岩手山麓景観形成重点地域を守ろう ★『イーハトーブ通信』

野生サクラソウ大群落を潰し岩手山麓の環境を破壊してきた旧町政。産廃問題に端を発した岩手山麓『誘致公害』の記録

岩手県環境アセスメント進行表:正式中止記載

2005年12月25日 | 現在の課題「九十九沢最終処分場」問題
「宙ぶらりん」解消!アセス進行表に正式に記載されました。
「事業計画中止」

21日にアセス進行表を開いてみましたら、
正式に掲載されていました。
これで「ちゅうぶらりん」解消!
岩手県でアセス必要となったことで事業を中止することは初めてのできごと。
いかに業者は「必要なし」を前提で計画していたかが判ります。

http://www.pref.iwate.jp/~hp0318/index.html
(左側の第2種アセス・・から。進行状況を開く)

あとは、九十九沢最終処分場譲渡に伴う、協定・意見・その他に
雫石町としての対応がどのように反映されるか、
油断することなく、今回からの「学び」を見つめていきたいと思っています。

「しずくいし銀河の森」(私たちの会で命名した88ヘクタールの森)構想は、
2月頃に住民委員の募集があるそうです。
個々人の立場で皆さんふるって応募しましょう。

情報の共有・住民の参画と協働・予防の原則・説明責任・・・
化学物質汚染防止の土台のこれらは、
九十九沢のこと、
銀河の森の保全対策…等々
すべてのことにおいて自治の基本となるべきものです。

「活性化ってなんだのす?」講演会記録その3☆

2005年12月23日 | 現在の課題「九十九沢最終処分場」問題
津川敬 講演会記録その3
その先<何が起こるのか>…

期せずして昨日UPした「私たちの心配」と重なっていきます。
スライド(パワーポイント)で上映した産廃施設の現状は
BLOGではUPできませんが、
私、実際に最終処分場で大問題になった宮城県村田町の「跡地」にいってみました。
硫化水素のガスで、息が出来なくなりました。
致死量の6~10倍ものガスがひところは出ていたのだそうです。
雫石九十九沢の場合は、モラルを守る業者であってほしい・町が本気でこのような施設を監視して増やさないでほしい…
この願いを込めて講演会録 その3です。
パワーポイントで見たい方、コメント欄にお書きください。個別に連絡とり、CDをお届けします。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
◆何が起こるのか(スライド)
もうひとつこの問題で肝心なことは、ひとつの業者に進出を許したら次々と業者が増え、最後には歯止めが効かなくなるということです。そんな事例は数限りなくあるのですが、全国的に有名なのは埼玉県の所沢市です。
1974年、静かな里山に産廃焼却炉がひとつ出来ました。その4年後、もうひとつの業者が進出し、85年には業者が5つ、90年になってそれが13に増えたのですが、それ以降勢いが加速し、ピークの99年には64もの焼却施設が出来てしまったのです。周囲にはぜんそく、気管支炎、ガン患者が続出し、住民の必死の反対運動と裁判で、現在は6ヶ所に減りましたが、逆に破砕施設が急増しています。つまりあすこはそういう土地というレッテルが貼られ、県も当たり前のように許可を出してしまうのです。
では地域に産廃がくるとはどういうことなのか、焼却施設とはどんなものか、いったん稼動が始まってしまうと何が起きるのか、それをパワーポイント(パソコンから映し出すスライド)で見ていただきます。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
次回は
ゴミの減量化に取り組んでいるところの実例に入ります。

イーハトーブ通信No.142:九十九沢(つくもざわ)のこと

2005年12月22日 | 世話人会発行「イーハトーブ通信」を読む
さて、
「イーハトーブ雫石を守る会」が果たしてきた、小岩井隣接地の
産業廃棄物焼却施設問題が建設中止となって ホッとしたのもつかの間…
(つかの間どころか、たった1日!!?)

