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その場考学研究所:ボーイング777のエンジンの国際開発のチーフエンジニアの眼をとおして技術のあり方の疑問を解きます

メタエンジニアリングで考える日本文化の文明化(9) 第6話(その3)

2015年07月11日 08時03分13秒 | メタエンジニアリングと文化の文明化
第6話 メタエンジニアリングによる文化の文明化のプロセスの確立(その3)1980年代の文化と文明に関する著書

1980年代に発行された文化と文明に関する参考著書を8件列挙します。

この期間では、文明と文化の具体的な関係の解明、文明の成長と衰退のサイクルの特定、独特の文化や文明が育った原因などが、更に徹底的に研究されました。そして、人類の歴史以来800年サイクルで文明が入れ替わり、西暦2000年がその節目であることまで指摘されてしまった。
21世紀が文明の転換期であることが、一般論としての基礎を築きはじめた年代と云えるのではないでしょうか。

1.司馬遼太郎 「歴史の世界から」中央公論社1980 (KMB215)



・「競争原理を持ち込むな」
儒教と云うものは、社会体制そのものであり、生活規範であり、極端にいえば人間を飼いならす原理であり、システムであるのでしょう。日本人は律令時代といえども、儒教とそれにともなう官僚制度とを、滑稽なほどの粗雑さで取り入れただけで、本当の儒教というものは、僕らが考えているものとは随分と違うんですね。
 世界中のたいていの民族は・・・

・「織田軍団か武田軍団か」
絶対原理を一つ持っていて、その絶対原理で人間を作り変えてしまう。そうでなければ人間は猛獣で手に負えない動物だと思っているらしい。中国では儒教でもって人間を飼いならしているし、ヨーロッパではキリスト教でそうしている。回教圏もむろんそのことは強烈に行われてきた。

・儒教体制のもとでは汚職が付きものです。一人の大官の足元には何十人という親類縁者がカキ殻の如くにくっついて利益を得ようとしています。大官はそれを拒否することはできないし、今日することはむしろ主義ではない。ところが、困ったことに資本主義というものは官吏が清潔でなければならない。

・これまで二千年間、儒教という原理で社会的存在としての人間の猛獣性、つまり無用の競争性の毒牙を抜いてきたものを、今度は短期間で新しい原理でやらなきゃならない。二千年間読んできた「論語」という孔子語録を「毛沢東語録」に切り替えるためには、八億が一見集団発狂したような勢いで繰り返し高唱してゆくという時期が要る。
⇒知識人のグループは儒教を捨てきれない。
⇒集団ヒステリー現象を作り出して、叩き出した。

2.司馬遼太郎「アメリカ素描」読売新聞社(1986)



・ここで、定義を設けておきたい。文明は「たれもが参加できる普遍的なものも・合理的なもの・機能的なもの」をさすのに対し、文化はむしろ不合理なものであり、特定の集団(たとえば民族)においてのみ通用する特殊なもので、他に及ぼしがたい。つまり普遍的でない。



3.伊東俊太郎「東京大学公開講座33、人間と文明」東京大学出版会 (1981)KMB048




・文化と文明の言葉の由来
日本において“文明”を最初に論じた書物は福沢諭吉の「文明論之概略」(明治8年 1875 年)といってよい。ここで福沢が“文明”という言葉をどのような意味で用いたかというと、それは英語の「シヴィリゼイション」(civilization)の訳であるとことわり、「文明とは人の身の安楽にして心を高尚にするを云うなり、衣食を豊かにして人品を貫くするを云うなり」といい、「又この人の安楽と品位とを得せしめるものは人の知得なるが故に、文明とは結局、人の知得の進歩と云て可なり」としている。

・文化・文明の五つの段階
  人類がこれまで経験してきた巨大な文明史的転換期とは次の五つである。
  ①人類革命、②農業革命、③都市革命、④精神革命、⑤科学革命
  そして現在は、五番目の「科学革命」がひとつの袋小路に入って新しい文明の形態が模索されている六番目の大きな転換期だろうと思う。

・「文明」と「反文明」、「反文明」のフロンティア(初期と現代のアメリカ)


4.有賀喜左衛門著「文明・文化・文学」お茶の水書房(1980)KMB048



・外国文明と日本文化、文明と文化の意味
私が文化と考えているものは特定の民族が示している個性的な生活全体を意味しているのであります。これは通例いわれているように政治や経済、社会を除外したものではないと重ねていっておきます。だから特定の民族の歴史的、社会的、心理的、情緒的特質が認められるのであります。
(中略。この間に、資本主義や共産主義が国によって異なった形態で存在することを例証として挙げている。)単純に言えば、特定の民族の文化は、他の民族に伝播させることができるのでありますが、伝播させることのできる文化は特定の民族から抽出することのできる側面であり、普遍化することのできる要素に限られているのであって、この民族の生活全体として他の民族に移し植えることはできないのであります。

