北大路機関

京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

【日曜特集】富士学校創設63周年富士駐屯地祭【08】激戦展開!富士の戦い!(2017-07-09)

2018-06-24 20:10:00 | 陸上自衛隊 駐屯地祭
■壮烈!富士戦闘団の訓練展示
 状況解説と、元々の観閲行進用の解説記事とともに富士学校祭富士教導団の富士戦闘団訓練展示の様子を紹介しましょう。

 前回は攻撃に転じた富士戦闘団が敵地雷原に接し停止した瞬間に敵対戦車ミサイルの攻撃を受け戦車一両が大破しました、そこで特科部隊の支援下、離脱を図ることに///戦車教導隊の観閲行進です、富士学校が自衛隊の戦車の行く末を決めます。しかし、自衛隊の専守防衛の防衛戦略は創設の1954年以来不変であるのですが、創設以来重視されていたのは戦車火力でした、自衛隊は装甲車軽視と云われますが、これは戦車を重視ゆえ。

 第一線の敵地雷原と思いもしない敵防御線を前に指揮官は突破を一時中断し包囲機動か迂回かの選択を迫られる///戦車の火力や性能を重視した結果、そのために予算を集中した為でして、第二次世界大戦においてアメリカ軍のM-4戦車や、ソ連軍のBT-7戦車に散々な目に遭わされたために他なりません。兎に角、日本を防衛するには敵戦車の攻撃衝力を如何に潰すかが重要でした。

 敵情はどうか、一人の普通科隊員が思い切って立ち上がり見え隠れする敵前衛へ反撃を試みる///しかし、戦争経験の形骸化といわれるように、昨今の自衛隊の戦車軽視は、専守防衛という大前提を忘れたとしか言えない状況です。専守防衛と云えばどこが戦場になるのか、特に海外で戦争させる国にさせないとの一部主張、戦争は我が国土で行え、という事となる。

 負傷者発生、立ち上がった隊員が直後に狙撃され重傷だ、という状況、敵狙撃兵へ89式小銃にMINIMIが最大限の弾幕を張る中で倒れた戦友を第一線救護が///しかし、敵前衛部隊には狙撃部隊が協同していた、潜伏斥候のように隠れて前衛の外縁を狙撃部隊が担う運用だ///日本は国土が外敵に侵略されて初めて防衛力を行使するという世界的に視て、国民が機縁に曝されるまで何もしないことが平和であるという憲法解釈を国民自身が支持している不思議な国家です。つまり、日本の平和的国防戦略とは、沖縄戦やサイパン戦のようなもの。

 しかし、この状況の変動を活かして敵対戦車地雷に前進を阻まれ敵対戦車ミサイルから退避していた戦車が一挙に離脱を図る///専守防衛を突き詰めれば沖縄戦やサイパン戦住民が巻き込まれる国土での戦闘を国民が平和と歓迎しているのですね。これこそ戦争経験の形骸化といわざるをえない。現在の専守防衛を貫くのであれば、開戦は即座に本土決戦を意味します。この点をもっと考えるべき。

 装甲車が新たに投入され負傷した戦友を後送するべく引きずって装甲車へ、装甲車が段列地区の野戦病院へ搬送する、自衛隊には装甲救急車が無く第一線の装甲車を引き抜かねばならない現状を示す///専守防衛、開戦とは即座に本土決戦を意味し個人的にこれでは国民の生存権を担保できないので、海上で撃破した後に侵略した敵の港湾などの施設を徹底的に破砕し、我が国土に戦火が及ばないようにする、手段としての平和主義よりも国民の平和的生存権を重視する。

 救急車代わりの装甲車が掩護を受け離脱する、装甲救急車、例えば天井の高いNBC偵察車を転用した装甲救急車を開発し、一刻も早い量産が求められる///その上で相手が侵略糸の継続の意思を継続するのであれば、作戦遂行能力を全般的に痛撃する施策があっていいと思うのですが、ね。どうも手段が目的化する、という構図は日本社会、義務教育の学校生活から社会での経済活動や地域合意形成まで多いような気がする。

 96式装輪装甲車の離脱、装甲救急車であればこの状況でもジュネーヴ条約が直接照準射撃から国際法が保護しますが、この状況では他の装甲車と区別がつかない///平和憲法に固執するのであれば、せめて戦車と装甲火力と砲兵火力を強化しまして、沖縄戦を踏襲しないように、着上陸の海岸線でこちらの戦車と砲兵火力が叩き潰すような、千島列島占守島で戦車11連隊が実施したような、強力な機甲戦力が専守防衛には不可欠です。

 とにかく敵狙撃手を黙らせなければならない、そのために普通科教導連隊から最高の狙撃手が最良の観測手とともに装甲車で進出する///沖縄戦は平和でしたか?、サイパン戦の最後に国民はどうなりましたか?、専守防衛とはそういうことです。国土を戦場とするまで相手が手出しに着手した瞬間まで看過する、これが平和憲法なのですが。歴史を改めて調べ、少ない生存者の方に話を聞いてもそう思う。

 狙撃手が完璧に偽装された車内からM-24,対人狙撃銃を射撃する、数発の応戦と共にこうして敵狙撃部隊は制圧された///平和憲法では戦力を持たないことが平和につながる、という国是をしめしています、当時の国連憲章ではそもそも二条四項に戦争そのものが禁止されていたので、という根拠があるのですが、強制力を持つ国連憲章も自衛権という国家の自然権を冒す事は出来なかった。

 突破だ!、攻撃の再興へ先ず敵の敷設した地雷原を障害処理するべく地雷原処理ローラーを装着した90式戦車が土煙を巻き上げながら突進する///国際法上、戦争は無くなりましたが国家間の武力紛争と名前を変えて存在します、このために日本も軍隊を廃止しましたが自衛隊と名前を変えて防衛力を維持している訳ですね。しかし、その自衛隊の創設を憲法が盛り込んでいない、ここに齟齬の根底が見えるのです。

 92式地雷原処理ローラが12tの重量で敵地雷原を踏み潰して破壊するべく突進する、攻撃気道は三要素、突破か包囲か迂回か、指揮官は敵前地雷処理を経ての突破を図ったのだ///戦車重視を主張するのは、国土が戦場になるまで防衛力を使用しないという我が国だからこそ、緒戦で相手を圧倒するための戦力が必要であり、しかも戦場は国土に限られています、それならば、戦車が必要です。こうしたならば、戦場は海岸線より内陸へ進みません。

 だが敵は突破を想定し前衛部隊の虎の子、T-74戦車で反撃を加えてくる、我が方90式戦車の空包よりも迫力ある空包射撃で迎え撃ってきた///日本は海洋国家なのだから海上防衛力を重視すべき、という主張もあるにはあるのですが、海上戦力をどれだけ整備しても憲法が専守防衛のみを定めているのであれば、それは法治国家として使えない戦力に他なりません。これは海洋国家であっても憲法の条文覆らない。

 撤収!、90式戦車は即座に転進後退した、どうも今年度の仮設敵は手ごわい///専守防衛なのだから陸上戦力が骨幹戦力となるのは違いない。ところが、小泉内閣時代以降の日本の防衛はどんどん戦車を削減する方針を継続しています、沖縄戦の悲劇、サイパン戦の悲報、これらを忘れない為には、自衛隊の師団や旅団には戦車大隊が必要でしょう。

 攻撃失敗は中々無い、90式戦車が即座に反撃、自動装填装置で4秒間に一発を射撃でき、2両揃えば二秒に一発敵部隊へ必殺の戦車砲弾を叩き込める、一個小隊4両ならば毎秒一発戦車が吠え続ける事が出来る訳だ///戦車教導隊第1中隊の10式戦車です。120mm滑腔砲を高度な火器管制装置と自動装填装置により管制し、遠距離目標を高速で起動しつつ連続射撃し勝ち抜く事が出来ます。初めてこの戦車を見たのは2011年の富士駐屯地祭でしたが、機動力が強く印象に残っています。

 空包射撃、ただ、90式戦車の空包射撃は74式戦車の空包射撃よりも軽く迫力がない///装甲を強化しつつ、車内コンパクト化、重装甲なのですが重量を以前の90式戦車の50tよりも軽量な44tに抑えています、機動力は1200馬力エンジンを無段変速機により他界加速性を有し、アクティヴサスペンションにより水上を滑走するが如く悪路を快速で移動する。

 迫力のない空包でも判定で命中したらば撃破は撃破だ、が、敵地雷原にミサイルと戦車に狙撃兵の防衛線、我が方指揮官は正面突破を断念せざるを得ない///しかし、この戦車は最近欠陥戦車ではないか、と当方は感じています。10式戦車を欠陥戦車を表現する事は、必ず反論、それもかなりの反論を受ける為に避ける人が多いのですが、やはり10式戦車は欠陥戦車と云わざるを得ません、それは政治家が理解していないこと。

 T-74戦車を撃破!、しかし、この仮設敵は地雷原の周辺に対戦車ミサイルと戦車部隊を配置し頑強に抵抗する構えだ///政治家がこの戦車の能力を理解させられていない点にあります、実はこの戦車、年間52両を量産したならば一両あたり7億円まで費用を低減させられるという驚きの量産効果です。元々大量生産の規模が少なかった為、52両の量産でもこれだけ費用縮減できたといえよう。

 施設作業車を進出、戦車同士の戦闘が繰り広げられる最中に偵察隊が迂回機動可能な敵防御線の間隙を発見、戦闘工兵が迂回機動を採ることに///7億円とは3か年分を一括取得した場合の費用としまして概算要求に提示されました、実際に製造元の三菱重工が発表しています、各国戦車が軒並み10億円から輸出価格で15億円を超える中、年産52両の量産はそれ程多くは感じず、コスト管理の努力を感じさせます。

 迂回機動で新しい攻撃機動へ、遠景には大破した我が90式戦車と膠着する状況が続く中、力押しで遮二無二進むのではなく迂回する///52両量産したならば量産効果で一両7億円まで下がるのであれば、毎年364億円投じて量産し、戦車を増やしてゆけばいいのですが、この戦車が量産開始となった直後に、我が国は戦車定数を400両に縮小する決定を下します。これでは短期過ぎ逆に意味がありません。

 特科教導隊が我が施設部隊の障害処理を支援するべく猛烈な弾幕を張る、155mm榴弾砲の発砲焔が物凄い///更にこの戦車の定数は300両まで縮小させる決定が為されるのですが、そもそも世界的に視て安価で高性能の戦車を完成させた直後にこうした決定を下す事が分らない。こうした政策決定を通してしまう事が10式戦車を理解させられなかった、故の欠陥といえましょう。

 施設作業車は自動操縦さえ可能な戦闘工兵車両、なのですが費用が高く数が充分ではない為、北海道以外に配備は進んでいません、それでもこれさえあれば包囲も突破も、勿論防御も可能だ///その上で政府は戦車の不足を補うために、16式機動戦闘車という本来は偵察部隊用に開発されたタイヤ式の装輪機動砲を200両から共同通信報道では300両も生産するとしています、これは無駄過ぎないか。10式戦車と16式機動戦闘車を並行装備するほど余裕はない。

 FH-70榴弾砲の連続射撃、隣には203mm自走榴弾砲を支援する87式砲側弾薬車が並ぶ、155mm榴弾砲と203mm榴弾砲の弾幕が空包で再現される、実戦ならば敵前衛は物凄い状況だ///それならば、10式戦車は軽量で戦略機動性も確保されているのですから、16式機動戦闘車は87式偵察警戒車後継の偵察部隊用などに留め、10式戦車を600両生産する選択肢があったのではないでしょうか、600両あれば42両編成の戦車大隊が15個弱編成できます。