雫石盆地の南端に九十九沢=つくもざわという山間の集落があります。
そこに、平成4年から盛岡にある土建業の会社が、自社から出る
コンクリートがれきなどを埋め立てる「産業廃棄物最終処分場」がありました。

この秋、そこの9ヘクタール(内、約1ヘクタールが最終処分場になっている)が盛岡の不動産業兼一般廃棄物運搬処理業をしている会社に譲渡され、買い受けた会社はあらたに「産業廃棄物処分業」の許可申請のための前準備(事前協議といいますが、実質的にはこれをクリアすると、そのあとの正式申請はすんなり運ぶ)に入りました。

岩手県は雫石町に今月中旬、「こういう申請が来ているけど、町としてはどう思うの?」と意見照会を通知してきました。
これが今日、意見を県に届ける期限になっています。

私たちは、次のような心配をしました。

これまでの所有者は、自分の会社の作業から出たコンクリート瓦礫などと、雫石町内からでる「安定五品目」といわれる産業廃棄物だけ埋めることになっていた。
しかし、今度買い受けた業者は、『営業』として産廃最終処分場を経営するんだそうです。
町内からだけではなく、あっちこっちから運ばれるでしょう。
もしかすると、全国津々浦々の産廃処分場で大きな問題になっているような
あらゆるゴミを将来は埋め立てるようになるかもしれない。。
土地が広いから、そのつづきに「中間処理施設」と言って
「破砕施設」や「焼却施設」を建てたい、と新たな申請を行うかもしれません。

実際、あと一箇所、別の業者が町内に持っている最終処分場は、埋めてはいけないことになっている建築廃材木片(有機物)などを埋めた為、茶色やにごった水が流れ出したことがあるそうです。
地元の人が見つけて、変だからと水質検査を役場に願い出たそうですが、その結果はよくわからない・・と話していました。

今回「決着」がついた産廃溶融炉の問題で、私たちも様々な勉強をしましたが、
役場も学習したでしょうから、その成果を期待したいところなんですが…。。

8月に、環境条例制定に当たっての要望書を出している世話人会として、
ここの処分場は御所湖の水質にもろに影響が出る区域であり、
「化学物質汚染防止」「予防の原則」「情報の共有」・・・という要望項目に照らして、次のようにまとめの文面を送信しました。

以下、貼り付けです。
◆◆最終処分場問題で、秋田県能代市、宮城県村田町などのような大変な状況になることを未然に防ぐ必要に、
町もわたしたちもそして業者も迫られているといえます。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
<注:安定5品目とは⇒廃プラ・ゴムくず・金属くず・ガラスくず・がれき類>
    
              平成17年12月21日
町長       中屋敷  十 様
助役       上 野 寛二 様
環境対策課長   米澤   潔 様
関係各課長並びに  担当者 様

      イーハトーブ雫石を守る会 世話人会一同
               代表  嘉糠 くに子

 昨日、九十九沢最終処分場所有権譲渡に関する事前協議に際して、
雫石町として岩手県に対する「意見」と、今後業者との間で締結される
「公害防止協定」及び、関係する書面締結に付きまして、環境対策課長、
同課実務担当者の方々と面談させていただきました。

 詳細につきましては旧所有者との公害防止協定を踏まえ、懸念される諸点
を指摘させて頂き、担当課でも一方ならぬご配慮と努力中のことを伺いまして
本件に対する町当局の姿勢に大いに期待する所でございます。

 ここに下記の点を整理し、あらためて申し入れさせていただきますので、
 意見照会への回答、並びに今後検討される公害防止協定その他の締結
 書面等に反映させて頂きますようご高配の程、お願い申し上げます。

            記

1.今般の申請以上の拡大は行わないこと。
2.町民との信頼関係を土台に、安全面確保と開かれた運営を行うこと。

(具体的には)
① 今後、許認可容量・面積の拡大を行わないこと。
② 「安定5品目」以外の埋め立て品目拡大を行わないこと。
③ 破砕・焼却など、いま以上の廃棄物関連事業の拡大を行わないこと。
④ 町民の目が届く運営を行うこと。(看板・見学・業者との話し合い等)
⑤ 継続的な町の立ち入り検査と、水質及び土壌の検査を町が立ち会いの
   もとで実施し、品目別埋め立て量などの情報は「産業廃棄物情報」
   として町民に広報すること。
  (但し、⑤はその他の処分場にも当てはめること)
⑥ 町として、新所有社が九十九沢住民及び町民に対して、十分な説明責任
   を果たしているかを調査の上で、実施させるよう指導すること。
● 将来、公害が発生した際の責任もふくめての譲渡なのか、明記すること。