・文化という言葉も文明という言葉も日本においては元来翻訳語あら生じた言葉でありますから、日本の英和辞典をみても。cultureとcivilizationの双方に文化とも文明ともあって、この意味を区別しがたいのでありますが、私は、cultureに文化という日本語を、civilizationに文明という日本語をあてたいと思います。

・外国文明の受け入れは通例諸民族から多面的におこなわれるのであります。例えば、明治の初期に日本が受け入れた西欧文明を見ても、民法はフランス、憲法はドイツ、資本主義はイギリス、フランス、民権運動はフランス、文学は初めイギリス、造船は初めフランス等々というような選択がありました。


5.高坂正堯「文明が衰亡するとき」新潮新書(1981)



・巨大なものの崩壊
 経済的な要因にローマの衰亡の原因を求める説は多い。それは20世紀における支配的な説と言ってよいだろう。その中でも、紀元2世紀以降のローマ経済の停滞と穏やかだが着実な委縮を重視するものもあるし、5世紀における急激な崩壊を強調するものもある。
 奴隷が新しく入ってくることも少なくなった
 消費水準は高まった
 国家は福祉政策をとるようになる
 富の少数者への集中が進んだ

・変化に対応する能力
 プラトンの指摘したことはやはり正しいのではないだろうか。通商国家は異質の文明と広範な交際をもち、さまざまな行動原則を巧みに使いわけ、それらをかろうじて調和させて生きている。しかし、そうすることは当時者たちに、自信もしくは自己同一性(アイデンティティー)を弱めさせる働きをもつ。自分を大切にするものが何であり、自分が何であるか徐々に怪しくなる。すなわち、道徳的混乱がおこる。

・ヴェネチアの衰退を説明したストーリーが興味を引く。
海洋国家であり、かつ通商国家であり独特の文化も栄えたヴェネチアは少し以前の日本と似通った面が多くある。衰退の過程は次のように記されている。

① 所有するガレー船の数が減少し始める。これは、建造費が急激に上昇してしまったためである。
② 船価の上昇は、ヨーロッパ全体の繁栄が進んできたことによる木材(特に堅い材質の高級材)価格の急上昇による。
③ 海洋貿易の成功神話の弊害の露出。
歴史では、大航海時代の幕開けはオランダによるアフリカ周りの航路の開発が定説だが、実際にはその直前にヴェネチア自身がこの機会を拒否したとある。

・オランダ人がアフリカ周りの航路で大きな収益を上げ、ヴェネチア人から香料貿易を取り上げる少し前の1585年、スペインとポルトガルを統治していたフィリップ2世は、リスボンとアントワープでの香料貿易の独占権をヴェネチアに提供しようとしたのである。
   この提案は、自分たちが行って余り収益が上がらなかったため、海運の上で名声が高かったヴェネチアに事業を委任しようという考慮に依るものであろう。また、スペイン、ポルトガルは当時すでに財政難に悩んでいたので、権利を売って手堅い収入を得たかったのかもしれない。しかし、ヴェネチアは結局この申し出を受けなかった。そこにも、既にある方向で成功しているものが新しい冒険に乗り出すことの難しさを見ることができる。新しい事業はつねにリスクを伴う。また、それよりは全体的な体質変化に通ずることが多い。既成勢力は反対する。
しかし、なんといってもヴェネチアの文化の国際的貢献の最大のものはパドヴァ大学である。その基本精神は多元主義と自由であった。それはパドヴァ大学が競争講義という制度を持っていたと云う事実に端的に現れている。同一の主題について二人の教授が任命され、同じ時間に講義することを要求された。学説が競争にさらされ、教条とはなり難かったことは明白である。
(中略)
残念ながら、十七世紀に入るころから、ヴェネチア人はそうした強さが失われていったように思われる。それは有名なガリレオ・ガリレイの地動説に対してパドヴァ大学の同僚たちがとった態度に良く現れている。ガリレオはフィレンツエの生まれであったのだが、1592年にパドヴァ大学の教授に任命され、知的活動のひとつの中心となった。地動説の主張に至る彼の業績は、自由で合理主義的なパドヴァ大学の雰囲気なしにはありえなかったであろう。しかし、彼が望遠鏡によって木星の衛星などを発見し、やがて地球は動いているという説を持つにいたったとき、パドヴァ大学の他の教授たちはその説を否定したいという気持ちに動かされた。ガリレオは1610年にパドヴァ大学を去る。


