべきか、やはり小柄である。

Img_5749  舞鶴飛行場の前を通過。『はるな』艦載機であるSH-60Jもこの舞鶴飛行場で運用されている。この舞鶴飛行場では、この日、ちびっこヤングフェスタが行われており、飛行場のSH-60J哨戒ヘリコプターに加えて、MH-53掃海ヘリコプターや陸上自衛隊のヘリコプターが駐機している。朝早いこともあってか、ちびヤン会場の人出はまだ疎らである。日曜日の展示訓練に応募、土曜日は、ちびヤンを見学しつつ、入出港を撮影、という方法を行った方もいるようだ。

Img_5772  舞鶴飛行場の向こうには、イージス護衛艦『みょうこう』が、『はるな』に続いて出港する様子が見て取れる。望遠レンズの圧縮効果もあるのだろうが、それでも飛行場と比べられるその大きさは驚かされる。満載排水量は9500㌧、『みょうこう』『あたご』から成る第63護衛隊は、この時点で日本最強の護衛隊といえる。

Img_5720_1  舞鶴湾に面した家々、漁業を生業としているのだろうか、一夏、研究書と資料を持ち込んで暮らしてみたいくらいだ。そして、アウトドアに向いた入り江では、家族連れや学生がキャンプを開いていた。フィッシングに向かう何隻ものプレジャーボートや漁船とお互い手を振りながら行き違い、舞鶴の入り組んだ水道を越えて、舞鶴湾へ、そして日本海の大海原が開けてきたが、さらに外海へ。いよいよ、舞鶴展示訓練が、はじまる。

HARUNA

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第3師団創立記念行事(千僧駐屯地祭2008)に行ってきました

2008-05-18 20:36:09 | 陸上自衛隊 駐屯地祭

■千僧駐屯地祭

 土曜日お世話になりました皆々様、小生、日曜日はこんなところに行って参りました!それは、昨年より展開を計画していた、陸上自衛隊!千僧駐屯地祭2008!。

Img_0801  本日は、これぞ初夏の快晴、そういう言葉が当てはまるほどの晴れ空の下、近畿地方、紀州の防衛警備及び災害派遣を任務とする第3師団の創設記念行事が行われた。同じ中部方面隊隷下にある第10師団が、戦車部隊、対戦車ミサイルや特科火砲による火力増強に重点を置いた師団改編を行ったのとは対照的に、第3師団は近接戦闘の能力を大きく高めるべく、普通科連隊に第5中隊を新設し、軽装甲機動車の装備密度を高めるなどの近代化を行っている。

Img_4353  写真は普通科連隊の徒歩観閲行進において参加した隊員。89式小銃とともに、師団改編で導入された対人狙撃銃を手にしている隊員が見える。式典参加の隊員は1300名と放送されており、観閲行進では、火砲、戦車、各種装甲車、通信車両、施設車両など約150両が参加。この他、昨年の記念行事で初登場した生物偵察車も観閲行進に加わった。

Img_4542  74式戦車が油断無く主砲を仮設敵に照準しつつ会場に進入する。この訓練展示では、模擬戦に格闘展示を加えたという方式で展示が行われ、偵察隊の情報に基づき特科火砲が攻撃、更に戦車戦により仮設敵の機甲戦力を無力化した上で普通科部隊が突撃を敢行、ここで仮設敵と近接戦闘を繰り広げるという趣向を凝らしたもの。銃剣格闘の様子なども詳報で掲載したい。

Img_1015  野外音楽演奏は、姫路駐屯地からの白鷺太鼓と第3音楽隊、として隷下部隊の音楽同好会と合同で行われ、仮設敵と激しい戦闘が繰り広げられたグラウンドは装備品展示会場を兼ねて演奏会場となった。以上が手短ながら千僧駐屯地祭の第一報記事。

HARUNA

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中部方面混成団創立 最初の大津駐屯地祭 重箱の隅

2008-05-17 11:07:00 | 陸上自衛隊 駐屯地祭

■大津駐屯地祭 重箱の隅をつついてみる

 大津駐屯地祭2008、来年当たりどう替わっているのかとか、気になる視点からみてみるという、二年前の信太山駐屯地祭重箱の隅以来、久々に突いてみるのが本日の記事。

Img_3488  訓練展示において、軽装甲機動車から斥候部隊を支援する47連隊の隊員。よくみてみると、銃座には5.56㍉機銃MINIMIが搭載されているが、並んで発砲しているのは7.62㍉の64式小銃。この部隊に軽装甲機動車が配備開始されたのは割と最近なのかな?、と。10師隷下の連隊に軽装甲機動車が配備された当時は、まだMINIMIも入っていなくて、仕方なく銃架に64式小銃を据付けて使ってた、とかなりまえの伊丹駐屯地祭で教えてもらったことがある。

Img_3529  対戦車ミサイルで戦車を足止めだ!って感じの一枚なのだが、あきらかに後方から進出する味方戦車の足止めをしている印象。これまでは、第37普通科連隊が支援し、大津の陸曹教育隊が中心になって大津駐屯地祭での模擬戦を実施していたが、今回は中部方面混成団に編入された元13旅団の部隊ということも背景にあるのか、昨年のような96式装輪装甲車からの降車展開やヘリからのロープ降下という展示は行われなかった。

Img_3532  81㍉迫撃砲に砲弾を装填する隊員。ここでパチパチと連写するカメラのシャッター音が各所から聞こえてくる。同時に耳を塞ぐ人々の姿。直前にFH-70榴弾砲が空包射撃を実施しているので、説得力がある光景。しかし、この迫撃砲は、空包発射を行わないので、動作のみの展示になっている。ただ、もしかして今年から新装備の空包でも!?と周りの連写音を聞くと、つられそうになってしまう。TOWミサイルの空包がある時代なのだし、いつか迫撃砲の空包がお目見えするやも。

Img_3794  撤収作業中の様子。訓練展示終了後は基本的に空包発射もないことだし、帰路につくかたも多いのだが、撤収社業というのは、これはこれで興味深いものがある。写真をみて気付いたのだが、迫撃砲小隊の隊員は89式小銃を装備している。即応予備自衛官主体の部隊といっても、例えば豊川の49連隊(10師団)は、即応予備自衛官も89式小銃を抱えて模擬戦に参加していた。来年はどの程度更新されるかも気になったりする。

