気紛れ貴婦人願望バーバの徒然草~カムイミンタラに憧れ、悠々自適人になりたい

ご訪問いただきありがとうございます。安政の探検家松浦武四郎足跡を訪ね、音楽と自然、いにしえのロマンを愛する旅人です。

アポイ岳ジオパークに出会って

2012-07-05 21:52:51 | 旅行
2012年6月12日、三石のホテル蔵三を出発して、エンルム岬や観音山、等澍院や様似郷土資料館を巡った。様似町では幾つかの「アポイ岳ジオパーク」の碑に出会った。
「エンルム岬」のジオパーク説明によると、「エンルム」はアイヌ語で「尖り頭」の意味で、これを7地名に用いるときは岬と解します。江戸後期の東蝦夷地の交易貿易拠点として欠かすことのできない良港で様似発祥の地でもあります・・・と書かれている。
松浦武四郎は様似に来て、山川取調探検を行っている。東蝦夷日誌のシャマニ編では『此邊畑多し。濱皆砂にして、昆布の比には多くの出稼ぎ有て、沖には碇泊の大船湊ひ、番禜(※番は昔の文字で記載されている。草冠が着く番)の地なり。シャマニ会所(通行や、会所、蔵蔵、備米くら、馬や、勤番所、大工小屋、雇小屋、鍛冶や、観音堂、いなり、船玉社、また遠見番所あり地名エンルンなるを、シャマニベツに住する土人を遣ふ処故・・・元は松前家臣蠣崎蔵人の給所なり。此所西南向きの一湾にして、潟内に蝋燭岩・ホロシュマ(大岩)・ホンシュマ(小岩)有、風景また妙なり』と残している。今は「会所」はバス停に名が残っていると等澍院の方に教えていただいた。昔の町名が残っていることは歴史を感じます。私の町も昔は会所町、旅籠町、恵比寿町、常盤町など数多くの町名が消えている。町の由来を忘れたくないものです。
エンルム岬への案内写真
エンルム岬展望台からの自然の良港様似
親子岩とゾビラ岩
「各地に夫婦岩と呼ばれるものはあっても、まるで親子のように三つの岩が寄り添っているものはそう多くはありません。ゾビラ岩は、その形状から烏帽子岩とも呼ばれています。」と説明されている。


不動の沢
ガンビの神様に向かう途中でアポイ岳ジオパークの碑を発見。
沢と幌満川が合流するところから上流には「ハルツバージャイト」と呼ばれる輝石の乏しいかんらん岩。不動明王の祠周辺には「斜長石を含むかんらん岩が見られる・・・と説明。地学に興味のある方にとっては凄い所だと思った。(地球の中身、マグマが外に出ている・・・かんらん岩についてはエンルム岬で様似の中学生が総合学習で学んでいたところの学芸員さんの説明から学んだ。)

不動明王の祠がある岩(かんらん岩)崖の上の林の中に小さな祠が建っています。

様似町のホームページにはアポイ岳ジオパークの所在マップなど判りやすく案内されている。

静内 シベチャリの橋

2012-07-05 19:57:42 | 旅行
静内川の流域に『シベチャリの橋』がある。
松浦武四郎の「東蝦夷日誌」にシベチャリという記述がある。松浦武四郎とその橋とは関係がないが、『シビチャリブト(染退川口)渡し守壱軒、小休所有。松前家臣蠣崎・太田両家の給所なり。西岸平地、東岸赤崩平。本名シベイチャンとて鮭が卵置処の義。往昔ホマリモイと云いしが、連年不漁にて土人難渋し、神に祈りしかば、此の名を附よし霊夢を蒙りしに、其後、打續続大漁なりと云傅ふ』と記している。
静内真歌公園内にある新ひだかアイヌ資料館のパンフレットではシベチャリについて『アイヌ語のシベイチャンはシペイチャニ=鮭が卵を置くところ』とも『シペツ・チャリ=本流が散らばる』という意味ともいわれているが、本来の語源は不明・・・と記載されている。
静内川に架かる歩道専用の橋を渡った。確かに川の西側は平地で静内市街でマンションや病院家並み多く、対岸は以前、シャクシャイン像やシベチャリチャシを見るために行った真歌公園の高台と思われる。
その橋には、日高の山々の形をモニュメントにしたものや、山のレリーフが歩道に敷かれていた。
濃霧のシベチャリ河川敷からの橋

カムイエクウチカウシ山のレリーフ(標高1975m)

橋の中央くらいに馬の像があり

橋から白鳥が順番に飛び立つ・・・こういう橋は渡って楽しい。
天気が良ければ日高山脈が見えるはず・・・橋の欄干に山々の名前と標高が書かれていた。