反新自由主義・反グローバリズムの統一戦線を
新自由主義的政策は、必然的に社会的不平等を深化させる。
このことは、新自由主義者にとって予測できなかった結果ではなく、社会的不平等は、活気ある社会作りの必要条件され、織り込み済みの問題である。したがって、福祉国家再編によって惹き起こされる貧困の増大や、社会的不平等の深化を、新自由主義政府に対して警告しても、まったく無意味なのである。
新自由主義的政策の推進は、必然的に、貧困の増大や貧富の格差拡大、社会的不平等の深化をもたらすことから、生活保障が脅かされる貧困層と労働者が、反対勢力となることが予測される。したがって、そのことを見越しての、さまざまな政治的な戦術・戦略が駆使されることとなる。
サッチャー政権は、資本とりわけ多国籍資本の、その利潤増大ための政策を推進する中で、部分的ではあっても、その新自由主義的改革にともなう経済的利益を、中間階層にも提供することによって、政権への支持を獲得した。それは、サッチャー政権の住宅政策によって、少ない負担で持ち家層になった、その中間階層の支持を獲得することに成功したのである。
しかし、民(私)営化、規制緩和、社会保障・社会福祉の縮減などの政策、すなわちプライバタイゼイションを、急進的に進めると、当然のこととして、貧困層・労働者からの反発は増大し、不満が蓄積され、政権交代時期が到来する。そのことを見越して、「資本」=多国籍資本は、政権交代の受け皿である労働党に、ニューレイバー路線をとらせていたのであり、それが、保守党メイジャー政権の後に成立した、労働党ブレア政権である。
そのブレア政権には、新自由主義的政策を推進してきたことによって惹起した、社会的格差や貧困の増大、社会福祉施策の大幅な後退などに対して、貧困層や労働者への配慮・譲歩・救済などの施策をとらせるものの、「資本」=多国籍資本のための、英米協調のグローバリゼイション・新自由主義的政策は踏襲させたのである。
サッチャー、レーガン、中曽根路線と並び称された、1980年代からの、新保守主義的・反動的改革、すなわち、資本主義の先祖がえりのような、反動的で露骨な攻撃、現在の表現でいうところの新自由主義的改革の推進に、マスメディアが大きな役割を果たしてきた。それは、マスメディアを「資本」=多国籍資本の側に取り込み、プロパガンダ機関として動員するというものであった。
小泉政権末期となった現在、マスメディアの論調も変化してきている。「痛みをともなう改革」の、その「痛み」を高齢者・年金生活者をはじめとして、多くの国民が実感する状況になってきている。
小泉政権の5年間を批判的に検証したり、「格差社会」というような特集が組まれたりしている。このことは一種のガス抜きであり、新たな誘導であるといえるのではないか。英国労働党にニューレイバー路線が用意されたと同様に、新自由主義的政策を推進することのできる小沢民主党が用意されている。
福祉国家政策を維持しようとする古い自民党をぶっ壊し、新しい自民党を、そして、政界再編を通じて、新自由主義的改革を競い合うことのできる民主党を、「資本」=多国籍資本はつくりあげてきた。
新自由主義的改革の結果として、貧困の増大や貧富の格差拡大、社会福祉・社会保障制度の後退で、障がい者をはじめとする少数者の生活や生命が脅かされている。さらに、今国会での医療制度改革関連法案の成立など、さらなる負担増や制度改悪・破壊が、すでに法制化されている。
予測される高齢者や貧困層、労働者や勤労国民の不満の増大に対して、「資本」=多国籍資本は備えを済ませ、そのガス抜きや新たな誘導に、マスメディアが動員されることになる。
南米ボリビア、チリの大統領選挙で、21世紀に入り、ブラジル・アルゼンチンで反米左派が圧勝した。敗北したのは「南米の小泉政権」である。
かつて「米国の裏庭」といわれた中南米で、このようにベネズエラをはじめ多くの国で、米国と米国に追従する政権の支配を覆し、左派もしくは中道左派政権が誕生している。こうした中南米の一連の動向から、私たちが学ぶべきことが、多々あるのではないか。
