気紛れ貴婦人願望バーバの徒然草~カムイミンタラに憧れ、悠々自適人になりたい

ご訪問いただきありがとうございます。安政の探検家松浦武四郎足跡を訪ね、音楽と自然、いにしえのロマンを愛する旅人です。

№5 室蘭八景 銀屏風

2014-05-26 20:34:12 | 旅行
絵鞆岬から測量山に行く観光道路に「室蘭八景 銀屏風」の案内看板があった。絵鞆岬から1,7㎞、ハルカラモイへ  0,8㎞。特に説明版はないが、断崖絶壁で、アイヌ語でチヌイ・エピラ(彫刻のある崖)といわれ、崖に夕日が映えて銀色に輝くということからその名で呼ばれている。崖はどの位の高さがあるのか分からないが、かなり深いV字形になっている。フェンスからは崖の下が見えない。
観光船から見上げたら、やや垂直に切り立った崖の様子がわかるのかと・・・思う。
案内看板の場所からかすかに駒ケ岳の望まれる。
案内看板と崖



№4 室蘭 絵鞆岬

2014-05-26 14:30:20 | 旅行
絵鞆岬は野鳥観察の絶好の場所なのか、超望遠レンズの附いたカメラを手にした方が一人ジッと鳥の鳴き声のする方を見ている様子なので、静かに歩いた。
絵鞆地名由来の看板があり、小島が下方に見えた。これが松浦武四郎の記録にある辨天嶋かと思うが・・・。

地名由来には
『室蘭発祥の地』
『絵鞆とはアイヌ語のエンルムから転じたもので[突き出ている頭][岬]というのが語源
絵鞆は江戸時代から明治維新まで室蘭地方の地名であった。
地図の上では蝦夷の古地図としてしられる正保日本図(一六四八年頃)にエトモと書かれている。
慶長年間のはじめ松前藩の直轄所(漁業基地)として開かれ、交易所で通行人の宿泊もできた運上屋が置かれたところであり、夏季にはアイヌと交易するため、松前藩の弁財船が絵鞆の澗に出入りした。絵鞆岬と東の上に逢ったチャシ(砦)遺跡周辺の貝塚からは、縄文早期(九千年=六千年前)からアイヌ時代(訳八百年ー百年前)に至る貴重な出土品が多く見られる』と書かれている。

絵鞆岬から対岸の駒ケ岳が見え、恵山方面も遠くに見える。

絵鞆岬案内板  モニュメントと駒ケ岳

また、展望台には「先住民の慰霊碑」が建立されている。

正面には
 『この慰霊碑は、室蘭開発の先駆者である先住民の霊を慰めるために先住民チャシ(城砦)のあったこの地に、室蘭開港90周年・市制施行40周年を記念して建立されたものである。
 この地域は発祥の地として永く記録されるべき土地であって、先住民はここを拠点として漁労に耕作に従事し営々として文化の礎を作り今日まで幾多の挿話と傳説が傳えられている。ここに眠る先住民の多くの霊に対し永久に安住の地たらんことを祈念し、あわせて開拓の歴史をたたえる次第である。
この碑建立に当たって更科源蔵氏並びに平三郎氏に特段のご指導を願ったことを付記し、感謝の意を表します。』
 昭和37年9月 室蘭市長 熊谷 綾雄  と刻まれている。
石碑の横はアイヌの模様に作られていたが・・・写真を撮らなかったこと、今になって残念・・・。風が吹くと音が鳴るらしい。

№3 室蘭 祝津公園展望台

2014-05-26 11:16:31 | 旅行
この日の天候は快晴でドライブも快適。
室蘭開港トキカラモイを見学してから、絵鞆岬方面に向かう途中、祝津公園があるので、寄り道。
展望台には誰もいない二人占め。ハートに見えるモニュメント。何十年も前の若かりし時代だったら胸キューン~か?
白鳥大橋とモニュメント
 
展望台からは白鳥大橋の全景が見渡せ、かつて登った鷲別岳や後方羊蹄山が遠くに見え、最高のビューポイント。
  遠くに羊蹄山などを望む

展望台には「白鳥大橋の説明版」と「むろらん観光マップ」看板が立てられている。

観光マップには「室蘭八景」として室蘭港の夜景(これは人気で工場のライトが夜空に映えるよう・・・勿論、夜に来なければ美しいライトは見れないので、何時かは訪れたいものです。)
室蘭八景には室蘭港の夜景・絵鞆岬の景観・地球岬の絶景・六両残の展望・金屏風・銀屏風の断崖絶壁・トッカリショの奇勝・湯呂ゆり咲く大黒島・マスイチ浜の外海展望・・・と紹介されている。
展望台から黒百合が咲くという大黒島が見えた。
大黒島

 大黒島については松浦武四郎の文献 蝦夷日誌(上)では
 △大黒島(周廻四丁)夷言ホロモシリ。惣て草生にて樹なく、此内舟懸り宜し。扞て
 △小島(周二丁)夷言ホンモシリと云。昔し辨天の社有し由にて、又辨天嶋共云へり。
     月よめば まだ秋なれど えともの海
            この山かげは 氷ゐにけり    
と詩を詠んでいる。
この場から次の絵鞆岬に進んだ。

 