Img_0475  第4陸曹教育隊の高機動車による体験乗車。これまで、模擬戦の主役だったのだが。来年当たり、例えば銃剣格闘の展示なんかで、訓練展示に参加したりするのだろうか。

 陸曹教育隊ということで気迫は充分。訓練展示に再び参加してくれることを密かに期待したい。

Img_0487  大津駐屯地の近傍には部内用の自動車教習所があり、ここに各方面から資材や人員を輸送してきた車両は待機するようだ。写真の73式大型トラックもその一台で、次々と車両が移動していた。部隊名をみると、山口駐屯地の第17普通科連隊所属とある。新隊員教育隊の隊員を運んできた車両だろうか。

Img_0484  続いてこちらに向かってきた73式大型トラックには第15普通科連隊の車両であると表記が。この部隊が駐屯する善通寺駐屯地には、第2教育団隷下の第110教育大隊が駐屯しており、恐らくその関係で大津にきたのではないかな、と。トラックで瀬戸内海を渡り、ここまで移動も大変だっただろうか、軽装甲機動車で広島の海田市から展開した47連隊の隊員たちも、帰路、大変だったのではないかな、と。

Img_3276  大津駐屯地は山に囲まれた美しい駐屯地ということは幾度も記載したが、この大津駐屯地祭では、ヘリコプターが駐屯地の周りを何度か飛ぶ様子を、背景の山肌に合わせてみることができる。ヘリコプターの迷彩効果について、期せずして確認することができる、これまた稀有な駐屯地祭なのでは、と思ったりする次第だ。

HARUNA

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大津駐屯地・中部方面混成団創立記念行事(大津駐屯地祭08)

2008-05-16 17:41:08 | 陸上自衛隊 駐屯地祭

■大津駐屯地祭2008

 2008年5月11日、美しい琵琶湖畔に置かれた陸上自衛隊大津駐屯地では、2008年度大津駐屯地祭が行われた。今回は、大津駐屯地祭の模様をお伝えしたい。ということで大津駐屯地祭詳報のはじまり。

Img_00009  陸上自衛隊大津駐屯地には、中部方面隊の新隊員前期教育を一手に引き受ける第2教育団本部が置かれている。

 加えて、広島県の海田市駐屯地におかれる、即応予備自衛官主体の第47普通科連隊とともに教育訓練部隊を統合した、中部方面隊直轄部隊として、中部方面混成団が今年三月に創設されてから最初の大津駐屯地祭を迎えることとなった。

Img_0114  式典に先立ち、待機位置に集結する共通教育中隊の隊員。陸上自衛官として任官した彼らは、ここ大津駐屯地や、各駐屯地の教育隊において三ヶ月間の訓練を受け、その後、第一線部隊において後期教育をうけ、一人前の陸上自衛官となってゆく。おどけて敬礼をしてくれた彼らも、つい1ヶ月ほど前までは学生であり、高校生だったわけだ。

Img_0136  式典会場に入場するべく行進。

 毎年、初夏の熱波により熱中症や脱水症状に悩まされる大津駐屯地祭だが、本年は、土曜日から降り続いた雨が駐屯地祭当日の朝方にあがるという、駐屯地祭日和(?)の天候に恵まれた。ただ、グラウンドはややぬかるんでおり、水溜りの排除作業の甲斐なく、点々とグラウンドには琵琶湖の支部が点在していた。

Img_0147  観閲行進に備えて待機する車両。

 高機動車などの野戦車両は、このように数が揃うと迫力が一際増して見える。後方には航空自衛隊饗庭の分屯基地より展開してきたペトリオットミサイルの発射機がみえるが、その周囲にはこの写真では確認できないものの戦車やミサイルなどの各種装備が並べられている。

Img_3194  式典会場に粛々と行進しつつ入場する隊員たち。

 色とりどりのマフラーは彼らの職種を示しており、紅いマフラーは状況に終止符を打つべく小銃や機関銃を以て陣地を占領する普通科隊員。青いマフラーは作戦行動全般を伝達する現代戦には不可欠な通信科隊員。黄色いマフラーは火砲を以て敵火力や施設、装備人員などを無力化する野戦特科隊員たちである。

Img_3252  整列した部隊を前に、いよいよ大津駐屯地創立記念行事の始まりである。指揮官巡閲では、大津駐屯地司令、兼ねて初代中部方面混成団長となった上野恵1佐が車上から整列した隊員を視閲する。昨年は第2教育団長としてこの場に立った上野団長は、今年は混成団長として式典を迎えたわけだ。

Img_3221  指揮官訓示、中部方面混成団長に対し敬礼!

 白いマフラーは共通教育隊の隊員たちである。後ろに並んだ隊員たちは、新隊員教育隊(今風に言えばブートキャンプ?)にて慣れない小銃の分解や体力練成、基本動作などを学んでいる。彼らも、夏頃には白いマフラーを職種の色に換え、各部隊に巣立ってゆくのだろう。

Img_3283 祝辞を述べる大津市の目片市長。

 どこの駐屯地でも基本的に同じだが、駐屯地祭では、近隣市町村の首長や代議士の皆さんが祝辞を述べ、その後祝電披露などを行う。なかには入隊式でも祝辞を述べて、数週間でここまで逞しくなられて、という祝辞を述べた方も過去にはいたりした。

Img_0177  祝辞、祝電披露が終了し、観閲行進準備へ!の号令が、大津駐屯地祭が静から動へと移り変わる瞬間である。

 なにぶん、整列した隊員が全共通教育中隊の隊員ということで、人員整列の規模では中部方面隊中恐らく最大規模の行事、移動も大所帯となるとなかなか大変である。

Img_3295  大津駐屯地祭撮影は、これまで観閲行進を正面から撮影できる位置より実施してきたが、今回は、スタンド席より撮影を実施。最上段となると視界も開けており、続々と観閲行進待機位置に向かう隊員の行進を俯瞰できる位置から撮影ができた。正面からこの移動を撮影できれば、さぞかし壮観だったのではないか。

Img_0250  大津駐屯地祭は観閲行進、特に徒歩行進の規模の大きさにおいても中部方面隊最大規模のものといっていい。

 中火方面隊最大規模というのも、新隊員の父母が観覧されるということもあり、通常の普通科連隊であれば各中隊から一個小隊程度を抽出して行進や式典に参加させるが、教育団では基本的に参加する全共通教育隊員が行進する。