(事由)
  旧所有社との間で締結されていた「公害防止協定2.」には「自社関連事業
  及び雫石町内から発生した廃棄物以外は持ち込まない」ことが掲げられ、
  協定締結から現在まで許可容量5万3千立方メートル強の内、約2千立方
  メートルの埋め立て量となっていたそうですが、新所有社は、「営業」として
  事業を実施する申請と聞き及んでおります。
  及び周辺土地面積が広いこと等から今後、許可面積、容量、事業種目の
  拡大、更には搬入車両の増大が予想されます。

  化学物質汚染の防止及び、町是からみて、民間事業であっても町内に
  おける廃棄物関連事業の拡大は、既存のもの以上の拡大は行わない強い
  姿勢、施策が重要であります。
  
  環境条例制定前でありますが、「化学物質汚染の防止」「予防の原則」
  「情報の共有」・・これらの基本原則が、今般の件に大いに強く反映される
  べきであると考えます。                      
                                 
(尚、22日迄に提出する予定の事前協議に関わる町としての回答を、
   お手数ですが、FAX又はメールにて下記連絡先へ送信していただきたく、
   お願い申し上げます。)                        
◆ 「これから生じる問題については情報を早く伝えるようにする」と、
  7月14日の世話人会と町長との懇談会で私たちに約束しましたよね。
  信じていいんですよね?町長。


一区切りの御礼☆

2005年12月20日 | 世話人会発行「イーハトーブ通信」を読む
一区切りの御礼
…沢山のご支援ご協力に心からの感謝を


業者が正式断念の報…昨晩のTVでは、めんこいTVとIBCで流されましたね。

3月末に提出した22団体代表連名の「意見書」に名前を連ねてくださった方々、及び、署名活動で特にお世話になった皆様方、
沢山のご支援ご協力、まことにありがとうございました。
遠く札幌から心打つ提言メールを知事と町長に送ってくださった方、
関東から大きな励ましと〆めの講演をいただいた、津川様 皆様・・・
CS(化学物質過敏症支援)センターの皆様、
今現在も全国各地で闘っている多くの皆様
町内、県内、全国のみなさまと、
法人としてご尽力くださった小岩井農場の皆様方に
世話人会として、心からの御礼を 言い尽くせない感謝と共に申し上げます。
ありがとうございました。

盛岡タイムス記事
http://www.morioka-times.com/news/2005/0512/20/05122002.htm
岩手日報記事
http://www.iwate-np.co.jp/news/y2005/m12/d20/NippoNews_7.html
読売岩手版
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/iwate/news003.htm

イーハトーブ通信:臨時ニュース

2005年12月19日 | 世話人会発行「イーハトーブ通信」を読む
業者、雫石クリーンセンター(仮称)の事業中止を正式に県につたえる

皆様   ☆ 臨時ニュース (2005.12.19)

12月16日(金)マイトリー社が正式に事業の中止を県に伝えました。
土日をはさんで本日19日(月)、マスコミ各社に通知されたということで、
いま先ほど、岩手日報社とタイムス社から電話取材がありました。
明日の朝刊に載るそうです。

ちゅうぶらりんのまま、アセス進行表に掲載されていた項目には、
次回更新の際に正式に(対象事業を実施しないこととした)と
↓   記載される見込みです。
http://www.pref.iwate.jp/~hp0318/index.html 

岩手日報の電話取材に対しては
『農業と観光の町 雫石の将来にとって、自然環境と町のたたずまいが
ひとつ守られたという点で、喜ばしいことです』    と答えました。
そのあと取材のタイムスには
『情報の共有とオープン化が、町づくりにとっても環境を守っていくにも大切。
二度と今回のような事態を起こさないでほしい』   と加えました。

2004年8月に設立されたマイトリー社自体はまだ解散していませんが、
社長は猿子英夫氏のまま。(秋柴本体はすでに社長が交代済み)
連絡先は秋柴本社ではなく、猿子氏の自宅電話番号になったそうです。

しかし、
長山小鉢森に秋柴重機の社有地5.5ヘクタールがそのまま存在
しているわけですから、
あの土地がどのように活用もしくは転売などが計られていくのか・・。
周辺地区の利活用問題を含め、今後も注意深く見守っていきたいと
思います。