 10式戦車が戦闘加入する、迂回機動を成功させるべく新戦力の投入だ、戦車の数に余裕があれば、攻撃が停滞した場合でも迂回機動を成功させられる、戦車は数が必要だ野だ、という事を端的に示唆する状況といえよう///しかし、16式機動戦闘車の量産が本格化した今日ではこうした表現にはあまり意味がありません、16式機動戦闘車の整備費用にかなりの費用を割いてしまいましたから、ね。生産ラインを整備した上で、一旦始めた、今更少数整備に切り替えては逆に費用が掛かります。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)
(本ブログ引用時は記事は出典明示・写真は北大路機関ロゴタイプ維持を求め、その他は無断転載と見做す)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【日曜特集】富士学校創設63周年富士駐屯地祭【07】訓練展示状況開始(2017-07-09)

2018-06-03 20:07:01 | 陸上自衛隊 駐屯地祭
■富士教導団訓練展示発動
 富士学校創設63周年富士駐屯地祭、今回も写真と解説が外れている点、重ねてどうかご容赦を。

 12式地対艦誘導ミサイルシステム、88式地対艦誘導ミサイル,こんな強力なミサイルはロシア軍から戦術核で狙われる可能性もあるので、坑道掘削装置により地下に掩砲所を建設して地下に配置する事となっているのです。これは一部方面施設団に配備されています。

 自衛隊では南西諸島へ配備を重視している、熊本の健軍駐屯地に最初に配備されており、加えて新設される奄美駐屯地へも配備されるとの事、更に例えば那覇駐屯地と石垣駐屯地に配備したならば、尖閣諸島を含めミサイルの射程に収める事が出来る、日本には心強い。

 特科教導隊第303観測中隊、遠隔操縦観測システムFFOS等を装備しています。後方の1t半トラックは遠隔操縦観測システム簡易追随装置、FFOSはGPSに頼らない自律運用を重視しすぎ、システムが巨大化しすぎ、支援車両6両と大袈裟な支援が必要となっている。

 FFOSは50km先の目標を観測する無人偵察機ですが、無人機、同統制装置、追随装置、簡易追随装置、無人機発射装置、機体点検装置、機体運搬装置、と大型化しすぎています。ただ、GPSや衛星通信システムへ過度に依存する事は必ずしも良策と云えない事も確か。

 広範囲の電子妨害システム、ロシアのムルマンスクBNのような強力な電子妨害システムが開発されている今日、自律飛行とGPS依存度への難点が強調されますが、せめてここまでシステムが巨大化するならば無人機を10機程度同時管制できる能力が欲しいですね。

 ちなみに2015年にOH-1不時着水事故が発生して以降、検査飛行以外のOH-1観測ヘリコプターの運用が停止されているというお話、一旦飛行再開が行われたものの別の事情で予防着陸事案があり、自衛隊観測ヘリコプターはOH-6DとこのFFOSのみとなっています。

 JMMQ-M5気象観測装置や対砲レーダ装置JTPS-P16が続く、JTPS-P16は40km圏内の複数大隊程度の部隊より投射される同時多数の砲弾を 同時に補足追尾し射撃位置を評定することが可能で、30から60までの砲弾を自動処理できる、ロケット弾も追尾できる。

 対砲レーダ装置JTPS-P16は、車両そのものの費用も高いのですが、その情報処理装置と火砲への情報伝送装置が同程度に高い費用を要します。逆にこの重要性を予算面で認識しているかどうかが、砲兵近代化への立場というものを明確に示すものだといえるでしょう。

 JTPS-P16は砲弾さえ探知する強力な電波を放出するため、窪地等で電波を敵に標定されないよう配置すると共に、地中マイクロフォン等で敵の砲撃を感知した瞬間に電波を発します。これは音響標定といい、これだけでも大まかな敵火砲の位置を探る事が出来ます。

 音響標定は一切電波を出さず、複数のマイクロフォンへ伝播した音響の所要時間から計算し射撃位置を探るもので、ロケット弾を標定出来ないのですが、対砲レーダ普及前は対砲兵戦の標定における主流でした。自衛隊では音響とレーダーを併用し二重の確度を目指す。

 JMMQ-M5気象観測装置は湿度や風速などを地上観測装置とゾンデ追尾装置により精密観測します、気象というものは長距離砲撃にはかなりの影響を及ぼすので気象観測は重要な任務です、何しろ一切誘導しない砲弾を砲口から発射し、30km先を狙うのですから、ね。

 特科部隊の縮小と共に情報中隊から化学科部隊へ異動する事例もあり、これは化学剤散布等の分散状況を把握するためにも気象観測が重要である為です。しかし、火砲が縮小される分、一門当たりの責務は増大するのですから情報優位の質的向上の施策も必要でしょう。

 教育支援施設隊の観閲行進、陸上自衛隊には施設学校として、施設科の戦闘工兵任務や建設工兵任務の戦術研究や幹部教育を行う期間が茨城県の勝田駐屯地にありますが、富士学校は普通科部隊の陣地攻撃や機甲科部隊の通路啓開等に施設科部隊の支援は不可欠です。

 特科部隊の陣地構築にも必要ですので独自の施設科部隊に教育支援施設隊を有しています。富士教導団には衛生隊や後方支援連隊に当たる部隊はありませんが、東富士演習場ではこの施設隊を加える事で独立した運用を行う事が出来る。逆に、こうしないと演習できない。

 施設科部隊は、考えてみますと普通科連隊にも施設作業小隊が隷下に置かれているように、隊員が施設科隊員が居なければえんぴでせっせと陣地構築し、対戦車ミサイル用の掩体を掘るだけでも実に長時間かかる。ここで施設科部隊が支援したらば掩体など一発で掘れる。

 もともと蛸壺陣地として一人用の個人掩体が組織的に運用されたのは1861年の南北戦争ですが、蛸壺に個人携行品と予備弾薬や糧食を備蓄するには限度があり、蛸壺陣地と横につなぐ戦術が一般化します、これが塹壕、これ以前にも攻城用の通路としては存在した。

 野戦築城として散発的に掘られていた塹壕が陣地として定着してゆきました。従来、工兵の任務は攻城戦における敵城塞の破壊という基本があり、これを排除するために攻城戦は野戦へと変容してゆきました、逆にこの頃に包囲された場合単独で撃退が難しいとされた。

 この為、攻城戦では工兵の支援に当っていた砲兵が野戦では野戦砲兵として威力を発揮し、その上で地域制圧を行う歩兵と機動打撃力としての騎兵との連携が行われていたのですが、陸戦技術と戦術変容は此処に変革を強いた。攻城技術の発展が籠城を厳しくした訳ですね。

 工兵は銃という第一線火力の性能向上とともに再度野戦築城という任務、この野戦築城を踏破する障害処理という形で意義を深めていったわけですね。この技術変化の戦術への影響は時として生じるものでして、歩兵や騎兵に砲兵と工兵が順次主役を変えてゆきました。

 攻城戦闘主体の時代には、現在のような歩兵主体の時代ではなく、歩兵より工兵が重視されていた時代がありますし騎兵優位時代もありましたね。騎兵主体の時代は主兵装が弓矢の時代で機動力と相乗させる事で優位性を確保できましたが、小銃火力発展の前に潰える。

 92式地雷原処理車、爆導索という爆薬を連結させたロープをロケット弾で遠方に投射するもので、爆薬24個を連結しています。地雷は特に対戦車地雷などは、自衛隊が用いる92式対戦車地雷で爆破したならば高圧のジェットが2000mまで吹き上げる、というもの。

 この高圧ジェットを戦車の底部に叩きつける事で戦車を破壊します。このため、地雷原処理車は幅5m、長さ200mの地雷原を強力な爆薬で一挙に誘爆させ、通路を造りだします。略称はMCVといいますが、このMCV,16式機動戦闘車のMCVと呼称が被ってしまった。

 91式戦車橋、74式戦車の車体に戦車用架橋装置を搭載したもので、20mの橋梁を架橋させることができます。90式戦車を含め全ての装備品が通行可能で、北部方面隊を中心に装備しています、河川を越えるというよりは対戦車壕などを突破する際に用いる装備品です。

 戦車部隊に必要な装備です、このため装備数は30両ほどではありますが、この他に自衛隊には81式自走架橋柱や07式機動支援橋が装備されています。こちらのほうが橋長は大きいのですが、しかし架橋に時間がかかり、戦車部隊の攻撃前進等には、不向きの装備です。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)
(本ブログ引用時は記事は出典明示・写真は北大路機関ロゴタイプ維持を求め、その他は無断転載と見做す)
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【日曜特集】富士学校創設63周年富士駐屯地祭【06】戦車教導隊の観閲行進(2017-07-09)

2018-05-13 20:08:01 | 陸上自衛隊 駐屯地祭
■特科教導隊と戦車教導隊
 富士学校創設63周年富士駐屯地祭、その前の年度、訓練展示模擬戦が無かった年度行事用説明文を転用しましたので、写真と解説が外れている点、どうかご容赦を。

 203mm自走榴弾砲は自衛隊最大の火砲で、大口径の軍団支援火砲でありながら、極めて軽量に収めた点が特色だ。28tなので自衛隊のC-2輸送機でも空輸可能という。軽量だが37口径の長砲身を活かしてRAP弾では射程30kmを誇る、が、軽量化を重視しすぎました。

 軽量化を重視し過ぎた為に操砲には11名が必要なのですが、車体には5名しか乗車できないので残る6名は随伴車輛で移動し射撃時に合流する必要があるのです。また屋根が無いのは軽量化のため、砲弾も車体が小さいので肝心の砲弾が僅か2発しか積めないという。

 威力は凄い、一発90kgもある砲弾を最大毎分2発発射できる。もっとも方針が痛むので緊急時に限られ、持続射撃では2分に1発が投射される。その威力、対コンクリート信管を用いた場合2m近い厚さを貫徹するし、地中に4.5mまで潜りこんで地下壕などを破壊する。

 空中炸裂信管を用いた場合は長径90mという凄まじい広さに砲弾片を散布でき、これぞ軍団砲兵という印象で、師団などが攻撃目標に向かう際、要塞施設や地下施設等の軍団全体で対処する目標に対し投入され、重要橋梁や飛行場施設等の破壊にも用いられる火砲です。

 203mm自走榴弾砲には87式砲側弾薬車が基本的に随伴する。1tクレーンにより砲弾を供給でき、車内には50発の203mm砲弾を搭載している。装甲車両でもあり、火山災害などに際しては不整地突破能力の高さと汎用性を活かして災害派遣に充てられたこともある。

 87式という呼称の通り、自衛隊が203mm自走榴弾砲を装備開始したのは1983年と比較的最近です。ただ、高精度の砲身は製造方法をアメリカが開示できないとして車体自体をライセンス生産しています。エンジンは旧式なのでライセンス生産ではなく直輸入でした。

 C-2輸送機で空輸できる貴重な火砲なのだから、全廃せず多少は残してはどうかとも思う。99式自走榴弾砲は重量が40tもあるのでC-2輸送機には搭載出来ない、軍団火力なのだから威力が大きいのは確かで、島嶼部防衛に必要な装備と思う。それ程砲身も傷んでいない。

 なにより、203mm榴弾砲が掩砲所で待ち構える離島へ上陸してくる可能性は限りなく低くなる、威力そのものよりも象徴的な意味合いで、意味があります。例えば台湾などは240mm榴弾砲を離島に配備していますし、フィンランドの様に沿岸砲を維持している国も、ある。

