武田光弘画楽多製作日記

暇をもてあそび造形してます。作品として形としてまとめたものなどを見ていただきたい
と思っています。

がんばれニッポン

2012年04月30日 | Weblog
昭和44年に発行された本に朱鷺のことが載っていた。
もう日本にしかいない。日本でも朱鷺は佐渡の九羽、能登に一羽になってしまった。この頃、中国のニュースははいってこない時代であったので中国にいたこたは知れてない・・・・・
当時、佐渡でも朱鷺のいるところは奥地で、道らしい道の無い深山にあったと言う。佐渡一番高い国見山と言うところだ。案内人がいないといけなかったらしい。調査も大変だったらしい。

もともと朱鷺は平地に住んでいた。函館、伊豆、加賀、九州、東京西多摩、朝鮮、台湾などにいたと言う。
森林の伐採で水たまりが減少して、水棲動物のいなくなったとか減った原因はいろいろあるようだ・・・・個体が少なくなって近親交配で弱いひなや無精卵が産まれることも原因らしい。

朱鷺の学名はニッポニア・ニッポンと言い、野鳥の激減を心配して法律ができたのは戦後アメリカからきたオースチンと言う人のおかげだ。当時まだ日本は戦後のドサクサで人間が生きることで目一杯だったのだ。がんばれニッポン。