まずは、ちょうど1年の区切りでしたね。
今年はあとひとつ、『九十九沢最終処分場公害防止協定』への意見を
届ける仕事が残されていますが・・

皆様ほんとうにごくろーさんでした♪ありがとうございました♪♪
           
(ひとりごと)
 ⇒・3年前に南畑の土地を生活科学運営という会社とタイアップして、
    細切れ販売しようとか老人施設と墓地公園を隣同士に構想したり、
    造る前から見込まれる赤字のことばっかり表面に出てきて
    どんな医療機関を町民は望んでいるのかがさっぱり見えなかったり、
    今回の小岩井隣接地の産廃施設を一時期は
    「法にのとって淡々と進める」なんて言ってみたり・・・
      町のリーダーとして、その「センス」を
      1から吟味しなおしてもらわねば、
      そう心底思い願うものです。かぬか。
      

「活性化ってなんだのす?」講演会記録その2

2005年12月19日 | 現在の課題「九十九沢最終処分場」問題
「活性化ってなんだのす?」
記録その2:町に金は入ったが・・・


◆町に金は入ったが
ごみで町の活性化を考えた典型的な事例が東京都の日の出町です。
東京都というのは山手線を中心とした23区と、その西側に広がる多摩地域からできていまして、そこには26の市とひとつの町があります。人口は約365万人です。
80年代の終りまでは各市や町は独自に産廃業者と契約してごみ処理をしていたのですが、不法投棄問題が大きな社会問題になりました。
本来それは個々の自治体が責任を持って解決すべき問題なのですが、方向としてはどこか1ヶ所に大きな処分場を造り、公共の手で集中処理しようという話になりました。果たしてそんな場所があるのか、というときに手を挙げたのが西多摩の日の出町(人口1万6000人)だったのです。
そこで共同処理をする事業主体として「東京都三多摩地域廃棄物広域処分組合(略称処分組合)」が設立されました。

ただちに処分場づくりがはじまって1984年に搬入が開始されました。面積は45ヘクタール、埋立て容量260立方メートルです。そこは98年の埋立て完了まで14年間使われたのですが、早くも92年ごろ、第二処分場の計画が浮上してきました。
この間、日の出町当局には毎年3億円が地域振興費の名目で入っており、それは町の一般会計の実に8.3%に相当します。これに味を占めた日の出町長は第二処分場の受入れもOKしてしまいました。規模はほぼ同じですから3億円の倍、つまり6億円が町に転げ込むことになったのです。

ところがその話が持ち上がったころ、第一処分場のゴムシートが破れ、そこからごみの汚水が漏れ出して地下水を汚染していることが発覚しました。
処分場には安定型と管理型があって、安定型処分場は有機物(厨芥など)が入らないという建前で、素掘り同然が許されていますが、管理型処分場は必ず底にゴムシートを張り巡らして汚水漏れを防ぎ、浸出水は別に取り出して浄化することが義務づけられています。

つまり管理型処分場の生命線がゴムシートなのですが、30年持つというふれこみにも関わらず、赤鉛筆1本で簡単に穴が開いてしまうシロモノなのです。それが破れた結果、地域にはたいへんな被害がもたらされました。
すなわち処分場から5キロ下流域の井戸水の水質が目立って悪化していたのです。BODとかCODという水の汚れを示す数値が規準値(1キロリットルあたり6ppm)の5倍から8倍にもなっていました。しかも井戸水からは界面活性剤、鉛、砒素、カドミウムが検出され、井戸水を飲んでいた猫7匹が死んでいます。
その周辺の住民はとなりの集落から貰い水をしていたのですが、長く続かず、次々と移転して行きました。

92年5月には専門機関の調査で因果関係が立証されたにも関わらず、処分組合は汚染の記録を隠し続け、裁判に持ち込まれましたが、資料の提出を命じた裁判官の命令には従いませんでした。
こんな場合、直接強制ではなく、間接強制といって、データを提出するまで金銭を支払わせる手段をとったため、処分組合は億単位で金を払い続けたのです。
そうした違法行為がありながら第二処分場づくりは当たり前のように進められていきました。
日の出町の住民運動は予定地の一部を住民が買いとるトラスト運動に発展しましたが、結局は第二処分場はできてしまったのです。
<次号へ続く>