 特科教導隊第5中隊のMLRS,自走榴弾砲に代わる陸上自衛隊の全般支援火力車両です。1両17億円と非常に高価な装備であったけれども、鋼鉄の豪雨と湾岸戦争でイラク軍機甲部隊に畏れられたこの火力を陸上自衛隊は大いに信頼し、実に99両も揃えているのです。

 水際撃破として自衛隊が内陸誘致戦略から運用を転換した時期に導入されており、導入当時はM-26ロケット弾を投射、一発で100×200mの範囲をクラスター弾が破砕し、一両で12発を連続射撃でき、一個大隊18両が同時射撃したならば広範囲が灰燼に帰すでしょう。

 オスロプロセスクラスター弾全廃条約によりM-26は日本では使えなくなってしまいました。そこで自衛隊はM-31ロケット弾を導入します。血税大金で買ったM-26の廃止は心が痛みますが、M-31ロケット弾は一発で50m四方を吹き飛ばす単弾頭型のロケット弾です。

 100×200mのM-26と比較したならば50m四方の制圧力というものはそれ程大きくは無い、が、射程はM-26の30kmからM-31では70kmまで伸びた、それだけではない、M-31はGPS誘導ロケット弾で命中精度が極めて高く、これは戦術ミサイルといえるでしょう。

 MLRSはM-31ロケット弾の導入で、面制圧火力から精密誘導火力へ転換したことになる。日本は専守防衛なので、住民が残る可能性と住宅街が広がる国土で面制圧火力を投射したならば付随被害が大きすぎる、ならばGPS誘導で精密誘導し命中精度を確保した方が良い。

 もちろん、GPS誘導方式ではない従来型の無誘導射撃も可能です、GPSの軍用回線は妨害を受けにくいが、座標入力の時間が無い場合に標定さえ出来れば即座に射撃できる利点は忘れてはならない利点でしょう。こうした意味でミサイルではなくロケット砲なのですね。

 専守防衛というものは実に面倒なのです。実際にオスロプロセスクラスター弾全廃条約でも、日本側が提唱する自国領土内での防衛を例外とする保持論は各国を悩ませたという、日本の専守防衛政策は世界の外交関係者の間で名高いし説得力もある、どうするべきか。

 しかし、アメリカやロシアも自国防衛用に残す、と日本の主張を支持した場合は本当にアメリカ本土決戦にのみ使用し中東や東欧では使用しないのか疑問となる。しかし、専守防衛用に例外措置を執ればアメリカとロシアがクラスター弾全廃部分同意の可能性があった。

 結局、日本は折れる形で専守防衛用も含めクラスター弾全廃に同意した、しかし、アメリカやロシアと中国やイスラエルはクラスター弾全廃条約に批准しなかった、結局クラスター弾を運用する主要国が参加しないまま全廃条約だけが独り歩きしまして成立したのです。

 世界規模で削減されたクラスター弾は少ない、NATOではイギリスやフランスとドイツが削減しているが元々冷戦後の軍縮の一環として元々縮小予定であった、これを成果とするのか、考えさせられるものが多い中、自衛隊は1999年までMLRSを調達し続けています。

 特科教導隊第6中隊は12式地対艦誘導ミサイルシステムを運用している中隊です。冷戦時代末期に開発された88式地対艦誘導弾の後継装備で、射程180kmの地対艦ミサイル、資料によっては250kmの射程を持つとも言われる、自衛隊の着上陸阻止への切り札のもの。

 250kmの射程を持つとも言われる背景ですが、このミサイルは地形追随飛行を行うため、直線であれば250km飛翔できるという意味だろうか、と考えた事もありました。この場合、沿岸から射撃は有り得ず、250kmの射程を持つとも言われても余り意味は無いでしょう。

 ミサイルは捜索標定レーダ装置を眼として運用します。捜索標定レーダ装置、一個連隊に12両が装備される虎の子で50kmの索敵能力がある。射程よりも捜索能力が短いのが気になるが、これは元々ミサイルを内陸部に展開させレーダーだけを沿岸部に展開させるため。

 ただ、多少使いにくいのでレーダーに加えて12式地対艦誘導ミサイルシステムからはP-3C哨戒機やP-1哨戒機、護衛艦などの目標情報と連携を重視しているほか、電子隊による電子標定により海上の水平線の向こう側にある目標情報を共有する運用も重視しています。

 12式地対艦誘導ミサイルシステムは配備開始間もない装備であるので詳細は未知数です。先代の88式地対艦誘導弾は6連装発射機16両で連隊を編成、段列地区に更に2斉射分を弾薬輸送車に積載し待機していた。一回の斉射で96発、292発のミサイルを携行していた。

 この装備の完成でロシア軍の北海道侵攻は極めて難易度が増している、といえるでしょう。北海道だけで3個連隊が配備され、有事の際に仮に大雪山付近に展開したならば北海道周辺全域にミサイルを投射可能となります。実際開発の射程要求はこうして出されました。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)
(本ブログ引用時は記事は出典明示・写真は北大路機関ロゴタイプ維持を求め、その他は無断転載と見做す)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【日曜特集】富士学校創設63周年富士駐屯地祭【05】特科教導隊の観閲行進(2017-07-09)

2018-04-29 20:04:43 | 陸上自衛隊 駐屯地祭
■203mm自走榴弾砲の迫力!
 富士学校創設63周年富士駐屯地祭,元々より前の行事用に解説記事を作成し急遽昨年の富士学校祭写真へ転換しましたので若干写真と解説分の離隔がある事をご了承ください。

 自衛隊の牽引砲重視、当時の国鉄貨物列車では自動装填装置を有し高性能の75式自走榴弾砲や安価なM-109A2等は全幅が大き過ぎ運べない、しかしFH-70ならば牽引車で高速道路を100km/hにて飛ばせ、貨物列車にも載せられる、ここに自衛隊がFH-70を評価した背景があります。

 特科教導隊第1中隊と第2中隊の観閲行進、74式特大トラック派生型の中砲牽引車がけん引している、普通科部隊を支援し迫撃砲を叩き潰す直掩火砲の105mm砲が軽砲で全般支援にあてる155mm砲が中砲、軍団砲兵用の203mm砲が重砲、として区分していました。

 しかしながら、1970年代以降、世界では155mm砲への統合化が進む事となります、二種類よりは統合した方が良い。そこで自衛隊も105mm砲は礼砲用の予備装備を除き155mm砲へ統合されてゆきます。北海道に75式自走榴弾砲、本土用にFH-70榴弾砲、として。

 39口径155mm砲というものは砲身の長さを示すものです。155mm×39、という砲身の長さに由来する。方針が長ければ装薬の燃焼効率が高くなり射撃時に砲弾速度が大きくなる。初速が大きければ結果射程が伸びる、走り幅跳びと立ち幅跳びの助走と考えれば良い。

 長砲身は有利だが鋳造が難しいという難点があります。仮に鋳造できても精度が低ければ連続発射で変形してしまう、火砲の製造技術向上はこの問題を克服したのですね。我が国では榴弾砲から艦砲まで日本製鋼所が製造していまして、砲身精製精度は世界的にも高い。

 FH-70の最大射程はメーカーによれば射程延伸装薬を用いた場合で42km、ただし実用的な射程は30kmという。東富士演習場では地形成約により3kmの射撃しかできません。日本最長の長距離射撃ができるのは北海道矢臼別演習場の14km、それ以上は海外で行う。

 自衛隊は第二次世界大戦型火砲の後継火砲として、FH-70榴弾砲を選定する際、FH-70のほかにアメリカ製で軽量だが自走能力が無いM-198榴弾砲とスウェーデン製の3発自動装填装置を持ち瞬発火力が大きいが火砲そのものも大きいFH-77を候補として検証しました。

 FH-77は3発の砲弾をクレーンで吊り上げ弾庫に装填すると13秒で全部撃ってしまう、FH-70は緊急射撃で毎分6発というから凄い、しかし日本の道路には大き過ぎたのです。FH-77を開発したスウェーデンは永世中立国、機動力よりは火力重視が要求されている。

 大砲の撃ちあいは過酷です。速度が全て結果に反映されるのです。速度とは何か、砲弾は対砲レーダーに映る、射撃から数分で反撃の砲弾が降り注ぐ、だからNATO諸国は牽引砲よりも自走榴弾砲を選んだのは、撃ったらすぐに移動できるという意味がありました。

 FH-70はこの点も強いのです、FH-70は富士重工製、いまはスバルか、エンジンを搭載していて短距離を自走できる、半自動装填装置により連続射撃能力が高いので数発撃ったら直ぐ陣地変換します。下手に地下掩蔽陣地に籠るよりも、移動した方が生き残れるのです。

 自衛隊はFH-70榴弾砲を479門も調達しました。これはNATOのイギリス、ドイツ、イタリアの調達総数よりも多い。日本製鋼所にてライセンス生産したのですが、量算数を考えますと恐らく日本でFH-70を生産し欧州へ供給した方が安かったのではないでしょうか。

 現在火砲は52口径の長砲身が最新型なのですが39口径火砲も依然として多い、これは冷戦後の趨勢です。そして世界を見れば第二次世界大戦中の火砲も意外と現役だ、我が国周辺では先進国の一員である韓国や台湾で第二次世界大戦中の105mm砲が現役でもある。

 特科教導隊第3中隊の観閲行進、99式自走榴弾砲を装備する特科中隊です。99式自走榴弾砲の長砲身は勇ましい。日本製鋼所が開発した52口径155mm榴弾砲を装備している、その射程は30kmというが薬室容量や後退駐座器の強度上40kmは超えるともいわれるもの。

 北部方面隊の特科連隊と特科隊へ重点配備されており、本土での配備は富士教導団と武器学校のみ。日本の自走榴弾砲は先代の75式自走榴弾砲以来、自動装填装置を採用し素早い射撃能力を持ちます。一効力射30秒3発といわれていたのが75式自走榴弾砲の時代です。

 99式自走榴弾砲は射撃速度と射程、標定装置にデータリンク能力を加え性能は凄い。その分高価と云われるが、生産数は130両ほど、先代の75式自走榴弾砲は退役完了したが実は北部方面隊の特科部隊は定数割れの状態となっているので当分生産は続くとのこと。

 島嶼部防衛を考えると、射程50kmの火砲が欲しい所ですね。99式自走榴弾砲については未知数ですが、世界を見れはロケット補助推進のRAP弾を用いれば50kmの射程を持つ火砲はある、南アフリカのG-6/52ライノ自走榴弾砲は射程最重視の結果55kmに達しました。

 火砲で射程50km以上あるものとしては更に試作に終わったアメリカのクルセイダー自走榴弾砲が70kmを越えています。ドイツのPzH-2000自走榴弾砲も公式では40kmが最大だがアブダビ兵器ショーでは50km超えの射撃を展示し、もっともアフガニスタンで極端に長射程射撃での精度が低下したという欠陥判明はありますが射程は長い。

 50kmを越える射程の火砲があれば、宮古諸島を考えると航空自衛隊の宮古島分屯基地と陸上自衛隊の新しい駐屯地が出来る石垣島や与那国島に配備したならば相互の射程で宮古諸島全域を火力圏内に収める事が可能となるでしょう。島嶼部防衛を考えれば理想的です。

 ミサイルと違い榴弾砲は上陸前の警告射撃や着上陸後の海岸橋頭堡を叩く事が出来る。那覇駐屯地と奄美大島に建設する新駐屯地に配置したならば沖縄県と鹿児島県の離島防衛を火力網で覆う事が出来る。一個中隊だけでもいい、データリンクで繋げばよいのですから。