Img_3324  第2教育団は、大津駐屯地に本部を置く第109教育大隊と、善通寺駐屯地に大隊本部を置く第110教育大隊、そして第4陸曹教育隊より編成されており、各教育大隊は3個共通教育中隊を基幹、陸曹教育隊は上級陸曹教育隊や普通科教育中隊など三個中隊を基幹として編成されている。

Img_3340  64式小銃を肩にかけ、66式鉄帽を被っての徒歩行進の時間は、時計をみてみれば実のところ数分なのだが、陸上自衛隊が普通科部隊をはじめ、高機動車や軽装甲機動車により車両化されてゆくなかで、駐屯地祭における観閲行進は実質的に車両行進が主体となっているようにもみえる。そういった意味で、徒歩主体という大津駐屯地祭は新鮮に思えるのかもしれない。

Img_3380  敬礼する森川建司連隊長を先頭に、第47普通科連隊の観閲行進が徒歩行進に続き車両行進として行われる。教育部隊ばかりという印象の大津駐屯地祭だが、いつもの近傍普通科連隊から間借りした指揮通信車ではなく、第47普通科連隊本部管理中隊所属の82式指揮通信車に堂々の連隊旗を構えて、行進というのは、陸上自衛隊組織改編の現状を垣間見た印象だ。

Img_0259  第47普通科連隊は、その連隊番号からもわかるように比較的新しい普通科連隊で、昨年度までは海田市駐屯地の第13旅団隷下にあった普通科連隊。

 定員の八割程度が即応予備自衛官により構成される部隊、いわゆるコア化部隊ということで、即応予備自衛官訓練を教育訓練部隊に併せて行うという観点から、今回、中部方面混成団に編入されることとなった。

Img_0280  方面隊の教育訓練部隊を統合するという手法は、2006年の東北方面混成団新編の際にも見られ、全国的な潮流としてあるようだ。しかし、第1中隊、第2中隊、第3中隊の一部小銃小隊は軽装甲機動車を運用しており、装備としては決して他の普通科連隊に見劣りするものではない。

Img_0271  軽装甲機動車の車上から敬礼する隊員。徽章をみると彼らが即応予備自衛官であることがわかる。第3中隊、第1中隊の所属であると車両には記されている。

 観閲行進の参加車両を見る限り、第47普通科連隊は連隊本部を中心に、本部管理中隊、第1中隊、第2中隊、第3中隊から編成されているようだ。

Img_3414  81㍉迫撃砲を搭載した高機動車。迫撃砲は近接戦闘では可搬性に優れた簡便で有力な装備である。この他、普通科中隊の対戦車小隊が装備する87式中距離対戦車誘導弾なども観閲行進に参加していた。小銃は64式小銃と89式小銃が混在している状態で、鉄帽も新旧織り交ぜて、という印象だ。

Img_3401  120㍉重迫撃砲RT。通常は普通科連隊に12門程度の重迫撃砲を運用する重迫撃砲中隊が置かれているのだが、牽引車両をみると本部管理中隊の所属とある。第47普通科連隊は旅団隷下にあった普通科連隊と前述したが、旅団隷下の普通科連隊は人員規模の関係から縮小編成を採っており、重迫撃砲は本部管理中隊において小隊規模で運用されているようだ。

Img_0305  観閲行進は、中部方面混成団の車両行進が終了すると、続いて第3師団の装備する各種車両が行進に華を添える。教育部隊という色彩が強い方面混成団に対して、第3師団は伊丹市の千僧駐屯地に司令部を置く第一線の師団である。火砲、そして戦車が続き、車両行進は終了となった。

Img_3424  続いて飛来したのは、第3師団や中部方面隊直轄の航空隊よりの祝賀飛行である。

 あいにくの曇り空がやや残念ながら、エンジン音と団扇を叩くようなローター音を響かせ進入する三機編隊。OH-6D観測ヘリコプターを先頭に第3飛行隊のUH-1J多用途ヘリコプター、そして明野駐屯地より飛来した第5対戦車ヘリコプター隊の対戦車ヘリコプターAH-1Sが一列に駐屯地上空を航過した。

Img_3454  観閲行進が終了すると訓練展示である。

 毎年であれば自衛隊体操が訓練展示の筆頭として実施されるのだが、今年は訓練期間の影響か、はたまた行進の隊列が何処を進んだか分かるほどの泥濘が原因か、実施されなかった。残念。と、思う暇も無く、状況開始。先ほどのOH-6Dが超低空で仮設敵陣地の状況を探る。

Img_3458  BGMを背景に、颯爽と会場に流れ込む一陣の風は、第47普通科連隊本部管理中隊情報小隊より出動した二台のオートバイ斥候。

 水飛沫を巻き上げながら会場を疾駆する。普通科連隊や戦車大隊など、規模の大きな部隊は、師団や旅団の偵察隊とは別に、自前の情報収集部隊を有している。オートバイにより悪路を突破する高い練度を有する彼らは、場合によっては連絡任務などにも活躍する。

Img_3486  情報小隊に続き、本部管理中隊の軽装甲機動車が前進する。

 機動力を唯一の防御力とするオートバイが突発的な状況と遭遇した際、支援するのが彼らの任務だ。銃座には、5.56㍉分隊機銃MINIMIを構えた隊員の他、64式小銃を手にした隊員が油断無く前方を警戒している。

Img_3499  大きな音がします!ご注意下さい!

 響くアナウンスとともに満を期して射撃準備を完了した特科火砲。情報小隊により位置を確認した目標に対して、第3特科隊のFH-70榴弾砲が火を噴く。本来であれば、空包のガスが砲口を出た瞬間に触れた空気から、酸素を一瞬にして燃焼させる砲焔が撮れるはずなのだが、今回は運が悪かったようだ。

Img_3510  第47普通科連隊の各種迫撃砲も射撃準備を開始する。

 また、写真には写っていないが、すぐとなりでは87式中MATが敵戦車の出現に備えて射撃準備を開始する。迫撃砲も射撃すれば大きな音がするのだが、空包は用意されておらず、知らない子供たちだけが耳を塞いでそのときに備えていたのはご愛嬌。

Img_3524  火砲による射撃により大混乱となった仮設敵陣地に向かうAH-1S対戦車ヘリコプター。大津駐屯地は比叡山を見上げる風光明媚な駐屯地ということもあり、山の木々を背景にそっと忍び寄る対戦車ヘリコプターという特性を良く知ることができる。胴体幅1㍍未満という、文字通りコブラのようなAH-1Sには射程3.75kmの対戦車ミサイルTOWが搭載されており、戦車や固定陣地の天敵というべき存在だ。