津川敬氏講演会「活性化ってなんだのす?」記録=その1

2005年12月18日 | 現在の課題「九十九沢最終処分場」問題
12月8日の講演会記録を数回に分けてお伝えします。
その1===「ゴミで活性化」はまったくの幻想

おばんでがんす、津川と申します。これからの私の話は二つありまして、ひとつは地域の活性化とは何なのか、もうひとつは、これからごみ問題にどう取り組んでゆくか、という、かなり重いテーマです。

1.「ごみで地域活性化」はまったくの幻想

◆企業誘致からリゾート建設へ
まず活性化の問題ですが、一般には雇用を増やし、人口の減少を防ぐ。
そのために公共事業が必要だし、町村合併で生き残りを図りたいなど、背景や動機はさまざまですが、現実にはもっとドロドロした要素がそこに絡まっています。
今回はそれに触れる余裕はありませんが、自分たちの力ではなく外部の大きな資本や国の補助を当てにして活性化を図ってきたところは共通してあまりいい結果を生んでいません。

活性化とはそこに住んでいる人の知恵と工夫をいかに行政が吸収し、それをどう政策に生かすかの問題だからです。
ここで地域活性化なるものの歴史を振り返ってみますと、まず1950年代後半から70年代の半ば、つまり昭和30年代から40年代末にかけての高度成長期には企業誘致が活性化のキーワードでした。

ひとつでも多く有名な企業にきてもらいたい、そのためにはどんな条件も呑もうというわけですが、その結果、地域に残されたものは大気と水と土壌の汚染でした。
それと引き換えに市や町にはそれなりの金は入りましたが、結局大きく儲けたのはゼネコンと政治家です。

バブルが始まる80年代後半からはリゾート開発が中心テーマとなりました。
当時の中曽根首相が提唱したリゾート法が1987年に施行されて、宿泊や娯楽を目的とした大型施設を建てる動きが全国に普及するのですが(33都道府県)、手を出した地域はいまみんな赤字を出して行き詰まっています。
リゾート法というのは税制面での優遇や低利子の融資をはじめ、施設をつくるのに国有林の開発もOK、神社仏閣も邪魔になるならどかしてもいいというとんでもない法律で、そのひとつにゴルフ場開発があります。
当時金が一円もなくても会員権を売りまくってゴルフ場は造れたのでたいへんなブームになりました。

自治体も誘致に熱心でしたが、バブルの崩壊と会員権が売れなくなってことごとく失敗、後に残ったのは中途半端に掘り返された山林や里山だったのです。そこを狙って安く土地を買い叩いたのが産廃処理業者でした。

こうして90年代に入ると処分場や中間処理場を誘致して活性化を図ろうという動きが自治体にも出てきました。

<続く…>

イーハトーブ通信:講演会感想

2005年12月12日 | 世話人会発行「イーハトーブ通信」を読む
♪お二人の方からメールやBlog記事を頂戴しました。
お人柄を反映したこの二つの文章が相まって、
いわば『これまでの運動と講演会の総まとめ』のように、わたしには
感じられ、有り難く胸が熱くなりながら読ませていただきました。

(お二人からの了解を頂き、下に貼り付けます。
    ご指摘、ご鞭撻、反省点など、ほかの皆様もお寄せくださいませ。)

===========================================
今回の津川さんの講演会は勉強会の様でした。
(とりあえずこの地に建設がされないことになったから、そう僕は思ったかも)

津川さんの撮られたスライド写真を見ながら、僕たちの反対運動も、
もし工事が始まっていたら今頃は神奈川の久野と同様に座り込みの
抗議行動になっていたんじゃないかと思いゾ~っとしました。
雪の中の座り込みはキツイね~。身も心も凍ってしまう。
我が家から3㌔の建設予定現場だった雑木林はもうすっかり氷点下の
雪の中だもん。

建設工事や県の環境アセス審査会の前に、すばやく町民が気づいて
反対署名運動に持ち込みマスコミに訴えた事や、小岩井農場も猛烈
に反対し独自に署名集めたことが大きな勝因だったと思う。
なんせ、マイトリーの自所地以外に90ヘクタールも産廃業者に都合
のイイ土地があったことだし、また県外の産廃業者が何社も目を
付けていた場所で、もし今年4月に最初のマイトリー社「雫石クリー
ンセンター」の工事が始まっていたら、 もう僕達だけの力ではどう
にもならなかったと想像します。
結局その最初のマイトリーの産廃計画がボツになってホントによかった。