 陸上自衛隊はFH-70榴弾砲の後継として火力戦闘車という国産装輪自走砲を開発中だ、聞くところでは日野自動車が自衛隊に納入する10tトラックの荷台に52口径火砲か先進軽量砲を搭載し手早く開発する予定だったのですが、メーカーである日野自動車が難色を示す。

 射撃の反動に車体の懸架装置が耐えられるかが疑問として日野自動車が難易度の高さを表明したため。しかし、自衛隊は特科火砲を従来の900門から300門まで縮小する施策を示しているので、いっそ本土の特科部隊にも99式自走榴弾砲を装備してはどうかとも思う。

 99式自走榴弾砲にFH-70と開発中の口径火砲である火力戦闘車、300門の火砲定数を二種類新旧三種類の火砲で充足するなど、幕の内弁当じゃああるまいし、とおもうのです。99式自走榴弾砲の砲塔システムを大型装甲装輪牽引車へ搭載するという手段もあるでしょう。

 特科教導隊第4中隊は203mm自走榴弾砲を装備している中隊です。アメリカ陸軍がM-110として装備していた自走榴弾砲で軍団砲兵用の火力、自衛隊でも方面特科隊に配備している装備で、北部方面隊と東北方面隊に西部方面隊の方面特科に91両が配備されていました。

 重厚な砲身が頼もしい203mm自走榴弾砲ですが、既に東北方面隊からは退役しており、北部方面隊と西部方面隊でも除籍が進む終り行く冷戦時代の重装備と云えましょう。火砲300門体制への転換と共に除籍され、方面隊へはロケット砲が配備される為、後継装備としての重砲は調達されませんでした。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)
(本ブログ引用時は記事は出典明示・写真は北大路機関ロゴタイプ維持を求め、その他は無断転載と見做す)
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【日曜特集】富士学校創設63周年富士駐屯地祭【04】普通科特科の観閲行進(2017-07-09)

2018-04-15 20:17:46 | 陸上自衛隊 駐屯地祭
■普通科教導連隊特科教導隊
 普通科教導連隊の観閲行進、その後続には特科教導隊が行進進入点を越えて待機位置へ前進中だ。

 施設作業小隊の観閲行進、普通科連隊の第一線障害除去や陣地構築などを支援する部隊ですね。すぐ後ろには対戦車中隊が続く。中距離多目的誘導弾は通称中多、ミリ波レーダと熱線暗視装置を併用する事で同時多目標を捕捉し毎秒1発の連続発射能力があります、射程は非公表ですが概ね8kmとされています。自衛隊では重MATに続いて普通科中隊用の87式対戦車誘導弾が開発されています。

 96式装輪装甲車にとうさいされているのは70式地雷処理装置、安全な装甲車から地雷処理が行えるという。中距離多目的誘導弾もこんな方式で運用できればいいのだが。中距離多目的誘導弾通称中多は87式対戦車誘導弾通称中MATの後継という位置づけにもなっています。87式対戦車誘導弾は射程2000m、レーザー誘導方式のミサイルです。射程2000mが中隊の交戦距離、4000mが師団や連隊の交戦距離、と区分していた訳ですね。

 中距離多目的誘導弾のおはなし。重MATの威力も今日的に視て充分なのですが、誘導が赤外線半指令誘導方式という命中まで射手が目標を照準し続ける必要があるため、旧式化したとされました、ちなみに射撃は陣地で行い車上からの射撃は想定されていません、これは機動性という面で問題でしょう。

 中多を初めて富士総合火力演習で射撃展示を見た際には衝撃を受けました、毎秒1発で連続発射し、異なる目標へ確実に命中、3~4秒で戦車小隊を殲滅する能力があります。しかも射程8kmでは戦車砲の射程外から射撃でき、データリンクにより間接照準射撃も出来る。正直なところ、戦車の冷戦後における各国の縮小と反比例して装甲戦闘車が増大している状況では、重装甲の装甲戦闘車を排除するためのこの種の装備、もちろん大口径機関砲を搭載した装甲戦闘車でもいいのですが必要性は高まるばかり。

 中多は戦車が削減される為に普通科中隊へ配備が進められていますが、中隊の装備としては大き過ぎ、連隊に対戦車中隊を置く編成へ転換されるといいます。すると普通科中隊の対戦車小隊に装備が無くなりますが、小銃班の01式軽対戦車誘導弾を移管するもよう。戦車部隊並に対戦車戦闘が強力な普通科部隊、というのも凄いですが野球の強いサッカー部のようで。

 79式対舟艇対戦車誘導弾は赤外線半指令誘導方式のミサイルで今では旧式ですが、照準下方向へと0んで行く。対して01式軽対戦車誘導弾は通称軽MAT,射程1500mのミサイルですが、熱源画像認識装置により射撃後即座陣地変換可能な撃ち放し能力を有します。戦車に対して最も頼りになる装備ですが、陣地攻撃には全く使用出来ず、いわばデジタルカメラのAF機能が使い難い機種のようなもの。しかも電源確保が重要な装備、第一線で使い難い。

 中距離多目的誘導弾通称中多は戦車部隊削減を補う高性能ミサイルです。ただ、戦車の代わりとはいえ一両5億円、戦車は毎年52両生産した場合で一両7億円といいますので、安いには安いのですが、中多を量産する予算でもっと戦車を買ったらどうかと思うのです。どうも、戦車を削減した自衛隊、欧州ヶ国が戦車を削減しているのにつられて、欧州は戦車の仕事がなくなったので戦車を減らしているのですが、日本は戦車の仕事が残っているのに戦車を削減したしわ寄せが対戦車ミサイル増勢に転換しているようにも思えてならない。

 対戦車ミサイルも同様ですが、続行する重迫撃砲中隊も、砲兵火力の任務が残っている最中で特科部隊を削減したツケを普通科部隊がガンバっている構図だ。普通科教導連隊重迫撃砲中隊の120mmRT重迫撃砲、フランス製の重迫撃砲で自衛隊は420門も調達しました。120mm重迫撃砲は普通科部隊は使用する最大口径の火砲です。法そのものに車輪が取り付けられており、重迫牽引車により迅速に展開し、即座に射撃可能だ。

 120mmRT重迫撃砲は通常弾の射程が8.1kmあり、射程延伸弾で最大13kmの射程を誇ります。これはかなりの高性能でして、前に用いていたアメリカ製107mmM2重迫撃砲は射程4kmに過ぎません。持続射撃能力は砲身は榴弾砲よりも薄い為限定的ですが、現代の対砲レーダ装置が発達した砲兵戦闘で持続射撃を延々としたならば十分以内に標定され対砲兵戦闘の敵効力射が降り注ぐ、その点重迫撃砲は持続射撃能力は低いものの一分間の射撃弾数は多く、投弾量は旧式榴弾砲を圧倒できる。もっとも射程13kmの射程延伸弾は特殊弾薬で連続射撃能力が通常弾薬と異なりますが通常弾薬の8.1kmも無視できない。

 開発国であるフランスは砲兵連隊に装備し、戦闘団編成時に歩兵連隊へ小隊単位で編入するのですが、自衛隊は各普通科連隊に重迫撃砲を置いており、重迫撃砲中隊には12門が配備されています。もちろん高機動車派生の重迫牽引車により機動力が凄い、ちなみにこの重迫牽引車、高機動車ではなく重迫撃砲の備品扱いだったりする。重迫撃砲に加えて普通科中隊に81mm迫撃砲もあるので、実は普通科部隊の火力は物凄い。

 105mm榴弾砲の後継という位置づけの迫撃砲でもあるので、現在自衛隊では特科部隊の榴弾砲を大幅に削減する改編を実施中ですが、それならば120mm重迫撃砲を特科連隊に火力支援大隊を編成し、特科情報装置と連携して運用した方がいいのでは、と思ったりもする。ようするに、特科部隊のほうに榴弾砲の他に重迫撃砲専任部隊を置くという構図の提案です。

 現在、全国の師団特科連隊は火砲30門、特科隊は15門です、一昔の編成の一個大隊分でしかりません、しかし、師団の場合で重迫撃砲が36門あるのですから、特科部隊のデータリンクシステムに統合運用したならば、最大射程13kmを最大限発揮できるでしょう。その上で、出来れば重迫撃砲の牽引車輛に82式指揮通信車のような軽装甲車両を充当できますと、重迫撃砲部隊の機動時にいきなり火力急襲を受けた際にも対応出来ます、開発国のフランスは機械化部隊にて実際、120mm迫撃砲をVABという、82式指揮通信車の四輪駆動版のような、実際にはVABは1975年に開発されていますので、日本の方が影響を受けていそうですが、軽装甲車に牽引させています。

 特科教導隊の観閲行進、特科教導隊は隊編成ですので特科教導連隊ではない、故に特科大隊を編成に持たず特科中隊が基幹、全国の師団旅団改編や師団特科縮小に際して特科連隊が特科隊に改編されているその鏑矢が、ここの特科教導隊なのか、と考えたりもします。全国の特科隊が火砲数15門で規模が小さすぎる、と指摘を散見するのですが、案外、富士教導団では小規模の特科部隊を最大限有効活用する手法を検証した結果なのかもしれませんね。

 本部管理中隊の車両、衛生小隊や情報小隊などが観閲行進に参加している、自衛隊の特科部隊は欧米の砲兵部隊がかなり冷遇され、NATO諸国が次々と火砲100門前後に縮小される中、前の戦争で散々敵砲兵火力に痛い目に遭わされた自衛隊は比較的優遇されている。火砲100門以下の陸軍、日本ではちょっと想像できないのですが、欧州の旅団を見ますと最大の火砲が81mm迫撃砲と84mm無反動砲、という部隊が、それもNATO加盟国の現役旅団で、実在したりします。下を見ればきりがないのですが、ちょっと、驚きだ。

 FH-70榴弾砲の観閲行進、一見自走榴弾砲よりもやわな車両に見えるのですが半自動装填装置つきの近代的蚊法です。この恩恵、日本では半自動装填装置が当たり前になっているので恩恵を感じにくいのですが、1990年代まで各国火砲には、砲弾をこう桿で一発一発押込まなければ装填できなかった火砲も多かったのです。日本の自衛隊データリンク能力は実は諸外国の中でかなり進んでいた、特科情報装置3型は敵砲兵の標定と優先火力目標の選定と火力調整を、対砲レーダや前進観測と音響標定に全ての火砲を接続し実施するもので、計算と標定速度が特科部隊の能力そのものといえる。

 データリンク、火砲の砲弾は155mm砲弾で長径45mに有効弾片を散布します、言い換えれば敵の火砲と撃ちあうには相手の45m以内に着弾させなければならない、数門を同時に射撃するのですが自衛隊が求めるのは30km以遠の目標へ誤差50mという厳しいもの。実は陸軍データリンクという概念は砲兵戦の自動化技術を全ての職種に拡大させたものと云ってもいいもので、第一線の前進観測班が把握した目標情報を即座に戦砲隊へ情報を伝送し、30km単位の遠距離戦闘を、誤差50m以下という厳しい条件で達成するのです。

 火砲の精度、ちなみに特科部隊の任務に気象測定もります、砲弾を命中させるには30kmの距離では様々な僅かな偏差でも想定しなければ確実な命中は叶いません。適当に数を撃てば対砲兵戦で撃滅されるばかりか、日本は専守防衛で国土戦闘を想定しているのですから、同胞の民家や工場といった財産、勿論渋滞などで逃げ遅れた同胞も考えられ、命中精度を高くするに越した事はない。偏差には、地球重力の影響に加え、湿度と風力は数十km先を狙う砲兵戦では大きな影響を及ぼすためで、参考までに核攻撃を受けた際の放射性降下物拡散や化学攻撃等に際しての化学剤汚染拡散の気象標定も特科部隊の任務の一つ。