Img_3544  頑強に抵抗を続ける仮設敵陣地に対して、第3戦車大隊の74式戦車が105㍉戦車砲を発砲、直接照準により無力化する。赤旗が振られていると、なにやらこちらが仮設敵にみえなくもないが、これは射撃準備完了を示す旗。そして発砲の閃光が見えるや否や、一瞬遅れた空気の衝撃となって空包発射を観覧者は知ることになる。

Img_3647  戦車とともに軽装甲機動車が攻撃前進を開始する。軽装甲機動車は小銃班を複数の車両に乗せることで、火力投射の火点増強を狙った車両で、一個小銃班の乗車を想定したこれまでの陸上自衛隊装甲車とは一線を画したものである。同時に、四輪の装輪式という簡便な設計を採用したことでコストを抑える事に成功し、既に1000輌以上が全国の部隊で運用されている。

Img_3658  特科火砲の支援とともに前進する軽装甲機動車。

 軽装甲機動車は小型装甲車としての構想時、不整地突破能力を高める為に装軌式を求める声も陸上自衛隊内部にはあったようだが、高速道路も自走できるほどの高い路上機動性とメンテナンスの利便性から現在の姿に成ったようだ。

Img_3721  泥飛沫を巻き上げながら前進する軽装甲機動車。MINIMI分隊機銃を搭載する車両のほか、01式軽対戦車誘導弾(通称:軽MAT)を搭載し、対戦車戦闘に従事する車両もある。

 ただ、一個小銃班の車両数増加は、必然的に運転要員の増加を意味し、降車戦闘の際に全員参加するのか、その場合、装甲車をどうするか、という課題があるようだが、部隊あたりの装甲車が増加したことに、意義は多いと思う。

Img_3701  車上から64式小銃を射撃する小銃手。

 軽装甲機動車と64式小銃という取り合わせは、小生には結構、珍しいものだった。車上から射撃する場合は、銃剣を装着した場合邪魔になりそうだが、降車戦闘では銃剣はほとんど不可欠の装備といえる。41センチという長い64式銃剣。64式小銃をみると、軽装甲機動車から64式小銃を使っての降車戦闘はけっこう大変なのではないかな、と。

Img_3729  装甲車の前進とともにAH-1Sも低空で仮設敵陣地上空に迫る。

 要所を防弾化した機体は、対空射撃に当たらないよう細長く設計されており、対戦車ミサイルのほかに、面制圧を行うロケット弾や車両や装甲車両の走行が最も薄い部分を狙う20㍉機関砲を搭載した機体は地上部隊の天敵そのものだ。

Img_3738  擬爆筒の演出する白煙により、文字通り仮設の戦場と化した仮設敵陣地。

 つつまれた白煙の幕から、まだ、頑強に仮設敵は小銃を以て応戦してくるが、わが火砲の射撃により応戦は鈍りつつある。いよいよ降車戦闘の機は熟した。可能な限り前進した軽装甲機動車より、普通科隊員が続々と降車を始める。

Img_3746  突撃に~ッ前ェ!!。

 64式小銃を手に、隊員が軽装甲機動車より次々と飛び出してゆく。陸上戦闘の本質とは、いかに時代が変わろうとも土地の収奪であり、国土の奪還には、立て篭もった敵を陣地から燻り出して、それでも粘る敵を引き摺りだして任務を完遂する。それが普通科隊員不変の任務であり、これは将来にわたっても代わらないであろう。

Img_3781  陣地の後方に退却し、体勢を立て直そうとする仮設敵に対して、ヘリコプターからの射撃が引導を渡す。例年であれば、ロープ降下して人員を送り込むのであるが、毎年訓練展示を実施している信太山の37連隊に代わり、今年は海田市の47連隊が行っているのだから、この点、変更となったのだろう。

Img_3787  64式小銃で盛んに射撃を行うと、ついに仮設敵は手を上げ、ここに状況は終了となった。

 式典及び訓練展示は、ここで全て終了となり、来場者も装備品展示に向かい、スタンド席を降りはじめた。というのも、琵琶湖に面した大津駐屯地では渡河ボートによる体験試乗が行われ、この整理券を入手する為に、湖畔の乗船場に行くわけだ。

Img_3830  訓練展示後、悪天候により、やはり中止か、とみられていた空挺降下展示が、やや予定からは遅れたものの実施されることとなった。空挺降下といっても、C-1輸送機から大挙降下するというのは、駐屯地の規模からいっても不可能なので、UH-1多用途ヘリコプターからの自由落下傘降下展示というかたちであるが、はるか高空から飛び出す瞬間に、会場からは歓声があがる。

Img_3837  ボートの体験試乗に向かった人々に対して、C.ジョニー氏、T氏と小生一行は装備品展示に加わるべく着陸するであろうヘリコプターを待ち構えていた為、空挺降下をスタンド席上から良好な撮影環境で撮る事ができた。3名の空挺隊員は、ヘリコプターから飛び出してのち、一瞬おいて落下傘を開いた。会場には“空の神兵”が流され、ゆっくりと降下する隊員を迎える。

Img_3859  パラグライダーのようなこの落下傘を用いれば、高空からの空挺降下の場合、実に降下地点まで30kmを移動することが可能というのは驚きだ。UH-1が高空では豆粒のようにみえるのだから、恐らく上空からみた大津駐屯地グラウンドも決して大きくはみえないだろう。そこに正確に着陸する能力、自然と拍手が沸き起こる。

Img_3882  着地の瞬間。

 残念ながら、水溜りが残っていたようだ。大津駐屯地祭に降下する隊員は、首都圏、現在は中央即応集団隷下にある第1空挺団の隊員だが、彼らは前期教育を、ここ大津駐屯地にて終えた隊員たちで、後輩たちを前に、これぞ陸上自衛隊の花形、というべき空挺降下を展示したわけだ。

Img_3900  降下を完了して、指揮官に報告・・・、といきたいところだが、先ほど書いたように、空挺降下は予定よりかなり遅れて実施された。したがって、報告するべき混成団長は、祝賀会において旧交を温めている最中であり、代打でスタンド席付近にいた1尉さんに、降下完了の報告を行った。その後握手を交わし、こうして訓練展示は全て終了した。

Img_0360  空挺降下終了後、大津駐屯地に着陸し、装備品展示に加わるAH-1S.

