二風谷再訪で、ダム公園内にある松浦武四郎・金城マツ・金田一京助など平取と縁のあった歴史的人物のレリーフなどを見て歩いた。
数年前に訪ねたときには「松浦武四郎」のレリーフは沙流川に向かって右手にあったが、アイヌ文化資料館側に移動していた。
レリーフの碑には松浦武四郎著の「東蝦夷日誌に書かれている詩が刻まれている。
沙流川に舟で下り・・・『ポロサロ(幌去)に宿。此村、昔十勝より来りし者と、津軽の宇鐵より來りし者の子孫なりと。・・・家居もまた他処より太く、其餝(かざり)附けも見事にし、客の應對も惣て慇懃なり。夷地にて庭の掃除さする等は無に、此の処にては朝夕丁寧に掃除等し、其風大に内地のさまに似たりければ・・・
『世ばなれし 保路さる山の 奥えみし 都の手ぶり いつならひけん』と記載している。
松浦武四郎の碑
広い公園内には、その他「近藤重蔵」や医療活動をした「ニール・ゴードン・マンロー」宣教師の「ジョン・バチュラー」や看護婦の「エディース・メアリー・ブライアント」という明治期に活躍した先人のレリーフがある。
マンローの碑には『イギリス・スコットランド出身の石で人類学者。明治25年に来日、横浜ゼネラルホスピタル病院長や軽井沢サナトリウム所長を歴任して日本考古学に先駆的な業績を残している。アイヌ研究にも力を入れ「アイヌの心情と文化」などの著作や記録映像を制作している。昭和5年のイヨマンテ(熊の霊送り儀礼)調査を契機に二風谷永住を決意し、自邸(現マンロー館)を建設。チヨ婦人と共に住民の医療奉仕にも積極的に尽力した。』昭和17年他界し二風谷墓地に永眠されているとのこと。
マンローの碑
ブライアンの碑
明治期に平取で活躍した伝道看護婦。ロンドンの病院で看護婦をしていたが、ジョン・バチラーに頼まれて明治30年に平取に来た。義経神社下の「ホスピタル レスツ」で住民の治療にあたりながら、キリスト教を広めるため活動した・・・また沙流川の大洪水の際には被災した人たちを献身的に世話をしたり振内に私塾を設けて子弟の教育にも尽くした・・・とのこと。
金田一京助の碑
近藤重蔵の碑
近藤重蔵は江戸後期の北方の探検家で蝦夷探検の時、アイヌが義経公をハンカンカムイとして崇拝していることを知り、アイヌの慰撫教化と北辺の鎮護のために江戸神田在住の大仏工法橋善啓に義経公の像を作らせ寛政11年ハヨピラの地に寄進した・・・とある。
近くにあるマンロー邸を見学する。現在は北海道大学大学院 文学研究所となっていた。
国道237号線を平取に向かう途中に小さな案内版があり、左折して進むと美しい樹木の並木道となって林の中にマンロー邸がある。。
数年前に訪ねたときには「松浦武四郎」のレリーフは沙流川に向かって右手にあったが、アイヌ文化資料館側に移動していた。
レリーフの碑には松浦武四郎著の「東蝦夷日誌に書かれている詩が刻まれている。
沙流川に舟で下り・・・『ポロサロ(幌去)に宿。此村、昔十勝より来りし者と、津軽の宇鐵より來りし者の子孫なりと。・・・家居もまた他処より太く、其餝(かざり)附けも見事にし、客の應對も惣て慇懃なり。夷地にて庭の掃除さする等は無に、此の処にては朝夕丁寧に掃除等し、其風大に内地のさまに似たりければ・・・
『世ばなれし 保路さる山の 奥えみし 都の手ぶり いつならひけん』と記載している。
松浦武四郎の碑
広い公園内には、その他「近藤重蔵」や医療活動をした「ニール・ゴードン・マンロー」宣教師の「ジョン・バチュラー」や看護婦の「エディース・メアリー・ブライアント」という明治期に活躍した先人のレリーフがある。
マンローの碑には『イギリス・スコットランド出身の石で人類学者。明治25年に来日、横浜ゼネラルホスピタル病院長や軽井沢サナトリウム所長を歴任して日本考古学に先駆的な業績を残している。アイヌ研究にも力を入れ「アイヌの心情と文化」などの著作や記録映像を制作している。昭和5年のイヨマンテ(熊の霊送り儀礼)調査を契機に二風谷永住を決意し、自邸(現マンロー館)を建設。チヨ婦人と共に住民の医療奉仕にも積極的に尽力した。』昭和17年他界し二風谷墓地に永眠されているとのこと。
マンローの碑
ブライアンの碑
明治期に平取で活躍した伝道看護婦。ロンドンの病院で看護婦をしていたが、ジョン・バチラーに頼まれて明治30年に平取に来た。義経神社下の「ホスピタル レスツ」で住民の治療にあたりながら、キリスト教を広めるため活動した・・・また沙流川の大洪水の際には被災した人たちを献身的に世話をしたり振内に私塾を設けて子弟の教育にも尽くした・・・とのこと。
金田一京助の碑
近藤重蔵の碑
近藤重蔵は江戸後期の北方の探検家で蝦夷探検の時、アイヌが義経公をハンカンカムイとして崇拝していることを知り、アイヌの慰撫教化と北辺の鎮護のために江戸神田在住の大仏工法橋善啓に義経公の像を作らせ寛政11年ハヨピラの地に寄進した・・・とある。
近くにあるマンロー邸を見学する。現在は北海道大学大学院 文学研究所となっていた。
国道237号線を平取に向かう途中に小さな案内版があり、左折して進むと美しい樹木の並木道となって林の中にマンロー邸がある。。