北大路機関

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【京都発幕間旅情】三嶋大社,源頼朝所縁の伊豆国一宮は東海道から伊豆諸島火山神鎮めを願う

2019-04-17 20:09:54 | 旅行記
■伊豆総社,満開の桜と共に参拝
 日本の東西大動脈東海道新幹線三島駅、そして東海道本線と伊豆箱根鉄道の拠点駅でもありますが、この街は駅前から風情ある公園や歴史が広がり、一つ散策してみたくなった。

 三嶋大社、静岡県三島市に鎮座します社殿は伊豆国一宮であり伊豆国総社、旧社格では官幣大社に列せられ現在は神社本庁別表神社という、三島市を代表する社殿です。丁度桜が満開の季節に参拝の機会を得まして、一つ花弁舞うその参道を本殿へ歩みを進めました。

 境内には池がありまして、その先に厳島神社の境内社が。神社の源氏との所縁を考えますと平家との所縁深い厳島神社の境内社というものには少しだけ不思議な印象を受けなくもありませんが、長い年月と共にその情景は一種調和と和解の印象を受けなくもありません。

 三島市、新幹線三島駅では意外と利用する駅です。こう言いますのも、東富士演習場に富士駐屯地と駒門駐屯地に滝ヶ原駐屯地や板妻駐屯地、富士地区の自衛隊行事から最寄りの新幹線駅が、此処三島駅なのですね。ただ、この三島市、新幹線の乗換だけでは勿体ない。

 伊豆箱根鉄道三島田町駅へ、三嶋大社最寄駅は特急踊り子号も停車する三島田町駅から市役所方向へ歩みを進めて直ぐです。伊豆箱根鉄道と云えばラブライブサンシャイン電車、とは最近の事でして、その名の通り、三島市に伊豆国一宮が置かれる所縁が見出せます。

 ガメラ-大怪獣空中決戦、1995年の映画では“富士は遠いですか?”と三島駅前タクシー乗り場にて藤谷文子演じるヒロインの草薙浅黄さんが松尾貴史演じるタクシーの運転手に聞き、遠いけどさ、と返ってきますが、実はビジネスマン中心に富士から新幹線三島駅へ移動する人は多い。

 大山祇命と積羽八重事代主神を祀る三嶋大社、歴史は実に古い。その創建の頃は定かではないというのですが新抄格勅符抄という地誌歴書によれば天平宝字年間の758年には日照りと渇水への神事を行った記録があり、8世紀頃にはこの地に崇敬を集めていたという。

 伊豆諸島、伊豆半島から続く火山諸島は古代より盛んな噴火を続け今日に至ります。この島々の噴火は古くから火山神信仰へと繋がり、一説に伊豆諸島そのものを御島神と崇敬した事が、三島と地名へ繋がったともいわれます。三嶋大社はその神の怒りを収める願いが。

 満開の桜、というものは春を代表する風景ですが、なにしろ桜の季節は僅かに数日間、満開を経て散ってしまいます。それだけに毎年を大事に散策しませんと、なにしろ一生というものは長いようで短い、一日一日を大切に生きねば、と怠惰を戒めるような風情をもつ。

 本殿と幣殿と拝殿連なる権現造複合社殿は寛永年間徳川家光造営時から繋がる。下田市白浜に最初期の社殿は在ったと伝わり、すると伊豆諸島の神々を祀るとの意味が分かります。歴史書吾妻鏡によれば治承年間の1180年には現在の三島市に遷座していたといいまして。

 源頼朝、三嶋大社が大きく歴史に進んだのは武家政権発祥の英雄との縁です。源平合戦の緒戦を前に家臣安達盛長に対し三嶋社へ奉幣を命じ、この所縁を以て伊豆北条氏と盟約を結びました。戦勝を受け頼朝は御園に河原谷と長崎の神領を寄進、社殿を大きく広めます。

 鶴岡八幡宮、源頼朝の鎌倉幕府と云えば鎌倉を代表する社殿を思い浮かべます。しかし、この三嶋大社も鎌倉幕府将軍は代々参詣を慣習とし歴史舞台となります。三嶋大社と鎌倉幕府の関係、それは当方が富士地区自衛隊行事道中に新幹線三島駅を利用するのと重なる。

 鎌倉幕府は堅固な地形に守られた立地です。この地は史実は勿論、シン-ゴジラででかいのが上陸した以外創作でも安全な地形、鎌倉へは東海道を峻険な箱根越えを経て至ったのですね。その箱根路の入口に三嶋大社は在り、多くの武将も箱根越えに先立ち、この神社を参拝しました。

 南北朝時代、鎌倉末期から室町時代に至る騒乱の時代となりますと、この三嶋大社は源頼朝源平合戦緒戦の戦勝祈願地として戦勝祈願の聖地となり、さらに多くの武将の崇敬を集めます。応仁の乱時代には戦火を避け、しかし大社、転機と災厄は戦国時代に訪れる事に。

 甲相駿三国同盟により安泰と思われたこの地は三国同盟崩壊と共に後北条氏と武田氏の騒乱に巻き込まれ、社殿は度々破壊されました。後北条氏によりその都度復興するも鎌倉期の社殿はこの時点でほぼ破壊されつくしたという。ただ、江戸時代は幕府の保護を受ける。

 徳川家光が大規模に拡張した社殿は五重塔や護摩堂と経蔵を連ねる壮大なものでしたが、しかし、安政東海地震や関東大震災に北伊豆地震により度々破壊されており、その都度復興しました。権現造複合社殿は重要文化財、多く災厄越え今日も伊豆の為に祈っています。

 三嶋大社から三島駅は、実は徒歩にして十分少々の立地にあります。伊豆箱根鉄道で、と息の道程を記載しましたが、これは参道正面へ向かうもの。もう一つは伊豆箱根鉄道の電車を撮りたかった事もありますが、帰路は本殿裏そのまま三島駅まで徒歩で直帰しました。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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