生涯いちエンジニアを目指して、ついに半老人になってしまいました。

その場考学研究所:ボーイング777のエンジンの国際開発のチーフエンジニアの眼をとおして技術のあり方の疑問を解きます

その場考学との徘徊(26)北肥後4泊5日の路線バスの旅(その3)

2017年11月14日 14時01分28秒 | その場考学との徘徊
題名;北肥後4泊5日の路線バスの旅(その3)
場所;玉名  年月日;H29.10.31
テーマ;装飾古墳      作成日;H29.11.13  
 
熊本から玉名まではJRで8駅、途中に、あの西南の役で有名な越すに越されぬ「田原坂」がある。
西南の役の「田原坂」は、熊本城よりは南だと思っていたので、駅名を見てびっくり。しかし、ここよりも更に北の玉名と菊池が激戦地だったとは。そのことは、おいおいの歴史館で学ぶことができた。



駅を降り、市内循環バスのバス停へ。TAXIを覚悟していたが、幸いにバス便があった。
玉名温泉というバス停で降りると、ホテルの看板が目の前にあった。少し急坂を上るだけでよい。



荷物だけ預けてフロントスタッフに行き先を言うと、「これから市内へ出かけるので、一緒にどうぞ」とのことで、乗車。しかし、お目当ての「高瀬眼鏡橋」はなかなかわからずに、渡した地図を何度も確認していた。小さな川沿いにその橋はあったが、彼も興味があるらしく、車を降りて、歩き回っていた。



こんなにたくさんの石橋を連続して見られるとは思っていなかった。
どれも、自由に渡れるのがうれしい。昔も今も、生活道路なのだ。

高瀬眼鏡橋の写真を撮って、上流へ向かった。きれいな遊歩道が両岸に続いている。橋も趣のある石橋が多い。しばらく行くと遊歩道は行き止まりで、何やらお蔵の中に入ってしまった。
 



道を聞くつもりで、事務所の女性に声をかけると、「ここは古い蔵を改造して、イベント用に貸し出している。よかったら、内部をお見せします。」とのことで、中を見せてもらった。グランドピアノまであり、二つの蔵を繋いだとかで、結構広い。蔵の入り口からは、古いレールが表通りまでつながっていて、米俵を積んだトロッコがおいてあった。ここは昔、結構な規模の商品の集積地だった。




そこから歴史博物館までは、わかりやすい道だったが、どの建物がそれかがわからない。犬を散歩ちゅうのおばあさんに尋ねると、「じゃあ、ご一緒しましう」と一緒に歩き始めた。結構な足取りなのだが、年齢は80歳を超えているとか、

玉名市立歴史博物館



展示室は暗くて、パネルの字を読むのは困難だった。そこで、受付に戻ってその旨を言うと、「すみません、明かりをつけるのを忘れていました。」と。
玉名市には、馬出、大坊、永安寺(東、西)など14か所の装飾古墳が見つかっているが、歴史博物館なので、古代のことは詳しくない。代表的な古墳の外形写真と数点の古墳からの発掘物があるのみ。しかし、耳飾りなどは美しかった。一般的に、この地方の発掘物は、荒らされていないので、質が良い。

建物は大きいのだが、博物館はほんの一部。古墳関係の展示は多くはない。むしろ西南戦争の話が多かった。このあたりが勝敗を分けた激戦地だったそうだ。一般には、田原坂が有名だが、それよりも前線のここ玉名や菊池での戦いが最前線で、戦闘中に、「田原坂の戦いで敗戦中」との偽情報が入り、一部が応援にそちらへ向かったために、膠着状態が一気に崩れて、総退陣になったとある。玉名では、菊池川を挟んでの戦闘だったが、大きな橋が落とされて、両軍が上流に向かい、そこで戦いがあったそうだ。上流には「乃木希典少佐負傷の地」、下流には「西郷小兵衛戦死の地」(彼は西郷隆盛の末弟)がある。



