生涯いちエンジニアを目指して、ついに半老人になってしまいました。

その場考学研究所:ボーイング777のエンジンの国際開発のチーフエンジニアの眼をとおして技術のあり方の疑問を解きます

第12章 ジェットエンジンの原理と初期の歴史(その3)

2023年04月29日 07時53分35秒 | 民間航空機用ジェットエンジン技術の系統化
第12章 ジェットエンジンの原理と初期の歴史(その3)

12.3 自立運転の成功


 ガスタービン自身の自立運転は、タービンで得られる回転力が、自己の圧縮機を回すための力を上回ることで成立する。その残りが動力となって利用されるので、従って、圧縮機とタービンの効率が高くないと必要な出力を得ることはできない。実は、エンジンのスタートからアイドリングまでの熱力学サイクルの安定がもっとも難しい。従って、スタートからある回転数までは、スターター(補助始動装置)による補助が必要になる。このために、自立運転の成功までには、長い年月と多くの失敗が重ねられた。

 また、ジェットエンジンの場合には、タービン出口で高速なジェットを噴き出すための圧力が維持されていなければならず、しかも、安全のためには、いずれの状態からでも急加速が安定して行われることが要求される。従って、更に高い効率と安定性が要求される。
 英国人フランク・ホイットル(Frank Whittle、1907-1996)は空気が希薄な高空を高速で飛ぶ航空機にはジェットエンジンが必須の機関であること主張し、特許を出願して自ら試作を繰り返し、ついに自立運転に成功した。その後、当時戦禍の中にあった欧州で、ジェット戦闘機用のエンジンとしての開発競争が急速に進み、彼は、その功績により英国女王よりサー・フランクの称号を得て、ターボジェットエンジンの先覚者として讃えられている。

12.3.1ホイットルによる成功

 彼は、英国空軍大学(Royal Air Force College)の飛行士官候補生として勉学し、優秀な成績で卒業後ケンブリッジ大学工学部に派遣された。彼は、グリフィスが主張する軸流式ターボプロップエンジンではなく、構造が簡素な遠心式ターボジェットこそが早期の戦力化に適する、と反駁する論文「航空機設計の展望」(Future Developments in Aircraft Design) を1929年に軍需省に上申し、翌1930年1月これを特許(Patent347206)として出願した。そこには、(図2.5)に示される基本図が示されている。(1)


図12.5 ホイットルの特許に示された図面(1)

 しかし、彼のアイデアは当時の技術では実現が不可能と考えられ、諸権威から逆風を受けた。そのために、航空省はわずか5ポンドの更新料を払わずに、特許は失効した。そこで、彼は1935年に改めて実験用ターボジェットの特許(Patent459980)を申請した。そして、1936年にPower Jet Ltd. を設立し、WU(Whittle Unit)シリーズの実験用エンジンを次々に製作し、実験を続けた。最初の仕様は、圧縮機効率80%、タービン効率70%、燃焼器出口温度1052°K、推力は630kgとされていた。その時の様子を示す写真と図が残されている。


図12.6 実験中のホイットル(1) 


図12.7 最初のホイットルエンジン(1)

 ホイットルは、その後WU Model2(図12.8)とWU Model3(図12.9)を製作し、実験を続けた。しかし、研究資金不足のために必要とされる要素試験は行えずに、いきなりエンジン試験を繰り返すことになり、ジェット戦闘機への搭載への道は厳しかった。

図12.8 WU Model2(1)


図12.9 WU Model3(1)

 彼は、第2次大戦後の1976年に、待遇改善を求めて米国に移住した。彼が再び英国に戻ったのは1986年8月、長年の業績が讃えられてSir Frank とLady Whittleとしてであった。Whittle 夫妻は、英女王とアフターヌーン・ティーを共にし、英国首相から表彰された。(図12.10)そこには、「20世紀の偉大なエンジニアであり、我々の生活を変え、過去には考えられなかった旅行を可能にした」と記されている。(1) 


12.10 英国の首相から表彰(1)


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