 FH-70榴弾砲の威力を最大限活かす装備に特科情報装置3型があります。この特科情報装置3型、砲兵戦闘を自動化させる細心の装備、だけれども2000年代の装備で、この種の装備の陳腐化はコンピュータの処理技術とともに日進月歩となる、逆に火砲が少々旧式でも標定能力と情報処理システムと連接さえできれば、現代戦には対応できる。

 大砲が最新でも情報処理システムが旧式ならば逆に殲滅される、自衛隊はこの点に抜かりないもので、火砲はFH-70等今日では若干旧式の、正確にはそれ程旧式でもないのですが、20世紀の火砲が維持されていますが、情報関連装備は最大限最新型の配備に注力している。これは意外と思慮が無ければ、普通の軍隊であれば命中精度よりも火砲の数を揃えようとするでしょう、しかし日本の場合は数とともに精度を高めた。

 特科教導隊第1中隊の観閲行進、第1中隊と第2中隊はFH-70榴弾砲を装備している。イギリスドイツイタリア共同開発の39口径155mm榴弾砲です。第1中隊と第2中隊、2個中隊とは師団特科連隊では1個特科大隊に相当する規模で装備するFH-70は10門です。このFH-70が配備される前は特科連隊には迫撃砲制圧と直掩火力を担う105mmM-1榴弾砲の特科大隊が普通科連隊の数と同数だけと、全般支援火力として対砲兵にあたる155mmM-1榴弾砲を装備する一個大隊がありました、FH-70の配備で全て統合できたわけです。

 FH-70,第二次大戦中の火砲を置き換え、1970年代に対応できる将来火砲を開発しよう、という事で開発されたのがFH-70,半自動装填採用等新技術を盛り込んだもので、射撃速度や機動力の面で、高性能ではあるのですが価格が自走榴弾砲なみに高くなってしまいました。この時期には将来的にすべての火砲は自走榴弾砲へ統合されるのではないか、という展望もありましたので、牽引砲に此処まで高性能、というものもある意味浮いた構図です。

 FH-70は半自動装填方式を採用しています。半自動装填とは、第二次大戦中の火砲までは装填まで砲弾をこう桿で砲身へ押し込まなければならなかったのですが、これが意外と大変です、155mmM-1榴弾砲は富士学校に展示されています、そしてこれを運用している資料写真を見ますと、155mmM-1榴弾砲の砲身へ十人近くが棒で155mm砲弾を押し込んでいるものがあり、一言でいえば一門射撃するのに物凄い労力と人数が必要でした。これもFH-70の導入で過去の話に、半自動装填のFH-70は射撃の反動で自動装填できます。装弾架上に砲弾を置くだけでよく自動化できた。

 NATOは自走榴弾砲の装備化を急ぎFH-70には顧みなかった為、欧州では普及しませんでした。アメリカ製M-109A2が安かったのです、M-109A2は砲身が短く射程が劣るが機甲砲兵としては戦車に随伴できるだけよかったのです。M-109A2、近代化改修により39口径へ方針を延伸できました、この為まだまだ使えている、寿命の長い装備です、ならば日本もM-109でも導入した方が良かったのではないか、と思ったりもしたのですが、M-109の砲身換装費用がFH-70の新規調達とあまり変わらない、と聞きました後は考えを改めました。しかし、日本は惑わされる事無くFH-70に飛びつく。

 自衛隊はFH-70を高く評価しました。ほかに牽引砲で三発バースト射撃が可能という規格外の火砲でスウェーデン製FH-77というものがあったのですが、全長も幅も大き過ぎ不適格とされる。FH-70選定の背景、本州特科部隊は有事の際に北海道へ緊急展開しなければならない、39口径火砲は当時の榴弾砲として長砲身で射程が長く、半自動装填装置連続射撃能力を持ち、自走能力さえ持つのですから狭隘国土では非常に理想的な火砲でした。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)
(本ブログ引用時は記事は出典明示・写真は北大路機関ロゴタイプ維持を求め、その他は無断転載と見做す)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【日曜特集】富士学校創設63周年富士駐屯地祭【03】普通科教導連隊行進(2017-07-09)

2018-03-25 20:11:20 | 陸上自衛隊 駐屯地祭
■勇壮!89式装甲戦闘車の行進
 富士学校創設63周年富士駐屯地祭、実は本文が2013年行事紹介用に作成したもので、写真選定に先立ち作成した為、若干本文と写真の乖離をご容赦ください。

 89式装甲戦闘車、高性能の一方調達開始が冷戦終結直前とあり少数配備に留まっています。他方、この次に行進します軽装甲機動車は大量に配備されました。小型ですので小銃班7名は乗車できませんが、一個小銃班が2両に分乗、軽量ですのでヘリコプターによる空輸も可能です。実際、配備開始と同時に同年の富士総合火力演習では輸送ヘリコプターにより空輸が展示されました。

 機甲歩兵として例えばドイツ連邦軍などは装甲戦闘車を戦車と同じ装甲兵科としているのが迫力だ。さて、普通科部隊の象徴というべき軽装甲機動車、勿論、数が多く部隊当たりの配備数も多い事は整備負担や運用負担も大きいのですが、機動力をもって分散と集合が迅速に行えるのです。負担といえば、1個班で常時運転手と車長が2名づつ必要になり休めない、という。

 元々は350両が北部方面隊へ配備される予定でした。一方軽装甲軌道車、小型装甲車として、フランスのVBL軽野戦車やドイツのウィーゼル空挺装甲車を参考として研究、下車戦闘を重視するべく装輪小型装甲車に扉を多数配置した国産車両を開発する方針が示され、小松製作所により開発されました。大量生産により単価も2700万円ほど。

 軽装甲機動車の話題ですが、一方でPKO任務等では装甲戦闘車のような装備の必要性が高まっている。国際平和維持活動など自衛隊の海外での任務では必須の車両となっていまして、初陣はイラク復興人道派遣任務、以来自衛隊海外派遣では常連となり、南スーダンやジブチ自衛隊航空拠点へも派遣されました。輸送車両の警護から巡回任務まで幅広く運用されています。

 普通科教導連隊第3中隊は高機動車を装備する部隊です、高機動車は陸上自衛隊全般から広く支持されている汎用車両で、多数を積めて車内に余裕もあり高速で移動でき故障が少なく乗り心地がいい。先頭を往く1/2tトラックはコータム無線機を装備していますね。

 高機動車は1992年より、普通科部隊自動車化の中枢として導入されたもので、1t半トラックにより移動していた普通科隊員の機動力を大きく向上させました。1t半トラックは73式中型トラックと旧称されたもの。高機動車は民生品を多用し部隊使用許可を受けています。実のところ、この車輛が揃うまでは大変だった、師団輸送隊のトラック支援も必要でしたからね。

 本文を作成した後に写真を選定した為に少々写真の順番が異なる事についてご容赦を。高機動車について、悪い話を一つとしてきかない、というところが実情で、唯一の苦情は、もっと数が欲しい、というもの。トヨタ自動車製で毎年400両ほどが量産されています。一両当たり量産開始当時は1200万円と高価でしたが、現在は量産効果で650万円ほど。

 軽装甲軌道車は2000両という水準ですが高機動車は更に多く、3000両以上が生産され、まだ生産が続いています。長距離機動の場合には基本10名が乗車し、うち1名が操縦手で1名が車長、残る8名は休憩できます、1/4tトレーラをけん引し、必要な装備を携行する事が出来ますし、国際活動型として装甲を施したものもある。

 装甲車である軽装甲機動車に対し、高機動車の車体はFRP製で防弾性は全くありません。そこで高機動車は敵と接触する前に下車戦闘に移る必要があります。基本的に敵の有無は連隊の情報小隊や師団旅団の偵察隊に任せ、敵部隊と接触する前に下車、普通科隊員は地形防護を最大限活かし戦闘展開させてゆきます。

 汎用性の面から軽装甲軌道車を見ますと、特にヘリコプターによる空輸などを考えた脚気小型すぎるとの指摘があります、一方で高機動車は120mm重迫撃砲牽引車、96式多目的誘導弾、中距離多目的誘導弾、93式近距離地対空誘導弾、低空レーダ装置P-18,発煙機3型、数えきれないほどの派生型が配備され、自衛隊の友というべき車両となりました。重心が低く安定性が高い故の汎用性と云えます。

 続くのは普通科教導連隊第4中隊の観閲行進、96式装輪装甲車を装備しています。もともとは全国の普通科連隊第4中隊へ装備すべく安価にまとめた装甲車ですが、360両ほどしか生産されていません。汎用装甲車ですので冷戦後の脅威多極化を考えれば1000両以上必要ですね、自衛隊が1200両あった戦車を300両で充分として戦車を削減したのですから、対戦車隊の整備費用をそのまま装甲車中隊へ置き換えても良かったように思う、これができないのは戦車脅威がある最中に戦車を減らした為の高価な代替案といえる。

 小銃班に複数車輛を配備させるのが軽装甲機動車ですが、96式装輪装甲車は10名を乗車させ機動に用いる装甲車両で、概ね重機関銃に耐える25mm程度の装甲を有しています、車幅が日本の道路事情に対応すべく抑えられており、C-17輸送機ならば一度に6両が輸送可能、こう書くと期せずして戦略機動性の高さが見えてくる。

 96式装輪装甲車の基本設計は車高を抑えた形状も特色で、これは日本本土で専守防衛として運用する場合に敵に見つかりにくいという利点があります、装輪装甲車という設計は車輪の大きさに車軸の高さが制約されるため、設計上どうしても車高が高くなりがちです。

 自衛隊車両全般にもいえる事ですが、車高を抑えた事で見つかりにくくなりましたが、その分は地雷への防御力に限界があると指摘されています。ただ、これはそれ程重要な問題とは言えません。地雷はこちらの武器、専守防衛では地雷はこちらが仕掛け遅滞行動するものという実情を忘れてはなりません。

 理想としては、普通科連隊4個中隊のうち、3個中隊に96式装輪装甲車を配備し、1中隊に斥候とl火力の機動運用手段となる軽装甲機動車を配備するところでしょうか、各中隊に14両を配備し、連隊本部にも配備した場合は一個連隊だけで合計45両が必要となります。

 高機動車は開発当時一両1200万円と云われましたが96式装輪装甲車も開発当時は一両1億2000万円といわれていました、しかし長期的に量産しますと量産効果が徐々に大きくなる。量産が進んだことで一両当たり9600万円程度に抑えられており、安価として知られるアメリカのストライカー装甲車が140万ドルを要する事と比較すればかなり費用を抑えられたといえるでしょう、もっと生産すべきと思うのですが現在は新型装甲車が開発中とのこと。

 高機動車の背後に96式装輪装甲車が。96式装輪装甲車に欠けているのはコンセントでしょうか。充電というと現在自衛隊では将来戦闘用に各種情報端末を普通科隊員個々人へ配備させる方向で装備開発を進めています。すると最前線で重要課題となるのは充電で、装甲車には充電拠点としての意味が加わる。

 新型装甲車は96式装輪装甲車よりも車体を若干大型化し、更に車体の車高を大きく撮り車内容積を拡大すると共に、国際協力任務への対応を念頭に地雷などへの防御力強化構造を採り、更に車高が大きくなりました。現段階では機動連隊などへ大量生産されるという。

