■台風直下の豊川駐屯地祭速報
台風直下、といえば距離もあるので言いすぎかもしれないが、突如発生した季節はずれの台風が天候を刺激し、荒天下の駐屯地祭となった。しかし、観客を圧倒させ、余韻とともに幕をおろしたことを速報にて紹介したい。
荒天となっていても、野戦特科を中心とする戦闘職種ということもあり、豊川駐屯地祭は晴天プログラムであった。航空祭であれば非荒天時が縮小、体験航海であれば中止になりそうな状況であったが、さすが地に足をつく陸上自衛隊、雨天に動じない式典を展開した。
部隊入場。職種を示すスカーフが鮮やかだ。豊川駐屯地祭は、豊川駐屯地に隣接するグラウンドで開催される。いろいろなところと比較してみると、駐屯地祭を行う会場としては比較的手狭となるのだろうか(伊丹基準にすると広いかな)。
指揮官に対し敬礼。同時に勢いよく旗が振られる。第10特科連隊を中心として、第49普通科連隊、第10高射特科大隊、第6施設群などが駐屯している。規模としては第10師団管区内では最大規模の駐屯地であり、中隊旗なども含めると文字通り旗の波である。
指揮官巡閲。第10特科連隊長兼ねて豊川駐屯地司令の藤田1佐が車上から部隊を視閲する。豊川駐屯地所在部隊は、愛知県三河地方を中心に25市町村の防衛・警備・災害派遣を受け持つ部隊ということもあり、雨天ながらも観覧者の姿は多かった。
指揮官訓示、来賓祝辞を終え、観閲行進準備の号令がかかる。第10師団では、この号令とともに早駆前へ!、車輌に駆け寄る。行進して退場するよりは、迫力がある情景である。グラウンドの端々に配置された各種車輌のエンジンに火が入り、式典の歯車は観閲行進へと一気に動いてゆく。
第49普通科連隊の高機動車。第49普通科連隊は即応予備自衛官を基幹としたコア部隊であるが、四個普通科中隊、対戦車中隊、重迫撃砲中隊から編成されており、第10師団の師団改編とともに新編された新しい部隊である。
第49普通科連隊第4中隊の軽装甲機動車。第10師団では中部方面隊において速い時期から、この車輌を受領、その戦力化に務めてきた。普通科部隊の装甲化を一気に進めた車輌である。分隊機銃や軽MATといった火器の火力拠点として、流動的な近接戦闘を担保する車両である。
第10特科連隊は五個大隊編成、第1大隊から第4大隊までは二個中隊を基幹とし、師団の全般支援に当たる第5大隊は四個中隊編成、合計12個の特科中隊を有している。観閲行進には各中隊からFH-70榴弾砲二門が参加、合計24門の火砲が観閲行進に参加した。ちなみに、中部方面隊の他師団・旅団に編成されている特科隊の火砲定数は20門ほどだとか。
中砲牽引車に牽引され、観閲行進を行うFH-70榴弾砲。昨年は砂塵の観閲行進であったが、今年は泥飛沫の観閲行進であった。この他、本部管理中隊の車輌や情報中隊の対砲レーダーなどが観閲行進に参加。施設群の装甲ドーザーや地雷原処理車の観閲行進では、振動で大地が揺れた。
訓練展示の様子。特科中隊を中心に第49普通科連隊の小銃小隊が仮設敵に染料された陣地を奪還するという想定で行われた。写真では、情報収集を兼ねて前進する軽装甲機動車と、それを支援せんと、射撃陣地へ自走し前進するFH-70榴弾砲の様子が写っている。
仮設敵は装甲車を持ち出して攻撃を加えてきた為、我が方も74式戦車を展開させ、直接照準射撃によりこれを制圧する。74式戦車は滋賀県の今津駐屯地より展開してきた。長い105㍉砲を目標に照準しつつ、発砲(空包)のために会場中心に進入する。
前進する軽装甲機動車。写真の車輌にはMINIMI分隊機銃が搭載されている。これは小銃弾を用いる軽機関銃で、必要に応じて89式小銃の弾倉も利用し射撃を行うことが出来る。軽装甲機動車は、この分隊機銃の火力拠点として運用され、一個小銃班は複数の車輌を運用することで、個々の火力拠点を複合的に運用することが可能となる。
中隊効力射を行うFH-70榴弾砲。特科連隊の駐屯地ということで、訓練展示には三門のFH-70榴弾砲が参加。連隊戦闘団編成時には直接支援火力として配備されるが、中砲として全般支援も可能な性能を有している。155㍉という口径もあって、その砲焔もかなり大きく、三門が順次発砲するため撮影は容易である。
74式戦車の発砲、空包射撃である。昨年は、この発砲される先にて撮影していた。正直、空包でも戦車に撃たれるのは怖かったりした。駐屯地祭の流れは昨年とほぼ同じ、撮影位置を変えてみるとまた違った情景を撮影できたように思う。詳しくは、式典編・観閲行進編・訓練展示編・装備品展示編に分け、詳報として後日掲載したい。
HARUNA
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