武将の陣跡をめぐる中、歴史を感じさせる杉並木を歩くと、まだ暑い秋の木漏れ日に澄んだ空気が爽やか。
西軍最大の兵17000を率いて天満山の南に陣を構えた宇喜多秀家
満天神社境内に陣を構え、攻め入る東軍と激しい戦いを続けた宇喜多軍。
旗印は先祖が治めていた児島という地名の「児」を付けたようです。
関ケ原古戦場記念館より
合戦に敗れ伊吹山麓に逃れたが落ち武者狩りの矢野五右衛門に捕らえられた。しかし秀家の潔さに感服した五右衛門は自分の
領地(今の岐阜県揖斐川町白樺地区)に匿った後 大阪・薩摩と3年の月日が流れ最後は八丈島へ流刑された。
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