 前述のように、航空打撃力の有する能力は非常に大きいものだが、後継機のAH-64D戦闘ヘリコプターが予算不足により装備中止となりつつあり、今後の陸上自衛隊航空打撃能力を左右しかねない問題である。次々と3機のヘリコプターがグラウンドに着陸した。

Img_0375  訓練展示終了後、なにやら一列二列に隊員が並んで地面を探している。

 きいてみると、空薬莢が二つ見つからないとのこと。訓練展示の模擬戦でビシバシ射撃した小銃か機関銃の薬莢が、薬莢受からこぼれてしまったようだ。薬莢は、安全管理上、回収しなければならない、ということで大捜索が行われている。見つかったのか、知ることはできなかったが、もしご存知の方がいらしたらお教えいただければ幸い。

Img_0390  装備品展示会場に足を運ぶ。模擬戦では戦車砲の空包で会場の主役となった74式戦車も、ここでは子供たちのジャングルジムである。

 写真の通り、この時間帯になると天候も回復し、いよいよ青空がのぞき始めた。曇りでも若干日焼けするほどの天気、早朝から快晴になっていたらば、素晴しい晴空の下での大津駐屯地祭写真と一週間は日焼けのヒリヒリに悩まされたことだろう。

Img_0389  大津駐屯地名物となりつつある渡河ボート試乗。もともと大津駐屯地は、海軍航空隊の水上機基地であり、聞いたところでは、あの名機紫電改の原型となった水上戦闘機強風が配備されていたとのこと。このボートに乗るまでに何気なく使われているスロープは水上機用のものと知ってはいても、強風のものだとまでは知らなかった。

Img_0443  大津駐屯地装備品展示会場。ホークミサイルをはじめ、観閲行進に参加しなかった装備なども置かれていた。ボート体験乗船は時間指定制で、それまでの間、こうした装備品を見学して時間を待つというわけだ。以上が、大津駐屯地祭のおおまかな流れだ。

 当日、車両に便乗させていただきました、ひえ~様、現地でお世話になりましたC.ジョニー様、T様、妖魔様、WAPC様、色々お教えいただきました文明様、ありがとうございました。

HARUNA

(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)

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速報:陸上自衛隊大津駐屯地創立記念行事 2008.05.11

2008-05-15 19:12:59 | 陸上自衛隊 駐屯地祭

■大津駐屯地祭速報

 本日は、5月11日に実施された陸上自衛隊大津駐屯地祭の速報記事を掲載したい。大津駐屯地は、琵琶湖畔にあり比叡山が見下ろす美しい駐屯地だ。

Img_3802  今年度の大津駐屯地祭、注目は3月の部隊改編で創設されたばかりの中部方面隊直轄部隊、中部方面混成団である。

 混成団というと、四国の旧第2混成団を思い浮かべる方もいるかもしれないが、防衛警備部隊を担当する第一線部隊ではなく、教育訓練の共通化、統合化を期して編成された部隊で、順次、各方面隊でも新編されている。

Img_0110  当日は、雨天の予報もあったほどで、もしかしたらば雨天の駐屯地祭、と危惧された方もいるかもしれない。カレンダーをみれば大津駐屯地祭の11日は仏滅。しかし、あの雨天が危惧された岩国基地日米友好祭(5日)も仏滅だったが、天候はなんとかなったわけで、軽い気持ちで展開すると雨もあがっていた。

Img_0115  大津駐屯地は、中部方面隊の新隊員教育を統括する第2教育団本部が置かれる駐屯地で、・・・、というのは昨年までの解説。

 今では即応予備自衛官を中心とした第47普通科連隊と第2教育団、陸曹教育隊を統合した中部方面混成団司令部が置かれた駐屯地として説明するべきか。人員は実に2900名、かなりの規模の部隊といえる。

Img_0130  また、海軍航空隊基地の跡地を利用して造られた駐屯地ということもあり、小さいながら充実した展示内容で知られる資料館や、水上機用のスロープ。そして航空隊つながりなのか、F-1支援戦闘機やF-86D夜間戦闘機などが保存展示されている駐屯地としても一部で有名だ。

Img_0153  教育訓練部隊ということで、部隊整列は、第一線部隊のような一部部隊の整列ではなく、109教育大隊と、善通寺からの第110教育大隊参加隊員全員が整列する。

 18㍉広角レンズでも、はみだしてしまうほど大津駐屯地祭ではおおくの隊員が式典に参加する。

Img_0206  観閲行進でも、恐らく中部方面隊はもちろん、陸上自衛隊全体でも最大規模の徒歩観閲行進ではないか、というくらい多くの隊員が行進に参加する。白いマフラーは前期教育中の新隊員の証。これからも基礎訓練を重ね、適性に応じてさまざまな任務に就いて行く事となるだろう。

Img_3404  中部方面混成団新編にあたり、海田市駐屯地の第47普通科連隊は第13旅団から中部方面混成団に配属換となった。広島県の海田市より長躯大津駐屯地に展開した連隊も観閲行進に参加。

 即応予備自衛官主体の部隊とは言っても、軽装甲機動車や高機動車、重迫撃砲を装備しており、観閲行進では車両部隊の中枢を担った。

Img_0335  大津駐屯地は第3師団管区の駐屯地、ということで、式典には第3師団隷下の各種装備も参加した。滋賀県湖北の今津駐屯地より、写真の74式戦車、さらに各種火砲やミサイル、施設器材などが観閲行進に参加し、観閲行進の最後には航空機も祝賀飛行を実施した。

Img_0340  3機編隊で祝賀飛行を行う航空機。

 会場に点々と残る水溜りをみてもわかるように、やはり朝まで天候が悪かったことを物語っている。関係については不詳ながら昨年の大津駐屯地祭では行われた自衛隊体操も今年は行われなかった(もっとも、昨年は駐屯地祭を五月第三週、しかし今年は五月第二週に実施しているため、訓練と関係があるのかもしれない)。

Img_3660  訓練展示は、仮設敵陣地に対する陣地攻撃という想定で行われ、第47普通科連隊の第3中隊を主体として行われた。この模擬戦には第3師団から戦車や特科火砲、多用途ヘリコプターが、中部方面隊からは対戦車ヘリコプターが支援に参加、琵琶湖畔に砲声が轟いた。

