生涯いちエンジニアを目指して、ついに半老人になってしまいました。

その場考学研究所:ボーイング777のエンジンの国際開発のチーフエンジニアの眼をとおして技術のあり方の疑問を解きます

その場考学との徘徊(27)北肥後4泊5日の路線バスの旅(その4)

2017年11月16日 14時20分15秒 | その場考学との徘徊
題名;北肥後4泊5日の路線バスの旅(その4)
場所;山鹿  月日;H29.11.1

テーマ;装飾古墳      作成日;H29.11.15  
 
いよいよ、最高かつ最大の装飾古墳の宝庫といわれる山鹿に向かった。
8:45 ホテルの食堂でのんびりと朝食後、チェックアウトして、坂の下のバス停へ。
バス停のわきには小さな流れがあり、全体が足湯になっている。犬の散歩中の老人が、楽しんでいる。



9:08 新玉名駅行きのバスに乗車。4分遅れているが、新玉名駅での乗り換え時間も4分なので、運転手に時刻を告げた。幸い、信号が都合よく後れは回復した。

9:18 新玉名駅発 米の岳・菊水館行き。またも乗客は一人だけ。途中、昨日楽しんだ「菊水ロマン館」を通過した。相変わらず、乗客はいない。

バスは、常に国道や県道を避けて、の中の細い道を進む。例え軽自動車でも、すれ違う際には、どちらかが予め場所を選んで停車をする。このことは、このあたりの習慣になっているようで、いつもスムースに行われている。



山鹿市は意外に広かった。菊池川を渡ると市街地に入るのだが、そこからくねくねと町中を通って、ようやくバスセンターに着いた。ちなみに、菊池川はここまで上流になっても、川幅は広く、ゆったりと流れていた。
 後で知ったのだが、上流に大きなダムができるまでは、洪水で悩まされたそうだ。しかし、繰り返しの洪水のおかげで、ひろい川幅と河川敷が確保されたともいえる。



10:20ころ 山鹿BC(¥680)着。ちょうど1時間かったが、景色の変化が多く、短く感じた。すべてのバスは「SUICA」が使えるので便利だ。一方で、小銭はたまりすぎてしまう。

旅館は、バスセンターの目の前。荷物を預け、次のバスの便を確認。
幸い、第1目的の「県立装飾古墳館」の往復はうまくできそうだ。発車までに、1時間ほどあるので、街を見物に。
「八千代座」なる古い芝居小屋が有名なので、まずはそこへ向かった。
八千代座は、坂東玉三郎の公演中で見学はNG。小屋の前の駐車場は、観劇者の待合のテントに。皆さん弁当を買って食べていた。記念品の売店も大賑わい。毎年の行事とのことで、結構遠方からも来ている。




11:44 バスに乗車して古墳館へ。まもなく、CANONのカメラがないことに気づいた。前方の座席に置いたつもりが、バス停のベンチに置き忘れたらしい。バスの運転手が「すぐにここに電話してください。玉名の事務所ですが、そこから確認してもらいます」
電話をすると、「わかりました。調べて折り返し電話をします」
5分ほどで、電話があり「停留所にありましたが、どうしましょうか」とのこと、乗車しているのは玉名行きなのだ。「午後に山鹿に戻りますから、そのままバスセンターで預かっていただけますか」で万事無事収まった。せっかく撮った写真が無駄にならずに済んだ。バスを降りてからでは、連絡方法もわからなかった。



「県立装飾古墳館」は、「古墳館入口」のバス停から20分以上坂道を歩かされた。昼食どころが心配だったが、公園内にレストランがあり、「時間がないので、一番早くできるものをください」と注文をした。向かいの席の背広姿の人が、何やら書き始めた。
「黒米カレー」を食べ終わると、向かいの人が名刺を持ってきた。東京出身だが、山鹿市地域おこし協力隊として活動しているそうだ。鹿央地区が担当で、古代史が趣味とか。結局、彼がいろいろと説明を加えてくれ、館長さんにも紹介された。こんな時に経済大学の名刺は便利だ。バス停まで送ってくれたので、20分ほど余計に過ごせた。バスが来るまでも、話しどおし。お互いの趣味が一致したためだ。

装飾古墳館は、県立だけあってすべてが贅沢につくられたいる。園内の古墳の数も、一目ではわからない。ともかくも、館内の見学を始めた。




まもなく、地下でヴィデオの上映があるとの放送で、そちらに向かった。磐井の乱から始まる、装飾古墳作成までの一連の話が、無難にまとめられていた。



終了後に部屋を出ると、くだんの背広の人が、係の人と話をしていて、呼び止められた。「バス停までは、かなりの距離があるので、車で送りますから、その分ゆっくりと見学してください」とのことだ。1階に戻って、見学のやり直し。

それにしても、7つの装飾古墳のレプリカはよくできている。羨道の入り口の岩から、一番奥の絵図の岩まで、完全に再現をしている。出来栄えも、岩をたたかなければ、本当の岩だと思ってしまう。これだけの模型を作るだけでも大変な作業量だっただろう。




文様についても、幾分かの説明文があるが、簡単な説明で、いろいろな人の異論は表示されていない。あとでじっくりと考えてみよう。面白いアイデアが次々に生まれてくる。やはり、現地・現物の力だ。




二つ目のヴィデオの放送があり、また映像室に戻った。今度は、代表的な古墳を上空からドローンで撮影した古墳とその周りの景色だ。これはわかりやすい。無理をしてチブサン古墳の実際の場所まで行く必要性は薄れた。交通が不便なのでパスした有名な鞠智城は、全体の施設がバラバラで、行っても十分に見るだけの距離を歩く自信がない。パスしてよかった。



16:10 再出発
「山鹿灯篭民芸館」に立ち寄った。客はめったにないようで、受付嬢が詳しく案内をしてくれた。毎年、十数体がつくられるようで、どれも見事な出来栄えだ。有名な寺や神社に交じって、古今伝授の間の建屋があった。そういえば、細川家は古今伝授を受けていた記憶だ。制作の専門家の作業場も見せてもらえた。毎日交代で、実演をしているのだ。





また、昔「さくら湯」の殿様用の部屋の天井にあった竜の絵をこちらに移したとか。これも2階からだとまじかに見ることができる。



出口に「全国の伝統工芸」のパネルがあった。発行は、青山一丁目の「青山スクエア」とあった。そういえば半地下の展示室を見たことがある。その話をして外に出た。交差点を渡り終えると、先ほどの受付嬢が、なんとそのビラを探して持ってきてくれた。すごい親切心だ。

「さくら湯」は、入浴料金は¥300と安い。
明日のバスは10時過ぎまでない、早朝からやっているので、朝風呂にちょうど良い。



八千代座横で、丹後ちりめん問屋の展示会ものぞいた。「玉三郎さん好みの色」と書いてある。完全なコラボレーションの展示会のようだ。まだ夕食には時間があるので、他に訪問者もなく、じっくりと説明を聞くことができた。地元かと思ったら、丹後からわざわざの出張だった。それにしても、無地のちりめんの反物を買う人はいるのだろうか。染める前の生地では、織の文様が明確にわかる。いろいろな織り方があり、すべて穴あきの紙で制御されるそうだ。
染は、原則1回。玉三郎好みの色は、かなり地味だ。だからそれほどには売れないと言っていた。