来年の参議院選挙にむけて、反新自由主義、反グローバリズムの、また現下の状況から言い換えれば、憲法擁護のための、平和のための、政治的統一戦線=政治的共同組織作りが、ぜひとも必要な状況だといえる。
そのための努力・模索が続けられている。なんとしても実現させたいものだ。
これは同感ですね。小沢はアメリカ「奥の院」が用意したもう一方の「玉」にすぎないでしょうね。
吉見です。
私もここでおっしゃている方向の具体化した本当の事態打開の道はないと思っています。
事態の流れの把握も私と一致しています。
以下は、「ブラジル、チリ」の格差社会からの脱出のとりくみについて市民社会フォーラムに投稿した私の文章です。
http://www12.ocn.ne.jp/~kitsumi/shiminshakaiforum/69brazilchili.html
反自由主義、反グローバリズムの統一戦線という見出しの「反グローバリズム」という言葉についてです。
世界社会フォーラムは「地球惑星社会」めざしていると明示してあり、実際にチャベス大統領やルラ大統領は、グローバルな連携を強めようとしており、私は日本に「反グローバリズム」運動として紹介しているのは、誤解をあたえる表現なのではないかとつねづね思ってきました。
経済についてアメリカの推進するグローバルな新自由主義を阻止しないといけないけど、それはグローバルな地球規模の連帯を生み出すしかありえないし、「反グローバル」という言葉にいつも違和感を感じるのです。
地域の人々が経済主権をもつ世界をめざしますが、インターネットなどグローバルなありようの方向性は、有効活用する位置づけが必要で、「反グローバル」とは、やはり言えないという気がするのです。
この稚拙さは小泉政権の全てに共通し、学歴・職歴を基とした優位意識が先行し、庶民の現実を見ようとしてません。要するに、「差別意識」です。
しかし、この単純明快さが稚拙さであり、今の政権を作り上げさせてしまったわけです。
ブログを通じて、自分の頭で考える習慣を共に鍛えて、自らの意思で行動する習慣としなければなりません。
「安倍晋三(AbEnd)」
安倍晋三に関するブログの、トラックバックを集めたサイト。
「AbEnd」とは、「安倍(Abe)を、おしまい(the End)にする」の意味だそうです。
http://tbp.jp/tbp_6610.html
難しいご指摘です。吉見さん、ご指摘の部分はどのように表現すればいいのでしょうか?
岡林君からの指摘もありましたが、「反新自由主義、反グローバリズムの、また現下の状況から言い換えれば、憲法擁護のための、平和のための、政治的統一戦線=政治的共同組織作り」というのが、私の表現です。
「グローバリズム」という言葉を、現状からすれば、狭義の意味合いで使って、良いのではないでしょうか。
「グローバリズム」という言葉を使わずに、地球規模の連帯=全地球的民衆連帯=全球的人民連帯で、良いのでは。
「経済格差」の拡大を庶民に押し付け、それを確固とした権力によって押さえつける仕組み作りが、ヤシクニ参拝です。
現状をひっくり返す行動――アメリカの広島・長崎への原爆投下、北ベトナムへの北爆、北朝鮮のテポドン発射、周辺国が反対しているにも拘らず日本の海外侵略の正当化――は同じです。
私は「経済格差」が様々なところで、表現されていることを明確にしていこうと思っていますが、私はブログだけでは終わらず、行動もするつもりです。
コメント&トラックバック、ありがとうございます。
最近、障害者自立「阻害」法と、自殺対策基本法に関連して、調査・取材中です。おいおい、ブログにもアップしていく予定ですが、ing なもので・・・
お父上が 無事お帰りになられ そして 貴兄のような心ある方が おられる。
ありがたいことです。
お互い 平和のために 何とか 持ちこたえていきたいものです。
戦争へ行くことにくらべれば 何事も どんなにか 楽かとは思います。
では 失礼します。