№2 室蘭開港の地 トキカラモイを訪ねる

2014-05-25 19:15:20 | 旅行
室蘭市の崎守町から白鳥大橋を渡り、室蘭開港の地(トキカラモイ桟橋跡)を夫の下調べしたマップを頼りに探した。目的地はガソリンスタンドやしらかわ米穀店でしたので場所は確認できた。
トキカラモイはアイヌ語で「入り江」の意味とのこと。
語源は「トキカル・ムイ」(チカの多い入り江)で、現在の海岸町「港の文学館」付近がまだ海だった時代、この入り江にはチカがたくさん生息していたので、このような名が付いたとのこと。

目印のしらかわ米穀店



桟橋跡には3個の看板が並んで設置されている。
トキカラモイ看板全景


一つは「~みなとまち散策路~」
 『明治5年の春、トキカラモイ(海岸町と緑町の境付近)に道都札幌への道(函館~森~<海路>ー室蘭~札幌』、札幌本道の築造工事が始まりました。この道路はマカダム式舗装(砂利敷)による長距離道路として、日本で最初に作られた車馬道でした。道を開いたかと思うのち、道路の両側にどんどん家が建ち並び字名が札幌通りという町ができました。』書き記されている。
 みなとまち散策路看板


佐久間恭子氏の「旧桟橋」の風景画


このトキカラモイは、前回記述したイザべラ・バードが旧森桟橋からこの地に着いたことで私たちは旅の目的としたところである。
彼女の著書「日本奥地紀行」にはこの地のことを『森から出港する日・・・この日はすばらしく好天気で美しく青い海には波頭が白く泡立ち、湾の南端を示す火山(駒ケ岳のこと)から上る赤い灰が日光に輝いていた。微風は強くて順風であったが、それでも二五マイルを航海するのに六時間もかかった。・・・・船はほとんど地口に囲まれた美しい室蘭港に着いた。ここは両側が嶮しくて、森が茂り、深い海が岸近くまで迫り水深が深いから、外国の軍艦がときどき来て停泊できるほどである。・・・・室蘭は美しい小さな町である。とても美しい湾の嶮しい岸辺があり、さらに上の方には豊かな森林におわれた山がある』と記述している。
私たちは、この開港の地から次は絵鞆岬の方へ向かった。

№1 室蘭地名発祥の地を再訪 2014年5月20日

2014-05-23 20:05:39 | 旅行
今回の旅は白老にあるイザべラ・バードの足跡室蘭の松浦武四郎に関する資料や足跡,を見たいという思いのもの。
最初は、以前にも訪ねたが崎守地域振興センター前にある地名発祥の説明版と発祥の坂である。
 センター近くになって、カーナビに史跡マークが出てきて「「室蘭陣屋台場跡」とあるので、崎守町を歩いている男性に「南部陣屋跡はどのへんになりますか?」と聞いたら、「分からない・・・」ということで史跡マークはあるがどういう道を進めたら行けるのか・・・不明場所。
崎守振興センターで室蘭地名発祥の地の説明版を見た。
 『ムロラン(室蘭)地名発祥の地』説明の概要は・・・ムロラン(室蘭)はもともとアイヌ語に源を発する地名で「モロラン」と呼ばれていた。原名は「モルラン」であり、語源は「モルエラニ」とされる。と書かれている。
私の何時も参考にしている、松浦武四郎の「東蝦夷日誌」には〔モロラン〕地名譯てモルランにて、小また静也。
 ルは路 ランは下る義也 小路を下ると云也。
彼の室蘭の記録は『川を越、赤土坂上り、くぬぎ柏原しばし過下りて(十八丁)モロラン(室蘭)(會所、通行や、勤番所、調役邸、板倉、御備米蔵、辨天社、永住はたごや、扞出稼等多し)西南向、砂原に對し、毎日乗合船出る。(海上七里)。頗る便利也。(中略・・・)土人多し。エトモ(絵鞆)より移りし故。今にエトモ會所といへり。』産物として鯡、鰯、鮭、鱒、鹿皮、椎茸等が記載されている。
崎守振興センター前の室蘭地名発祥の説明板


室蘭地名発祥の坂に向かう。坂の入り口には「ムロラン地名発祥の坂」と木碑はある。


その坂の右上には寺院があるが、気になっていた史跡のマークが坂上の方向に出ているので、その方向へ向かった。間もなく石碑が目に入った。
 「史跡 モロラン陣屋台場」である。昭和48年3月17日に建立されている。
更に奥に神社が見えたので歩くと史跡の説明版は崎守神社の境内にあり、説明版の後方は土嚢の跡なのか少し土が高く盛られているように見える。
昭和四十九年 国指定史跡』
 東蝦夷地南部藩
   モロラン陣屋跡
 ポロシレト台場
   勤番所跡
安政三年(一八五六年)南部藩がペケレオタ(陣屋町)の出張陣屋とともに築いた砲台跡で、このポロシレト(親である岬・大きな岬)の対岸エトモ岬の台場と陣屋の三方向からのはさみ撃を砲撃で白鳥湾に侵入する異国船を打ち払う鎖国時代の夫人でした。「にらみ台場」と呼ばれていたという。勤番所跡では駐留の武士たちが海をにらんで海岸警備にあたっていたのです。室蘭市教育委員会}と書かれている。
 史跡碑  

 崎守神社境内にある説明版


この後、明治11年に英国の女性イザべラ・バード(「日本奥地紀行」の著者)が道南の森町にある旧森桟橋から室蘭に着いたというトキカラモイ開港の碑へ向かった。