生涯いちエンジニアを目指して、ついに半老人になってしまいました。

その場考学研究所:ボーイング777のエンジンの国際開発のチーフエンジニアの眼をとおして技術のあり方の疑問を解きます

メタエンジニアの眼シリーズ(71)「アングロサクソンと日本人」

2018年08月02日 13時40分06秒 | メタエンジニアの眼
メタエンジニアの眼シリーズ(71)
TITLE: 「アングロサクソンと日本人」

書籍名;「アングロサクソンと日本人」 [1987] 
著者; 渡部昇一 発行所;新潮新書

発行日;1987.2.20
初回作成年月日;H30.8.1 最終改定日; 
引用先;文化の文明化のプロセス Implementing

このシリーズは文化の文明化プロセスを考える際に参考にした著作の紹介です。『 』内は引用部分です。



 本の帯には、著者の言葉として次のことが書かれている。
『イギリス人はドイツ人であり、木の家に住み、先祖神をまつり、神木をあがめ、死んでも生まれかわって子孫に出てくると信じているーーーと言ったら阿呆と言われるだろう。しかし日本に仏教が渡来する頃までのイギリス人はそんなものだったと知った時の驚きは、30年後の今も続いている。 ではどうして今ではお互にこんなに違ってしまったのだろうか。』

 現在のロンドンは、石造りの家が多い。木造の家は見当たらない。すべての屋根には、部屋ごとの暖炉からの煙突が整然と並んでいる。ロンドンは、寒くて長い冬が昔からあるのだから当然だ、と私も思っていた。しかし、それは間違っていた。
 「西洋人、特にロンドンが石の家に住むようになったのは、1666年のロンドン大火の後だった」と書いてある、それまでは、イギリスの大都市の建物は木造だったそうだ。(pp.13)

 話は、ゲルマン民族の大移動から始まり、「アングル人」と「サクソン人」がともに、ドイツの南部に都市名として残されていることを示している。そこで、
『そこで、イギリス人といっても、ほぼ千五百年前はドイツ人であったという認識が必要である。また今から約三百、五六十年前頃からイギリス人はアメ リカに移民して、今のアメリカをつくるわけであるが、今のイギリスとアメリカのような関係が、千五百年前あたりから千年前ころ までずっと、ドイツとイギリスの間にあった、ということをまず第一に頭に置かなければならない。この前の戦争もアングロサクソン人とゲルマン人の戦いといわれたりもしたが、本当はそれは非常に不正確な言い方である。どちらも先祖を正せばドイツ人、しかもなんとなく似ているのではあるまいか、ではなくて、移民した場所も移民した年も正確にわかっている関係である。
』(pp.14)

 話は、宗教の違いから始まるのだが、死後の世界に関する古代からの考え方が語源により示されている。

『このように霊魂についての考え方は、日本もイギリス人の先祖も全く同じであったと考えられる。また霊魂という語は、ドイツ語でSeele、英語でsoulというのだが、語源は「海のもの」という意味である。ドイツ語では今でも海のことをSeeといっている。英語のほうは、現在はseaと変化してきたが、もとをたどれば古英語saeにlがついた形の古英語seawol、それが現代英語のsoulになった。元来は「海に属するもの」という意味である。だから霊魂というのは「海に属するもの」なのだ。なぜ 霊魂が海に属するかというと、古代のゲルマン人の信仰によれば、死ぬと魂は北方あたりの静かな海に集まる。そこにいったん集まっていて、また子孫として出てくる。だから何度も何度も出てくる、という感じである。』(pp.20)

 ところが、この生まれ変わりがゲルマン人には耐えられなかった。戦争が延々と続き、どの世代も戦死者が多数出るので、生まれ変わりに飽き飽きしてまった。そこで、永遠の安らぎを得られるキリスト教が入り込んだとの説となっている。(pp.23)

 また、生まれるときについては、つぎのようにある。
『プラトの対話編の中に、これと同じ話が出てくる。しかも、そのなかでプラトン、すなわちその対話に出てくるソクラテスはそれを認めている。霊魂は前世の記憶を持っている、そしてそれを忘れるのは生まれるときである、と。昔の霊魂は不滅であり、記臆を持っているのであるが、生まれるとき忘れる、という考え方は、その後西洋では忘れられてしまった。』(pp.21)そうである。
 つまり、キリスト教が広まるまでのゲルマン人の世界は、仏教伝来以前の日本と同じような考え方であったというわけである。

 そのあとは、イギリスの歴史が語られ、最後に「5つのパラドックス」が説明されている。中で面白いのが、第4の「平和市議」と、第5の「社会保障制度」で、どちらも行き過ぎるととんでもない結果が待ち受けているというものだが、文化と文明よりは政策に関することなので、ここでは省略する。

 「あとがき」には、結論的なこととして、次のように書かれている。

『ここで意図したことは、アングロサクソンの日本に対する影響でもなければ、いわんやその反 対でもない。同質の宗教と文化を持った集団が、歴史を経るにしたがって、どのような経験をし て変ってゆくものであるか、また変りながらもどれほどの類似点を残すものであるかを、いわば 合わせ鏡のようにして見てみようというわけなのである。たとえば日本の天皇の本質を外国人に説明することは難かしい。しかしキリスト教が来る前のゲルマン人の酋長は彼らの天皇のようなものであったことを指摘すれば、ある種の洞察を与えることができよう。日本の天皇を万邦無比の特殊なものと考えずに、たとえば古代ゲルマン人の世界に天皇に類似のものが多くあったのだが、それらは消えたのである、つまり日本の天皇はそれ自体がユニークなのではなく、ただ日本にだけ残ったという点がユニークなのである、というような見方は日本人とアングロサクソン人を合わせ鏡にするとはじめて出てくるように思われる。』(pp.223)

 ではなぜ、「それ自体がユニークなのではなく、ただ日本にだけ残ったという点がユニークなのである」、という文化が根付いているのであろうか。答えは簡単で、日本史上外国からの侵入を恐れる期間が僅かだった。そのために、力を持たなくても、権威だけで社会を維持できたためだと思う。現代日本人も、権威には徹底して弱い。