あの「膝栗毛」で有名な十返舎一九が穂高にきて200年だそうだ。豊科から栗尾道を通って西方の満願寺と言うお寺に逗留したらしい。栗尾道は古道で、最近見向きもされないが、わたしの家の南側500メートルほどにある。知ってる人は知っている。
寺には書いたもの、絵などが現存されているらしい。
そういうことで私も参加してる文芸誌で特集を組むということで口絵を版画で・・・・・と言うことになった。![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4d/e4/c64f66eb82dc8c931188289ae0f53480.jpg)
中央の黒いところは文字が入る。人物は十返舎一九のつもり。
カメラのない時代の人なので、浮世絵の肖像画があったので勝手に想像してかいた。
だれも知らないから・・・・・ま、いいでしょう。
穂高にきた時代は十ヶ堰という大工事がはじまる安曇野の夜明けの時代であるのだーーーーーー
寺には書いたもの、絵などが現存されているらしい。
そういうことで私も参加してる文芸誌で特集を組むということで口絵を版画で・・・・・と言うことになった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4d/e4/c64f66eb82dc8c931188289ae0f53480.jpg)
中央の黒いところは文字が入る。人物は十返舎一九のつもり。
カメラのない時代の人なので、浮世絵の肖像画があったので勝手に想像してかいた。
だれも知らないから・・・・・ま、いいでしょう。
穂高にきた時代は十ヶ堰という大工事がはじまる安曇野の夜明けの時代であるのだーーーーーー