6.司馬遼太郎「韃靼疾風録」中央公論(1987) 「あとがきにかえて」より、



 文明というのは、それをどの民族にも押しひろげうるというシステムであるらしい。文化のようにこみ入ってはいない。また他からみれば理解しがたいほどに神秘的なものでもなく、文明は大きな投網のように大ざっぱなものである。儒教の場合も、服装を正しくして、長幼の序を重んじ、両親に孝であればそれだけでよい。大ざっぱであればこそ、諸文化の上を越えてひろびろとゆきわたることができ、そういう普遍的な機能をもって文明というのである。それだけのもので、それ以上のものではない。ところが、文明が爛熟すれば文明ボケして、人間が単純になってしまうらしい。文明人というのは「文明」という目の粗い大きな物差しをいつも持っていて、他民族の文化を計ろうとする。くりかえしいうが、文化は必ず特異で他に及ぼせば不合理なものであり、普遍性はない。ないからこそ、文化なのである。それを文明の尺度で計ろうとするのは、体重計で身長を計ろうとするのに似ている。


7.村山 節「文明の研究」-歴史の法則と未来予測」光村推古書院(1984) KMB211



・本の帯に記された書評より、
長大周期のバイオ・サイクルの実在;人間の持つ大きな生命力は自然の力を活用して、壮大な文明を培ってきた。いま、この驚くべき巨大な法則の中に、六千年の諸文明の営みが見事に包括され説明されている。宇宙的リズムに連動するバイオ・サイクルは、人類がこの地上で美しく雄大に一定の周期で悠久に進化して、すばらしい社会をつくれることを意味している。この新しい発見は道の文明の創造を暗示しながら、21世紀以後の文明の方向を示しているように見える。

・文明も春夏秋冬、四季のサイクルを持っているんです。(1サイクル800年、四季のリズムで1600年)壮大なロマンにふれてみてください!

<<第一文明サイクル>>
●西の文明  原始エジプト文明 BC3600~2800  
    人類の建築土木技術の発達、エジプト古王国のピラミッド
    ナイル川の潅漑工事、外国人侵入 エジプト衰微
 [裏 原始シュメ-ル]   

<<第二文明サイクル>>    
●西の文明  エジプトおよびエーゲ文明 BC2000~1200
     衣服・食生活の向上、夏 クレタ文明興隆(エーゲ文明開花)
      秋ミケーネ文明・エジプト新王国、エーゲ文明                  [裏 アジア未開時代 東洋の冬と春]

<<第三文明サイクル>>
●西の文明 ギリシャ・ローマ大帝国文明 BC400~AD400  
     キリスト教の発展 科学技術発展、パックスロマーナ
     ギリシャを中心に芸術・哲学・科学が花開

<<第四文明サイクル>>
●西の文明 ヨーロッパ文明 AD1200~2000       !
   物質文明・機械文明 生産力拡大         



そして現在は、只今激変期
 新たなる民族大移動発生か、民族大移動でドイツは心配、バブル崩壊・アメリカが痛手、金融大国日本も狂乱の中で踊っている、イスラム教の台頭と云う訳だ。
また、現在の文明サイクルはこれまで3サイクルを経て西東・西東・西東・西(東) 4サイクルの前半を終えようとしている。すなわち5600年の 西と東の文明の興亡交替の歴史を持っている。


8.並木信義「現代の超克」ダイヤモンド社(1987)KMB382



・間もなく歴史は二十一世紀を迎える。おそらく二十一世紀から二十二世紀へかけての世界は、十六世紀以降の一連の流れが最高潮に達し、新たな時代への脱皮を遂げる画期となるであろう。われわれにその転換方向が見定められるであろうか。

・われわれにとって、経済は回転軸にすぎず、問題は、感性であり、思想であり、哲学であり、宗教であり、社会諸制度である。

・欧米に経済の面ではキャッチアップを終えたわれわれの次の課題は、文化、社会、科学技術、諸制度の面で、先進国の現状を超克し、東西南北各地域を対象にして、世界全体に普遍的に妥当する文明の原理を発見することでなければならない。

・現代はまた、人間社会を律する二つの哲学、つまり、共同体協調の制度学派的見方と、個人主義的合理性追求の私的自由主義的見方のうち、著しく後者に比重が傾いている時代である。人間社会にはこの両者の適当なバランスの維持が重要である。現在のように、私的合理性追求社会は、経済的投機旺盛程度にとどまらず、家庭生活に及ぶまで浅薄な経済理論的割り切りが行われるに至る。(中略)人間社会は、1990年代に入ると、おそらく前者の方向への転換が見られ始めるであろう。家族、経営、国家、国際社会のすべてにおいて、現在のあり方は一方の極にある。目に見えぬ動きながら、穏やかに、確実に、歴史は他の方向に転進しつつある。そして転進の未来にほのかに見えるのは、人類の現代史の第3期せある。この方向こそが、現代日本の超克、そして現代世界の超克を可能にするであろう。

次回の(その4)では、1990年代に発行された5冊を紹介します。


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