Img_3758  第47普通科連隊は、装備では軽装甲機動車など先進的なものを装備していると記述したが、小銃は64式小銃と89式小銃が混在しており、軽装甲機動車と古い7.62㍉口径の64式小銃、という、いまではかなり珍しい組み合わせでの展示となった。

 なお、軽装甲機動車の車載機銃としては5.56㍉のMINIMIが搭載されていた。

Img_0453  大津駐屯地祭の名物となりつつある琵琶湖クルーズ、つまり渡河ボート体験乗船は昨年に引き続き今年も実施。この頃になると天候も回復しており、初夏、ちょうど良い気候の湖畔を背景に大津駐屯地祭は成功裏に幕をおろした。

 最後になりましたが、当日、車両に便乗させていただきました、ひえ~様、現地でお世話になりましたC.ジョニー様、T様、妖魔様、WAPC様、色々お教えいただきました文明様、ありがとうございました。

HARUNA

(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)

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中国5.12地震 犠牲者1万5000名に迫る 四川省大地震と日本の役割

2008-05-14 22:32:09 | 国際・政治

■日本は復旧ではなく復興の支援を

 12日の日本時間1530時頃、中国四川省を巨大地震が襲った。アメリカ地質研究所によればマグニチュードは7.8(7.5と修正後、7.8に再修正)、第一報では死者4名、負傷者250名といわれた被害も24時間後には死者1万以上に修正された。本日1900時の報道では死者は1万5000名に迫るとのこと。

Img_6586  突如として大地が社会に牙を剥き、数分の膨大なエネルギー放出が事後にも災厄を強いる地震災害、それは日本にとっても東海地震、東南海地震、南海地震の同時発生が危惧され、首都圏直下型や宮城県沖地震の危険性などが繰り返し指摘され、官民一体となった防災への努力が続けられていることを考えれば他人事ではない。

Img_3969_1  四川省大地震、激震は遠く北京や上海にも及び、高層ビルでは避難命令、震源に近い成都や重慶では甚大な被害が出ているという。14日早朝の時点で犠牲者は11921名。病院や学校などの公共施設も破壊され、倒壊建造物の下敷きなどで行方不明となった人も多数いるとの情報だ。それ以上に、化学工場爆発やガソリン貨物列車脱線など情報が錯綜しており、震源地への交通路が遮断されるなど、今後の展開に気がかりな点も多い。

Img_3740  震源は深さ11km、マグニチュードは7.8とされたことで、小生は第一報に接し、直下型という印象を持ったが、それにしても被害が広範囲。直下型の兵庫県南部地震では、震源に近い淡路島や神戸市が大被害を受けたのに対して、姫路や大阪市では被害はやや少なかった。理由は単純で、原因となった活断層が非常に大型であり、大陸内部で生じた地震では最大規模のものだったため、という。

Img_3622  詳細を調べて分かったのだが、兵庫県南部地震とは異なり、この四川省大地震は、100×360kmの地盤が5㍍動くという規模で、浅発性であったため、地殻の深部にエネルギーが拡散せず、表層部を長距離にわたり変動エネルギーが伝播するLg地震波という性質をもっていたとのことで、これが被害広域化の背景にあるようだ。

Img_0738  日本では自衛隊の災害派遣について、阪神大震災以降、要請する自治体の危機管理と、自衛隊の災害派遣装備の充実もあり、迅速的確化し、昨年の能登半島地震や新潟中越沖地震では、その即応能力を如何なく発揮したが、今回の四川省地震では、地震災害に対して経験を蓄積していない成都軍区の人民解放軍が武装警察とともに迅速に出動した様子が伝えられている。

Img_0039  成都市の人口は1000万以上で、これは東京23区に匹敵する大都市である。また、成都市の北に位置する綿陽市もかなりの被害を受けていることから、蘭州軍区からも恐らく支援が行われているはずで、部隊が到達できる地域では最大限の救助活動が行われているようだ。中国側が国外からの人的支援を拒否している様子が報道されているが、これは単純に兵庫県南部地震の際と似たような、意思疎通と受け入れ能力の問題に起因すると考えられる。

Img_6301  人民解放軍は、すでに陸上自衛隊中部方面隊の二倍以上の人員にあたる五万人を投入しているとのことだ。広大な中国の国境を警備する人民解放軍は人的にも余裕があり、必要となれば更なる増援にも対応できよう。人民解放軍というと、装備や練度という観点から遅れているイメージが持たれているが、限られた予算の中でも近年は近代化に尽力しており、能力的には充分なものがあるように思う。

Img_0065  ただし、それは都市部でのことで、震源地の山間部というのは救助活動を行う上で大きな制約となる。山間部道路は、地形の変容と地滑りでズタズタに引き裂かれており、車両による救援活動は困難とのことだ。重機を大量投入して道路機能復旧に全力を挙げる様子が報道されているが、100×360kmの地盤が5㍍ずれたという、例えば四国が5㍍動いたようなもので、復旧には時間が掛かりそうだ。徒歩部隊の投入も、徒歩部隊では被災地域の救援物資搬送はもちろん、部隊の自活資材搬送も限界があるため、慎重に行う必要がある。

Img_2712  日本では考えにくいが、孤立集落にパラシュートで部隊を投入することも検討されたようだ。山間部の降下地点確保もままならない(降下地点が確保できるのならばヘリコプターを使う)危険な地域に、済南軍区第15軍は空挺部隊投入を検討、輸送機22機により6000名の空挺部隊と4両の車両を輸送、100機の航空機が出動準備を進めているとの報道。6000名が報道されているように全員パラシュートで空挺降下したのであれば、これは朝鮮戦争以降、最大規模の空挺作戦となる。

Img_9259_1  今回の地震に対する日本政府の対応は、高村外相が発表した5億円の緊急援助を筆頭に、必要があれば人的支援も検討。ただ、これは指揮系統が煩雑化するのと、発表。連絡将校の問題から可能性は非常に低いが、仮に今後、人的支援を日本が求められたとすれば、パキスタン地震災害の際に行ったような大型輸送ヘリコプターによる輸送支援かもしれない。ただし、人民解放軍も冷戦時代はソ連極東軍45個師団と対峙する中ソ国境防衛やインド、中越国境地域用にMi-17系統など、かなりの数のヘリコプターを有しており、その可能性も低いのでは、と考える。