岩手県北・葛巻町の場合も反対する個人宅に一晩中の嫌がらせ
電話や脅迫もあったが、 みんなが勇気をもって17年間も産廃業者と
戦い、そして勝ち、今では酪農とクリーンエネルギーの町に変貌した
話を聞いたりして自分なりには希望を捨てなかったが、
内心はホントはとても怖かった。
雫石でお店をしてる知り合いには実際に嫌がらせの電話があったし、
僕の掲示板にも嫌な書き込みもあった。友達も気をつけた方がいい
とアドバイスをくれた。

僕らは一貫してこの産廃処理場(溶融炉)がこの雫石に建てられるの
がイヤだということを反対の基本にはしてこなかった。

町の情報の公開のありかたや溶融炉の問題点、一部の産廃業者の
モラルの欠如、県内最大観光スポット小岩井農場の隣接地域が
県内最大規模の産廃施設計画地になった事、
確実に大気や地下水が汚染される事など、
良識ある町民がフツーに考えて
「なんで~??こんなのおかしいよ~??」というポイントを
数回の勉強会や講演会でいろいろと勉強してきた。
その勉強会の集大成みたいな勉強会がおとといの津川さんの講演会
になったと思いました。

ゴミの問題の根本は70年代の廃棄物処理法が不法投棄を促した事、
中曽根時代のリゾート法の失敗の事(どこが地域の活性化なんだろう)、
多くのゴルフ場が失敗して産廃業者になった事。
また2002年に浅野宮城県知事がPCBの受け入れを表明し猛反発に
あい撤回した事。
カナダ・ノバスコシア州や徳島県上勝町のゴミのゼロ・ウエイストの取
り組などを今回の津川さんのお話しで知りました。

約一年前(正確には11ヶ月前)には、今回のような講演会の後援に
雫石町の名前をもらえるなんて誰も想像もしなかった。
町長も今回の講演会に参加して少しは勉強してくたれ事と思います。

講演会後、津川さんを囲んでの食事会はホントにみんないい顔していた。
僕らが猛烈に反対運動を展開したのは1月から6月までの半年間。
意外にも早くこの計画は挫折した。2~4月頃はホントに切羽詰った
時期で世話人会は一瞬でも気が抜けず、状況も緊迫していた。
今、この地に産廃建設計画がなくなり、とりあえずよかったとしみじみ思う。

インターネットの掲示板(2箇所)で僕の「署名のお願い」に気持ちよく
応えてくれた全国のデッドヘッズ(アメリカのロックバンド 「グレイトフル
 デット」を愛する熱狂的ファン達)が集めてくれた署名数はなんと
600名を超えた。彼らの力強いご協力に心から感謝してます。

=============================================
先日の8日は、本当にご苦労様でした。
また交流会は 皆さんの笑顔が輝いていましたね。
こちらもご苦労様でした

津川先生の講演は、私にとっても心に残るものになりました。

画像の紹介文で、『小利口な人は、問題を解決しようとする
賢明な人は、問題の根を取り除こうとする』・・・

私たちは、約1年いろいろな勉強をしてきました、この下地があったから
津川先生の言葉を心で聴く事が出来ました。
一般の町民は、そうはいきません。
今度は私たち地域の人が、地域の目線で、地域の人材を育てながら
問題の根を見つけ取り除く番ですね。

●今回の活動は、町内にもいろんなブレーン(自ら頭を使って知恵を
出す人)となる人がいることに驚きました、この環を基にすれば何でも
出来そう・・
大切にしたいですね。

アメリカの鋼鉄王と言われる、アンドリュー・カーネギーの墓石に刻ま
れている文の内容は、
『自分より優れた能力を持った人を集めることが出来た人、ここに眠る』
とあるそうです。
⇒変な戒名より、生きた証になりますね。

今の行政には、手足(言われた通りやる人)となる人はいるが
良きブレーンがいないような気がしてなりません。
・・・
また、貧乏人は麦を食え・・・で有名な池田勇人でさえ『自分は、池田
のブレーンだと思っている人が周りに多かった』云々と言っているよう
に、これは大切なことであり人徳のなせる業ですかね。