 国際平和維持活動は現在、南スーダンからの撤収により全任務を完了しています。要因は治安悪化とともに文民保護等の戦闘を想定される状況へ派遣できないというもの。仮に新型装甲車が地雷防御出来ても、安全保障関連法制整備後でも現行法では用途がありません。大量生産される装備、という視点もそもそもこの高機動車に続き96式装輪装甲車は全国の普通科連隊へ一個中隊程度は配備される予定でしたので、申し訳ないが実現するかは信じられない。

 96式装輪装甲車、継続は力なりと云いますので、無理に新型を開発せず、現行型を基本とし、輸送能力が不足するのであれば1/4t牽引車を高機動車の様に引っ張ればよい、と思う。更に近代化するのであればRWS遠隔操作銃搭として暗視装置と火器管制装置に12.7mm機銃を一体化したものを搭載し、車内容積が足りないならば対戦車ミサイル等を車上発射架搭載等とし、充電設備や電気系統を改良する事で十分対応可能と思うのですがどうでしょうか。

 96式装輪装甲車に続いて実施されるのは普通科教導連隊対戦車中隊の観閲行進、79式対舟艇対戦車誘導弾と中距離多目的誘導弾が配備されています。79式対舟艇対戦車誘導弾と中距離多目的誘導弾は前者に対し後者が後継装備という扱いで、世代は幾つも異なりますが新旧装備が混成運用されている訳ですね。

 対戦車隊としてその昔、陸上自衛隊の師団には16セットの79式対舟艇対戦車誘導弾が配備されていました。この1セットには発射器と弾薬車輛が付、初度携行弾薬として12発を装備していました。即ち、対戦車隊全体で192発の対戦車ミサイルを装備していました。

 師団長最後の手札、と言われていまして、自衛隊では草創期より対戦車ミサイルの国産化を努力しています。最初の64式対戦車誘導弾はワイヤーを通じ十字釦と双眼鏡で命中させる高い練度が要求されましたが、79式対舟艇対戦車誘導弾は赤外線半自動誘導で狙い易い。

 96式装輪装甲車の背景、対戦車隊についての写真は次回紹介します、79式対舟艇対戦車誘導弾は通称重MAT,上陸用舟艇の撃破用HE弾頭と戦車撃破用のHEAT弾頭が開発され射程は4km、対戦車用としては弾頭が大型で威力が大きい。対戦車隊から一部師団普通科連隊対戦車中隊へ移管、自衛隊では240セットが調達されました。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)
(本ブログ引用時は記事は出典明示・写真は北大路機関ロゴタイプ維持を求め、その他は無断転載と見做す)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【日曜特集】富士学校創設63周年富士駐屯地祭【02】富士教導団観閲行進(2017-07-09)

2018-02-25 20:10:14 | 陸上自衛隊 駐屯地祭
■富士教導団観閲行進開始
 富士学校創設63周年記念富士駐屯地祭、記念式典の完了に続いて富士教導団の観閲行進が開始されました。

 82式指揮通信車座上の富士教導団長を先頭に観閲行進が開始されました、232両も生産された指揮官用装甲車両で、元々は普通科部隊用小型装甲車の派生型として考えられていましたが、当時の石油危機に伴う財政難により小型装甲車については実現しませんでした。

 教導団本部付隊、本部付隊に96式多目的誘導弾システムMPMSが装備されている。しかし96MPMSを本部付隊が運用すると同時に、連隊には対戦車中隊も編成されています。こちらの方には直接商運用のミサイルが配備されており、96MPMSは配備されていません。

 96MPMSは射程が長い光ファイバー誘導ミサイルだが、普通科はここまで遠距離戦闘を想定しているのか、という疑問もある。96MPMSは10kmの射程を持つというけれども、これは戦車や火砲の責任交戦範囲だと思います、この射程を最大限活かすには難易度が高い。

 普通科部隊の任務は近接戦闘、主に戦車の間合いのうち側にある500mまでの戦闘力に注力すべきだ、と思うのは10kmの射程を最大限活かすには、無人機化前進観測班による間接照準射撃が必要となる為で、これは近接戦闘という領分を越えてしまうものでしょう。

 偵察教導隊の87式偵察警戒車、25mm機関砲で威力偵察を行う、装甲偵察車です。勿論、機関砲のみの装備で装甲は装輪装甲車の平均値を出るものではありませんので機関銃に耐えるのが限度、威力偵察を撃ちかけ、結果で相手が戦車だと反撃され致命的な損害を被る。

 偵察は軽戦車の任務、実際には軽歩兵との接敵が限界、偵察よりも敵の有無を探る斥候が限界かとも思うものがあります。相手が戦車を持つ可能性があれば最低限、16式機動戦闘車が必要で、105mm砲を用い、相手が戦車であった場合でも状況次第では撃破が可能です。

 偵察における軽戦車の位置づけは、軽戦車の限界という意味で年々変容しています。更にデータリンク能力の向上は第一線の戦車が把握した情報を後方の司令部から中隊本部まで共有できる基盤が構築されつつあり偵察ではなく戦車を先鋒とする運用も定着しつつある。

 第一線情報収集は偵察よりも戦場監視と斥候に重点を置き、例えば軽装甲機動車を基本とし、伸縮式複合光学センサーを搭載し高い標高の位置から目標の有無を検知し、併せて軽装甲機動車から多数の小型無人機を運用する、という偵察任務へ、戦場は変容しつつある。

 普通科教導連隊、89式装甲戦闘車を先頭に観閲行進へ。89式装甲戦闘車は迫力がありますが、第一線部隊で運用されているのは戦車師団である第7師団の第11普通科連隊が戦車部隊の支援に充てる最小限の3個中隊分のみ、しかし普通科で一番目立つ装備でもあります。

 本部管理中隊、普通科連隊は施設大隊の支援を受けずとも施設作業小隊が最小限度の、通信大隊の支援が無くとも通信小隊が最小限度の、後方支援部隊が無くとも輸送小隊が、独立した任務能力を支援できる編成です。勿論最小限度、上級部隊による支援は不可欠です。

 施設作業小隊、攻撃前進の先頭に立つ戦闘工兵としての任務は流石に能力不足だけれども、陣地構築や指揮所構築と最小限の戦闘工兵任務を担う部隊です。特に小型油圧ショベル一台が有るか無いかで対戦車班や迫撃砲小隊射撃陣地を掩蔽出来るか否かが決まってしまう。

 発煙機3型、高機動車の車体後部から揮発油を大量に燃焼させ、広範囲に煙幕を張る。一見古典的ですが、煙幕を見通すセンサーは高価でそれほど普及していません。敵砲兵観測妨害や対戦車ミサイルの誘導を阻害するなど、煙幕は21世紀でも有効だといえるでしょう。

 普通科教導連隊第1中隊の89式装甲戦闘車、戦車に随伴できる装甲車両として要求され、戦車を支援する35mm機関砲と、万一の際に敵戦車へ対抗し得る強力な79式対舟艇対戦車誘導弾を備え正面40mm装甲を備えた優れた装備だけれども68両で生産終了となった。

 89式装甲戦闘車は戦車と協同する装甲車両ですが、陸上自衛隊が90式戦車を導入した事により、1500馬力という桁外れのエンジンを搭載する90式戦車の機動力は素晴らしいものですが従来の73式装甲車では90式戦車に随伴する事は非常に難しくなってしまいました。

 戦車に随伴する、という運用は勿論最高速度で戦車に随伴する事も必要で90式戦車は70km/hを発揮しますが、73式装甲車は55km/hしか発揮しません、何故ならば73式装甲車は74式戦車の54km/hと協同する事を念頭として最高速度が設計上要求された為です。

 高出力のエンジンを搭載する第三世代戦車は泥濘や泥炭湿地帯と草原や森林地帯等を馬力にものを言わせ遮二無二突破する事が出来ます。従って、馬力にものを言わせる戦車と協同するには、相応の装甲車が必要となる訳で、装甲車の世界にも世代交代を強いたかたち。

 機甲部隊とは元々が装甲機動部隊ですので、装甲車も障害に直面するたびに人員を下車展開させ制圧戦闘を行っていては肝心の機動力を発揮出来ません。また、当然、周辺国も陸軍の趨勢として近接戦闘部隊に装甲車両を配備していますので、対処能力が求められる。

 89式装甲戦闘車は35mm機関砲を搭載し、2000m以遠の敵装甲車両を撃破出来る能力を付与しつつ、銃眼を側面に配置しました。これは車内から隊員が装備する89式小銃を射撃できるもので、乗車しつつ銃撃を加える事で速度を落とさず攻撃前進を行う事が出来ます。

 もともとは350両ほど生産して、重装備部隊を集中している北海道の北部方面隊の第7師団と第2師団に当時の第5師団と第11師団へ一個連隊づつ配備する計画だったのですが、冷戦終結で不要な装備とされて生産を大幅縮小されているという残念な歴史があるのです。

 しかし、冷戦時代に戦車は70両生産していました、これを冷戦後戦車の量産は20両前後まで縮小しています。三菱重工の生産に余裕が称した訳で、その分、装甲戦闘車を毎年50両から60両生産して、全国の部隊に戦車部隊を現行並みに縮小してでも配備すべきだった。

 装甲戦闘車は冷戦後、その必要性が高まりました。歩兵の交戦距離を2500mまで延伸したもの、戦車の交戦距離5000mまでは対応が難しいが、地域紛争やゲリラコマンドー浸透対処には必須の装備で必要性の面で冷戦後、戦車以上に高くなった事を忘れるべきではない。

 89式装甲戦闘車、従来型の着上陸を受けた場合でも対戦車戦闘はミサイルに頼り限定的だけれども、敵歩兵戦闘車制圧等には不可欠な車両で、現在では古くなり少々排気煙がくたびれているが、戦車を大幅に減らした今、改良型を今からでも量産すべきと思うのです。

 普通科教導連隊第2中隊の軽装甲機動車はこの航続、2000年より大量調達が開始された陸上自衛隊自慢の軽装甲車両で全国の普通科部隊はじめ様々な部隊に配備されています。自衛隊行事に行けばほぼ並べられているのが軽装甲機動車で、特撮やアニメーションでも定番となった。

 89式装甲戦闘車の少数配備と対照的に陸上自衛隊と航空自衛隊で2000両が調達されており、本州の普通科部隊には基本的に一個中隊が充足されています。搭載できるものは意外な程多く、MINIMI機銃、12.7mm重機関銃、01式軽対戦車誘導弾、84mm無反動砲、JGVS-V7熱線暗視装置等を装備可能です。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)
(本ブログ引用時は記事は出典明示・写真は北大路機関ロゴタイプ維持を求め、その他は無断転載と見做す)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【日曜特集】富士学校創設63記念富士駐屯地祭【01】富士駐屯地祭式典挙行(2017-07-09)

2018-02-11 20:09:25 | 陸上自衛隊 駐屯地祭
■富士学校長德田秀久陸将へ敬礼
 今回から、富士学校長德田秀久陸将挙行の富士学校創設63記念富士駐屯地祭の様子を紹介しましょう、ここ数年間で最も迫力ある富士学校祭でした。

 陸上自衛隊富士学校、静岡県駿東郡小山町の富士駐屯地に置かれる陸上自衛隊の専門教育機関です。富士学校隷下には富士教導団が配置され、実員と実動を以ての教育訓練や戦術研究、新装備開発に当り、富士学校は我が国陸上防衛戦力の将来像を開拓する要衝の一つ。

 富士駐屯地祭、JR御殿場線御殿場駅から富士山へ向け路線バスを45分ほど一路進み、富士山信仰の登山口として栄える須走、富士浅間神社を詣でたその一歩奥に陸上自衛隊富士駐屯地は佇み、勇んで難関に挑む、との石碑にある校風と共に教育研究を進めています。