Img_0602  自衛隊のほかにも、消防や警察の救難組織、そして医師やNGOなど、日本は大災害に的確な援助を行うことが出来る組織が多数存在するだけに、なにかしなければ、という忸怩たる想いが溢れるのだが、受け入れる側の準備がしっかりとしていない状況では、むしろ現場が混乱する要素になってしまう、ということか(とくに被害が大きな地区へは人民解放軍も空挺降下しなければいけないほどの地域だ)。

Img_3749  日本が今回の四川省地震に際して、協力できることは何か。それは、地震国と称されるまでの幾多の災厄からの復興プロセスに関しての協力ではないか。つまり、自治体国際関係というようなカタチでの協力だ。いわば、復旧というものは時間との闘いであり、指揮系統の調整や金銭面をある程度飛び越える必要があるが、復興となると、非効率は禍根と傷痕を残す。ここで、神戸や新潟のノウハウを活かす事が出来るのではないか。

Img_6462  歴史都市京都も地震災害に脆弱性を有することは否定できず、二条城など世界遺産の建物では耐震補強工事が実施中である。こういった、防災のノウハウについても、同じく多くの歴史的遺産を有する中国が対峙する課題と共通のものがあり、将来、同種の災害が起こった場合に備えて、相互の交流を行うべきではないか、ということだ。

Img_0628  他方、毎回思うのだが、世界的な大災害が起きるたびに、テレビ報道では、親しみやすいキャラクターを立て、電話一回を特定の番号に掛けることで義援金を送れる募金運動を行っているが、それよりも、バラエティー番組の時間を一時間あたり数分短縮して企業CMを入れ、これにより増加した広告料を義援金に使う、というような、マスコミ自らの募金、というようなものがあっても、いいのではないかな、と。

HARUNA

(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)

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鉄道現勢月報 北海道・北陸・九州整備新幹線未着工区間着工問題決定先送り ほか

2008-05-13 18:27:01 | コラム

■鉄道現勢月報

 北大路機関として注目した鉄道関連のニュースを扱う、鉄道の時事情報。諸般の事情から掲載が遅れていたが、本日、ようやく掲載。情報はやや古いのはご愛嬌。

Img_0286  まず最初に事務的報告。

 Weblog北大路機関は今週日曜日、アクセス解析開始から44万アクセスを突破したとのことです。たくさんのアクセスありがとうございます。45万アクセス突破の際には、特別企画の掲載を検討中です。お楽しみに。写真はN700系新幹線。

■北海道・北陸・九州整備新幹線未着工区間問題

1973年に整備計画が決定し、建設計画が建てられている北海道新幹線(青森~札幌間360km)、北陸新幹線(東京~金沢~大阪間600km)、九州新幹線(博多~鹿児島・長崎375km)の未着工区間について。

Img_8525  この三路線の未着工区間について昨年12月より行われた与党検討会議では、必要な建設費用2兆円捻出の目処が立たないことから、建設の先送りが年度末に出された。すでに部分着工した区間では将来の公共事業費までを用いて都市計画も推進しているが、費用を既に捻出している地元自治体には財政上大きな負担となっており、JR各社からの費用捻出も模索されたが合意に至らず、この2兆円という財源捻出が整備新幹線構想実現を左右する命題となっているようだ。

■中央線201系 運用状況

 E233系の増備が進められる首都圏中央線では、まだ201系電車の運用が続けられているということについては既報。

Img_6793  中央線豊田車両センターでは、中央線運用を前提とした201系が残されており、現段階では中央線における201系運用終了についての具体的な決定は無いとのこと。E233系の中央線増備計画は3月27日に東急車輛より試運転に入った編成を以てひと段落したという背景もあり、もうしばらくは201系の雄姿を中央線にて拝むことが出来そうだ。

■京成電鉄次期特急は160km/h

 京成電鉄が現在運用するスカイライナーの後継として開発中の新スカイライナーについて、160km/h営業運転を期して、鋭意開発中である。

Img_9867  現行のAE100系(写真)の後継となる新型車両は、北総鉄道印旛日本医大駅から成田空港第2ビルまで建設中の新線を経由することで、京成電鉄本線の日暮里駅から成田空港まで現在51分の所要時間を36分にまで短縮するとのこと。車内のデザインコンセプトは“凛”、AE100系よりも天井を25㌢高くし、居住性を高めるとの構想。毎時、新特急を3本、通勤電車型特急を3本運行する計画で、AE100系7編成を代替するとしている。

■宇都宮線・常磐線・高崎線 東京乗入工事

 上野を基点とする宇都宮線・常磐線・高崎線について、東京駅乗入を実現する為の工事が開始されたようだ。

Img_8621  この東京駅乗入は、上野駅から東京駅までの3.8kmに複線を増設する構想で、上野駅から京浜東北線、山手線、中央線の複々々線に並行する東北新幹線の高架橋上に増設される見込み。新幹線上を走る高架橋部分の高さは、実に22㍍の高さになるとのことで、JR東日本によれば完成は2013年、総工費は400億円とのこと。これにより、北関東から東京までの混雑緩和と時間短縮を期することができるという。

■東海道本線117系新快速運行

 3月のダイヤ改正により、名古屋を中心に、大垣、岐阜、岡崎、豊橋を結ぶ東海道本線新快速において117系の新快速運用が復活したとのこと。

Img_6606  JR東海の東海道本線新快速としてh、転換式クロスシート車である313系を主として運用しているが、117系による新快速の運行が久々に再開した。片側2扉の転換式クロスシート車であり、最高営業速度が110km/hである117系であるが、最高営業速度130km/h、片側3扉車の313系との性能比がやや気になる。

■京阪1900系 定期点検後も特急塗装維持

 京阪特急として一世を風靡しつつも、老朽化により特急運行から退き、2006年からは廃車が始まった京阪電鉄1900系の動きについて。

Img_7058_1  1900系の廃止が始まったとのことで、定期検査に入り、そもそもこの編成一本は、原型となった1810系の運用開始50周年記念事業として特急塗装に戻された経緯があることから、塗装が特急塗装から通常の京阪塗装に変更されるのでは、という可能性があったのだが、特急塗装は維持されたようだ。1963年から導入開始となった1900系であるが、老朽化が進んでおり、2編成が残るのみとなっている。しかし、旅客需要の高さは、1900系を必要としており、いましばらく、1900系は維持されるようだ。