別の部屋には、昔のマラソンランナーの特別展示があった。再来年のNHKの大河ドラマに決まっているとあるのだが?しかし、偶然にもその翌日のNHKのニュースで、主演をはじめとして、数名の配役人が紹介された。どうやら、一連のオリンピックの参加選手の話らしい。
何気なく持ち帰ったパンフレットを読むと、史上最長タイムのオリンピック・マラソン記録の持ち主で、「時間は54年8か月6日5時間32分20秒3」だそうだ。いまでは考えられない、当時の純オリンピック精神がうかがえる。NHKが、この記録をどんな演出で説明をするのか、今から楽しみになった。



受付嬢に和水(ナゴミ)町歴史民俗資料館へのバスのルートを訪ねた。一度駅前に戻らなければと思っていたのだが、なんと5分後に、この隣の市民会館前からのバスがあるという。慌てて裏口から出て、案内された細い道を下って、小走りでバス停へ。

昼食どころが心配だったが、ここはどうやら道の駅らしい。「ロマン館」という地元品売り場の奥に、立派なレストランがあった。「火の本豚」が名物とかでかつ丼や生姜焼き定食がある。



ここは、広大な歴史公園で、いくつもの古墳が並んでいる。小規模の円墳と前方後円墳だ。石像のレプリカも数体あった。「矢」の彫だけがくっきりとしている。彫った人の意図が示されているようだ。




お目当ての歴史民俗資料館は、公園の一番奥の坂の下にあり、なかなか見つからなかったが、内部は素晴らしく、国宝の鏡(すべてレプリカで本物は国立博物館所蔵)がずらーっと並んでいた。事務室には誰もいないので、質問のしようもない。
始皇帝が乗っていたような3頭立ての馬車、2頭立ての馬車には複数の戦士が乗っている。このような鏡が、なぜここに埋まっていたのであろうか。



説明文は無いが、3次元バーコードにかざすと、目の前の番号を入れれば、携帯で音声案内を聞くことができる。将来は、すべての博物館でこのような無料音声ガイドを設置してほしいものだ。



古墳の突き出しの部分に腰を下ろして、青空を眺めながらの休憩。のどかな風景で、高校時代の友人たちと、奈良の古墳でねころがって休んだ情景が蘇った。今日は、偶然も幸いして、バスの便は上々だった。

帰りのバスが心配で、着いてすぐに確認したのだが、14:29新玉名駅行きがある。新幹線の駅なので、唯一の観光案内所もある。しかし、行ってみると案内所は名ばかりで、数枚のパンフレットがあるだけで、翌日のバスの時刻も容易にわからなかった。
15:47 幸いにも、玉名温泉を通るバスがあった。それに乗れば、ともかくもホテルに戻ることができる。持参した地図は、図書館でCOPYしたもの。かなり古くて、新幹線も書いていない。しかし、昔からのバス停が書かれていて、結構役に立った。今の地図に路線バスのバス停名の表示はない。


15:57 玉名温泉着 これまでのったバスは、すべて乗客は一人だけ。運転手は暇なので、こちらが一言聞くと、三言帰ってくる。路線バスは楽しい。

夕食は、またまた一人だけ。まかないのおばさんが話し好きで、終始会話を楽しんだ。地元の人は路線バスのことは知らないそうだ。菊池川を挟んだ西南戦争も知らない。「あの戦いは、熊本に行く途中の田原坂でしょう」とすましていた。吉永小百合のファンで、「キューポラのある町」の話をしきりにする。こちらは、彼女の中学の1年後輩なのだが、まだ見たことがない映画だ。
熊本人は巨人ファンが多いそうだ。ちょっと不思議だが「だって、川上さんがいたでしょう」ときた。話に夢中で、料理を食べすぎて満腹を越してしまった。




今日は快晴で21℃、どうりで外が暑かった。13846歩

雲仙岳は意外に近く見える。道路は佐賀県を通って延々と行くが、有明海の狭いところを挟んで、目と鼻の先なのだ。