 富士地区には、第1戦車大隊、第1機甲教育隊、戦車教導隊、第1機械化大隊、と多数の戦車部隊が配置されています。日本全国を見渡しても、これだけの密度で戦車が配備されているのは、3個戦車連隊と1個戦車大隊が並ぶ、北海道の千歳地区のほかありません。

 歴史が長くしかし防衛計画の大綱改訂により廃止が予定される第1機甲教育隊、この第1機甲教育隊の廃止に続き、将来的には重装備部隊の廃止潮流があり、第1戦車大隊の去就も暗雲が立ち込めています。ただ、富士教導団については将来的にも維持されるもよう。

 記念式典は毎年七月に行われまして、年々来場者が増大している事でも知られます。何故来場者が増えているのか、それは富士教導団が本州最大規模の機械化部隊であり、戦車教導隊を筆頭に重厚な戦車部隊を有している事が広く広報により衆知されました結果です。

 御殿場駅周辺は富士学校祭の時期には併せて開催されます富士スピードウェイのモータースポーツ愛好家と共に宿取り合戦、という様相を呈していまして、元々富士山観光という観光需要の上に位置する御殿場なのですが、ホテルの混雑は毎年確保に難渋するほどと。

 須走には富士登山須走口が富士山信仰の時代から多くの登山者を向かい入れていまして、その分の宿は多いのですけれども、こちらを総合した場合でもやはり来場者は大きく、防衛への関心、というよりも戦車という一風珍しい装備への好奇心の高さを感じるしだい。

 戦車部隊、しかし、実は歴史的に見て富士地区に戦車を集中しているという背景には、一般市民の好奇心に応えるという副次的効果の向こう側に、戦車部隊を国民に見てもらう、という重要な役割がある事も忘れてはなりません。愛好家以外の一般市民に、ということ。

 陸軍第36軍という帝国陸軍時代に本土決戦に備えて新編された軍があるのですが、富士地区や埼玉県加須町等、首都圏近郊に虎の子の戦車第1師団、新編の戦車第4師団を隷下に置き、機動歩兵や機動砲兵と独立重砲部隊という重厚な編成を以て威容を示していました。

 1000万都民の信頼を勝ち得てこそ戦争を遂行出来る、当時の陸軍が第36軍を首都外縁へ配置した背景には、こうした実情がありまして、万一のことがあっても帝国陸軍が1000万都民を守りきる、その為の充分な兵力も準備されている、と一種、誇示していた訳ですね。

 大本営は、しかし、連合軍の上陸は九州東岸の日向灘沿いしかありえない、と脅威評価をおこっていまして、策源地として沖縄の第32軍を全滅させ沖縄を占拠したのだから、一挙に千葉県房総半島の長い海岸線に着上陸する可能性よりも南九州上陸を想定していました。

 本土防衛を純粋に考えるのならば、第36軍は九州地区を担当する第2総軍へ編入する事が妥当なのだけれども、敢えて第1総軍に編入し、首都近郊へ配置したのは、国民の支持が無ければ戦争を行う事が出来ない、と第二次世界大戦中でさえ考えられていた為という。

 先の大戦は敗戦により実現させる事無く第36軍は役目を終えましたが、連合軍九州上陸の際には第36軍をあらゆる輸送力を動員し九州へ展開させる計画だが、連合軍はそれに先んじ、東海道本線や山陽本線と関門トンネルへの攻撃を強化するだろうから、と苦悩があったようです。

 日本国憲法施政下の現代に視点を戻しますと、やはり1000万都民と首都圏3000万の人口があり、我が国が平和憲法の名の下の専守防衛政策を貫くためには、国民の支持が必要である訳です。専守防衛とは国土に敵を迎え撃つ、つまり本土決戦を指すに他なりません。

 専守防衛には無理があると考えるのですが、平和憲法施政下に専守防衛の実態をあまり考えることなく支持する声は意外と多いように見えまして、しかし、憲法を遵守し日本が国土に敵の上陸を許し蹂躙され始めた際に、国民は何を以て政府の専守防衛を支持するのか。

 心の拠り所、という意味でも首都圏に重厚な機械化部隊を置き、専守防衛の下でも国民の平和的生存権は守り得る、という事を示す必要がある、こうした意味で富士地区の戦車には意味があるのです。実際問題、専守防衛として国土を戦場とする施策、個人的に疑問だ。

 しかし、専守防衛と平和憲法の下での自衛権への制限、自衛権とは正当防衛と同語の和訳に自衛権と分けたのですが、我が国では憲法上の整合性を持たせるために正当防衛を集団的と個別的に分けたうえで、集団的自衛権の行使を憲法の上で制限的に解釈している。

 その上で、事実上集団的自衛権に反対する論調と同じ方々に見られるのが、有事の際には同盟国アメリカに期待し、過度な攻撃力を自衛隊は持つべきではない、という。この矛盾点に気付かないようでは、そのうち我が国も大衆迎合主義に呑込まれるのではないか、と。

 こう懸念していたのが自民党から当時の民主党への政権交代で、ポピュリズム的手法といいますか、大衆迎合主義的公約の積み重ねを主権者たる国民は精査する事無く鵜呑みにし、結果的に我が国は大変な混迷に遭遇しましたが、現在は多少は転換したのか、いやまだか。

 話題脱線が過ぎた。富士学校筆頭に富士地区の有力な機械化部隊は、万一の際への無言の鎮めとして、国民に平和主義が国外の勢力に簡単に蹂躙される事が無いよう、確実な準備を行い、将来にわたってもその準備と抑止力の構築に余念がない事を広く示している訳です。

 国家の無言の決意、という表現が当てはまるものですが、我が国は1945年の終戦以降一貫して平和国家としての繁栄を謳歌してきました。しかし、我が国周辺には平和への努力を脱し軍事力強化だけに国力を注力した国、類似する諸国がやはり圧力を掛けてきています。

 国家の無言の決意とは、周辺国が反映への努力をせずとも軍事力に注力し我が国をはじめ平和への努力を反映へ繋げ実らせている果実を横取りする行動に対し、平和国家ならではの相応の対応力を、国土戦という形ではあってもその時には示す、覚悟ともいえましょう。

 ただ、富士教導団は4000名規模ですが、せめて全国の師団や旅団へ、普通科部隊や機甲科部隊、特科部隊装備としてこの同等の水準の装備があれば、と思う事はあるのですね。正直、全国の師団や旅団の普通科や機甲科と特科に、この水準の装備があれば敵は来ない。

 10式戦車に90式戦車と89式装甲戦闘車に96式装輪装甲車や99式自走榴弾砲とMLRS,9000名規模の小型師団よりも、富士教導団規模の部隊に高射特科部隊と戦闘支援部隊、通信部隊を配属した機械化混成団を全国へ配置した方が、と思う事は、よくあります。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)
(本ブログ引用時は記事は出典明示・写真は北大路機関ロゴタイプ維持を求め、その他は無断転載と見做す)
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【日曜特集】第4施設団52周年大久保駐屯地祭【5】訓練展示と体験試乗(2013-05-26)

2017-10-15 20:05:42 | 陸上自衛隊 駐屯地祭
■大久保駐屯地祭2013の活況
 大久保駐屯地祭2013は、訓練展示模擬戦闘は火炎放射器とともに敵の攻撃を封じ反撃に転じる最高潮を迎えています。

 大久保駐屯地、広大な駐屯地には第4施設団と第3施設大隊が駐屯、第4施設団は中部方面隊隷下の建設工兵で、第3施設大隊は第3師団隷下の戦闘工兵部隊です。第4施設団は本部と第7施設群本部及び主力と第102施設器材隊第307ダンプ車両中隊のみ駐屯する。

 第3施設大隊ですが、大隊本部及び本部管理中隊に第1中隊と第2中隊及び第3中隊という編成で、施設中隊については戦闘工兵部隊としての訓練に加え、近接戦闘部隊としての訓練を受け、一方で建機と重なる装備品も隷下に配備しています。この点みてみましょう。

 施設大隊本部管理中隊は、中隊本部、偵察班、通信小隊、補給小隊、器材小隊、渡河器材小隊、特殊器材小隊、整備小隊、等々専門器材等を集成すると共に全般任務に資する通信や補給と整備業務などを行います。一種専門技術を持つ要員と特殊器材が集められている。

 施設中隊は中隊本部に本部班と補給班に本部職務班、2個小隊と器材班、という編成となっています。中隊規模は100名弱、小隊は小隊本部と3個分隊から構成されていまして、工兵として用いる施設機材等は器材班から派出を受け任務に当るという方式を採っています。

 師団施設大隊隷下の施設中隊は以上の通りですが、旅団施設としての施設中隊は少々編成が異なっています。中隊本部は本部班と補給班に司令職務班という編成ですが、施設小隊は2個あり、各施設小隊は小隊本部と2個分隊及び器材班、という編成を採っています。

 旅団施設中隊は2個施設小隊に加え渡河器材小隊が置かれ、渡河器材小隊は小隊本部と架橋隊という編成です。各小隊に器材班が置かれる編成ですので装備密度の高さが垣間見えるのですが、近年は本部機能を強化し、施設中隊を施設隊へ増強改編する過渡期でもある。

 第3施設大隊は師団施設ですので、施設中隊は小隊を第一線戦闘工兵作業の主力としたうえで器材班の専門器材を以て任務に当るのですが、大隊本部管理中隊へ地雷敷設や架橋等の専門器材を集約し必要に応じ隷下の施設中隊支援へ戦闘加入させる方式を取っている。

 第4施設団、人員規模は4500名と方面混成団よりも大きく旅団規模部隊となっています。第4施設団編成は、団本部、団本部付隊、第6施設群、第7施設群、第304水際障害中隊、第304施設隊、第305施設隊、第102施設器材隊、第307ダンプ車両中隊、となっている。

 施設群の二つを見てみますと以下の通り。第6施設群は、群本部、第369施設中隊、第370施設中隊、第371施設中隊、第372施設中隊という編成です。第7施設群の編成を見ますと、群本部、第380施設中隊、第381施設中隊、第382施設中隊第304水際障害中隊、と。

 方面施設部隊ですので、隷下部隊は中隊単位で広く駐屯していまして、富山駐屯地や和歌山駐屯地に豊川駐屯地と鯖江駐屯地及び岐阜分屯地や出雲駐屯地と三軒屋駐屯地へ、それぞれ群本部や施設中隊等を分散して駐屯させています。豊川駐屯地は中でも規模は大きい。

 方面施設は建設工兵、しかし後方連絡線と拠点を維持するだけではなく、近年は戦闘工兵装備を集約しつつあり建設工兵であると同時に第一線で戦う戦闘工兵としての任務も重ねて付与されている、という紹介を重ねてきましたが、この点をもう少し見てみましょう。

 施設団隷下には複数の施設群と施設器材隊から編成されています。施設群は群本部と施設中隊4個を基幹としています。かつては器材中隊というものが置かれているのですが、この編成に至るまでは機能別中隊への改編と再度の改編と続きました。この点は後述します。

 施設器材隊、この編成は方面直轄施設部隊ならではの編成です。施設器材隊は対本部、本部付隊、架橋中隊、浮橋中隊、整備中隊、以上です。架橋中隊は重パネル橋等の恒久施設としても運用可能な装備を運用、浮橋中隊には92式浮橋が装備、架橋を重視しています。

 架橋を重視した編成の背景には、架橋以外の任務は汎用性のある他の器材により対応出来ますが、架橋だけはバケットローダーやグレーダーだけでは大河に端を掛けられず通常の土木工事となり時間がかかりすぎる為です。専門器材があれば数時間で橋を架けられる。