HARUNA

(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)

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大阪駅列車撮影 新鋭321系・683系から国鉄485系・キハ181系まで

2008-05-12 17:33:29 | コラム

■大阪駅の多彩な車両たち

 大阪にて所用があったのだが、早く着き過ぎたということで、時間まで、気の向くまま大阪駅にて車両撮影ということで、カメラを構えた。京都駅と同じく、様々な方面と東海道本線を結ぶ大阪駅には多彩な車両が次々とホームに滑り込んでくる。

Img_9856  JR西日本が誇る223系。1000番台と2000番台は東海道本線を、新快速として結んでいる。一部は敦賀を基点、多くは長浜から米原、彦根、野洲、草津を結ぶ琵琶湖線を通じて京都へ、そして高槻を筆頭に挙げるベットタウンを結ぶ京都線を快走して大阪へ、大阪から神戸線として尼崎、芦屋、そして神戸を結び、明石、加古川を通じて姫路にいたる神戸線、そして一部は播州赤穂までを結んでいる。

Img_9929  最高営業速度130km/h、転換式クロスシート車であるこの223系は、京都大阪神戸などの東海道本線を往く近郊電車の標準型といって過言でない地位を担っており、新快速は、名古屋を中心に東海道本線を走る313系電車とともに、乗り継ぎによっては(米原で乗り継ぐ)、浜松から姫路までの実に387kmもの距離を結んでいる。

Img_3094  221系。片側3扉、転換式クロスシート車として民営化後のJRが1989年に投入した車両。内装などは前述の223系の基本形といえる車両で、現在は東海道本線の快速、普通列車とともに、関西本線で運行され、奈良線や山陰線、阪和線、福知山線など運用の域が広がっている。きくところでは、この221系の内装が転換式クロスシートとされた背景には、阪急、京阪、近鉄、南海、山陽電鉄などのクロスシート車両群への対抗があったとされる。

Img_9857  ロングシート車として運行される207系(右)と、数年前から導入されている321系(左)。207系は1991年より導入開始、東海道本線、関西本線、阪和線、福知山線などで運行されている。321系は2005年より導入が開始され、207系とほぼ同じ路線で運行されている。異なるデザインだが、運用思想から来る設計の共通性が垣間見える。

Img_3141  特急サンダーバード号の大阪駅到着。683系特急車は160km/hでの営業運転を可能とする韋駄天、いや、高性能車で、後述する特急雷鳥号とともに金沢と大阪を結んでいる。新幹線は到達していない金沢とを結ぶ特急として、写真の車両は連結された貫通扉を有する先頭車が二箇所で結節しており、三連16両という長大な編成で運行されているのがみえるだろうか。

Img_9976  683系特急車の貫通車とともに並ぶのは223系0番台。223系は京橋行きの関空快速と表示があり、京都方面から関西空港を結ぶ空港特急はるか号とともに、関西国際空港と大阪中心部を結ぶ快速電車として活躍している。それにしても、223系といっても、ライトの形状が違うだけでここまで印象がかわるものか、と思わされるデザイン。

Img_9924  関空快速と紀州路快速を連結した車両。この車両は転換式クロスシートを採用しているが、二列×一列方式の転換クロスシート車である。空港快速という性格上、スーツケースなども大型の荷物を持った旅客輸送に対する対応と、大阪中心部を貫く快速電車という性格上、ラッシュ時の混雑に対応するという観点から採用された設計といわれている。写真は京橋行き。

Img_3061  特急雷鳥号。写真の先頭車輌はいわゆるパノラマグリーン車。パノラマカーと呼称されることもあるようだが、名鉄7000形電車を知るものとしては、パノラマカーというにはやや視界が狭いのでは?と。485系の改造なのだから、運転台を上に置いたまま客席を前面まで出してしまう方式をやってみたら良かったかも知れない。

Img_9963  案内表示板で、もう少し先とされていた大阪終点の雷鳥号到着。どうやら、回送になってからの発車順序を表示していたようで、あわててホームを移動したときには、485系は、雷鳥の表示から回送の表示に切り替え終わったところだった。回送、と出ているとやや味気ないが、隣に同じ国鉄型車両である大阪環状線の103系電車が停車していると、なかなかいい絵になる。

Img_9957  近代化して201系に。次々と入れ替わる大阪環状線のホームに面しているだけに、国鉄型車両も次々と入線してくる。ああ、これで485系の表示が雷鳥のままであったらなあ、と。103系、201系共に国鉄の一時代を築いたロングシート通勤車。そして485系も国鉄特急の代名詞と呼ばれたほどの時代を築いた名車だ。

Img_3071  特急北近畿号。新大阪(一部は京都)から大阪を経て福知山、そして豊岡、城之崎温泉に至る特急。京橋へ向かう201系(ちょっと電柱が邪魔なのはご愛嬌)とともに、大阪を前に国鉄時代が出現している。特急料金を支払うには、それなりのサービスの画一性が欲しい、と、ホームで待機する隣の新型特急を見ながら自分の乗る国鉄時代の特急を眺めたことは、旅好きや地方に多く仕事で移動する方が一度は持たれただろう心情かもしれないが、乗ってみると、これはこれで味があったりする。

Img_3074  車両は183系800番台電車。雷鳥に運行されている485系と非常に良く似ているが、それもそのはず、485系の交流電器機器を取り外した車両とのこと。この車両は前面は貫通扉を有しているタイプで、スライド観音開き式に開閉させ、連結することができる。

Img_3117  大阪から神戸、姫路を経て鳥取と結んでいる特急はまかぜ号。電化されていない区間を走ることから、キハ181系気動車にて運行されている。このキハ181系は、国鉄時代に非電化区間の特急車として活躍した車両であるが、聞くところでは現在運行されている車両は、臨時を除けば、この特急はまかぜ号くらいのものらしい。

Img_3100  京都駅から、大阪、姫路を経て鳥取にいたる智頭急行の特急スーパーはくと号のHOT7000系気動車が大阪駅に到着する。特急はまかぜ号と似た経路を走行するが、京都から鳥取に行く場合は、経路などを含めると特急はまかぜ号よりも、この特急スーパーはくと号の方が早くてやや安価、とのこと。

 この少し後には、寝台特急日本海号が到着する。以上のように、大阪駅でも多彩な特急車両や通勤車両などをみることができる。

HARUNA

(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)

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