●一連の打ち合わせ会は、途中の人も、遅れてきた人もすんなり溶け
込めとても良かったですよ。
また、人が満足する要因と不満の要因があった場合、不満の
要因を取り除くのではなく満足につながる要因を伸ばし、不満を減
らしていく考えを用いています。NPO的な集団にはひつようですね

●そうそう前文の小利口の前は、何がきますかねー。
例えば「住民の側にいない人は・・」と入れてみると、
続文は、「責任を別なほうに押し付ける」・・・ですかねー。
では。

イーハトーブ通信No.136 会計報告

2005年12月11日 | 世話人会発行「イーハトーブ通信」を読む
外猫たちにとってはいくら湯たんぽがあっても、さぞかしつらい氷点下の朝・・
さて、今日の午前中、Yさんに「会計」監査をしていただきました。
少々ですが、これからの公民館借室料になる位の残高(黒字)となり
ほっと一安心です。

世話人会以外の方でカンパを頂いた方々には、Blog紙上を借りまして
深く御礼申し上げます。
もう再び、この問題でカンパをお願いするような事態になりませんように・
その願いと、これまでの感謝を込めて、ここに報告させていただきます。

※これ以外のそれぞれの「手弁当分」は省きます。ご協力に感謝でした♪
    <会計係り(~0~):Y &かぬか>


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
(講演会用収入の部)          
商品券カンパ       19,000円
世話人会場カンパ     2,595円       
講演会カンパ       31,165円    
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
講演会収入計        52,760円 
11月末までの繰越金   38,684円
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
(講演会費用支出の部)
折込・印刷・用紙     19,534円
交通費           50,000円
会場費            7,980円 
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
支出合計          77,514円       
(●講演会終了時の繰越金 13,930円)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
■これまで1年間の総額
  総収入     290,995円 
  総支出     277,065円
  繰越残高    13,930円
  (●かぬか& yさんで保管)
   現金残と合致(はんこポン)
====================================
 B/S 290,995円:290,995円
====================================
                以 上 

イーハトーブ通信No.135:講演会報告

2005年12月09日 | 世話人会発行「イーハトーブ通信」を読む

美しい雪景色の朝・・・
講演会から一夜明けて、窓の外は美しい雪景色・・・
風がなく良い天気でしたので、津川さんを御所湖から九十九沢~南畑とご案内して、Tさん宅でお手製のちらし寿司をご馳走になり、午後の「雫石駅発こまち」をお見送りしました。

昨日小岩井からマイトリー計画地~今日の御所湖~南畑方面から岩手山連山を眺望しながらの津川さんのことば:
『こんなに素晴らしい景色の町によくまあ(溶融炉を)建てられると思ったもんですねぇ・・・』

講演会は予想通りとはいえ、、「建設見送り」となったことで安心感が漂っていたせいか、約70名ほどの出席。
しかし、学生時代の集中講義を思い出させるような内容で、実に中身の濃いものとなりました。
そのあとの夜11時半まで続いた交流会には16名出席。
(振り返ると、みんなで飲む席はこの1年間で初めてでしたね♪)

「もしも雫石に産廃溶融炉が建ってしまっていたら、どのような状況になっていたか」

「実際にゼロ・ウェイスト宣言をしてごみの減量化に取り組んでいる自治体やカナダのノヴァスコシア州の例」などを、
パワーポイントの映像で具体的に目の当たりにして、特に焼却炉から出ている煙や排ガスの成分、デモや座り込みなどの実力行使をせざるをえなかった、全国の例は、結構強烈な印象となって来場者にさまざまなことを考えさせたのではないでしょうか。

パワーポイント用のCDは置いていって下さいましたので、見たい方はお知らせください。

取り急ぎ、無事終了と、講演会の「参加者それぞれの印象」が
『雫石のごみ政策と環境条例制定、雫石にふさわしい活性化』へ向けて、より良い形で反映されることを願いつつ、
ここに無事に終了したことを報告させていただきます。
皆様のご協力、大変ありがとうございました。
岩手県内~とりわけ葛巻町や全国からの温かいご支援、ご協力に心から感謝申し上げます。