 92式浮橋等は其の専門器材の筆頭で橋間橋節12基と橋端橋節2基により104mの橋梁を浮橋により構成可能です。ただ、流れのある河川では浮橋は下流に流れる為、動力ボート7隻が支え、河川敷を補強する道路マット等もを装備、21両の運搬車により機動可能です。

 94式水際地雷敷設車、水際障害中隊に装備され36個の小型機雷を敷設する水陸両用車となっていて、沿岸部から会場まで展開、水際地雷再装填は20分で完了し、1両だけで48時間に5kmの海岸線と沿岸部へ着上陸を阻止する密度4の水際地雷原を構築可能です。

 機能別中隊改編、陸上自衛隊方面施設部隊の一つの大きな転機となった改編でした。元々方面施設部隊は地区施設隊からの改編からその歴史が始まりましたが、個々の編成では団という旅団規模の部隊の規模の強みが発揮出来ず、中隊毎に専門領域を置く事とします。

 障害中隊、築城中隊、機動支援中隊、交通中隊、機能別中隊とは施設群隷下にこの四つの機能を持つ部隊を配置し、専門領域を中隊単位で最大限発揮出来る態勢を目指しました。この他、水際障害中隊や坑道中隊という独立部隊と、施設群隷下には共通編成が採られた。

 機能別中隊改編ですが、実際に実施してみますと、障害中隊、築城中隊、機動支援中隊、交通中隊、しかし施設群が一つの駐屯地に展開している訳ではなく、施設中隊単位で多くの駐屯地に分散しています。すると、必要な中隊が必要な場所に不在との状況があり得る。

 1990年代に着手された障害中隊、築城中隊、機動支援中隊、交通中隊、機能別中隊への改編は一見合理的に見えましたが、この改編は施設群隷下の4個中隊編成を維持する事が出来た一方、近傍中隊が必要な機能を持たないとの隔靴掻痒の状況を越えられませんでした。

 方面施設部隊は機能別編成から再度通常の施設中隊を基本とした編成へ転換します。一方、中部方面隊では施設団遠征は維持されましたが、北部方面隊では施設群隷下の施設中隊を大きく見直し、方面施設団が方面施設隊へ改編された実例もあります、この点は難しい。

 中部方面後方支援隊第104施設直接支援大隊の新編、2004年に実施された方面後方支援隊の新編は、施設団に後方支援隊を付与したと同等の改編となりました。大久保駐屯地の第4施設団を支援する中部方面後方支援隊は、同じ京都府の桂駐屯地に隊本部を置いています。

 第104施設直接支援大隊は本部を大久保駐屯地へ、第1直接支援中隊を豊川駐屯地と鯖江駐屯地と岐阜分屯地、第2直接支援中隊は大久保駐屯地と和歌山駐屯地と富山駐屯地、第1直接支援隊は出雲駐屯地、第2直接支援隊は三軒屋駐屯地に置かれ施設団を支援している。

 方面施設団は東日本大震災、自衛隊創設以来最大の災害派遣となったあの大震災を前に施設科部隊の数の総力を発揮し、架橋や沿岸部の道路障害撤去や救援拠点構築等に大きな能力を発揮しています。装備や運用に限界はありますが、改善と研究により次の段階へ進むことができるでしょう。さて、大久保駐屯地祭2013、第五回の今回が最終回です、その活況の様子を少しでもお伝えできれば幸いです。

北大路機関:はるな くらま
(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)
(本ブログ引用時は記事は出典明示・写真は北大路機関ロゴタイプ維持を求め、その他は無断転載と見做す)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【日曜特集】第4施設団52周年大久保駐屯地祭【4】訓練展示模擬戦状況開始(2013-05-26)

2017-10-01 20:09:11 | 陸上自衛隊 駐屯地祭
■大久保駐屯地祭戦闘訓練展示
 大久保駐屯地祭、観閲行進が完了し、いよいよ訓練展示模擬戦の状況開始となりました。

 第3施設大隊は大隊本部及び本部管理中隊、第1中隊、第2中隊、第3中隊、以上3個施設中隊を基幹とした編成です。3個の施設中隊は平時には大隊長以下訓練に当たり、師団全体での任務へ備えますが、連隊戦闘団編成時には各中隊を戦闘団へ派遣する事となる。

 大隊の歴史は師団よりも長く1951年6月1日に第3管区隊施設大隊として香川県善通寺にて新編となりました。第3管区隊は現在の第3師団ですが、管区隊の司令部中枢を第三管区総監部としており、方面隊と師団の過渡期における編成の一つという表現も当て嵌まる。

 第3管区隊はここ大久保駐屯地に程近い宇治市内へ、総監部を置くこととなりましたが、大久保駐屯地へそのまま方面総監部を置く当初案に対し、京阪神地区からの距離が大きいとして旧軍用地で米軍管理用地、返還予定があり民間売却前の場所を探す事になりました。

 伊丹市に師団司令部と方面総監部が置かれている現状は、伊丹空港、大阪国際空港として関西国際空港開港まで西日本の玄関口であった立地上当然のようにも思えるのですが、実のところ伊丹空港は朝鮮戦争にいて米軍基地として拡張された空港であり、元々は小さい。

 大阪第一空港として大阪空の玄関との重責に当ったのは八尾市の八尾空港、現在中部方面航空隊と隷下の方面ヘリコプター隊や第3飛行隊が駐屯しています八尾駐屯地のほうでした。この為、伊丹市は当時まだ過疎でしたが、1952年に自衛隊駐屯地が二つ新設されます。

 千僧駐屯地と伊丹駐屯地が新設された1952年、第3施設大隊は千僧駐屯地に移駐します。なお、第3管区隊が第3師団へ改編されるのは1962年、実に十年間管区隊施設大隊という位置づけにて訓練を重ねた事になります。施設大隊の大久保移駐は、もう少し先のこと。

 大久保駐屯地移駐は1994年で、千僧駐屯地から遠く移駐しました。この大久保駐屯地へ移駐は同年に第3師団隷下の大久保第45普通科連隊が師団改編により廃止されたことを受けてのものです。そして1994年までは第3施設大隊には隷下に4個施設中隊がありました。

 第45普通科連隊が師団改編により廃止、これにより第3師団隷下部隊が大久保駐屯地から全て無くなるという状況を前に、第3施設大隊を移駐させ、奈良県の防衛警備及び災害派遣への即応体制を維持する、こうした配慮が、第3施設大隊の移駐にはあった訳ですね。

 奈良県の防衛警備及び災害派遣に当たる第45普通科連隊の廃止ですが、実は現在、奈良県は全国で唯一陸上自衛隊の駐屯地や分屯地が無い都道府県として大規模災害時の自衛隊拠点がない実情から懸念があり、政府へ陸上自衛隊駐屯地新設の嘆願を出し続けています。

 第45普通科連隊がそのまま廃止されず大久保駐屯地に残っていたのならば、そのまま奈良県内へ移駐する事も出来たかもしれません。なお、奈良県内には陸上自衛隊駐屯地はありませんが、航空自衛隊幹部候補生学校の置かれる航空自衛隊奈良基地が展開しています。

 第3施設大隊の主要装備は、81式自走架橋柱、道路障害作業車、70式地雷原爆破装置、中型ドーザ、大型ドーザ、グレーダ、掩体掘削機、資材運搬車、バケットローダ、トラッククレーン、軽徒橋、など。この他、近接戦闘用の小銃や機関銃、個人対戦車弾等もある。

 75式装甲ドーザや92式地雷原処理車等戦闘工兵装備はかつて師団施設大隊にも配備され、師団祭の観閲行進では勇壮な姿を見せていましたが、現在は方面施設へ移管されています。そして、師団施設は戦闘工兵大隊でありながら、戦闘車両が不充分という現状があります。

 装甲ドーザ一つとっても75式装甲ドーザがかつて師団施設へ一定数配備されていたのに対し、後継車両となる施設作業車の生産が全く足りておらず、結果的に師団施設から残る75式装甲ドーザを方面施設へ集約し、集中運用の方面隊から必要に応じ派出する方策へ。

 75式装甲ドーザは130両ほどが生産され、全国の師団施設大隊等へ配備された車両です。しかし後継となる施設作業車は、本州では施設学校の施設教導隊や富士教導団教育支援施設隊等に配備されるのみ、北部方面隊の師団施設や旅団施設等に若干数の配備をみるのみ。

 陸上自衛隊は一時期閉所戦闘としまして違い地での近接戦闘能力を重点的に構築する試みが為されていました、2000年代に入り戦車部隊減勢という防衛大綱を受けての野戦から市街戦へ、普通科部隊重視と市街地戦闘への転換を苦肉の策であったように思えるのですが。

 普通科重視市街戦訓練重視、という施策を採った時点で、実は市街地戦闘では戦闘工兵車両が多数配備されていなければ全く展開できないという実情をもう少し予算面に反映させる努力を行うべきでした。専門器材を欠き市街戦を行う事は大量の要員が必要となります。

 例えば大阪駅前の超高層ビルを見上げまして、あの一室に敵部隊が対戦車ミサイルを配置しているとして、一部屋一部屋掃討する事を考えてみますと市街地戦闘の難しさが垣間見えるものです。大阪駅前のビルでなくとも京都四条の大通りに面するビルの一室でもよい。

 市街地戦闘の専門性ですが、例えば道路に面するビル一つでも梱包爆薬により倒壊させ障害物として用いられた場合には装甲ドーザにより除去しなければ通常のドーザでは障害を見渡す特火点から狙撃により大損害を被りかねません、都合多数装甲ドーザが必要となる。

 戦車に排土板を取り付けて代用とする事は可能です。特に戦車は充分な防御に加えて戦車砲と重機関銃を搭載していますので市街地戦闘では必須の装備です。ロシア軍は1996年にチェチェン紛争首都グロズヌイ攻略戦にて戦車単体で突入させ大損害を被りましたが、ね。

 イスラエル軍は2008年の南レバノン侵攻に際してメルカヴァMk4主力戦車にD7大型装甲ドーザを連携させ、市街地戦闘に威力を発揮しました。ただ、戦車砲の仰角には制約が多く戦車砲だけに依存すれば上層階からの攻撃に脆弱性が大きい為、重機関銃は必須です。

 市街地と森林は兵を呑む、として本来は市街地戦闘と森林戦闘は徹底して回避する事が戦術上の一つの趨勢となっていました。これは森林地帯や市街地に分隊単位で分散し籠った敵部隊を掃討しようとすれば際限ない程の歩兵部隊が必要となる、というためのもの。

 それでは市街地に敵部隊が立て籠もった場合は打つ手なしなのか、と問われれば、基本的に立て籠もった部隊は転進出来ず問題ありません。市街地を奪還する場合は、徹底した砲爆撃を加えれば民生被害が大き過ぎ、故に一方向を残し包囲態勢を取って撤退を強要する。

 この状況を一転させたのは、指揮系統が不明確である非対称型の戦い、テロやゲリラコマンドーによる市街地戦闘へ軍隊が正面から挑む必要が出た為です。純粋に軍事的な行動でなく攪乱等目的とした勢力へ法執行機関では対応できぬ状況へ軍事力が必要とされました。

 戦闘工兵車両には、75式装甲ドーザや92式地雷原処理車等専用車両も挙げられますが米軍のM-1132ストライカーESV工兵戦闘車のような車両を96式装輪装甲車派生として開発、HMEE機動工兵車のような硬い建機型の車両も必要となり、現状の改善が求められます。

北大路機関:はるな くらま
(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)
(本ブログ引用時は記事は出典明示・写真は北大路機関ロゴタイプ維持を求め、その他は無断転載と見做す)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする